どうしてあの子がほかの子のなまえを呼ぶと胸がくるしくなるんだろう




 いつからこのような感情が胸で成長してしまったのだろうか。コンラートは自分の唯一の主ユーリの話を聞きながら少しだけ他のことを考えていた。
 おそらくは、彼、ユーリが眞魔国に帰還したときに胸に種が落ちたのだ。それもたくさんの種が。別にユーリを貶しているわけではないが、彼は驚くほど心が真っ白で悪、というものを知らない。それはいまも変わらない。
 誰に対しても、柔らかな笑顔で接し、共に悩み、笑い、泣く。どんなに相手に傷つけられても決して嫌悪しない広い心に触れると、改めてあの小瓶を地球へ無事送りとどけられてよかったと思う。
 いまは月も顔を隠す深夜。ときどき寝つけないとき、ユーリはコンラートの部屋を訪れる。そこで紅茶と茶菓子を摘まみながら日常の他愛のない話をする。地球の話をちらちらとするが、最近では眞魔国に長く滞在しているためか、こちらであった話をよくする。
 自分たちでは当たり前のことでも、彼にとっては新鮮で地球との価値観の違いなどを聞くとなんだか当たり前のようなことでもとてもきらきらと輝いているように思えるから不思議だ。
 コンラートはあまり睡眠をとらない。
 それは、軍人としてつくられた身体になってしまったからなのかもしれない。一日数時間睡眠をとれば生活に支障は出ない。ましてや、こうして新たに王を迎えたいま、城内だとしてもどこに危険が潜んでいるのかわからない状態だ。そうそう意識が奥底に沈むほど深い眠りに入ることはないに等しい。けれども、ユーリの柔らかな声を聞くと安心して寝てしまいそうな気分になる。彼に言えば、自分を気遣って部屋を去るだろうから決して口にはしない。この睡魔もユーリがいなくなればすっかり冷めてしまうのだから。
 ひとりが寂しいと思ったこともなかった。常にひとよりも誰かしらに疎まれているのには慣れていたから、それなら己の腹を探るような人間関係を持つよりひとりでいたほうがよっぽど気が楽だ。
 けれど、ユーリは違う。ひとを疑うこともせず、例え嘘をついてもそれをありのままとして受け止めて、信じてくれる。そんな彼を、コンラートは守りたいと思った。どんなに自分が傷ついても自分が信じたひとを決して疑うことしない、真っ白で球体のような心を持った大切な存在を己の命をかけて護ろうと思っている。
 自分の胸に落ちた種がそうして、芽吹き、少しずつ成長をしていく。
 
 ――その、初めて持った感情がどうしてこのような形でいまにも開花しそうな感情の花を咲かせようとしているのか。

 ユーリの口から零れ出るなまえ。
 ヴォルフラム、グウェンダル、ギュンター、グレタ、アニシナ、ギーゼラ。話題とともに必ず誰かのなまえが零れおちる。
 ああ、ほら、また誰かのなまえを紡ごうと口を開いた。
「ユーリ、」
 それよりも、さきにコンラートの口が開く。名を呼ばれて、ユーリが小首を傾げた。
「なに、コンラッド」
「……紅茶のおかわりいかがですか?」
「ありがとう、気がきくよな! コンラッドは」
 カップの柄に指をかけてこちらに差し出す彼に、コンラートはお世辞でもなく、心から首を振って否定した。
「そんなこと、ないですよ」
 そう、自分はありがとう、と言われる価値のない男なのだ。
 これ以上の幸福を望もうとする、欲望にまみれた罪深い男。
 ユーリの口から自分以外のなまえ聞きたくないから、わざと彼の話を遮ったただの男なのだから。庇護と忠誠を誓う種を胸に撒いたはずなのに、いまにも芽吹きそうな胸に咲き誇る花は赤。せめてその花が翁草であることをコンラートは心から願った。
 もう一度ありがとう、と口にするユーリの笑顔があまりにも眩しくて、コンラートは彼の目をみることができなかった。
 ああ、いっそのこと、開花する前に、枯れてほしいとさえ思う。



(赤い花。深紅のバラならどこにも逃げ場のない愛が咲き誇り、翁草ならまだきっとあなたに隠し通せることができると願う。花言葉は、告げられぬ恋)