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||| ファラクト

※6話時点での執筆



外には、蛇という生き物がいるらしい。
どんなものでもぺろりと飲み込んで、長い長い時間をかけて自分のものにしてしまう。そうやって自分を保って、飲み込んだものが消えてしまうと次を探しに行く。連綿とそれを繰り返し生きていく生き物が、なんだかとても恐ろしく見えて、部屋から出られなくなった日をよく覚えています。
わたしより大きな蛇が、いつかわたしやお兄さまを丸呑みにしてしまったらどうしよう。わたしがなくなって、蛇がわたしになってしまうのかな?それとも、わたしが蛇になるの?
口元に携えた鋭い牙が、小さくするためではなく相手を苦しめるためにあると知ってからは、もっと恐ろしくなりました。毒を注ぎ込まれ、右も左もわからないまま自分の輪郭が消えてしまう感覚を、一体何に喩えたら良いのでしょう。

お兄さまが蛇に飲み込まれてしまうのが恐ろしくて、わたしは、思わずその身を引き留めてしまいました。けれど、行かないでと啜り泣くわたしに、お兄さまは困った顔でそばに居てくださったのです。
目が覚めて、お兄さまが居なくなっていたらどうしよう。この閉じた部屋の外で、会社の外で。大人たちが知らない場所でお兄さまがいなくなってしまったらどうしよう。
沢山の、なまぬるい不安がわたしを飲み込んで溶かしてしまいそうな中。お兄さまは少し口を開くと、食物連鎖の話をしてくださいました。
小さな生き物を飲み込む蛇を大きな鳥が食べて、その大きな鳥を人間が食べる。人間の体は朽ちて土へ還って、その土を栄養にした小さな生き物が生まれてくる。
──僕たちはそういう生き物なんだ。
少し暗い部屋の中、頭を撫でる手が温かくて。まるでわたしの形をお兄さまが覚えていてくれるような安心と共に、その日わたしの意識はいつの間にか溶け消えてなくなっていました。

目が覚めたとき、お兄さまは既に学園へ戻られたあとで。お兄さまがこの部屋にいた痕跡など少しも残っていないはずなのに、柔らかくて、奇妙な温もりのある安心がわたしの胸いっぱいに広がっていました。
お兄さまは、わたしが消えてなくなってしまっても昨日までのわたしを覚えている。そう思うと、自分より大きな存在に身を任せることへの恐怖心が薄れたような心地がして。蛇に飲み込まれてしまっても、きっと後悔などないのだろうと感じたのです。

だからこそ、わたしは顔を上げました。
そうしていつものように検査へ向かう途中、彼と目が合ってしまった。
一切の無駄を省き、何よりも早く動くことに特化した滑らかな曲線。宇宙に溶け込み獲物を窺う暗い色の体。まるでわたしを射抜くように輝く赤色の目。
思わず息が詰まって、心臓が大きくはねる。言葉にするなら、一生懸命考えを巡らせた言葉を指摘されたときのような恐怖と、お兄さまと一緒にいるときのような高揚感が一息でやってくるような。そんな、喜びと不安が溶け合って一つになってしまった感情で、一切の思考が止まってしまったのです。
「──FP/A-77、ガンダムファラクトの移動を開始。職員は速やかに……」
骨を伝うような微小なアナウンスで、はたと思考が動き出す。指先から感じる固い感触で初めて、わたしは彼がガラス一枚を隔てた向こう側にいることに気付きました。分厚いガラスを縁取る何層もの板の下、沢山の機械が稼働し丁重に彼を知らない場所へと運んでゆく。機械によるものなのか音圧なのか、弱い振動はわたしの心を置き去りにして、少しづつ遠ざかっていきます。
「ファラクト」
その名には聞き覚えがありました。GUND-ARMを搭載したモビルスーツ、ガンダム。検査室のモニターに表示されていた文字列が、脳裏に浮かびあがる。お兄さまのために作られた、特別な機体だったはずです。
「ファラクト……」
指先で触れた唇は小さく開いて、彼の名前の形をしている。冷たいガラスに触れていたはずの指先が、いつのまにか、溶けるような熱を持っている。胸の奥底が熱く燃え上がっているような心地のはずなのに、わたしの身体はまるで凍えた土地にいるように震えあがっているのを、脳だけは理解していました。
ペイル・テクノロジーズが作り上げた装置の集合体。周囲を把握するためのカメラでしかないパーツの一つ。頭の中では理解しているはずなのに、それがまるで、獲物を狙うようにわたしを見つめていた。

お兄さまの特別。唯一の存在。お兄さまにしか動かせないガンダム。その胸の中、お兄さまだけが収まることのできる特別な場所。それはまるで蛇のお腹の中のような、外に脅かされることのない一人だけの世界。わたしを覚えているお兄さまが、ファラクトの中に溶けていく。ファラクトの中へ導かれては外へ抜け出す、幾度となく繰り返されたであろう光景。お兄さまは彼に飲み込まれてしまう。世界はその繰り返しかもしれない。
――けど、そんなの、ずるい。
一つ一つを言葉にして浮かべていったわたしの胸の中に最後に残った感情は、嫉妬でした。

「あれ。今は検査の時間だろ?」
「お兄さま……」

ファラクトの姿が影も形も見えなくなったことに気付いたのは、お兄さまの声が耳に届いてからでした。向かい側から音もなく現れたお兄さまは、どこか、昨日とは違うような気がして。けれどそう感じたのもきっと、わたしの頭の中に灯った奇妙な熱と醜く汚れた嫉妬心のせいなのでしょう。大好きなお兄さまの存在さえあやふやなものにしてしまうこの感情がなんだかとても恐ろしいもののように思えて、気付けばわたしの目元には涙が滲んでいました。
「なんで泣いてんの?ああ、もしかして迷ったのか」
「ちがうの、お兄さま……ごめんなさい」
右も左も、誰も彼も分からなくなるような熱の中。記憶に残った彼の赤い目は、まだわたしを見つめている。

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