よく考えれば原因は些細なことだったかもしれない。その証拠に、今となっては啀み合った理由さえも思い出せない。それでも切っ掛けを一度作れば、互いに過去の不満を引っ張りだしてきて取り返しのつかない大喧嘩になっていた。そこだけは気が合ってんだよなあ、と一人思い返して虚しくなる。元は自分が世話になっていた宿屋なのに、結果的に追い出される形になったのは女将の言うとおりイヴェールに口では勝てないからかもしれない。剣を持ち出せば必ず自分が勝てたのにそうしなかったのは、さて何の気紛れだろうか。今までは他人と衝突すると、必ず力が物を言った。そういう世界で生きてきて、それは今も変わらないはずなのに。

「…ったく調子狂う」

寒空の下吐いた溜息は白い吐息に変わった。もう季節は冬を迎えようとしている。ローランサンは冷えた両手を擦り合わせ、身体を縮こませながら歩いていた。酒で熱くなった体も、外の寒さには耐えられそうにない。その上大量の酒が入った身体は真っ直ぐに進もうとしなかった。一歩踏み出すたびに足元がふらつく。参ったなとローランサンは頭の何処かで冷静に考えていた。女将がうるさくて勢いで酒場を出てしまったが、行く宛ては無いのである。否、無いといったら嘘になるができればその道は避けたい。だからといって、娼婦を買って屋根のある場所に転がり込む金もなく、野宿をすれば凍死する。

(仕方ねぇ…か)

イヴェールに謝って、宿屋に入れてもらうしか今夜をやりすごす方法はないらしい。死ぬほど嫌だが、本当に凍死するわけにはいかない。大人になるしかない、とローランサンは覚悟を決めて宿屋への道をよろけながら歩きだす。此処から宿屋までは距離があるが、一本道なので酔っ払った自分でもたどり着けると軽く考えた。石畳の床をふらふらと歩くと、やがて大きな橋が目の前に現われる。橋の下には小さな小川があり、水が月光に照らされて輝いていた。この近くには街灯が見当たらないので暗い川と空が交ざったように感じる。橋を歩き始めたローランサンは、いきなり視界がふっと揺らいだ気がした。足元がバランスを崩したのだ。身体が斜めに傾き、自分が何処に居るのかも一瞬分からなくなった。

「…っと、あぶね」

しかし咄嗟に我に返って橋の横にある手摺りを掴む。小川の方に倒れ掛けた身体は手摺りがしっかりと支えてくれていた。これが無かったら落ちていたところだ、とローランサンは安堵の溜息をついて手摺りに体重を掛けた。その瞬間、ガコンと嫌な音が響く。

「…っ、うそ」

気付いた時には既に手遅れ。ローランサンの全身がすっと冷える。頼りにしていた手摺りが大きな音を立て外れたのだ。手摺りには「外れます」とフランス語で書かれた紙が貼り付けられていたが、残念ながらローランサンは文字が読めない。そんなことを予想もしていなかったローランサンは重力に従うまま身体の安定を失った。足は地を離れ、咄嗟に伸ばした手は虚しく空を切る。悲鳴は喉でつっかえて息をするのも忘れた。何が起こったのか理解することも出来ないまま、仲良く手摺りと共に冷たい川へと落ちていく。理解した時には、世界が逆さまになっていた。

「、うわっ…」

どぼん、と盛大な水音が静寂に支配された闇を切り裂いた。
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