迷子になったらさがしてね



 こちらには知らないものがたくさんある。毎日見ても見飽きない。どこかしこもきらきらと輝いていてふわふわとした誘惑が心を擽る。それに触れるたび、知るたび楽しくて、ついつい気がつけばかけ出してしまうのだ。怒られることだと分かっているけれど。
 その日、おれはひとり城を抜け出した。
 

 城下町には屋台が多い。地べたに布を引いて手作りの髪飾りを販売したり、鼻を擽る美味しい匂いがあちらこちらで香る。肌にあたる冷えた風を襟を立てて防ぎながら人ごみを縫って散策する。地球の都会を歩きなれた体は自然と人の歩みを理解していて、ぶつかることもない。するすると人ごみをぬって目的もないまま様々なものを目に焼き付けた。
 色のついた硝子を瞳に入れているが、それでも全てが鮮やかで何をせずとも心が躍り笑みが浮かぶ。その頭の隅で、ギュンターの顔がちらついた。上手く脱走してきたつもりだから気付かれてはいないはずだ。今日の執務はちゃんと終わらせてから部屋で休むと言ったし。おそらく大丈夫だと思う。
 コンラッドに至っては今日は朝から地方の任務に赴いてると聞いているし、まず耳にも入っていないだろう。なら、今日はいつもより長く城下町で遊んでもばれないかもしれない。冬の風が手を温度を奪っていく。ああ、手袋をしてくればよかった。ちょっと自分の失態に眉を顰めてコートのポケットに両手を突っ込んだ。指先に硬貨が当たる感覚がした。
 もう少し町なかをめぐったらなにか食べよう。
 以前コンラッドと城下町で食べた地球にあるクラムチャウダーに似た具がたっぷり入ったチャルムを思い出す。焼きたての黒糖パンとの相性は最高だった。あの店は、この道の先だったであろうか。曖昧な記憶を辿りながら前に進む。
 その屋台が見つかるかは定かではないが、ここら辺で迷うことはないだろう。幾度も彼と連れ添って歩いたのだから。城下町に来てまず始めの目的、チャルムを食すことを胸にきょろきょろと回りを見渡しながらおれは微かに北風の吹くなか先を急いだ。



 久々に食べたチャルムは本当に美味しかった。
 しかし、困ったことになった。
「あれれ、ここはどこ、なんだろうな……」
 目的の物が食せたのはいいが、過去の記憶は本当に曖昧なことしか覚えておらず結構いろいろな道を歩きまわってしまった。歩いているときはなにかしら目印になるものをつけたつもりなのだが、冷えた体に温かいチャルムで満たして満足していたときにはもうすっかり忘れてしまっていた。しかも、冬の夕方ははやく目印にしていた建物も明かりをつけて印象変えてしまい、よく分からなくなってしまった。それでも、なんとかすれば夕食時には帰れるだろう。もうその頃にはギュンターには脱走していたことがばれているかもしれないが。
 とりあえず、この道を歩いてみよう。
「帰りはこっち」
 踏み出した足は一歩を踏みしめることもなく、逆に後ろに足をつけた。手を後方に引かれてバランスを失った背中に人の感触がする。
「コンラッド! ……なんでここにいるの?」
「おや、随分な挨拶ですね。もちろん、脱走したあなたを探しに来たんですよ」
 そういう彼をみると軍服な少しだけくたびれていて、明らかにまだ城に帰ってないのがわかる。そんな彼がどうしてここにいるのだろう。
「あなたが城下町に降りていそうな気がしたから。見つかってよかった。よかった、けど、ここにいることはよかった、ことではないけどね」
「ん……っ」
「しかも、なにか口にされたようだ。この味はチャルムかな」
 急に頤を掬われて生暖かいものが下唇をなぞる感触がした。彼を見れば上唇を舌で舐める仕草をしていて、唇を舐められたことを知り思わず顔が熱くなる。普段、人前でこのような行為する人ではないのに。きょろきょろとあたりを見渡せばコンラッドは「誰も見ていませんよ」と微苦笑を浮かべている。確かに、辺りは先ほどよりも暗くなり家路を急ぐ人が多く、こちらを見ているひとはいないように思えた。
「冬はすぐに夜を連れてきてしまいますからね。小言は城に帰ってからにしましょう、ユーリ」
 自然な動作で手を握られて、コンラッドは歩み始める。おれに合わせてくれるゆっくりとした歩調。いつものリズムがそこにはあった。特別何日も彼と離れていたわけじゃない。今日だって半日程度傍にいなかっただけだ。けれど、コンラッドの存在がいまここににあることがとても気持ちが楽になったような感覚を覚える。
「あのさ、ひとりで城下町降りてきたの楽しかったけどさ、やっぱり違ったよ。コンラッドと一緒の方がいいや。あんなにたくさん冒険したのに、今が一番楽しいんだもん」
 きゅっと握る手に力を込めて言えば、コンラッドは小さく眉根を下げて小さくため息をつく。
「まったくあなたってひとはそういうことを無意識に仰るんですから困りますね。怒るに怒れなくなってしまうじゃないですか」
「なんで?」
「なんでも、です」
 言ってそれ以上教えてくれるつもりはないのか、彼は笑う。はあっと息を吐けば息は白く町なかをたゆたい消えていく。コンラッドの言う様に冬の夜は早い。気がつけば橙色の街頭がちらほらと町に灯りをつけていた。
「あなたの手は、随分と冷えているようだ。あちらのお店で体を温める飲み物を買っていきませんか? 甘くてきっと気にいると思うけど、もうチャルムを食べてお腹いっぱい?」
 コンラッドが指さす道はひときは屋台が立ち並びどこからも湯気が暖かそうに空に散っている。
「全然! 食欲旺盛な高校男子だもん。まだまだ入るよ!」
「それはよかった。では行きましょうか」
 再び歩みを始めるコンラッドの手を未だに握りしめながら、言い忘れていたことを思い出し、彼の手を引く。
「コンラッド、見つけてくれてありがとう。それから、おかえりなさい」
「……ただいま、ユーリ」
 ここでキスが出来れば最高なんだろうけど、そんな大胆な行動自分には到底出来そうにない。でも少し勇気を出してただ繋ぐ手を一度離して恋人繋ぎに変えてみる。深く絡む手が恥ずかしくて再び頬が熱くなる感覚を覚えるが、今日はそんな恥ずかしい自分でもいいような気がした。
 丘にそびえ立つ血盟城の明かりを見つめながら、冬のぬくもりをおれは楽しんだ。

END

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