ちゃんと見つけてあげるから、



 それは単なる予感だった。冷たい風が頬を撫でる。それはうっすらと夕闇の影を落として夜と冬の匂いを漂わせる。すん、と鼻を動かせば軍服から土の臭いが香る。このまますぐに彼のいる血盟城に向かうのもいいが、やはり気になるものがあり俺はその手前にある城下町でノーカンティから降りることに決めた。



 城下町に着くと一層空の闇は濃いものへと変化する。けれど町中に広がる橙色の街頭や家の明かりが柔らかく夜を照らして、冬独特のあたたかな雰囲気をそこかしこに漂っている。屋台からもお腹を刺激するような美味しそうな匂いと湯気の白が見え、時折彼とお忍びでくるときのことを思い出した。回想に耽ってもその歩みを止めることはせず、終始周りを気にしながら進む。
 本当にこれと言って確信はなかった。けれどこの思いが間違っているとも思えず、あと数十分して町中を歩いたら帰ろう。その際は、あの子の好きなお店の焼き菓子を買っていこうとつらつらと考え、どれぐらい歩いただろう。目に止まるものがあり、ぴたりと歩みを止めた。
 小さな背中が寒さで少し震えている。その背中を思わず温めたくなるのをこらえながら少々芽生える子供のような悪戯心に揺り動かされるようにこっそり歩みを寄せた。耳を済ますとぶつぶつと彼は呟いている。どうやら道に迷っていたようだ。
見つかって本当によかった。
おそらくこちらであろうと思う方向に足を踏み出す子の肩を後ろに引く。
「帰り道はこっち」
 バランスを失った華奢な身体が胸に落ちる。途端に、頬を思わず緩んでしまうような幸福感と香りが鼻を掠めた。彼の匂いだ。
「コンラッド! ……なんでここにいるの?」
 予想にもしなかったことなのだろう。大きな瞳をさらに見開いて、問う。それから、少し彼は苦笑いを浮かべた。ひとりで城を抜け出してしまったことがばれてしまったからだろう。くるくる変わる表情が本当に可愛らしくて思わず、口端に笑みが浮かぶ。
「おや、随分な挨拶ですね。もちろん、脱走したあなたを探しに来たんですよ」見つかるかは本当に定かではなかったが。言えば、さらに大きく目を見開いて俺を見つめる。残念ながらいまは美しい漆黒の色が色ガラスで染まっているが、その瞳自分が映っていることがとても嬉しい。
 どうしてここにいるのか、聞きたくてうずうずしているのが雰囲気で分かる。
「あなたが城下町に降りていそうな気がしたから。見つかってよかった。よかった、けど、ここにいることはよかった、ことではないけどね」
 そういって、彼の唇を掠めるように奪う。普段は人の目のある場所でこのようなことはしないが、いまは会えたことに浮かれて周りを確認してからキスをした。「ん……っ」と可愛らしい声が漏れ、寒さとは違うものが背中をゾクゾクと跳ねる。
触れた口唇は思ったよりも暖かなものでほんの少し甘く、食べ物の匂いが香る。覚えのある味だ。
「しかも、なにか口にされたようだ。この味はチャルムかな」
 可愛らしい声に刺激されて、少しばかり欲望に歯止めが効かなくなる。小さな頤を掬い微かに食べ物の味が香る下唇をなぞる。元より赤い唇が濡れて艶やかに光るそれは熟れた林檎のようにみえた。頬を鮮やかに染める彼が愛しいがシャイな少し意地悪をし過ぎたかもしれない。きょろきょろと見渡す彼を安心させるように「誰も見ていませんよ」と言った。まだ、心配になっているのかしばらく周りを気にしていたが、諦めたのか、安堵したのか分からないが彼はため息をつく。
「冬はすぐに夜を連れてきてしまいますからね。小言は城に帰ってからにしましょう、ユーリ」
 はなしを切り替えるようにユーリの手を握る。特別彼と何日離れたわけではないのに、触れた手がとても懐かしく感じた。また二人で歩き始めることがとても嬉しい。ほっ、と自分の心を温かくなる気持ちにさせてくれるはこの子しかいない。手を握る、一緒に歩くそれだけで幸せな気分にするユーリはやはり自分の特別なひとなのだろう。と、ユーリの視線を感じる。じぃっとみる目はまるであどけない子猫のようだ。どうしましたか、と問うよりも先に彼の口が動く。
「あのさ、ひとりで城下町降りてきたの楽しかったけどさ、やっぱり違ったよ。コンラッドと一緒の方がいいや。あんなにたくさん冒険したのに、今が一番楽しいんだもん」
 はにかんだ微笑みを浮かべて、恥ずかしげもなくユーリは言う。意識してその言葉を使用しないことを知っているから思わずその直球すぎる想いにため息をついてします。ああ、なんて可愛い子なんだろう。少しばかりきゅっと力を込めて自分の手を握るそれが愛くるしい。
「まったくあなたってひとはそういうことを無意識に仰るんですから困りますね。怒るに怒れなくなってしまうじゃないですか」
「なんで?」
 小首を傾げて聞くユーリに、俺は「なんでも、です」とだけ答えた。きっと説明したところで、この想いなどを理解してくれないだろうから。まあ、どちらにせよ少しばかり不服そうな表情を浮かべていたが、諦めたのかふうっと柔らかな白い息を吐き出して、町の灯りに目を移した。それにつられるようにして自分も町中に目を移す。
「あなたの手は、随分と冷えているようだ。あちらのお店で体を温める飲み物を買っていきませんか? 甘くてきっと気にいると思うけど、もうチャルムを食べてお腹いっぱい?」
 チャルムで体を温めたようだが、未だ冷え切っているユーリの手。自分の指さす屋台の飲み物は体を温める作用がある物をたくさん置いている。地球にあるココアのような甘い物をあるしきっとユーリの口にも合うだろう。
「全然! 食欲旺盛な高校男子だもん。まだまだ入るよ!」
 嬉しそうに声を弾ませて、その提案に同意する。その純粋な瞳に光が映るたびに愛おしい気持ちが胸で踊る。ああ、早く彼の本当の色を見てみたいな。漆黒の髪と漆黒の瞳。ユーリの笑顔が一番生える色。
「それはよかった。では行きましょうか」
 再び彼の手を握り直して歩み始めると、ふいに手を引かれた。思わず、ユーリのほうを振り向けば、自分しか知らない愛しい笑みを浮かべていた。
「コンラッド、見つけてくれてありがとう。それから、おかえりなさい」
「……ただいま、ユーリ」
 シャイな彼には珍しく甘えるように握るだけの手を指と指を絡めた恋人繋ぎへと変えてさらに強く握ってくれる。それだけでどれだけ心が熱くなるかを彼は知らないのだろう。ここに彼がいることが分かったのはやはり、予想や偶然ではなく必然だったのかもしれない。迷子の手を握りしめてそんな都合のいいことを思いながら丘にそびえ立つ血盟城を見上げながら俺は笑った。

END
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