IPPUKU 家から徒歩五分の場所に、噴水公園。それからすぐの脇道を曲がると『IPPUKU』という喫茶店がある。 そこはその名の通り『一服』をテーマとしているコーヒーが自慢の店だ。とはいえ、コーヒーだけでなく、いま流行のなんちゃらラテなどもあるし、軽食などもとても充実していたりする。 外観、内装もアンティーク調で纏められ、落ち着いた雰囲気だ。大通りから離れているが、美味しいコーヒーや料理。雰囲気の良い佇まいなのに、あまり人気が出ないのはおそらくオーナーである『ボブ』の第一印象が影響しているのだろうな。 と、渋谷有利は『IPPUKU』の入口でひっそりと笑いをこぼす。 ボブ、は外国人で体つきもいい。だが、それらを差し置いてなによりさきに目がつくのが黒いサングラスだ。彼曰く『黒いサングラス』はトレードマークらしい。なので、絶対に外すことはないそうだ。けれども、そのサングラスと低い声がお客さんに威圧感を与え、とくに女性客は早々に逃げ出してしまう。 なので、ここに来るお客さんは大半は男性で年齢層が高い。 有利からすれば、そのほうがいいが。 駅前通りにはたくさんカフェや同じような類いの店が多く並ぶ。店の外に出される広告や看板メニューに魅力を感じることはあるが、列に並ぶのもメニューが豊富すぎてなにを頼めばいいのかわからなくなる。なにより人ごみに囲まれるのが好きではないのだ。 並んだり、囲まれるのはそれこそ野球観戦くらいでいいと思っている。 『IPPUKU』のオーナー、ボブは父が以前海外で働いていたときの上司であったらしい。いまは仕事をやめ、趣味で喫茶店を経営しているとのこと。 両親が元々、コーヒーや西洋アンティークに興味があるのもあってこの喫茶店にお邪魔している。それからコーヒー豆の販売もしているので、時折有利が母親に買い出しを頼まれるのだ。 有利は、学生カバンに財布があることを確認してドアノブに手をかける。夕方、まだ帰宅ラッシュの時間よりも早いためか、店内にはだれもいなかった。 コーヒーの香りが漂う店内はそれだけでなんだか安心感を覚える。 「こんにちはー……」 買う豆はいつも決まっているので、すぐさま有利はカウンターへと足を進め、机に置いてあるメニュー表に目を通した。母親に頼まれたコーヒー豆代の残ったお金で自分の好きな飲み物をひとつ買うのが日課だ。 さ、今日はなにを飲もうかな。と、ボブが来るのを待ちながら選んでいると、聞きなれない声がし有利は勢いよく顔をあげた。 「――お待たせいたしました」 スタッフルームからあらわれたのは、驚くほど端整な顔立ちをした男。 予想もしなかったことに有利は唖然として、男を見る。 切りそろえられきれいにセットされた茶色い髪。まえに怪我でもしたのだろう、すごく目立つというわけではないが片眉には傷痕がある。その眉のしたにある瞳はダークブラウン。ワイシャツに腰に巻かれた黒のロングエプロン。どこにでもありそうな制服だが、この男が着るとまるで雑誌の制服特集の表紙でも飾っているモデル……いや、俳優のようにみえる。 「あの……」 まじまじと観察し、ふいに声をかけられ有利はハッと我にかえった。目の前の男が困ったように笑みをつくるそれにすぐさま謝罪ををした。不躾な視線を向けていたという自覚はある 「あ、ご、ごめんなさい。……店長が出てくると思ったから、驚いちゃって」 言うと「ああ」と彼は納得したように頷き「ボブはいま療養中なんだ」と言う。 「療養中?」 「ええ。この間浅草のサンバカーニバルに参加してね、そこで腰を痛めちゃったみたいで。それまで俺が店長代理を務めることになったんです。コンラート・ウェラーと言います」 「そうなんだ。……おれは、」 「シブヤユーリくん、でしょう?」 自己紹介しようとくちを開けば、彼の声が重なった。 「あれ? 違いましたか?」 「い、いや! そうですけど! なんでおれの名前を……」 問うと、彼は「ボブから話を聞いていたので」と彼は笑う。どうやら、戸惑う自分があまりにもおかしかったらしい。 「元会社の部下で親しくしている友人の息子がそろそろ尋ねてくるころだって言っていたので。そのとき特徴と名前を教えてもらったんですよ。あなたを見たときピンときたので」 すでにこちらがなにを買うのかもボブに教えてもらっていたのだろう。彼は、有利が買うコーヒー豆のビンを開ける。 「そうだったんだ」 「ええ。真っ黒な黒髪と瞳。それから、素直で元気な子と言っていました」 「……黒髪に黒い目なんて日本人ならみんなそうだと思うんだけど」 相手は年上だから、敬語で話したほうがいいだろう。と頭ではわかっていたのに、敬語を苦手であまり使用していないからかくちから出たのは、タメ口だった。言ってからすぐに慌てて、それを謝ろうとしたが彼は「タメ口でいいから」と声をかけた。 「俺はあなたの先輩でも仕事のひとでもないし、できればこれを機会にあなたと親しくなりたいから無理に敬語なんて使わなくていいですよ。……それに、敬語使うの苦手なんでしょう?」 まさか苦手というところまで勘付かれていたなんて。ちょっと恥ずかしい。けれど、敬語を使わなくていいと言われてすこし緊張がほぐれた。 「えっと、ありがとう。それじゃあ、敬語はナシで。……こ、こんらぁ、あれ? コンら?」 コンラート。そう言いたいのに頭ではしっかり文字も浮かんでいるのにどうしてか舌がまわらない。何度か彼の名前を口にしようとすれば彼は「なら『コンラッド』ではどうですか」と言う。 「え?」 「コンラート、というのが言いづらければ、俺のことを『コンラッド』と。親しい友人にはそう呼ばれているので」 さあ、もう一度。と催促され有利は彼の名前を口にする。 「コンラッド。……あ、言えた! ってか、ごめん! コンラッド『さん』だよね」 「いいですよ、コンラッドで。さっきも言ったでしょう。あなたと親しくなりたいと。そのかわり、俺も『ユーリ』とお呼びしてもいいですか?」 「もちろん!」 年下である自分が呼び捨てで、彼は自分を『さん』や『くん』と呼ぶなんておかしいし。 有利はそれに加えて「敬語もナシでいいから」と言ったが、コンラッドは「敬語で話すことに慣れているから、このままで」と言った。 いいのかな、とも思ったが、たしかにコンラッドの話し方は自然体のような気がする。 「……さて、自己紹介も済んだし、これね」 「あ、忘れてた」 コンラッドから手渡されたのは、母親から頼まれていたコーヒー豆が入った袋。それを有利は受け取り、レジスターの前に移動するコンラッドを止める。 「ちょっと待って! おれも注文したいのがあるんだ」 「注文したいもの?」 「うん。お袋に頼まれたコーヒー豆とおつかいの駄賃として、おれの飲みたいの買うんだ。……今日は何にしようかな」 メニュー表を見ながら迷い唸る。毎度のことだが、長い商品名になにがどういうものなのかまったく想像がつかないメニューばかりだ。 「迷っているようなら……俺のおすすめとかどうですか?」 「おすすめ?」 オウム返しするとコンラッドは頷く。 「いや、おすすめと言うよりユーリの好きなものを聞いたオリジナルを作ろうかと思いまして」 「えっ、そういうのできるの?」 「できますよ。そうだな……いまの季節だと栗を使ったフラぺチーノとか」 「フラぺチーノってよく聞くけど、どういうやつ?」 ほかの店では、こんなことを聞けばバカにされそうだと思っていたことも、どういうわけだか彼に素直に言えるのを不思議に思いながら有利が問うと「フラペチーノとは造語なんですよ」とコンラッドが答える。 「駅前にある有名カフェチェーンがあるでしょう? そこがフラッペ……日本で言うかき氷とクリーム状に泡立てたミルクを加えたコーヒー、カプチーノの特徴を合わせた飲み物をフラペチーノ、と名付けたんです。もっと、簡単にいえばフローズン状の飲料にクリームをのせた飲み物のことですね」 とてもわかりやすく解説してくれて、ひとつかしこくなった気がする。 「もし苦手だったら、ほかのでもいいですが」 いまの季節と言われてそういえばまだ秋の味覚を味わっていないことに気がつく。 「ううん、それがいい!」 「じゃあ、それね。ちょっと待ってて」 コンラッドは了承を得るとすぐさま作業に取り掛かる。 もともと器用なのか手際のいい作業を見ていると、困ったようにコンラッドが笑う。 「どうしたの?」 「……そんなまじまじと見られるとちょっと恥ずかしいな、と思いまして」 「いや、イケメンってなにやっても格好いいよなって再認識しちゃって。いいよなあ、コンラッドモテそうだし」 夏休みは草野球とアルバイト三昧をして、二学期を迎えるとどういうわけだが、周りはカップルで溢れかえっていた。 聞くところによれば、他校とのお祭り合コンなどをとおして仲良くなったらしい。もうすこしすれば文化祭もある。みんな文化祭よりさきにある期末テストのことなんて忘れて浮足立ちだ。 ……みんながうらやましいなあ。 とは思うも、いまは好きなひとも気になるひともいない状況。有利の考えには恋人が欲しいから作る。というのはないのでいままに待つしかない。とはいえ、しあわせそうなカップルを見ているとさびしくなるのはたしかで。それでいうと、いま自分の目の前にいる美形はそういうことに対して、困らなそうでついつい恨みがましいことを呟いてしまった。 「俺はモテないですよ。現にいま恋人いませんし。ユーリのほうがよっぽどモテそうだ」 「そういうお世辞はいいよ。おれ、生まれてこの方、恋人なんていたことないし」 言うとコンラッドはどういうわけだか、驚いたようにわずかに目を見張る。 「そうなんですか?」 「そうだよ、悪い?」 コンラッドが自分のことをバカにしているわけではないとわかっているのに、またも口を尖らせて返答すれば、彼はなにか考えるようにこちらから目をそらしたあと有利にたいしてではなくひとりごとのように「……もったないな」と呟いた。 なにがもったいないのだろう。と有利は首を傾げ尋ねようとしたが「できましたよ」と言ったコンラッドの声にその呟きへの答えは聞くことができなかった。どうやらコンラッドおススメのフラぺチーノは完成したらしい。 たっぷり生クリームと細かく刻まれた栗がとても美味しそうだ。 「うーわー、めっちゃうまそう!」 「甘いの好き?」 「うん! でもこういうところで買うやつって名前が長ったらしいしどれが甘いのかよくわかんなくてさ。ボブのときはキャラメルとかチョコレートなんちゃらって甘いんだろうなってやつばっかり買ってる。ほんとは毎日でも飲めたらいいなって思うけど金ないし、ここでおつかいついでに甘いの飲めるのしあわせなんだよね」 それで、これはいくら? と尋ねればコンラッドは首を横に振り「これは俺からのサービスということで」と答えた。 「でも、そんなの悪くない?」 「いいんです。お近づきのしるしってことで。そのかわりにまた顔を出しにきてください。ここに来るお客さんって寡黙なひとが多いので、俺の話し合い手になってくれた嬉しいです」 そう言って、彼はドリンクカップに黒のマジックでなにかを書いた。 「はい、どうぞ」 「ありがと! ……これ、なんて書いてあるの?」 書かれた文字は英語。自慢じゃないが、英語のテストはいつも赤点。よくてぎりぎり。まったく読めない。 容器書かれたメッセージを有利が見ていると、ふいに眉間をコンラッドにぐりぐりとおされた。 「もしかして、ユーリは英語が苦手なのかな?」 「もしかしなくても英語、ニガテ」 言うと、彼はなにかひらめいたのか声をあげる。 「いいこと、思いつきました」 いいこと、というのは一体なんだろう? 有利が小首を傾げると、コンラッドはすこし意地悪に笑む。 「ここに書かれたことはなにか調べてもう一度ここに来てください。当たっていたら、一杯ドリンクサービス」 「えっ!」 調べていいならすぐにでも答えなどわかってしまうだろう。そんな簡単な問題なのに、一杯ドリンクをサービスしてもらっていいのだろうか。言えば彼は「いいんですよ」と答えた。 「俺は話し合い手が欲しいし、英語を克服するなら日々英語に触れあうことが大切だからね。――はい、どうぞ」 「あ、ありがと……」 手渡される瞬間、こちらをみて柔らかく目元と細めて微笑むコンラッドになんだか照れくさくなって有利はそっと目を逸らした。 なんで美形っていちいち格好いいんだろ。 妙に胸がどきどきしてしまうのをそっと息を吐いてやり過ごす。 「……それじゃあ、また」 「ええ、また。お待ちしております」 手を振る男に有利はぺこり、と軽く会釈をして店を出て、作ってもらったドリンクに口をつけると優しい味が口内に広がる。 「……うま」 どこからか金木犀の匂いが鼻を掠める。 秋の匂いだ。 ……そういえば、キンモクセイの花言葉ってなんだっただろう。 有利は、器に書かれた未だ読めない彼からのメッセージを見つめながらふと思った。 END |