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我慢をすれば、どうにかなるものだと思っていた。耐えていれば、そのうちに落ち着くだろうと。そう思っておれは耐えに耐えた――のに。 「……なんでおれのからだ超進化遂げちゃってるんだよ」 こんなのありえないだろ。 信じられない現状にそう呟いてみるも、実際にありえないと思ったことが起きてしまった事実は変えられない。 目の前の惨状におれは途方にくれ、低いアパートの天井を仰いだ。 ……これは、絶対だれにも言えない。 とくにコンラッドには、言えない。 * * * ヴヴヴッヴヴヴッ! ズボンのポケットに入れていた携帯電話が震え、おれはおれは思わず、身を竦ませた。ツーコールで切れたバイブレーションにメールの着信だと察し、わずかに安堵したものの、それでも胸を苛む不安はぬぐえない。 おそるおそるポケットのなかの携帯電話を取り出して、ディスプレイに表示された宛先名を見て、おれはああやっぱり」とため息をついた。 画面に表示されていたのは『コンラート・ウェラー』。 おれの憧れる先輩で、そして恋人の名前。 以前までなら、恥ずかしくてだれにも言えないが携帯電話に彼の名前が表示されるたびに、内心うれしくてときにはひとりでにやけてしまっていたが、いまは彼の名前を目にするたび、携帯電話を放りだしてしまいたい衝動に駆られる。 ……いや、もう十分いまのおれはコンラッドから逃げているんだけど。 憂鬱な気持ちのまま、受信されたメッセージを開く。 『今日、一緒に夕食を食べませんか?』 送られてきたのは、たった一言のメッセージ。 まだ声優として新人であるおれとはちがい、いまや有名声優と名を知られるだけではなく、大物声優と呼ばれることもあるコンラッドには休みなんてあってないようなもの。 つかの間の貴重な休息。そんな時間を割いてこうしていつもコンラッドは誘ってくれる。同じ事務所だとはいえ、いつもかおをあわせるわけではない。だからこそ、会えるときは会いたい。いっぱいはなしがしたい。そう思うけど、この気持ちと同じくらいいまはコンラッドに会いたくない。 「……いや、会えない、か」 ぽつり、と呟いておれは返信を打つ。ここ最近同じ文章ばかりを打っているからか、表示される予測変換を目にして思わず苦笑してしまう。どれもこれもコンラッドからの誘いを断るものばかりだ。 『ごめん。今日は深夜に仕事が終わるから、行けない。また今度、一緒でいいかな?』 コンラッドには隠しごとはしたくない。おれはうそをつくのが下手だし、もしかしたらいまも彼に不安を与えたりしているのかもしれない。 でも、言えないのだ。 彼に心配をかけないためにも、もっとちゃんとした返事をしようと文字を打っては消してを繰り返す。でもどんなに長く打ってもぎこちなさと言い訳じみたものにしか見なくて、おれは最初に打った文章だけを残し、送信ボタンを押す。 コンラッドは、おれの返事を見てどう思ってるんだろう。憂鬱な気持ちが胸をしめるいまは、前向きな答えが一切出ない。 「……ほんと、ごめん」 面と向かって言えない謝罪を呟いたと同時に画面のディスプレイに『送信完了』という表示が現れ――それきりコンラッドからの返事は来なかった。 「――やっぱり、返信きてない」 毎回のようにコンラッドからの誘いに断りのメール、電話をしているのだから、怒らせても無理はないことだと重々承知だとはいえ、それでも断れば彼からは必ずすぐに返信がきていた。 けれど、今日はそれがない。 五分待っても、十分待っても返事は返ってこなくて。もしかしたら、あっちは仕事が忙しくてメールに気づいてないのかも。気づいていても返信ができないのかもしれないと徐々に募っていく不安をどうにか押さえつけて収録現場へと向かった。が、何度かある休憩中にメールを確認してみてもやっぱりコンラッドからのメールは一通もなくて、自分でしたことだとはいえ、泣きそうになる。 コンラッド、ほんとうに怒っちゃったのかな……。 おれが抱えている悩み。自分ではかなり重大なものでコンラッドに打ち明ける自信はない。だが、コンラッドの立場に立って考えてみれば、突然よそよそしくなった相手をどう思うか。おれだったら、不安になるし、もしくは怒ると思う。 ……いや、おれの場合。不安に陥ったのち、キレる気がする。 今回はおれが悪い。 『新着メールはありません』 空っぽの受信箱を見ながらおれはため息をこぼす。 「……このまま逃げてたらだめだよな」 悩みを打ち明けることはできないとはいえ、このままではいけない気がする。 コンラッドに会おう。 そう思うのにそれでもやはり、おれはあと一歩足を踏み出すことができずにいる。 このからださえどうにか治れば問題ないのに。 おれはすっかり暗くなった空を仰ぐ。 「もう最悪だ」 「なーにが、最悪だって?」 「っわ!」 突然、背後から声をかけられて思わず、びくりとからだが震える。すぐさま振り向いた。 「ひ、平岡さん……?」 そこにはつい数十分まで一緒に仕事をしていた同じ事務所の先輩である平岡祐二さんがいた。 「おつかれ、ユーリ」 「おつかれさまです? あれ、さっきスタジオから帰られていましたよね?」 今回の現場でもおれが一番の新人だったから、先輩達を全員見送って、最後にスタジオをあとにしたのだ。その見送る段階で平岡さんは早く退室していったのに。 おれが小首を傾げると、平岡さんは苦笑いを浮かべ「スタジオに忘れ物をしちゃって、それを取りに戻ってきた」と答えた。 「戻って帰ってきた途中にユーリを見かけたから声かけたんだよ。まさか愚痴をこぼすところに遭遇するとは思わなかったけど」 「す、すみません……っ」 自分もまさか呟きをだれかに聞かれるとは思わなかった。改めてその事実を理解して、恥ずかしくなる。 「いや、まあわかるよ。今日のユーリは調子悪かったみたいだし」 「うっ……」 指摘され、思わず声が詰まる。 そうなのだ。仕事とプライベートはきっちり分けようと思っているもののいままでのコンラッドとのやりとりや返信がこないことでどうしても意識がそちらへ向かい、仕事に集中することができず、散々な目にあった。今回は前回収録した平岡さんとのメインBLCDの収録ではなく、そのスピンオフの収録。さして出番はなかったものの、それでもラブシーンなどはあって、そのたびにまた自分のからだにも変化が起き、何度もNGを出したりもした。今回のキャストさんたちがとても心の広いひとたちであったから、おれが失敗しても現場の空気が悪くなる、ということはなかったものの、本来ならばお説教どころか二度と仕事をしたくない下手くそな新人だと思われてもしかたがないほどのことをしでかした。 「……本当に今日はすみませんでした」 もう一度深くあたまをさげ、謝ると平岡さんは「気にしてねえよ」とかおをあげるように言う。 「新人は失敗してなんぼ! 僕はユーリよりもずっと失敗してきたんだし、そんな気にすることないさ。だれだって調子の悪い日はあるんだから」 そう言ってにへらと笑う平岡さんのやさしさに胸がじんとする。SINMA事務所の先輩方はみんなやさしくてお兄さんと呼びたくなるひとがおおい。 ほんとおれって恵まれてるよなあ、と励ましてくれる平岡さんに改めて尊敬をしていると平岡さんは脈絡もなく「腹がへった」と呟いた。 休憩中、小腹が空けば菓子を食べたりするがやはりそれでは腹を満たせない。おれは「そうですね」と相槌を打てば「よし!」とまたもひとりでなにか思いついたように平岡さんは言っておれの肩をぽん、と叩いた。 「よーし! ユーリも腹が減ってるみたいだし、なにかご飯食べに行こう!」 「え?」 「そうと決まれば善は急げ! 飯食いに行くぞー!」 「あのちょ、ちょっと……」 叩かれた肩をそのまま掴まれ「さて、どこに行こうか」と半ば強引におれは平岡さんと夕食食べることになった。 - - - - - - - - - - 平岡祐二さんはjealousyにも登場しています。 |