smile


 コンラート・ウェラー。
 彼の第一印象は、馬に乗った爽やか好青年。そしていつでも笑顔を絶やさない。
 異世界に召喚され、コンラッドと日々を過ごすようになってから最初と思っていた印象、雰囲気が違っているな、と思うこともあったけれど、それでも変わらないのはコンラッドが笑顔を絶やさないことだ。
 何の気なしに執務室の書類をまとめている男に視線を向けるとやはりコンラッドは微笑んでいた。しかも出会った当初よりいくぶん柔らかくなったように思える。
 コンラッドはおれの視線に気がついたのか、これからまとめるのであろう書類を抱えながらこちらへと近づいてきた。
「陛下、どうかしましたか。わからないところでも?」
「あ、えっと……あのここなんだけど」
 問われ、思わず聞きたいことがくちまで出かかったが、それをどうにか寸前で飲み込む。
 いまは、執務中。この間脱走をしたことがバレてグウェンダルにお説教をされたばかりだ。執務に関係ないことを尋ねれば、拳骨が飛んでくるかもしれない。コンラッドの背中からそっとグウェンダルの様子をうかがってみれば案の定、さきほどより眉間のしわが一本増えている。こちらを見ていないものの、彼の耳は俺たちの会話をしっかりと聞いているのだろう。うかつなことは言えない。
 おれは適当に書類に書かれた文字を指差して、意味を問えば「ああ、これはですね」とコンラッドが丁寧に説明をしはじめた。そのかおにはやはり笑みが浮かんでいた。

 ――そうして、ようやく今日のノルマを達したのは午後の休憩が終わってから数十分のこと。
 自室へと戻りぐっと天井へと両手を伸ばし、強張っていた筋肉をほぐしていると、ドアがノックされた。扉の向こうから聞えるのは聞きなれた声。コンラッドのものだ。
「はーい。いま開けるー」
 鍵をあければ、やはりそこにはコンラッドの姿。
「さきほど、グウェンダルと明日のスケジュールが組み立て終わりましたので、そのご報告に参りました。お邪魔してもよろしいですか?」
「もちろん。……ん、なんか甘い匂いがする」
 花や香水とはちがう甘くておいしい匂いが鼻腔をかすめ、すんすんと鼻を動かせばコンラッドはちいさく笑って軍服のポケットから小ぶりの袋を取り出した。
「きっとこれですよ。こちらへ向かうときに偶然エーフェとすれ違いまして、新作のお菓子よかったらぜひに、と。さきほどお菓子を頂いたんです」
 言ってコンラッドが可愛らしい花柄の包装紙に包まれたそれをおれに差し出した。
「え、でもこれあんたがもらったんだろ。おれが食っちゃ悪いんじゃないか?」
「悪くないですよ。すでに彼女には許可をもらっていますから。『陛下に渡してもいいですか』って。言ったらそわそわしていましたけど」
「そわそわ……? それって、あんたにほんとうは食べて欲しかったのにって意味じゃないの」
 この男はモテる。謙遜なのかはたまた無意識なのかはさだかではないが、兄弟のなかでは自分はいちばん地味だと言っているけれど、細やかな気配りや柔らかな笑顔にみんな惹かれていることをおれは知っている。
 おれはコンラッドと恋人だけど、公にはできない。いつかはちゃんとみんなに言うつもりだが、隠しているいま、エーフェが彼に恋心を持っていてもおかしくない。
「そんなの、もらえねえよ……」
 ……やばい。なんでもないように言うつもりだったのに、ちょっと声が上擦った。
 おれたちの関係を知らないエーフェにわずかに嫉妬心が湧いてしまった自分がいやになる。それから、そんなものを平然とした表情で渡すコンラッドにも。
 上擦ったおれの声にコンラッドはなにか悟ったのか、おれの手を掴んで菓子を握らせた。
「エーフェがそわそわしていたのは、あなたが食べると聞いたからですよ。きっと彼女だけじゃない。他の料理人も同じように言えばそわそわするでしょうね」
「……は? なんで?」
「あなたがみんなに慕われる魔王だからです。作ったものを美味しいと言ってくれる王などいままでいませんでしたから。だから、みんなもっとあなたに喜んでもらえるものを、と新作を作るんですよ。新作だっていわば試作品。試作品段階のもの王が食べるなんて本来あり得ないことですからね。俺のことなど、眼中にありませんよ」
 やはりおれが考えていたことがコンラッドにはわかっていたみたいだった。みんなの気持ちが知れてうれしいけど、それ以上に彼の最後のセリフに恥ずかしくなってかっと頬が熱くなる。
「心配などしないでください」
 そう言っておれの片方の手のひらに乗せた菓子と手をコンラッドが両手で柔らかく包む。それもまた恥ずかしくて、おれは下を向く。
 ああ、くそ。調子が狂う。
 さっきまでなんでもなかったのに、いつの間にか甘い雰囲気が漂っていること。それから、以前だったらこんな些細なことで不安になったりしなかった。
 ……だれかを好きになるとこんなにもバカみたいになるなんて。
「そういえば、ユーリに聞きたいことがあったんです」
「え?」
「執務中、俺になにか聞きたいことがあったのでしょう? グウェンダルの目があったから言えなかったようですが。あのときなにを言おうとしたんですか?」
「……あ、れは」
 羞恥心に追い打ちをかけるようにコンラッドが問う。
 調子が狂う、そして些細なことで不安になる理由はあのとき尋ねたかったことにある。
 聞きたかったことではある。けれど、この状況で言うにはものすごく恥ずかしい。
「あれは?」
 はぐらかせばいい。「もう忘れてしまった」とか「なんでもないよ」と一言返せば済むことなのに、それがどうしても言えない。強要されているわけではないのに。
 コンラッドの片方の手がおれの手から離れ頬を撫でつける。
 それだけでもうあたまのなかがずぐずぐになっていく。
 おれはすこし乾いた口唇を潤すように舌でそこを舐め、こくりと唾を飲み込んで執務中、目の前の男に聞きたかったことをおずおずと切り出した。
「……なんで、コンラッドっていつも笑ってるのかなって」
「はい?」
「っだから、あんたいつも見るとどこにいても笑ってるっていうか微笑んでるからどうしてなのかなって思っただけだよ! それだけ!」
 コンラッドが以前よりも増して柔らかく笑みを浮かべているように感じているのは自分だけではない。どこからともなく風に乗ってくるコンラッドの噂。
『コンラート閣下の笑みは昔に比べると柔らかくなったわよね』
『ええ。どこか冷やかな微笑みも素敵だったけれど、いまのほうがずっと素敵! あの笑顔を見ると胸が高鳴ってしまうわ』
『あなたもしかして、コンラート閣下に想いを寄せているの?』
『そういうあなたこそ。というより、あんな魅力的な方に惹かれないひとなどいないでしょう』
 出会ったころよりずっと人間らしくなったと言われるコンラッド。そう、噂で聞くように彼に惹かれないひとなんていないかもしれないと思うと付き合っていても時折不安になってしまう。彼の魅力を存分に発揮するのが笑顔なのだ。だから、気になってしまった。どうしてそんな風に笑えるようになったのか。
 笑顔なんてそれこそ無意識に浮かべているようなもので理由はないのかもしれない。茶化して問えば『なぜそんなことを聞くんですか?』聞き返されても『なんとなくだよ』と答えられただろう。けれど、冗談だというような雰囲気ではない今、彼には不審に思われたかもしれない。
 こんなことになるのなら、最初から聞かなきゃよかったかもと自己嫌悪に浸っていると、思いもよらぬ答えが返ってきた。
「俺が笑顔なのは、あなたがいるから。あなたが笑うから俺は笑えるんですよ」
「……ハイ?」
 おれがいるからってどういうこと? おれの心の疑問を読み取ったように尋ねるよりもはやく、コンラッドははなしを続ける。
「ユーリといるといままで知らなかった世界。それから自分を知れて毎日が楽しいんです。だから自然と笑顔になる。あなたがいなければ俺は笑うことはあっていまのように自然に笑うことはなかったから」
「……っ」
 俯いたままのおれの頭というかつむじに柔らかいものが押しあてられて思わず息を飲む。柔らかいものがなんであるかなんて考えなくてもわかる。
 コンラッドの唇だ。
「なにより、あなたが俺の恋人だからしあわせで笑ってしまうんです」
「ばか、なに恥ずかしいこと言ってんだよ!」
 彼の歯の浮くような甘いセリフに内心では安堵しているくせにおれのくちは知らずと悪態をこぼした。
 自分で言うのもなんだが、おれって本当に可愛げがない。それなのに、相変わらず男は微笑み、おれを抱きしめた。
「ユーリ、焼きもちですか?」
 その返事には答えず、おれは目の前のある胸にぐりぐりと顔を押し付け、見当違いな返事を返した。
「なあ、もらったお菓子食べようぜ」
 だって、コンラッドにはおれの気持ちわかってるはずだから。

END

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