コローナ・ボレアリスの行き先
(年齢操作未来設定)



 コンラート・ウェラー。
 彼を知るひとはみな『彼は欲がなくつまらない淡泊な男』だと表現する。だが、おれからしてみればこんなにも執着心の強い男はほかにいないと思う。
 彼は浅く広く興味を持たないだけなのだ。彼は一点集中型なのだと思う。これだ、と決めたものに執着を示す。
 コンラート、通称コンラッドの本当の姿を知っているひとはきっと少ないのだろう。
 実際、自分も彼の執着心がどれほどのものだったのか今日知ったのだから。

 ――二十七代魔王に就任して数百年が過ぎ、ようやく後継ぎが決定し退任した今日。すべての行事を終え、ひとり城下町が見渡せる丘でやわらかな風に心地よく切り株に腰をおろして目を細めているとふいに背後から名を呼ばれた。
「ユーリ」
 振り返ればそこにはずっと自分を護ってくれた男がこちらに向かって歩いてきた。
「……長い間、お勤めご苦労さまでした」
「おう」
 労いのことばをかける男は出会ったころより幾分年をとったが、それでも柔和に目を細める彼、コンラッドはまだ若い。地球の年齢で見れば三十代後半、といったところ。そんな彼を見て思わず、ちいさく息がこぼれた。
「……べつにおれに付き合って、あんたまで護衛を辞める必要なんてなかったなかったのに」
 おれとは違い、まだまだ現役で働けるというのに、この男はどういうわけだか自分も護衛を辞めますと言って周囲の反対を押し切り、同じく今日護衛を辞任したのだ。もう辞任が決定しまったいま、言うことではないのかもしれないが、コンラッドの姿を見るとぽろり、と本音がこぼれてしまった。
「俺はあなたに人生を捧げているのです。なのであなたにどこまでも付き合う次第です」
 と、コンラッドには一切の未練がないのかさらり、と言いおれの隣へと腰掛け、思わず「でも」と言いかけ開いたくちを閉じる。「でももったいない」と言ったところでこの男は首をたてを振らないのだろう。コンラッド、という男はけっこうあたまがかたいのだ。
 そうして、はなしはいつの間にか逸れ、話題はこれまでの思い出話へと変化し目を閉じ、日々を回想していると、突然コンラッドが言う。
「ユーリ、」
「ん? なんだよ」
「俺と結婚を前提にお付き合いしてくれませんか」
「……は?」
 なにを言い出したのだろう。この男は。
「なんで?」
 意味がわからない。思わず閉じていた目をあけてとなりにいる男のほうを向く。コンラッドはあいかわらず、城下町に目を向けていた。
「もちろん、ユーリが好きだからですよ。あなたはずいぶんまえにヴォルフラムと結婚を破棄し、いまはフリーでしょう。なら、俺にもチャンスがあるかと思いまして」
「……チャンスって」
 こいつは思いのほかバカだったらしい。
「チャンスもなにも年が離れすぎだろう」
 ひょんなことから婚約者になったヴォルフラムとは創主の戦いが終わったあと、互いに互いを『恋愛対象』ではなく『親友』という気持ちが強いと感じ、正式に婚約を破棄にした。なのでそれでいえば、フリーであることには違いない。けれども、問題はそこではないのだ。
 呆れ口調で返答すれば、コンラッドは母、ツェツィーリエ譲りの色香のある笑みとセリフをくちにした。
「年なんて『愛』のまえでは関係ありませんよ」
 そう言うもそれでおれは納得できるはずもなかった。なぜなら年が離れすぎた。
「……まだあんたの見た目の肉体も三十代後半だけど、おれの見た目や肉体はだれがみたって『おじいちゃん』だ。愛のまえでは年なんてって言ってもその愛を確かめるための、感じるための『セックス』なんてできねーんだぞ」
 おれは視線を己の手のひらへと落とす。
 しわだらけの骨が浮き出た手。手だけではない、からだだって筋肉がおちてしわがあるし『双黒』だと称賛された黒髪もいまやツヤはなく白髪が大半をしめている。ギーゼラの定期検診で診断された結果では人間年齢でいえばもうおれのからだは七十代だと告げられた。魔族と人間のハーフ。というところではコンラッドと条件は同じではあるが、生まれた場所が異世界であったというのが影響しているのか、おれの成長速度は人間よりは遅くけれども魔族よりは早く年をとる、という特殊なものらしい。なので、七十代と言われてもまだ五十年、百年は生きるだろう。けれどコンラッドと『恋愛』するにしては釣り合うことはできないのだ。
「あんたの気持ちはうれしいけど、でも、セックスもままならねえおじいちゃんとこれからさき一緒にいてもつまんねえだけだって」
 コンラッドだって診断を受けたときとなりにいたのだから、わかりきっているはずなのに。どうして、こんな日にこんなことを言うのだろう。
 しわの増えた手を見つめ、苦笑いを浮かべればその手を一回りは大きい手がおれを両手を包んだ。
「……セックスがすべてじゃないでしょう。からだを繋げなくても、キスはできる。一緒にいることだってできる。こうして手を繋ぐことができる。俺にとっていちばん大切だと思うのは『だれと一日を過ごすことができるか』です。一日、あなたと一緒に過ごすことが俺はなによりしあわせなんです。そしてだれよりも俺があなたをいちばん愛している自信があります」
「今日はやけにべらべらしゃべるな、あんた」
 運動をしたわけでもないのに、どくどくと早鐘を叩く心臓の音がコンラッドに聞こえそうで、それをかき消すために悪態をつくが、彼は顔色ひとつ変えずにさらに強くおれの手を握る。
「つ、つーかさ。だれより愛してるとか言ってるけど、ずっと一緒にいていまになって言うとか。もっと早く告白しねえの。この意気地なし」
 言うとおれの手を握る男の手がわずかに震えた。図星をつかれて、震えたのではない。彼が笑った振動がコンラッドのからだを震わせているのだ。
「……言わなかったのはお互いさまだとも思うんですけどね。でも言わなかったのにも理由があるんですよ。あなたが王でなくなって、だれのものでもないひとりの男になる日を、この日を俺はずっと待っていましたから」
 長かったですよ、とちいさくコンラッドが呟く。
「ずっとあなたに焦がれていました。あなたが言うように勇気がなかったのもあります。けれど、もし告げてたことであなたの足枷になるようなことになることがあったらと考えたら、そんな自分を俺は許すことができませんから」
「……」
 そうだ。コンラッド、という男はこういう男だったと改めて思い知らされる。
 彼はおれのためなら己の命を簡単に差し出すことができると依然言ったのだ。そんな男が、自分の気持ちをなにより最優先することなどない。いつだって、おれのことばかり考えている。ヴォルフラムとの婚約を破棄して、その兄と付き合うとなったらおれの王としての評価がさがることなど様々な仮説を立てていたのだと思う。
「もし、俺のことがすこしでもいいな、と思うなら……これを受け取ってはくださいませんか?」
 握られていた手が離れ、コンラッドはおれの隣ではなく吉株に座るおれの前に膝まづき、軍服の内ポケットから小さな箱を取り出した。なにが、入っているか、なんて考えずともわかるし、こちらがそれを指摘するまえに彼は箱を開けてみせた。
 箱から現れた銀色に輝く指輪におれは思わず噴き出した。
「ちょっと段取りがはやすぎだろ」
「俺は結婚前提にお付き合いを望んでいるので」
 軽口で彼は返答したが、まっすぐこちらを見つめる瞳にはとても真剣だ。
 ……それはおれも同じことかもしれない。
 本音とは裏腹のことをくちにかおにだすことは、だれかさんのせいで似てしまった。
「あーそれじゃあ、まあ。まずはおためしからってことで」
 告白をする。される、というのは何年経っても慣れないものだと思う。おれは後頭部を掻きながら左手をコンラッドへと差し出した。
「はい」
 その告白でさえ、天邪鬼な返答だったが目の前の彼は心底嬉しそうに微笑んで、差し出された左手を手にとると小箱のなかできらきらと輝いていた銀色の指輪を薬指へと差し入れる。
「良い返事をいつまでもお待ちしております」
「そりゃ、あんたの出方次第だな」
 意気地なしはお互いさまとコンラッドは言ったが、意気地なしはおれのほうかもしれない。
「あなたがずっと、欲しかった」
 いまだって心は決まっているのに、すぐに返事が出せないこと。
「俺はユーリとこれからさきも一緒です」
 コンラッドがおれの薬指にキスをする。
 おれの不安と喜びを包み込むようなやわらかいキスを。

END 




 
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Corona Borealis (コローナ・ボレアリス)星座の名前。別名かんむり座。春の星座。地味だが案外目立つ星だと言われている。
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