jealousy


『あなたのすました顔も格好よくて素敵だけど、その顔が崩れる顔もわがままを言うのも私、とっても素敵だと思うの』
 と、母親が言ったことがある。
 あれはまだ声優になるまえ、母の仕事を手伝いをしていた実家暮らしをしていたときのことだ。
 マカロン、ケーキ、キャンディ。カラフルな菓子が無造作に散らばった円卓テーブル。そこに同じく散らばらるのは自分と同じ年齢だろう綺麗またはかわいいということばが似合う女性の写真が散乱していた。
 当時、母はモデルをしていて各国を飛び回っていた。そのマネージャーを自分は担っていたのだが、仕事の交流の一環としてなのか、こうして俗に言う『見合い写真』が自分のところへ届く。直接的ではないが、母、ツェツィーリエをとおして間接的に。母は恋多き女性で良くも悪くもスキャンダルが絶えず、年齢、仕事等関係なく恋愛をしているからか『恋の狩人』と呼ばれることもある。母の名言のひとつに『真実の愛こそがひとを変え、私を創る』というものがある。そのことばを否定するつもりはないが、あの当時自分には彼女ができたとしてもなにひとつ自分に変化があったことはなく、言い方は悪いが『彼女の喜ぶだろう行動を繰り返した』だけに過ぎない。なので、付き合う女性は、最初こそ自分の隣で微笑んでくれていたがそのうちに自分の違和感を感じ、関係に歪みを悟り去っていく。その際、批難な罵倒を受けることも多々あったが『申し訳ない』とは思うものの、別れにたいして悲しみや後悔を感じたことは一度もない。付き合っていながら他の男がいたと告白されても怒りを覚えたこともなかった。
 そのうちに『恋人』をつくるのもやめようと思っていたときに母がまたも写真をテーブルに並べたのだ。
『どう、このなかに気になる子はいる?』と。
 その問いに自分は首を横に振り、ようやく自分の本音をくちにした。
『母上にはたいへん申し訳ありませんが、俺は恋人を必要としていません』
『あら、どうして?』
『交際をしても、いま以上に彼女を愛おしいと思えないからです』
 言って――冒頭のセリフへと繋がる。
 母はこちらの本音を聞いた瞬間、一瞬目を見張ったが『そう』と一言言うと楽しそうに口元に笑みを浮かべピンク色のマカロンを齧った。
『それは、残念なことね。でも、とってもいいことでもあるわ。コンラート。いま思えば、あなたは小さいころからそういう子だったもの。自ら欲しいと強請る子ではなかった。でも、そんなあなたが欲しいと思ったものは、好んだものは決して諦めたりもしないし執着する傾向があったわ。……あなたが本気で恋をする瞬間がとても楽しみ。本気で恋をしたら、いまのあなたはきっと些細なことでたくさん思い悩むでしょうね』
 やや辛口なセリフを述べた母は、無邪気な少女のように微笑んだ。

 ――あのときのことをいまになってこんなにも鮮明に思い出すのは、母が言った『本気の恋』というものをいましているからだろう。
 コンラートはテーブルを隔て向かいあう青年に目を移して改めて実感する。そして、自分がどんなに心の狭い器のちいさい男であることも。
 テーブルに広がるのは、台本とノート。その二冊にはたくさんの注意書きがされている。
「うあー……」
 おそらく目の前の青年、シブヤユーリは自分が視線んを向けていることに気づいていないのだろう。しかも耳にはイヤフォンが装着されている。終始口を開閉させながら羞恥に耐えている理由を十分に理解しているもののじわり、と胸の奥が焦げつくような想いをコンラートはコントロールできずに内心で舌打ちをした。
 こんなにも自分は器量の狭い男だったのか。
 そう自己嫌悪に陥っていると、ふいに名を呼ばれた。
「……コンラッド?」
「あ、すみません。なんでしょうか」
 宙に浮いていた意識が現実へと引き戻される。ユーリは装着していたイヤフォンを外し、やや眉尻をさげて「どうかした?」とコンラートに声をかけた。
「やっぱり、おれ邪魔だったかな。突然、家にお邪魔なんかして……」
「いえ、そんなことありませんよ。こうして一緒にいれる時間がなによりもしあわせですから」
 言うと、ユーリは頬をわずかに赤らめて目を逸らしたが未だ眉根を顰めたまま「でも……」と言いかけてくちを開閉させ、言いにくそうに再度尋ねた。
「でも、なんか悩んでるように、不機嫌にみえたから」
 初めて主役を務めたボーイズラブCDからユーリの認知度と人気は上昇してきている。未だにアニメでの主役はないものの、それでもドラマCDやゲームではユーリの名前が記載されるようになった。とはいえ、まだユーリには慣れないことばかりで悪戦苦闘しているらしい。今回はボーイズラブで受けの役を演じることになったようで、相手は同じ事務所の先輩、平岡祐二さん。ハスキーで艶のある声で人気のある声優。人柄もよく、面倒見もいい。できるだけ共演者や音響監督には迷惑をかけず、スムーズな仕事をしたい。そう言った彼に対しそのためのアドバイスを自分ができるかぎりでさせてほしい。
 そう言ったのは自分。だから、頭では理解しているのだ。
「それは……」
 付き合う以前、言いたいことを言わないではぐらかしときには逃げて、すれ違って自分は目の前の少年の心を傷つけた。
 自分勝手な感情でキスをし、無理やり抱いたこともある。
 遠回りをして、傷をつけてそれでもユーリは自分のことを好きだと言ってくれた。けれども、不意に怯えたような表情をみせるときがある。彼はそんな己の表情に気がついていないようだが、トラウマになっているのだと思う。
 いまだって不安そうに顔を歪めている。
 そんな顔をしてほしくなくて、コンラートはおずおずと胸に蟠る思いを打ち明けることにした。
「……すみません。嫉妬してました」
「え?」
 きょとんとユーリが小首を傾げる。
「仕事だからとはわかっているのですが、どうしてもあなたが他のひとと恋人なやりとり……そのさきをするのかと思うと、やりきれなくて」
 いままで恋人がほかのひととふたりきりで出かけても、手を繋いでも……ホテルへ向かう現場を目撃してもなにも感じたことはなかった。ましてやユーリの場合『仕事』だという正当な理由があるのに。
「自分も『仕事』であなたと同じことをするのに……気持ちに整理がつかない自分にあきれてしまったんです」
 思いを吐露すれば、合わさっていた視線をユーリが逸らした。
 おそらく自分の嫌いにはなってはいないと思うが、あきれているのだとは思う。ずいぶんと器量の狭い男だと。
「えーと……」
 かおをこちらから逸らしたまま気まずそうにユーリは頬を指でかき、こちらが予想しなかったことをぽつりと呟いた。
「こんなことを言うのはおかしいけど、それは……ちょっとうれしい、かも。なんて」
「――は、」
「付き合ってるんだなあ、って実感できるっていうか」
 彼のセリフになんて返答していいのかわからない。今度はこちらが双眸を見開く番だ。
 へりゃり、とはにかんだ笑みを浮かべて再びこちらを見たユーリに年甲斐もなく、胸の奥が淡く疼く。あの一言だけでも自分を翻弄させるには十分なのに。
「不謹慎だけど、なんかコンラッドかわいいなあって思って」
 ああ、まったくこのひとは。
「……はあ」
 なんと言っていいのかわからず、思いはため息になってくちから吐き出される。
 それを、ユーリは勘違いしたのだろう。さらに表情を歪ませた。
 コンラートはテーブルに投げ出されたユーリの手に自分の手を重ねる。
「コンラッド?」
「……あなたには本当に叶わないな、と思いまして」
 自分のことをかわいいなんていうひとはいままでいなかった。『かわいい』なんて形容詞が似合うことを自分はしていなかった。
 いつだって、ひとと一線を引き上辺っつらだけで付き合ってきた――いわば『つまらない人間』だったから。
「ね、ユーリ」
「なっなななに?」
「まだ、言いたいことがあるんです」
「へっ?」
 混乱しているユーリを余所にコンラートはテーブルから身を乗り出して、重ねていただけの手を握りぐっと引き寄せ、空いたもう一方の手を彼の後頭部に手をまわし、うっすらと朱に染まる耳に口唇をよせる。
「もう一度かわいいって言ってください。……嫉妬してる俺もかわいいって」
 演技ではなく、自分だけにくれる『本当の感情』が詰まった声音で。
「好きって言って、勉強は休憩して、もっと俺をかまってください」
 仕事でもこんなに甘く囁いたことはない。いや、甘くなんてできない。コンラートは『ユーリ』にだけ向けることのできる声音で彼の台本のセリフをくちにしてみる。
「……ね、ユーリ。『かわいいことばかり言うこの唇にキスしてもいい?』」
 言って横からユーリの返答を伺うように覗きこめば、ユーリはこくり、と頷いた。
「『うん、して。たくさん』」
 台本どおりの返答。けれども、それは演技よりもずっとリアルでコンラートを魅了した。
 鼻先をわずかに擦り互いの口唇が触れ合うその狭間でユーリが呟く。
「コンラッド、かわいい」と。
 眩暈を覚えるほど甘い声で。
 ごめんね。こんな嫉妬深くて、勉強にならないね。
 コンラートは胸のなかでもう一度謝罪をくちにして、欲していた青年の唇を吸いあげた。
 
END
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いちゃいちゃ
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テーマ「人外ファンタジー」
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