>>失うものができた
(title everlasting blue)


 最初から自分はなにももっていない。だから失うものなど自分には存在しないのだと思っていた。
 そう思うようになったきっかけは戦友のスザナ・ジュリアを失ったことだったのかもしれない。
 けれど、思い返せば自分はこの世に生を受けた日からそうだったのだろうとも思う。
 自分は望まれて生まれた者でなければ、価値もある男でもなかったのだ。言えば、自意識過剰だと思われるかもしれないが、本当のことだ。そういう目を声をずっと見て、聞いてきた。言ったとしても、おそらく皆『ようやく気がついたのか』と蔑んだ目で見るのだろう。
 ゆえに自分自身を愛せるはずもなく、自分が生きようが死のうがどうだっていいとそれこそ他人事のようにしか自分の命の存在を考えたことしかなかった。
 ――けれど。
 そうではないのだと、半ば無理やり持たされた戦友の球体となった魂を小瓶に入れ次期魔王の母体へと送り出したあの日。そして無事生まれた赤子を腕に抱いてなにかが自分のなかに生まれたのだ。
 枯渇していた地面に雨が降り、ゆっくり染みわたるような感覚。それから恐怖と愛しさが入り混じった気持ちが。
 おそらくいま胸に抱く赤子は――ユーリはきっと自分にとってなにより必要不可欠な存在になる。そう予感した。
 自分の人差し指を握る小さな手。なにも持っていない自分を初めて必要としてくれた存在に胸が熱くなったのをいまでも鮮明に覚えている。もちろん、赤子は条件反射で自分の手を握ったにすぎないことはわかっている。けれども、あの小さな手は確実に自分がここにいていいのだと教えてくれたのだ。
 ……もうあれから数十年が経ったのか。
 若干気恥ずかしい気持ちで昔を振り返りながら、
胸に抱いたあの日にもらった黄色いアヒルを飾った棚に目をやるとコンコンと自室のドアを叩く音が聞こえた。
 ノックの音とドア越しに伝わる雰囲気でだれが尋ねてきたのかわかる。
「はい、どうぞ」
 アヒルのおもちゃから視線をドアへと向け、ドアを開けるとやはりそこには艶やかな漆黒の髪と黒い瞳を持った少年が少々疲労を浮かばせた表情で立っていた。
「……ギュンターとのお勉強会お疲れさまでした」
 部屋に入るように促しながら労いのことばをかければ「本当だよ」と盛大なため息をつき、思わずコンラートはくすり、と笑いをこぼす。
「笑うなよ。だって本当に疲れたんだぞ。ギュンターってば、おれが問題ひとつ解くたびに感激しちゃってさ、そのうちなぜか感極まってギュン汁を噴出しながら泣き出すんだもん。後半は勉強どころじゃなかったよ」
「それはそれは。とても大変でしたね。いま、お茶を淹れますのでソファーでくつろいでください、陛下」
 ユーリはむっとした表情でコンラートの背中を叩く。
「だから陛下っていうなよ、名付け親」
 そう言われコンラートは表情を綻ばせた。
「すみません。つい、くせで。ユーリ」
「はい、よくできました。コンラッド」
 言って太陽のようなあたたかい笑みを浮かべる少年にコンラートはあのときの予感が間違えではなかったと確信する。
 ユーリと出会って、自分はここにいていいのだと知り、そして両手では抱えきれないほどの大切なものができた。失うものなどなにもなかった自分に失いたくないものができた。
「……ユーリ」
「ん、なに?」
「いえ、なんでも。ああ、焼き菓子も食べますか?」
「おう、食べる食べる!」
 ありがとう、と言おうとしてコンラートは口を噤む。恥ずかしくて言えないというのも彼と出会ってから知ったひとつだ。

 
失うものができた
(それは絶対に失えないもの)


END


これから失うものが、失いたくないものがたくさん増えていくのだろうか。

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テーマ「人外ファンタジー」
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