いつだって彼がおれのとなり、もしくはおれの三歩後ろにいた。それは驚くほど自然に。 彼と知り合ったのはそれこそ一年と経っていないのに、家族以外で初めてここまで四六時中、一緒にいて苦痛にならないと思うのが自分でも不思議だと思う。会話がなく、部屋に静寂が流れても居心地が全く悪くないのだ。 コンラート・ウェラー。 渋谷有利、おれの名付け親。そして、第二十七代魔王の側近にして護衛でバッテリー。さいきん、自分はごくごく自然にそばにいるコンラッドのことをよく考えるようになった。 一体、彼は自分にとってどんな存在なのか、と分類したくなったのだ。 ―――コンラッドは只今、剣の指南中だ。 仕事が昼過ぎに終了し、自室で食事を摂ったおれは、近くのテラスへと移動した。二階のテラスからは柔らかな風が吹いていて、頬にあたる風が心地いい。 まあ、おれの目的はそこで涼むのではなく、眼下にあるものなのだけれど。 カキン、カキン! と剣のぶつかりあう音がする。それと覇気のある声。コンラッドの指南する声音。 ぼんやりとテラスから肘をついてそれらを眺める。普段の彼の柔らかな表情はそこにはなく、終始厳しい顔で剣を振るっている。きっと自分のとなりでは見せないその表情に少しばかり、むっとしてしまう自分がいた。 いつからだろう。こうして、コンラッドの様々な表情をみたいと思うようになったのは。 以前、おれはヨザックにこんな話をした。 ヨザックはコンラッドのことをなんでも知っているね、と。すると、ヨザックは心底驚いた表情を浮かべて『坊ちゃん以上にあいつのことを理解している奴なんていませんよ』と言ってくれた。けれども、こうして彼の姿をみているとおれはコンラッドのあまりにも知らないような気がするのだ。 いつも一緒にいるのに、知らない。 それはなんだか、さびしい気持ちになる。 一体それはどうしてなのだろう。 きっと村田やヴォルフラムも自分に隠しごとをいくつか持っているに違いない。おれが知らない顔もきっともっている。だが、それらを、コンラッドのほど深く追及したいと思ったことは一度もない。もちろん、コンラッドだってずっとこうして一緒にいるのだからそれなりに日が経てば様々な表情を見せてくれると思うが、待てないのだ。 どうしてなのだろう? この気持ちがわからなくて、村田に相談したこともあった。すると、村田は苦笑いを浮かべて『渋谷は鈍いねえ』というだけで、教えてはくれなかった。あの、少し意地の悪い笑みからして、村田はこの感情や考えは一体何であるか知っていそうだった。 小さく息を吐く。 訓練に夢中のコンラッドはきっと自分がここからみていることに気がついていないのだろう。 ……コンラッドも、自分と同じことを思っていたりするのだろうか? そんなことを考えて、すぐに首を振ってそれを自分で否定した。 百年も生きてる彼が、こんな十数年しか生きていないお子様のことを深く知りたいなんて思っているはずがない。所詮、コンラッドにとっては、名づけ親で、魔王としての護衛にしか過ぎないのだ。わかっているはずなのに、改めて考えるとへこむ自分がいた。 自分の感情がわからない。おれはコンラッドになにを求めているんだろう。 わからないけれど、ただ、自分は……。 『気付け、気付け、気付け……』 おれはここにいるんだと、主張したくなった。 コンラッドは新人兵に実戦を交えた訓練に移る。気がつくはずがない。けれど、まるで呪文のようにおれは心のなかで何度も『気付け』と呟いていた。コンラッドに気づいて欲しければ、自分から声をかければいいのに、それはしたくなかった。言わずともおれの存在に気付いて欲しいと思ったのだ。 ……よく、わからないけれど。 ガキンッ! ひときは大きな音がした。どうやら自分はぼぅっとしていたらしい。気がつけば、コンラッドに指導を受けていた兵が地面に尻もちをついていた。彼は兵に何かを助言をすると、礼をしてそれから、不意にこちらを向いた。 「陛下」 「!」 いつも自分に見せる柔らかな表情を浮かべている。気付け、と念じていたのは自分なのに、突然振り向かれたことに心臓が苦しくなった。思わず一歩後ろへと後さずる。頬が熱い。そして、ものすごい羞恥に襲われる。 「そこから、訓練を見ているのも退屈でしょう? もう少しで終わりますので、終わったらキャッチボールでもしましょう」 「う、うん……っ」 うまく返事ができずに、おれは後ろをむいてしまった。なんで自分は顔をコンラッドから反らしてしまったのだろう。べつに悪いことなどしていないのに。慌てて、部屋へと戻る。急いで、テラスの扉を閉めるとおれはその場に座りこんでしまった。 まだ、頬は熱い。 初めての感情が胸に渦巻く。 いつからコンラッドは自分の存在に気がついていたのだろう。振り向いたときの笑みを思い出しているとどこからかヨザックのいつかの言葉が脳内を過った。 『あいつが坊ちゃんに向ける表情は、恥ずかしいほど柔らかい。あんな表情をオレは一度もみたことがありませんでしたぜ。坊ちゃんは、あいつにとって特別なんですよ。だから、坊ちゃん以上にコンラートのことを知っているやつなんていないんですよ』 「……特別」 そう呟いた自分の口元が少しゆるんでいることにはっとして慌てて頬を叩いた。 コンラッドは大切なひとだ。 おれは彼にとって特別な存在。それが、魔王であるからかもしれないが、なぜだか嬉しい。 嬉しいのに、恥ずかしくて、いまどうやってコンラッドに会ったらいいのかわからなくなってしまった。 こんな感情は初めてだ。 気付け、気付け、気付け。 「……気が付くなよ、コンラッド」 未だ早く鼓動が鳴る胸を押さえて、おれは身勝手で正直な言葉を呟いた。 今日は彼と目を合わせて喋る自信がない。 いつか、この感情が一体何であるのかわかるのだろうか? とりあえず、今日わかったことは、彼は大切なひとで、村田やヴォルフラムのような親友の感情をおれは彼に持ち合わせていないこと。 家族なような感情でもない。 けれど、特別なひとであること。 ほんとうによくわからなくておれは長い嘆息をした。 END |