ユーリが数日ぶりに眞魔国に帰還して、その日の夜、俺の自室のベッドで久しぶりに肌を合わせて荒い息も穏やかなものに変わったころ。 「コンラッド」 彼は気だるけに自分の名前を呼んだ。 「なんですか、ユーリ?」 「……よかった。いつものコンラッドだ」 ほっとしたような声音を漏らして、ユーリは柔く微笑んだ。それから、こちらに近づいてくる。彼の言葉に苦笑すれば、ちらっと上目つかいに俺を見つめた。 「おれに隠しごとができると思うなよ。あんたは平然を装うとしてたけど、さっきのエッチもいつもよりねっちこいし、意地悪だったもん。……なあ、今日なにかあった?」 別になにも、と笑って誤魔化そうとしたものの、俺の行動を予測してたのかユーリは俺が口を開くよりもはやく、きゅっ、と俺の右頬を抓った。 「嘘ついたり、はぐらかすのはだめだからな。あんたのことはおれちゃんとわかってるんだから」 理由まではわからなくても。 言って、口先を尖らせた。 今日は穏やかな日。このまま、幸せに過ごしてふたりで眠りにつきたい。きっと、ユーリもそう思っているはずだ。だから、俺の雰囲気が違うと思っていても、こうして会いにきて肌を許したのだから。ユーリの肩を掴んで、一層近くに引き寄せて彼の小さなおでこにキスを落とすと俺は一応の断りを入れる。 「……理由はとてもくだらないことなんですよ。もしかしたら、あなたは呆れるかもしれません。それでも、聞きたいですか?」 「うん」 ユーリは即答して、じっとこちらを見つめる。大きく輝く漆黒の高貴な彼の瞳にはいっぱいに自分が映っている。それが、とても幸福だと思う。 「……今日は、あなたを出迎えることができなかったことがひとつ。それと、あなたがヨザックと楽しそうに城下町から帰ってきたのが面白くなかったんですよ」 今日は、朝から遠方の視察が入っていた。 遅くても、午後には血盟城に戻り、それから兵士たちの剣の指南と魔王の摂政を務めるグウェンダルと王佐ギュンターの補佐を務める予定だった。視察も順調で、予定よりも早く血盟城に帰還すると『魔王陛下がお戻りになられた』との報告が耳に入った。普段であれば、報告が入るとすぐに陛下の護衛を優先させられるのだが、聞けば今日は執務へ赴くような仕事もなく任務を終えて暇を持て余していたヨザックと城下町へと出かけたという。そのため、スケジュールは変更もなくユーリが血盟城から帰ってきてもすぐに顔を合わせることもできず、顔を合わせたのは夕食のときであったのだ。 「ユーリがヨザックとともに帰ってきたとき、俺は執務屋にいて窓からあなたをみていました。そのときのあなたはとても楽しそうに笑っていて、あなたにすぐに会えることができなかったことがとても歯がゆかった」 軍人として生きる自分は自分に向けられる視線は意識しなくてもすぐに察しつくことができる。けれども、ユーリはどんなに自分が視線を送っても気がついてくれない。視線を感じ取ることなどそれこそ、訓練を積まなければ身に付かない能力だと理解していても、ヨザックと談笑しているユーリを見ていると、そこまで自分を好いていないのでは……と思ってしまう自分が情けなかった。 「……いつだって、あなたのことを考えるのは自分だけじゃないか、とか。誰構わず笑顔を浮かべるのはやめてほしい、とかそんな浅ましいことを思った自分が情けなかった。なのに、あなたに対して苛々してしまう気持ちを抑えることもできなくて……すみません。八つ当たりをしてしまって。本当に俺は器の小さい男です」 あなたが己の名を呼んでくれるだけで、彼を慕う人々の夢をかなえているというのに、それだけでは物足りないと思う欲張りな自分。正直、ユーリの婚約者であるヴォルフラムのほうが自分よりも器が大きく、ふさわしいと思う。もし、自分がユーリと褥を共にしたら相手の気持ちを考えることもせず、無理にでもいつか彼を自分のものにしようとしていただろう。弟のほうがふさわしいとわかっていても、民を裏切り、ユーリの名誉を傷つけると理解していても己の欲望のまま、こうした行為と想いと束縛をしてしまう俺は本当に罪深い。 「ねえ、俺は汚く欲張りなんですよ」 「コンラッド……」 名を呼ぶ声が少し掠れている。きっと、さきほどの行為で枯れたのだろう。 ユーリの瞳が自分の話に耳に傾けてから微かに揺れていて、胸が痛くなる。 ああ、やはり幻滅しただろうか。 「……さっきの言葉を訂正します。呆れてもいい。けれど、ユーリ。どうか俺を嫌わないでください」 小さなからだを抱きしめて、縋る。 たまに、とても怖い夢を見る。 ユーリが自分を捨てる夢。 夢で見る彼は、俺の見つめる瞳が嫌悪で満ちあふれていて、自分を『ウェラー卿』と呼ぶ。隣にいるのに、自分の存在をまるでないもののように扱う。 ……いまの自分は本当に厄介な奴だと自負しているから、いつかこの夢が正夢になるときがくるのではないか、と目が覚めるたびに考える。 ユーリは俺のことを強いひとだというが、本当はとても弱い人間なのだ。 「あなたにふさわしいひとはたくさんいる。恋人にしろ、友人にしろ。居場所はたくさんある。けれど、俺にはあなたしかいないんです……」 話しているうちに胸の蟠りが溢れて、話が少しそれ、余計なことまで口にしてしまった自分にまた嫌悪すれば、ユーリは小さく笑った。 「……ばかだなあ、コンラッドは。あんた、さっきおれが言ったこと忘れた? おれは『いつものコンラッドだ』って言ったんだぜ?」 「ユーリ?」 どういう意味なのかわからなくて眉をひそめれば、ユーリはまるで子猫のように自分の胸に顔を擦りつけて話を続ける。 「『いつものコンラッド』ってのはさ、いまあんたが抱えている思いや独占欲もぜんぶひっくるめて『コンラッド』っていう存在が大好きなんだ。嫌うわけなんかないじゃないか。それに、あんたは考えすぎだよ。おれの居場所はここしかない。……お願いだから、あんまり自分のことを下婢たりしないで。おれを特別な人間みたいなこと言わないでほしい。たしかにおれは王様だけど、そんな肩書もなかったらただの高校生で人間。ただの渋谷有利っていう人間なんだ」 自分が言った言葉が恥ずかしかったのか、ユーリの耳が少々赤くなっているのがみえる。 「それに、コンラッドが言ってくれたことすごくうれしかった。だって、おれのこといつでも考えてくれて、見ていてくれてるんだろう? おれだけがあんたのこと好きってわけじゃないって確認できたし、あと、コンラッドが思う感情は普通のことだと思うよ。おれだって、あんたに嫉妬することだって、苛々することだってあるんだ」 飾らない彼の言葉が、ところどころに空いた心の隙間に沁み込んで、眼尻が熱くなる。それを必死に唾を飲み込むことで押さえた。 愛おしくて、胸がさきほどとは違う意味で苦しくなる。 「そういう気持ちになるってことは、おれをちゃんと大事にしてくれてるって証拠だし、おれのほうがもーっとささいなことで嫉妬しちゃうことだってあるんだからな。……だから、コンラッド。そんな後ろめたい気持ちを思わないでほしいよ。あんたは王様としてのおれと恋愛してるわけ?」 拗ねるように尋ねるユーリに俺は首を横に振るう。 「いいえ。たとえあなたが王でなくとも愛しています。俺は渋谷ユーリという人間を恋愛をしている」 ああ、そうだ。わかっていたはずなのに大切なことを忘れていた。 王様である以前に彼がひとであるということを。 言うと、ユーリは顔をあげて嬉しそうに微笑んだ。 俺しか知らない優しい微笑みで。 「ありがとう、コンラッド」 ユーリの唇が自分のそれと触れ合う。それから、小さく欠伸をした。もう、夜も遅いから睡魔が訪れてきたのだろう。 「……こちらこそありがとう、ユーリ。今日はもう夜も遅いから寝ましょうか。あなたのおかげで幸せな夢がみれそうだ」 シーツがずれて、あらわになった肩にもう一度、シーツをかけて背中を優しく撫でる。もう、蟠る想いはなにもない。 「うん。ああ、起きたらコンラッドに渡したいものがあるんだ。城下町で買ったやつ。気にいってくれるとうれしいな。……それに、恥ずかしいけどコンラッドが理由を教えてくれたからおれも教えてあげるよ」 「なんです?」 「地球に戻ってもあんたのことばっかり考えて、村田に惚気るなって怒られて、城下町でもヨザックに惚気すぎですよーってからかわれてた。ほとんど、コンラッドのことしか話してなかったんだよ。無意識だったからかなり恥ずかしかったなあ。……それと、あんたが出迎えてくれなくておれも残念だった」 「ユーリ……」 「大好きだよ。コンラッド」 「俺も、あなたを愛しています」 これからもつまらないことで嫉妬して悩むことは多くあるだろう。けれど、最後にはこの腕のなかが彼の居場所だと自信をもてる男でありたい。 「おやすみ、ユーリ。素敵な夢を……」 ゆるゆると睡魔の波にのまれながらも「おやすみ」と答える彼にもう一度だけ、感謝と憧憬の気持ちを込めて瞼にキスをして目を瞑る。 ああ、今夜はとてもよく眠れそうだ。 |