参りました。降参です。


「『愛』というものはこの世で最も偉大なものなのよ、コンラート。『愛』で自分が変わってしまうの。意図的にそして無意識に」
 母、ツェツィーリエは言い、今は亡き戦友であるスザナ・ジュリアはこう述べた。
「『愛』というのは、本当の自分すがたはどういうものであるのか教えてくれるものよ」
 と。
 それはまだ自分――コンラート・ウェラーが、だれかを『好き』になることを知らず『愛』というものは自分には欠落しているものだといまを思えば少々若気の至りを拗らせていたときに説かれたことばたち。
 あの頃は、彼女たちの言うそれを右から左へと受け流してすっかり忘れていたと思っていたのだが、案外人間というものは忘れていたと思いこんでいるだけで、記憶の引き出しにしまいこんでいるらしいと数十年前の会話を思い出して、コンラートは無意識に眉間に皺をよせていた部位を人差し指でのばした。
 彼女たちは『愛』をロマンティックに説き伏せていたが一言でいえば『愛は盲目』ということだ。
 きっとこの先だれかを好きにあることなどないだろうと思っていたが、自分の未来など予知できることもなければ、そこまで好きにならないと意地になって決意したわけでもない。
 とはいえ好きなひとが同じ男でしかも類い稀なる美貌を持ち、民から絶対的信頼を得ている王様と恋仲になるとは思いもしなかったが。
 ……しかしなにより、自分がこんなにも器量狭い男だとは思いもしなかった。
 コンラートは主である王であり恋人であるユーリの三歩ほど間隔をあけながら少年の背中を見つめながらそっとため息をこぼした。もちろん疲れているわけではない。こうして息を吐かなければ喉からせり上がってくる想いがこぼれてしまいそうなのだ。
 わかってはいるのだ。
 ユーリが自身の魅力に無頓着なことは。付き合うまえから理解している。けれどもやはり、わかってはいてもなぜ理解してくれないのかとちいさく苛立ちを感じてしまうことがある。
 まばゆい月の光とあたたかなランプがほんのりと灯る長い廊下を歩き進め、目的の場所である彼の部屋、通称『魔王の自室』にくるとコンラートの心境など知らないユーリが「まだ眠くないからちょっとはなしでもしない?」とコンラートを部屋へと招く。
 一瞬、彼からの誘いに戸惑いはしたものの、コンラートは「それではお言葉に甘えて」と室内へと足を踏み入れた。断れなかったのはやはり惚れた弱みというか、ふたりきりというシチュエーションに複雑な心境をもちあわせながらも魅力を感じてしまったからだ。
「やー今日も疲れた! やっぱり夜会はおれには向いていない気がする」
 ユーリが自室のドアを閉めた途端、早々にどこか脱力した口調で夜会の感想をくちにし、肩にかかっていたマントを外し、正装である日本で言う学ランの襟元を緩める。マントの紐を外した途端重力に従って床に落ちたマントをコンラートが拾いあげる。
「あ、ごめん。コンラッド」
「いえ、お気になさらず」
 鮮やかな赤と白いファーのついたマントは見た目以上に重い。「マント、重かったでしょう?」と言えばユーリはこくん、と頷いた。
「格好いいんだけど肩凝るんだよな、これ」
 言いながら、彼は窓辺に備えつけてあるソファーへとどっかり腰を落とした。相当疲れているらしい。まあ、そうだろう。どんなにユーリ自身が性に合わないとは言っても夜会が行われれば彼はいつだって主役で注目も的となるのだ。
 コンラートは拾い上げたマントを丁寧にたたみ、片手で肩を揉みほぐし、首をまわす少年のもとに向かう。
「あー……気持ちいい」
 ソファーのうしろへとまわり、肩を労わるように揉めばどこかうっとりとした声音でユーリが呟いた。昼と夜。どちらのほうが彼に似合うかと言えば天真爛漫なまるでひまわりを彷彿させるユーリの笑顔や明るい声音から言って昼が似合うが、こうして月夜に晒された後ろ髪から覗く項は白く輝いてコンラートの目に艶めかしく映る。出会った当初は漂わなかった艶の色。それは自意識過剰かもしれないが、自分と恋人として付き合うようになり、心やからだをかよわせた結果なのかもしれない。
 そうして他愛のない会話をしているうちに己の胸のなかでささくれた思いも幾分、穏やかになってきたとき、ふとユーリが呟いたセリフに再びコンラートの胸のなかがざわり、と嫌な音を立てた。
「いやーでも本当に今日は助かったよ、コンラッド。あのおっさん、なんかしつこくって困ってたんだ」
 そうくちにしたのはさきほどの夜会での出来事。
 一国の主、というだけでも視線を浴びるユーリ。けれども、その肩書きと同等に見目麗しい彼に惹かれ、どうにか近づきたいと下心を思った輩がどこにでもでてくる。ユーリの言った「おっさん」もそのひとりであり、近隣国に住む名だたる貴族だと耳にしている。
 ユーリのうしろにいてよかったと思う。いま、自分はひどく醜いかおをしていることに違いないから。
「……それはお役に立てて光栄です」
 ざわざわと淀んだ波が次第に激しくなるのを胸で感じる。その思いを悟られないように気をつけながら、コンラートはユーリを注意した。
「しかし、もっとあなたは警戒するべきです。親睦を深めるために開催された夜会だとはいえ、出席するすべての者が純粋な面持ちでいるわけではないから」
 そうさとしたセリフ。正直に言えば「わかった」と頷いてくれないのならば聞き流してくれたほうがよかった。しかし、そんな思いに彼は気づくはずもなく普段と同じような返事がかえってきた。いま、一番聞きたくないことばを。
「わかってるってば。大丈夫だって」
 肩を竦めてユーリが言う。本人には伝えていない自分の気持ち。だからこそ、その思いに気づかず無自覚に呟いたのだとあたまでは理解しているがいまのコンラートにはどうにも感情をコントロールできなかった。
「……コンラッド?」
 突然、無言になった自分を不思議に思ったのだろう。ユーリが不思議そうに声をあげ、こちらを振り向こうとする。けれどもこちらを振り向くよりもさきにコンラートがくちをひらいた。
「あなたが言う、大丈夫とは一体どのような根拠があっての『大丈夫』なのか、俺には理解ができません」
 言ってしまってから「やってしまった」とコンラートは後悔する。不満をくちにするとしても、もうすこし穏やかな声音で言えばよかったのに、くちから零れ落ちたそれは自分でも低くトゲのある低いものであった。
 まさか、突然このような口調で言われるとは思わなかったのだろう。ゆっくりとこちらを振り向いたユーリがきょとん、としたかおをみせた。もしかしたら、自分の言っている意味が理解できなかったのかもしれない。しかし理解した途端、彼の表情が怒りに変わるのだろうと嫌でも容易に想像ができた。「なんでそんんなこと言うんだよ」とか「おれのこと、信用してないわけ」と言うのかもしれないことも。
 信用をしていないわけではない。けれども、心配でならないのだ。王の護衛という主従関係である想いではなく恋人として心配でたまらない。
 こんなくだらない自分勝手な想いで、けんかなどしたくはない。言い訳だと思われてもいい。彼の表情が、心が傷つくまえになにか言わなければとコンラートは改めてはなしを切り出すため謝罪を述べようとした――が、さきにユーリがくちを開いた。相変わらず、きょとんとした表情のまま、予想もしなかったセリフをさらりと。
「なにが大丈夫って、あんたがいるから大丈夫って意味なんだけど」
「は、」
 自分がいるから大丈夫。というのはどういう意味だろうか。思考が追いつくよりもはやく、ユーリははなしを続ける。
「そりゃ、下心とかちがう意味で向けられる『好き』だってあるかもしんないけど、その『好き』をおれは受け止めらんないし、言い方は悪いけどなんも感じないもん。だってあんたがおれに向けてくれる『好き』が一番なんだからさ。好きって言われて嬉しいのも心に響くのもコンラッドのだけ」
 恥ずかしがる様子もなくユーリは淡々とさきほど尋ねた『大丈夫への根拠』を答え、コンラートはことばを失い、それからいままで自分がユーリの『大丈夫』の意味をはき違えていたことに気づいた。
 ユーリはちゃんと自分でそういう輩をあしらえるから『大丈夫』だと言っていたのではなく、どんなひとから好意をもたれ『好き』だと告げられても想いは揺るがないから『大丈夫』だと言っていたのだ。
「だから、大丈夫だってば。でもおれももっとあしらいかたうまくなるようにしなきゃな……って、いうかコンラッドどうかした?」
 どうやら、薄暗い室内と逆光でユーリからは自分の表情がうまくみえないらしい。
「……いえ、なんでもありません」
 いつの間にか、嫌な波を立てていた胸は違う意味で新たに鼓動を早くしていた。
 コンラートは口元を手で覆いながら、触れる自分の頬の熱さを感じ、ちいさく口のなかで思いを転がした。
 本当に、ユーリには叶わない。と。


END

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