時計を見れば既に1日を越していた。真夜中の外は冷たく、吹いてくる風は強い。そう思ったときには、数時間前まで抱いていた怒りはもう忘れていた。いつまで経っても帰ってこない相方を捜すためにコートを引っ張りだして寒空の下を駆け回る。どちらが悪いかと言えば、きっと互いに非があったのだろう。馬鹿なことをしていると思いながらも気を静めることは出来なかったのは何故なのか。それほど自分は子供でないはずなのに。

「ローランサン」

人が少ない闇の中を、相方の名前を呼びながら進む。気付けば仕事仲間で相方という関係になっていたが、彼の名前を呼ぶことはそう無かった。白い吐息を吐きながらイヴェールは行くあてもなく真っ直ぐと走る。静かな街は昼とは大違いで、嫌に不気味だった。ローランサンは目立つ髪の色をしているから、そこら辺を歩いているならすぐに見つかる。白は闇に映えるのだ。それでも見つからないということは、何処かの建物に入ってしまったということ。

(ってことは酒場か)

ローランサンが弱いくせに酒好きなのは短い付き合いでも良く分かっていた。そうと決まれば迷うことなく彼が良く行きそうな酒場への道を走る。走りながら、どうしてこんなことをしているのだろうとぼんやり思った。喧嘩して、もうお前の顔なんて見たくないと言い捨てて出ていった男のことなんて放っておけば良いのに。何もしなくても寒さに震えて帰ってくるのだから。

(いや、もしかしたら帰ってこないかもな)

自分への悪口を飽きることなく並べていたのだから相当苛立っていたのだろう。今頃酒場で主人に愚痴っているのかもしれない。それとも別れられて良かったと喜んでいるのかもしれない。そう考えるたびに今走っているのが馬鹿らしくなってくる。人の気もしらないで呑気なものだ。もういっそ縁を切って別の盗賊仲間を見つけたほうが良いかもしれない。

しかし踵を返そうとは考えなかった。その前に、ふと目の前の橋が視界に入ったからだ。月夜に浮かび上がるように見えた橋には、一部手摺りが消えている所がある。イヴェールは不審に思って歩を進めた。消えている手摺りの方へ歩き、その原因が壊れているからだと気付く。昼は壊れてなかったのに、と消えた手摺りを求めて川を覗き込めば、きらりと光るものが視界に入った。月光に照らされたそれは闇に映える白で、人の形をしていた。

「って、ローランサン!?」

体格が見慣れた相方のものだと気付いて目を見開いた。イヴェールの現在いる場所とローランサンを交互に見れば、落ちたのだということは簡単に推測できる。幸い川は浅く流れることは無いが、この冷えた空気ではさぞかし川も冷たいだろう。イヴェールは地面を蹴って、身軽に川へと飛び降りた。ブーツに染み込む水はとてつもなく冷たい。しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。動かない影へと進んで、その身体を抱き起こした。

「…気絶してる」

揺り動かしても瞳は固く閉ざされていて起きる気配はない。身体は酷く冷たいが上下する胸を見ると死んではいないらしい。間抜け、と呆れた声で呟くとイヴェールは彼が着ている濡れたシャツを脱がせて、代わりに自分が羽織っているコートを軽く着せてやった。それでも起きないので、仕方ないと腕を引き寄せて背負う。水に濡れた身体は背中まで伝わり、初めてイヴェールは今夜の気温の低さを呪った。

「くっそ…重、い」

「…………悪かったな」

独り言を拾われて、ぴたりとイヴェールの動きが止まる。肩越しに振り返れば、気絶していると思っていたローランサンが不貞腐れた顔でこちらを睨んでいた。

「……狸寝入り」

「うるさいな。ったく余計な世話焼くんじゃねーよ、大して力無いくせに」

「川で寝ていた間抜けにだけは言われたくない」

「事故だっつの。とりあえず離せ、みっともねーだろ」

川から出ようと不安定に歩き始めると、背中で暴れられるので余計に転びそうになる。誰の所為でこうなったんだよ、と呟きながら文句を言うローランサンを降ろしてやった。それだけ元気があるなら心配ないだろう。しかし早く宿へ帰ろうと川から上がると、背後から小さな悲鳴が上がった。振り返れば、ローランサンが川の中で屈みこんで足を抑えている。

「……何やってんだよ、濡れるだろ」

「な、…うっせえ先行ってろ!」

「…足か」

「おい!」

どうやら落ち方が悪かったのか足を思い切り打ち付けてしまったらしい。ローランサンの抵抗を無視してズボンを捲るとかなり赤く腫れ上がっていた。これは下手したら骨折しているかもしれない。本人は強がってはいるがかなり痛いだろう。はぁ、とイヴェールは盛大に溜息をついた。仕事では化け物のようで、普段は全く可愛げがなくて(男に可愛げがあるのも問題だけど)幾度も突っ掛かったり強がったりしているが、変なところで抜けている。ほら、とイヴェールはローランサンに背を向けた。訝しげな顔で睨まれるのは承知のこと。

「負ぶされ。運んでやるから」

「だから要らんことすんじゃねーよ」

「馬鹿。これ以上悪化したら仕事に支障が出るだろう」

と言わなければ納得しないのは分かっている。案の定仕事という単語を口にされてローランサンはぐっと押し黙った。彼は人がいないことを素早く確認すると、イヴェールの首に腕を回す。漸く観念したらしい。傷に触れないように足を持って、重い身体を持ち上げた。

「宿帰ったら手当てしてやるよ。…それと…今日は悪かったな」

「っ、」

喧嘩の内容は既に忘れていたので、冷えた外に追い出したことを素直に詫びると動揺したのかローランサンの呼吸が一瞬止まった。肩に触れる指が緩まったのを感じて、イヴェールは笑った。分かりやすい性格をしているのだと初めてそこで気付く。最初は何考えているのか良く分からない男だったが、今夜の一件で上辺の雰囲気だけは剥がせた気がした。

歩いている間暫く沈黙が続き、ローランサンが文句を言うことももう無かった。段々と宿へ近づいていくと背中の体温は温かくなり、重みも増していく。肩に顔を乗せられて、何事かと振り返ったらローランサンの瞼は閉じられていた。寝ている。

「……呑気だなお前」

呆れて起こす気もなく疲れていたのか、とひとり納得する。もうすぐ宿に着くから手当てのため起きてもらわないと困る。しかしベッドに座らせるまでは放っておいてやるかとイヴェールはあっさり諦めた。背中は濡れて気持ち悪く、コートも羽織れず肌寒いが悪い時間ではない。喧嘩したことも今ではもう忘れていた。宿屋に漸く着いて部屋へと繋がる階段をゆっくりと上り、落ちないように手摺りに掴まる。その途中で背中のローランサンが身動ぎしたので慌ててバランスを取るために足を止めた。

「…ばかイヴェール……」

だからか、もう少しでローランサンの寝言を聞き逃すところだった。相変わらずの悪態に、初めて聞いた自分の名前。唐突のことにイヴェールは驚き、身体の力が抜けてその場にへたりこんだ。しかし上にいるローランサンがその様子に気付くことはないだろう。

「…ばかローランサン」

仕返しに名前と悪態を呟いた。今夜だけではなく、これから何度も呼ぶことになるだろう。イヴェールと名前を呼ばれて、もう彼は他人じゃないのかと改めて思った。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -