憂鬱な大人の事情


 コンラートの朝は、新しい一日を告げる鳥の囀りとともにはじまる。眠気の名残りも残さず、すっきりと目を覚ましてクローゼットを開け、着慣れた服を手にとり袖をとおして、静かに椅子に腰をかけ、日課である剣の手入れをはじめる。
 そうして、手入れをしている途中で視界の端に映っているシーツの山がもぞり、と動きコンラートは目元を細める。もうすぐ彼が起きる時間だ。
「う、ん……」
 コンラートの予想通り、シーツの山から唸り声は聞こえ、そこから寝ぼけ眼の我が主であり、生涯を共にする最愛のひと――ユーリがかおを出した。
 結婚をしてからもう数十年。こうして褥を共にして見慣れているかおだというのに『かわいい』と思う自分は母に負けず劣らず愛に一途だと思う。
 コンラートは剣を鞘へと戻して、ユーリのもとへと立ちあがろうとしたとき、寝台のうえで身じろぎをしたユーリが「あ、」と声をあげた。
「……どうかしましたか?」
 なにかあったのだろうか。
 上半身を起こしてうっすら眉根を顰めるユーリに尋ねればながらもちいさく動いた彼のくちにコンラートは、ぴしり、と固まった。
「……くさい」
「え?」
 なにが「くさい」なんて確認したくもなかった。いや、確認せずと瞬時に理解できてしまった。
 眉を顰めるユーリが抱きしめているそれが、枕が、匂いの原因であることが明らかだからだ。
 どこをどうみてもその枕は自分が使用しているもの。
「もういっかい……」
「やめてください!」
 枕を抱きしめていたユーリがそれに恐ろしいことを呟いたかと思えばかおを埋める体勢になり、コンラートは慌てて彼の腕から枕を引きぬきとれば、しばしの無言のあとにひひ、とユーリが悪いかおで笑った。
「……これ、加齢臭だよな?」
「……」
 信じたくない。
 だれだって年を重ね、老いれば自然と己の体臭が匂うことはわかってはいるが、信じたくない。
「これ、どっかで嗅いだことあるんだよなって思って。思いだしたんだ」
 そういえば、親父の枕からもこんな感じの匂いしてたなって。といやににこにこと微笑むユーリからコンラートは思わず目を逸らす。
「本当にやめてください……」
 どうやってこの話題からはなしを逸らそうとしても動揺からか、言い訳ひとつ思いつかない。
 自分はいまかなり情けないかおをしていたのだろう。ユーリが興味深そうにこちらを見つめ、そのうちに耐えきれなくなったのか盛大に吹き出した。
「コンラッドから加齢臭!」
 無邪気に笑うユーリがコンラートは笑えない。悪友のヨザックや猊下に言われる『ポーカーフェイス』もいまの自分は浮かべられていないだろう。こんなに精神的ダメージをうけたのは何年ぶりだろうか。
 笑みではなくいまは苦いかおをしているに違いない。
 そうしてひとしきりユーリは笑ったあと、コンラートが手に持つ枕をじっと見つめた。
 嫌な予感しかしない。
「なあ、コンラッド。……その枕貸して」
「嫌です」
 渡せばユーリはこの枕の匂いを嗅いでからかうのだろう。お願いだからこれ以上をメンタルを削らないで欲しい。
 こちらに手を伸ばして枕をせがむ彼は可愛らしく普段であれば甘やかしているところであるが、今回は彼のおねだりに頷くことができない。手を伸ばすユーリからより枕を遠ざけるとむっと頬を膨らませた。
「ケチ」
「ケチってなんですか……」
 朝からこう何度もため息をつくことになるとは思いもしなかった。
「ため息をそんなについてるとしあわせが逃げてくぞ」
 普段よりも甘さを含んだ声音で言い、枕に伸ばしていた手をコンラートの腰へ絡めてお腹のあたりにぐりぐりと顔を埋める。
「そんなに恥ずかしいもんかな、加齢臭がするのって」
「羞恥よりもショックが勝ってますね」
 破棄を失った声で返答すれば、またもユーリは肩を揺らして笑う。
「ねえ、枕貸してよ。匂い嗅ぎたい」
「……なんで、そんなに匂いを嗅ぎたがるんですか」
「知りたいんなら、枕貸して。貸してくれたら教える」
 言われて、コンラートは息を吐いたあとユーリに枕を差し出した。
 理由を知りたいと言う気持ちもあるが、どんなにだめだ、と言ったところで自分が彼に逆らうことはできないのだ。
 渋々手渡したそれを、案の定ユーリはすんすん、と鼻を動かしたあと「やっぱりくさい」と言う。
「くさいなら嗅がないでください」
 さっさとこの枕を洗ってしまいたい衝動に駆られる。
 加齢臭、自分からするということはグウェンダルやギュンターもしているのだろうか。考えると憂鬱になってくる。どうにも上がらないテンションに兄と同様眉間に深く皺が寄る。
「でも、おれこの匂い嫌いじゃないよ」
「はい?」
「だってコンラッドがおっさんになるくらいずっと一緒にいたって感じられるからさ」
 ユーリの言っていることが理解できず続きを催促するように小首を傾げれば枕を抱きしめたまま彼は言う。
「おれ、あんたと付き合いだしたころ言っただろ。あんたと一緒に年をとりたいって。お互いがおっさんになっておじいちゃんになってもそばにいるって約束したじゃん。そんときコンラッドは、不安そうに笑ってさ『そうだといいですね』っておれのことば全然信じてくれなかったけど……おれ、守れない約束はしない主義なんだぜ」
 すげーだろ。とユーリが誇らしげに言う。
 たしかに付き合いだしたころの自分はこのしあわせが長く続くものではないと思っていた。いつかはこのしあわせを手放さなければいけない日がやってくると考えていて、ユーリが言ったそれに喜びを感じながらも同時に彼には悪いが夢物語だと思っていた。まさか、あのとき自分が無意識に不安そうな顔をしていたこともずっと覚えてくれていたこと、考えてもみなかった。
 それから、いつの間にか夢物語だと諦めていたことすら自分自身が忘れていたことにも。
「だからこの匂いはおれがあんたとの約束を守ったっていう証拠、証明のひとつってことだしなんていうかうれしい匂いだよ。おれとしては」
 まさかそんなことを言われるとは考えてもみなかったコンラートは目を見開き、それから破顔する。
「……まったくあなたってひとは」
「なんだよ。ちなみにつぎの目標はコンラッドの髪の毛に白髪を見つけることだから覚悟しておけよ?」
 いたずらに口元を歪めて恐ろしいことをいう彼にコンラートも負けじと返す。
「なら俺はあなたから加齢臭がしたら、その枕手放しませんから覚悟しておいてくださいね」
 言うと、ユーリは自分のことを棚にあげ「コンラッドってヘンタイ」と罵ったがその声音はセリフとは裏腹にさきほどと変わらず甘いものでコンラートは上半身を屈めるとユーリの前髪を掻きあげあらわになった額に口唇を落とした。
「お揃いの匂いになるの楽しみですね」
 からかい口調で言ったそれをユーリは悪態で返すのだろうと思っていたのだが……。
「そうだな」
 と、枕を互いのからだに挟むようにして抱きついて、コンラートは抱きしめ返しながら憂鬱であった気持ちがいつのまにか浮上していたことに気がついた。


END

 


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