倦怠期はまだまだのお話みたいです。 |
人間、大半のことは時間と経過とともに慣れていく生き物だと思う。 実際、自分がそうだ。生きてきて十六年。まさか魔法なんていう非現実なものを目の当たりにしただけではなく、異世界に飛ばされ現実を受け止めきれない自分にあろうことかハイレベルな美形に陶酔され『今日からあなたが魔王です!』などと宣言を受け、ちゃっかり魔王に就任して……高貴な者だけが許されるという黒い紐パンをいまではすっかりなんの違和感もなく着用できるまでになってしまっている。 人間思いのほかなんにでも免疫がつくらしい。 まあ、なにより自分のなかで驚いていることがひとつある。 右肩に感じるぬくもりに身をゆだねながら有利はそっと目を閉じた。外からは鳥のさえずりや風で葉や木々が擦れる音が聞こえ、廊下からは兵や下女らの声や足音がする。さまざまな音が聞こえるというのは、きっとこの部屋が静かだからなのだろう。まるで水のなかに潜っているようなぼんやりとした気持ちのなか再び有利は目蓋をあげ、つぎに右肩を寄りかけている場所へと視線を送る。右肩を預けている場所というのはこの部屋の主である男――コンラッドの左肩だ。 執務を終えて、他愛のない話をし、いまは室内に備え付けてあるソファーにふたりで腰をかけている。もう数十分はこうして彼の肩に凭れているのだが、読書に集中しているのかコンラッドはまったく微動だにしない。 自分のなかでいちばん驚いたといえば、この男を恋愛感情で好きになってしまったことだ。 同性を好きになるなんて、それこそ魔法が存在することど同じくらいに信じられなかった。 人生、どうなるのか本当にわからないものだ。 同性に恋して、付き合って、最初のうちは恋人らしいこと。キスやセックス。それ以前に手を繋ぐことも甘えることさえも恥ずかしくてできなかったのに、いまではそういう行為に対して羞恥を覚えることが少なくなった。羞恥を覚えるかわりに覚えたのはコンラッドが見せるさまざまな表情、それから仕草。そう思っているのはきっと自分だけではないのだろう。隣にいる男もきっと同じことを思っている。 だって、こうして視線を向けているのに、こちらを振り向こうともせずに読書をしているのだから。 「なあ、コンラッド」 「なんです」 「手ぇ、貸して」 「どららの手ですか?」 「どっちでもいいよ」 言うと、コンラッドは本に目を通したまま左手をこちらへと差し出し、有利はその手をとりぼんやりと眺めたあと、ぱくりと人差し指を咥内へとふくんだ。 ちょっとしょっぱい。 乾いたひとの肌の味がする。 べつに美味しいとは思わないが有利はコンラッドの指を舐めるだけではく、吸ってもみる。指のかたちをなぞるように舌を這おわせれば、一見男にしてはきれいでかたちのいい指だと思っていたそれが意外ごつごつしていたのに気付く。それから、ちょっとしょっぱいと思っていた指が舐めているとわずかに甘いようにも。 ――パタン。 と、なにも考えずに指を舐めていれば頭上からちいさな音がした。コンラッドが本を閉じた音だ。 「……どうしたんです?」 「ん、なにが?」 「突然、ひとの指を舐めたりして」 「なんとなく」 咥内に指をいれたまま言えば「なんとなく指を舐めるなんて」とやや呆れ口調にコンラッドがいいこちらへとかおを向ける。その表情はさして読書をしているときとあまり変わっていなかった。 「構ってほしかったんですか」 その問いがなんとなく上から目線な発言だなと思いながら、すこし考えたあと頷くと下を向いた瞬間にやや開いていたくちはしからよだれがこぼれた。 あ、やべ。たれる。 ふくんでいた指にも唾液が伝っていきそれを目で反射的に目で追うと突如クリアだった視界がぼやけ、同時に口内から指が引き抜かれた。 「ん、」 しかし指を抜かれた虚無感を感じる間もなく咥内に柔らかなモノ――コンラッドの舌が差し込まれ、歯ぐきをなぞられたかと思えば、くすぐるように上あごを擽られる。 風の音。木々や葉が擦れる音。生活音。おだやかな日常音に似つかわしくない水音が室内に響く。 有利はさらに深くと催促するように男の首に腕をまわせば、キスはより深く、水音もキスと比例して大きくなる。そうして互いの咥内を何度か蹂躙したのちにどちらともなく口唇が離れた。 「……もっと構ってほしい?」 そうからかい口調でこちらに尋ねる男に有利は思わず吹き出しそうになった。 口調は冗談交じりであるが、さきほどよりも艶めかしく赤く色づいた唇に、笑みを浮かべた表情と不釣り合いなほど妖しい色をにじませている。それは一見獰猛な獣のようにもみえるが、瞳に宿るそれは獣ではなく、大人でもなく思春期の少年みたいな色なのだとここ数年でわかってきた。 こういう目をしているときのコンラッドは普段よりもちょっと意地悪でひとのいうことを聞いてくれない。いや、反抗しているようにも思える。 ……まあ、自分もコンラッドのことを言える立場ではないけど。 「んーどうだろ」 問いにたいしてあえてひねくれた返答するのは自分も同じだ。でもこうしたやりとりになってしまったのは自分のせいではないと思う。こんな風に自分がひねくれてしまったのはコンラッドの影響だ。 ひねくれた返答とは裏腹に有利は喘ぎを含んだ吐息をコンラッドへと吹きかけ、べろりと男の手のひらを見せつけるように舐めた。 こんな風に自分がだれかを誘う日がくるなんて思ってもみなかった。 そう思うとやはりいまの自分はこの男に染められ、作り上げられたのだろう。 爽やかでいつも笑顔の人あたりのいい男、と呼ばれるコンラッドのさまざまな顔や行動がみたくて変えられたのだ。それこそ見慣れて、動揺も羞恥も浮かんでこなくなるほどに百年という長い月日のなかで。 「……なあ、本を見るんじゃなくておれを見て。ページ捲ってないでおれに触って、構ってよ」 顔をコンラッドの耳元へ近づけ囁けば、ほんの少し彼のからだが震えたのが指先に伝わる。顔をコンラッドのほうへと向ければ「仕方ないですね」と付き合っていた当初より男くさい顔で喉奥でくつくつと笑いながら言う。 なにが仕方ない、だ。 まんざらでもないような顔をしているくせに。 コンラッドの応答を内心で笑いながらも、有利はそれを合図にからだからちからを抜く。すると重力に従い、背中がやわらかいソファーに触れた。見上げればさきほど横顔しか見えなかったコンラッドの顔が広い天井よりも視界を占めていた。 「はやく、構って」 再度、催促すればコンラッドが無邪気に笑う。 この笑顔が自分は好きだ。改めて思う。きっとこの顔を見るために自分は変わっていったのだ。 この表情もこれから先も見ていたい。 それこそ、見飽きるくらいに。ずっと。 有利は柔らかく落ちるであろう感触を待ちわびるように、ねだるようにゆっくりと目を閉じた。 END - - - - - - - - - - |