世界創設に関わる機密書類




 生活基盤を眞魔国に置いて数十年経った。
 いまでは頭のいい三歳児なおれのおつむも成長。魔族語も完璧にマスターしほんの少しだけれど他の国の言葉も話せるほど。魔王としての執務のほとんども自分に任されるようになった。 机に山のように積みあげられている書類もいまや当たり前になってきたし、苦だと思うこともあまり感じなくなって、摂政を担うグウェンダルや王佐ギュンターへの負担も減ってきたと思う。
 短髪であった髪は気分的に伸ばしていまでは胸のあたりはある。少々節ばった自分の手。それをみて自分の人間とは成長のリズムがゆっくりではあるものの、確実に成長していることがわかる。
 この数十年、魔王となると決めた十六歳に比べれば国も世界も大きく変わった。いまでも時折紛争や内戦が他国であるが大規模なものはなくそれもすいぶんとなくなってきている。
 ゆっくりと着実に『世界平和』の夢へと近づいてきている。
 次々にサインをする書類も、差別や貧困や政治的なものは減り、反対にいまは福祉的問題へのものが書類の大半のものとなった。
 本当にうれしいことだ。
 おれは最後の書類のサインを終える。机に積み上げられた書類もいまでは午前中に仕上げることができるまでとなった。
「……渋谷有利原宿不利、と。……グウェンダル、終わったよー」
「おつかれさまでした。ユーリ陛下」
 最後の紙をギュンターが受取り、今日のお仕事は終了だ。
 あとは、グウェンダルに確認してもらって、お茶の用意をしに厨房に向かったコンラッドを待つだけだ。
「……御苦労」
 ギュンターから紙を受け取ったグウェンダルが言う。その言葉で今日の仕事が本当に終了をむかえた。しかし、今日のグウェンダルはなんだか変だ。普段なら、眉間に寄った皺がその言葉とともに一本減るのに、今日は三本まだしっかりその額に刻まれている。
 なにか、問題でもあったのだろうか。
 訪ねようとしたとき、扉からノックの音が聞こえる。
『コンラートです』
「はいはいどーぞ。なかに入ってー」
 声をかけると「失礼します」と声のあとに扉が開いた。普段となにもかわらない行動。けれど、開かれた扉から見える光景におれは思わず驚いてしまった。
「え、なになに? なんでみんないるの?」
「なんで、居ちゃわるいのかい。渋谷」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
 くすくすと笑う少し意地悪げな表情を浮かべている村田に続き、ヴォルフラム、ヨザック、アニシナさん、ギーゼラ、グレタがいたのだ。
 今日はなにか特別な日だったろうか?
 混乱する自分をよそに彼らは室内にある大きな会議用の机に当たり前のように腰をかける。
「お父様お久しぶりですね」
「グレタまた一段と綺麗になったなー!」
 グレタは成人の儀を迎えると、故郷スヴェレラに戻り王女になった。そして、よく小さい頃遊びに来ていたリンジーと結婚した。いまでは一児の母でもある。おれに微笑みを向けるその表情は幼い頃のように無邪気なものではなく、慈愛に満ちた母親の顔だ。
 その暖かな微笑みを見るたび、確実に日々は過ぎているのがわかる。
 たしかに、なにも変わらないようであの頃とは政治以外でも日常も大きく変わったのかもしれない。
 おれとヴォルフラムは正式に婚約を破棄して、おれはコンラッドと公に恋人同士であることを発表し、ヴォルフラムは去年、ギーゼラと婚約を結んだ。ギーゼラのお腹のなかにはいま新しい命が芽生えている。
「なあ、グレタ。今日は一体どうしたんだよ。連絡もよこさないでこっちに来るなんて。言ってくれれば、もっと早く仕事を終わらせたり調整を頼んだのに……っていうか、本当にみんな一体どうしたんだ」
 気になって仕方がない。
 と、言えば、グレタは村田と同じように笑うだけで、答えてくれなかった。ほかの皆も意味ありげな笑みを浮かべるだけで、おれには教えてくれるつもりはないようだ。
「お父様、そんな拗ねた表情を浮かべないで。べつにお父様をないがしろにしているわけでないわ。ただ、わたしは仕事をしているお父様の姿を見たいと思っただけよ」
「そうそう。それと僕たちはきみが自慢する、護衛の美味しいお茶を飲もうと思っただけさ。たまたまみんなも時間があってね。いいじゃないか、たまには内輪だけのお茶会っていうのも」
「うーん……」
 そうは言われてもいまいち納得はできない。ちら、とみればコンラッドは皆にお茶を配っていた。
  ……この調子だとコンラッドも答えてくれない気がする。
 本当にどうしたのだろう。
「はいどうぞ、陛下」
 このやりとりも、もうずっと昔から変わらない。何年も一緒にいる。ましては、自分たちは恋人同士なのだ。彼が「陛下」と言うのは故意であることはわかっている。けれどこれを咎めることはしない。これが自分たちだけに与えられた特別なやりとりだということも、少し大人になったおれにはわかるからだ。
 だけど、おかしい。
 陛下、と呼ぶのはもう仕事中しかしないのに。
「陛下って呼ぶなよ。コンラッド。もう、お仕事、終わったんだけど?」
 紅茶を受け取りながら言えば、悪びれる様子もなく、彼は「ああ、すみません」と言った。
「でも、陛下。申し訳ありませんが、もう一枚書類が残っていたようです。この確認とサインを頂けませんか?」
 コンラッドの胸ポケットから出てくる一枚の紙。
 白鳩便で配達されたのかもしれない。それを受け取って、おれは固まった。
 ……ああ、わかった。
 なんでみんなが集まっているのか。
 理由がわかって思わず、小さく声を立てて笑った。
「……ここにサインすればいいわけ?」
「ええ」
 コンラッドは普段となんのかわりもない笑みを浮かべて相槌を打つ。
 それがどうしようもなく嬉しくて、ちょっとだけ腹が立つ。
 だから自分も同じように、まったく普段と変わりなく、一通り目を通すと躊躇いなくペンを走らせた。ただ、いつもと違うのは、『渋谷有利原宿不利』のサインではなく『渋谷有利』と書き、刻印を押すのではなく、自分の拇印を名前の横にくっきりと残した。
「これでいい?」
「ええ、完璧です。陛下」
 目の前にいる男は早速おれに「陛下」という言葉に訂正を求めてきた。
 他のみんなも期待で満ちた目でおれたちを見ている。
 ああ、全く彼もみんなもおれに恥ずかしいことを言わせようとする。
 おれは小さく息を吐いて呼吸を整えると口を開いた。
「これで仕事は終わったんだろう。陛下って言うな。……あんたはおれの婚約者だろ」
「ええ、そうでした。すみません、ユーリ」
 コンラッドが持ってきた書類。それは婚姻届けだった。

END

この一枚の紙で、また眞魔国に新たな風が吹いた。その場にいる全員が証人だ。例えこの紙がなくなろうともこの先一生この約束を二人は違えることはないだろう。