可愛い子猫と小さな変化/子猫シリーズ
春も過ぎて、スーツの上着があついと感じる初夏。今年の初夏はいつになく気候が不安定だ。残業もなく、早々に退社をしてうえを見上げれば、空は灰色の雲がどんよりと漂っていていまにも雨が降りそうだ。
足早に走る道路にはいたるところに水たまりができている。
今日は、洗濯物を室内に干して正解だった。
雨は降ったりやんだり。そして、気候も急に暖かくなったかと思えば、自分が退社するいまの時間帯は少し冷え込んでいる。時折、雷もごろごろとなっていた。
「……ユーリ、泣いてないかな」
と、心配になる。以前、雷が鳴っているなかひとり留守番を頼んだとき黒猫子猫のユーリはその音に怯えていたのにも関わらず、健気にも涙を目にためながらも泣かずに自分のことを待ってくれていたのだ。仕事だったとはいえ、あんな小さな子に我慢をさせていたのはいまでも胸に痛い。
人並みをぬうように早足から駆け足へ歩むスピードを変えて家路へと急ぐ。
「!」
すると、頬にぽつんと濡れた感触を感じた。雨だ。きっと数分も掛からずにまた勢いよく通り雨がくるに違いない。
数時間前に携帯で天気予報をチェックしたときには降水率は三十パーセントと言っていたのに。最近の天気予報はハズレばかりだ。
鞄には折りたたみ傘はあるが、まあその頃には家の近くまで到着しているだろう。街の並木がだんだんと風に揺られてがさがさと音を立てる。
もういっそ走ってしまうおうか。
いい年をした会社員が走れば人目につくだろうと思うが、それ以上に家で留守番をしているユーリのことで頭がいっぱいになる。
頭で考えていたよりもさきに、すでに自分の足は走っていた。
可愛い自分の小さな黒猫子猫。
あの子は、本当はさびしがり屋で億秒なのだ。
でも、自分にはそんな弱みを見せずに、いつも笑顔を向けてくれる。もうあの子がひとりで泣かないように、頑張らないようにするためなら、人目なんてどうだっていい。
――そうして、マンションまで走って帰れば、ぎりぎりセーフと言うべきか、エレベータで自分の部屋まであがっているときに勢いよく雨が振り出した。
外に目をやれば、まだ六時過ぎだというのに真っ暗だ。息を整えて玄関のチャイムを鳴らしドアを開ければ小さな足音を立てながら可愛い子猫が出迎えてくれる。
「こんらっど、おかえり!」
「ただいま、ユーリ。雷鳴ってたりしたけど大丈夫だった?」
泣いたりしてない? と子猫の頭を撫でれば「だいじょうぶだよ! ゆーりつよいこだもん」とぎゅっと抱きついてくる。その小さくて温かな温もりに自然と笑顔がこぼれる。
泣いてなくてよかった。
子猫の目元が赤くなっていないか確認して、ほっと安堵の息を吐く。
もう、雷は克服できたようだ。ユーリと一緒にリビングへと向かえば朝と光景が異なっていることに気づく。一瞬なにが違うのか自分でもわからなかったが、ソファーとテーブルに置いてあるものをみて一瞬目を見張り、ユーリの顔を見る。
「えへへ!」
「……洗濯もの、全部ユーリがたたんでくれたの?」
「うん! さわってみたらかわいてたし、こんらっどおしごとでつかれてるのにゆーり、なにもできないのはやだったから」
たたまれた洗濯ものをみれば、一枚一枚丁寧にたたまれている。どこかよれていたりいびつだったりするが、自分がユーリに洗濯もののたたみかたを教えたことはなかった。きっとユーリはいつも自分のそばでたたみかたを学んでいたんだろう。そう思うとたたまれた不格好で丁寧な洗濯ものがプレゼントのように思える。
「ありがとう、ユーリ。とても助かったよ」
言えば、子猫はぱあっとさらに笑顔を明るくさせた。
「ゆーり、こんらっどのおてつだいできてうれしい!」
うれしいのはこちらのほうなのに、ユーリはそうやっていつも自分のことのように喜ぶのだ。
からだだけじゃなく、ユーリも自分も、みえないところでゆっくりと着実に成長しているのことを知る。そのうちに、洗濯ものももっときれいにたためるようになって、できることも増えていくのだろう。
その未来に喜びとすこしのさびしさを感じながらも、日々の子猫の成長に愛おしさが募る。
「今日は、おてつだいしてくれたユーリためにの夕食は好きなものなんでも作ってあげる」
「ほんとう! やったあ! じゃあ、じゃがいもごろごろいっぱいのカレーがいい!」
「了解」
長い尻尾と大きな黒い耳をぴこぴこ動かす子猫の頬にキスをして、たたんでもらった洗濯ものをクローゼットへと仕舞う。
今日のカレーはいつも以上に愛情をたっぷりと込めて作ろう。
シャツの袖を巻くって、未だカーテンの開いたままの窓へ目をやれば、キラキラと星が輝いていた。
きっと、明日は晴天だ。
可愛い子猫が見せる笑顔のような、太陽が見えるに違いない。END
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