secret?2


「さあ、僕のおごりだからじゃんじゃん食べて!」
「はあ……」
 そう言って連れてこられたのは、ファミレスだった。
 平岡さんは本当に空腹だったのだろう。おれの向かい席でメニューを開きながら「なにを食べようかな」とうきうきしている。
「気にしないで頼んでくれていいから」
 前菜のメニューページを開いたままのおれを気にかけてくれたのか「肉を食べなよ、肉」と主食ページを開いてくれた。
 そうしておれはハンバークセットを頼み、平岡さんは真夜中だというのにボリュームたっぷりなステーキとからあげのセットを注文する。かなりの高カロリーだというのに、むしろ食べたほうがいいよ、と思うほどの細身だから不思議だ。
 他愛のない会話をしながら、箸を進める。目の前に先輩がいるというのに、おれの心はここにあらずといった感じで、開いたままのカバンから覗く携帯電話を気がつけば何度も繰り返し見て、コンラッドからの連絡がきていないか確認してしまう。
「――なあ、ユーリ」
「え、あ、はい」
「さっきも言ったけどそんなに気にすることないって。ああいうのは現場を繰り返して成長するもんなんだから」
 きれいに料理を完食し、食後のコーヒーを飲みながら平岡さんが言う。
 おれが上の空であることをやはり平岡さんも気づいていたらしい。心配をかけて、食事までおごってもらっているのにさきほどから悩んでいるとはいえ、失礼な態度を無意識にとってばかりの自分に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。おれは何度目かの謝罪をすると、平岡さんは「だからそんなに謝らなくていいって」と肩をすくめたあとやや声を潜めておれを誉めた。が、おれは固まってしまう。
「ラブシーンとかかなりうまかったじゃん。なんていうかりあるでさ」
 本来であれば、どんな役であれ誉められたらうれしい。誉められる、というのは自分を演技を認めてもらえた証拠だから。けれど、いまは素直に受け入れることができない。と、いうよりそこに触れてほしくなかった。
「そ、うですか」
「うん。前回の収録よりうまくなってるよ。特訓でもしたの?」
 冗談まじりに問われて、わずかにおれはからだを強ばらせた。「特訓なんてしてませんよ」そう言ってはぐらかすのがやっとで、それ以上なにを返していいのかわからない。態度がぎこちなくなってはいないだろうか。平岡さんもおれも声を職業にしている身。声で相手の心境の変化などをさとることだってできる。
「そうなの? ま、まえよりユーリもガヤじゃないちゃんと役を演じるようになったから自然と身についたのかもしれないね」
 やっぱりSINMA事務所に選ばれただけはあるよ。先輩、そんなことばがほんとうによく似合う優しい笑顔で平岡さんが言う。それをうれしいと思う反面自分が抱え込んでいる悩みがひどく滑稽に感じおれは平岡さんにも後ろめたさを覚える。
「ありがとうございます」
 でもそう言ってくれたのがうれしくて感謝のことばを述べたものの、やはり平岡さんに向けたおれの笑顔はぎこちないものだったのだろう。彼は苦笑いのまま「ま、さっきよりはだいぶマシなかおになったな」とちょうど、巡回していたウェイトレスにコーヒーのおかわりを淹れてもらう。――と。
「あれ、コンラートじゃん!」
「えっ?」
 まさか。そんなこと……コンラッドがここにいるわけない。平岡さんがくちにした名前におれは目を見開き平岡さんの視線先――おれの背後へとかおを向け息を飲む。
「こ、んら……っ」
「こんばんは。平岡さん、ユーリ」
 振り向けば、そこにはおれたちに向けて会釈をするコンラッドがいて、まさそこでおれはからだを強張らせた。だって、会釈を終えかおをあげたコンラッドは口元に笑みを浮かべてはいるが、細い銀縁フレームの眼鏡を掛けた目は笑ってはいないことがすぐにわかったから。笑っていないどころか、怒っている。
「コンラートがファミレスにいるなんてめずらしいな」
 しかし、平岡さんは彼の心境に気がついていないらしい。相変わらず、明るい口調のままコンラッドに声をかける。
「コンラートはあんまりこういう場所好まないって聞いたぞ。なに、デートでもしてたの?」
 問われコンラッドが首を横に緩く振って「まさか」と苦笑した。
「急きょスケジュールの変更があってそのことでマネージャーとはなしていただけですよ」
 言うと、平岡さんは「やっぱり売れっ子はたいへんだなあ」と肩を竦め、にやりと笑う。
「僕たちはデートだよ、デート」
「えっ、ちょっと平岡さん!?」
 冗談で言っているとはわかっているが、いまのコンラッドとおれの関係はぎくしゃくしているから(一方的におれが避けてるだけなんだけど)火に油を注ぐような真似をしないでほしい。
「……へえ」
 やばい。やばいぞ。この状況。
 コンラッドの目がさらに冷えていくのがわかり、背筋にいやな汗が伝う。
「デート、ですか。うらやましいですね。最近、俺の恋人はつれなくて誘っても断られるばかりなんです」
 若干トゲのあるような口調に胸がきりきりと痛くなる。
 まさかこんなことになるなんて。
「お前みたいなできた人間でも恋人に振り回されることがあるんだなあ。よかったな、ユーリ。僕らはラブラブだし」
「ひ、平岡さん変なこと言わないでください!」
 おれがコンラッドと付き合っていることを知らないとはいえ、さらに火に油を注ぐような発言をする平岡さんに正直、泣きそうになる。
 ちら、とコンラッドの表情を伺えばさらに目元を細くしていてこんなことになるなら、食事に誘ってくれた平岡さんには悪いがちゃんと断ってすぐに家に帰っていればよかったといまさらながら後悔する。
 ああ、なんでこうも険悪な展開になっていくのだろう。
 思ったよりも涙声になりながら平岡さんに抗議をすればよほどおれは情けないかおをしていたのか「おいおい」とあわてたようにこえを出す。
「冗談なんだからさ、そんな泣きそうなかおしないでよ」
「す、すみません」
 平岡さんが冗談で言っていることは百も承知だ。けれど、よりにもよって『恋人』が誤解するような状況を作ってしまい、涙が溢れそうになってしまう。
「あ、平岡さん。ちょうどいいところにいた」
 そんななか、新たな声が聞こえた。
 コンラッドのマネージャーである山田さんだった。
「こんばんは。ユーリくん。それから平岡さんのマネージャーに頼まれていたことがあって、ちょっと時間いいかしら」
 山田さんがいい、おれはすぐに席を立った。
「あ、あのおれ帰るんで……っ! 平岡さん、飯ごちそうさまでした」
「こっちこそ、ごめんね。また、ご飯食べような」
 妙な雰囲気であったこともあってか、申し訳なさそうにしながらも平岡さんは席を立つことを許してくれて、おれはもう一度礼を述べる。そのあいだに店から無言のまま出て行ってしまったコンラッドを追いかけた。
「――っコンラッド!」
 名前を呼んでみたが、コンラッドはこちらを振り向くこともなくおれに背を向けて歩いていく。夜も遅くひとけもないのに、呼びかけるおれの声はまるで聞こえないとでもいうようなコンラッドの態度にきゅっと胸が痛んだ。
 怒ってるかな。いや、怒らないはずがない。メールや電話のやりとりはずっと減って、あげくの果てには会えないみたいなことをいったくせにほかのひととご飯食べてるなんて、怒らせて当然のことをおれはしたのだから。
「コンラッド……っ!」
 もう一度名前を呼び、彼の上着のはしを掴む。それでも彼は振り向かない。
「……コンラッド、お願いだからこっち向いて……っ」
 罪悪感とコンラッドに嫌われたと思う恐怖からおれのこえはふるえていた。縋るように彼の後頭部を見つめる。たった数秒の沈黙。なのに、体感時間はまるで数時間もここで立ち止まっていたのではないかと感じるほどに長い。そして、ようやく彼のため息で沈黙が途切れた。
「……約束、しましたよね。隠しごとはしないと」
 責めるでもなく怒るでもない。抑揚のない声音。
 ……おれはコンラッドを失望をさせてしまったのかな。
「ごめん、なさい。……いっ、いまさらだけど、ちゃんと理由を言うから、はなしを、聞いて、ほしい」
 ぎゅっと、摘んだままでいるとようやくコンラッドがこちらを振り向いた。
「わかりました」
「あ……」
 振り向いたコンラッドの表情におれはまたも胸が傷んだ。
 彼は怒った表情など一切浮かべてなく、そこにあるのは苦しげに眉を顰めて……ぎこちなく笑うかおがあった。
 こんなかお、させたくなんてないのに。
「……それでは、俺の家に行きませんか?」
 飲食店では、ひとめもあるでしょうし。
 言われておれはこくん、と頷きコンラッドの一歩うしろにさがって歩き出す。
 こじれるならはなしたほうがいい。
 だけど言ったら言ったでコンラッドはどんなかおをするのか。
 考えると憂鬱で、どうにもならない気持ちがぽつりとちいさなため息となってこぼれおちた。

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