最愛なる恋人から「別れましょう」と告げられたのは、私のお誕生日でした。



『ユーリ、恋人をやめませんか?』
 それは、突然だった。
 付き合い始めたのが十七歳のとき。あれから気がつけば三年が経って、今日は二十歳の誕生日。
 なにか、言わなければと開いた口は半開きのまま、なにも発することができない。その有利の想いを代弁するかのように急激に鼓動は速度を増し、バクバクと音をたてはじめる。
「な、んで……」
 喉は渇き、首を掻き毟りたくなるような悪寒とも違う恐怖がせりあがってくる。それをどうにか抑えてようやく口にできたものは陳腐な一言であった。
 急速に肢体と思考が強張る自分を余所にテーブルの向いの席に腰掛ける男はあまりにも自然体で混乱してしまう。それこそ、もうずっと前からこのシチュエーションを想定していたのではないかと思うほどに。
 いや、していたのではないか、ではなく、していたのだ。彼は、コンラッドは。
「二十歳、というのは一種の節目でしょう。その二十歳という節目で区切りをつけたほうがいいのではないかと思いまして」
「区切り……」
「ええ。いつまでも恋人同士ではいられないでしょう?」
 コンラッドは淡々と言い、こちらを見つめる。普段と変わらない笑顔が有利をさらに混乱させた。彼の目には戸惑いもなければ、嘘もない。
 コンラッドは、本気でこの関係に終止符を打とうとしているのだ。
 自分と別れたいと願っている。
 それをやっと理解して、有利は場にそぐわない笑い声をこぼした。
 コンラッドのばかたれ。
 なにも誕生日に言わなくてもいいじゃんか。
 誕生日最後のひと時に別れを告げるなど意地が悪いにもほどがある。
 ひとは本当に驚いたり、悲しいことがあると泣けないとどこかで聞いたことがある。それは本当だったようだ。
 事実突然、告げられた別れに声も出なければ、涙も溢れてこないのだから。
 自分のなにが彼を幻滅させたのかはわからない。もしかしたらと思う多すぎて。
 しかし、考えてみれば今日のコンラッドは普段とすこし違っていたなと思う部分があった。
 ――朝から城下町では自分の誕生日を祝う花火が盛大に青い空にいくつも打ち上げられていた。それを自室の窓辺で見ながら正装に着替えていて、着替え終わるのをコンラッドが壁にもたれて控えてときのことだ。
「去年よりもずっと盛大に花火を打ち上げてるな」
 と、ぽつりと呟きうしろを振り向いた自分に対しコンラッドは「そうですね」と答えたあと「きっと、今年の誕生日は忘れられないものになりますよ」と言ったのだ。もちろん、毎年行われる聖誕祭は年を追うごとに盛大さを増している。けれども、なぜ今年は忘れないものになるのか。
「なにか今年はサプライズみたいなのが用意されているの?」
 気になって尋ねてみれば、彼は頷く。
「でもそれを言ってしまったら、おもしろくないでしょう? だから秘密ですよ」
 おそらくあの発言は、いまのことを言っていたのだろう。あのときコンラッドは普段と変わりなかったように見えたがどこかいたずらを企む子どもような笑みを浮かべていた。それを思い出すと怒りと悲しみが有利の胸のなかで混濁していく。
 コンラッドはそんなに自分と別れたかったのか。
 しかも二十歳の誕生日に別れを告げて、一生の傷を自分につけたかったのか。つけられた自分を想像して彼はあのとき楽しそうに含み笑いを浮かべたのだろうか。
 考えると、いままで恋人同士として付き合ってきたなかでしあわせだと感じていたのが、自分だけだったと言われているような気がした。
 コンラッドの顔を見なくても、自分は彼のことならおおよそはわかっているように思っていたけれど、あれは自分の思いこみだったのだろう。……村田やヨザック。それから兄弟であるグウェンダルやヴォルフラムも言っていたではないか。コンラッドは、嘘をつくのが得意だと。本心を口を出すこともなければ、顔に出すこともあまりない。コンラッドはその場をうまくとりつくのが上手だと。いままで、顔を見るだけで、声を聞くだけでコンラッドの思いをくみ取っていたのではない。コンラッドがそうして、自分をうまく誘導していただけだったのだ。
 わかっていればもっとはやく、コンラッドが自分と別れたいと思っていることを察することができていたはずだ。
「……そういえば」
「はい、なんでしょうか」
「あんた、今日夜会のときに酒を飲んでないなって思ったんだ。あのときは不思議に思ったけど、あれか。素面でこの話をしようって思ってたからか?」
 王直属の護衛なのだから、みんなと同じように気兼ねなく酒を飲むことをしないのは以前から知っている。けれど、社交辞令の一貫で何杯は嗜む程度にコンラッドは飲んでいた。「仮に隊長がここでボトルを一気に五本あけたとしても隊長に勝てる相手なんていないでしょうに」と酒を飲もうとしないコンラッドにヨザックが愚痴をこぼしていた。
「そうですね。酒の勢いを借りて大事なことを言うのは卑怯だなと思いまして」
「……そういうところは紳士なのな」
 有利は言って乾いた笑いをこぼした。まったくこの男はずるい。酒を飲んで、酔った勢いで別れを告白してくれたほうがよかった。素面ということは一時の気の迷いなどはないということだ。
 本気で自分と別れたいと思っているということ。
 相手を好きになる理由がさまざまあるように、嫌いになる理由だってたくさんある。どんなにうまくいっているように見え、感じていたとしても、別れない保障などないのに……ずっとこのままでいられると思っていた自分が恥ずかしい。
 もう二十歳だ。大人にならなければいけない。大人の対応をしなければ。
 有利はふーっ、と己を落ち着かせるように息を吐き、目の前の男を見据えた。
 ……まだ、コンラッドのように笑顔を作れない。
 けれどせめて、最後は気丈な態度でいたい。たとえそれがちっぽけなプライドだとわかっていても。
「……わかった。恋人、やめよう」
 ようやく言えた、口にしたくなかったセリフ。
「ありがとうございます。これで、恋人は解消ですね」
「うん」
 コンラッドはきっと自分がどんな気持ちで別れを口にしたのかわかっている。けれど、そんな自分の気持ちなんてもう彼には関係ないのだろう。いっそ嫌いなら最後にやさしいことばなんてかけずに突き放して欲しい。ここは自室なので自分から部屋を出ていくこともできない。かといって、まだコンラッドが好きな自分が「はやく出ていけよ」とも言えなかった。言って、すんなり出ていくコンラッドを見たらたぶん、息ができない。彼が部屋を出ていくまえに泣いてしまう。
「いままでありがとうございました。とても、楽しかったですよ」
 おれも楽しかった。そう言えればきれいな締めくくりになるだろうとわかっていても、そんなことを言えるほど大人になりきれない自分はしずかに叫び出してしまいそうな衝動を奥歯で噛みつぶした。
 あとはこの部屋から出ていくコンラッドの背中を見送るだけだと思っていたのに、コンラッドは笑顔を崩さぬまま「ちょっと待っていてくださいね」と席を立ち、サイドテーブルにいつの間に用意していたのであろう紙袋を持って再び席についた。
「……なにそれ」
「ひとつはノンアルコールのシャンパン。もうひとつはワインです。あなたと一緒に飲もうと思って」
「はぁ?」
「だって、あなたと飲もうと思って買ってきたんですよ」
 意味がわからない。コンラッドはどこまで悪趣味なのだろうか。かろうじで、別れのことばを言えた自分にもう表情を取り繕う余裕などないのに。それともあれか。こうして、趣味がわるいとしか言えない行為をさせるほど、自分はコンラッドを傷つけていたのか。
 思うも、もうどうだっていい。
 ――ふざけんな。
 いくらなんでも、こんなのやりすぎだ。
 パチパチと脳内の感情スイッチがオンになっていく。自分がコンラッドをどれだけ傷つけたのかはわからないが、ここで一発ぶん殴る権利くらいはあるはずだ。ふたつのグラスにシャンパンを注ぐ男の頬を殴ろうと有利は自分のズボンの裾を握っていた手をはなして怒声をあげるために深く息を吸い込んだのと、コンラッドがグラスに注ぎ終えたのと同時だった。
 ――ポチャンッ!
 自分のグラスから何かが落ちた音がする。
「ユーリ、俺と恋人をやめて――夫婦になりませんか?」
「――え?」
 シャンパンのなかに投下されたのは小さな輪。それはどうみてもシルバーリングだった。再び思考が停止する。
「もうだめですね。一度独占欲を覚えると。いままで欲を持たなかったぶんの反動ですかね」
「な、にいって……んの」
 なにこれ、喜んでいいの? いまさっき別れ話してたんだよね? 
 今日のコンラッドはとことん自分を翻弄する気でいるらしい。
 混乱する思考よりもさきにさきほどまで耐えに耐えていた涙が彼のことばに反応して頬を濡らす。
「恋人になってユーリを手に入れたつもりでしたけど、恋人だけじゃあなたの全部を手に入れたわけではないのだと思うようになりまして。俺はあなたを縛るモノが欲しくなりました。あなたを俺の所有物にしたい」
「ふざけんなっ! おれはあんたのモノじゃねえよ! っなんだよ! 格好つけたいからああ言ったのかもしんねえけど、戸惑ってるおれの姿をみて楽しんでたのか!」
 とうとう怒りが臨界点を突破する。
「ごめんね、ユーリ」
 手を伸ばしてコンラッドの胸ぐらをつかんで罵声をあびせるが、彼はやわらかい声音のまま謝罪する。
「こんなことして、おれが喜ぶと思ってんのか! おれは女の子じゃない! ロマンティックなことしてときめくとでも思ってたのか! ふざけんなよ、コンラッド! 間違えてんじゃねえよ――あんたが、コンラッドがおれのモンなんだよ!」
 言うとコンラッドはわずかに双眸を見開いた。
「……指輪つけて欲しけりゃ約束しろ。絶対、冗談でも二度とあんな、別れるとかぜったいいうなよ……っ」
「……はい。もう二度と言いません。未来永劫、俺はあなた――ユーリだけのモノです」
 嘘ばっかり。未来永劫とか永遠なんてこの世にあるはずがない。そう思ったが、それは口にしなかった。自分はそこまでひねくれたやつじゃない。
 言葉は言霊。魔法の言葉。信じなければ消えてしまう。
 有利が胸ぐらを掴んでいた手の力を緩めれば、コンラッドは胸ポケットからなにかを取り出した。
「口約束では、効力がありませんからね。いまここで、念書を書きましょうか、お互いに」
 念書と言ってテーブルに広げられた紙に有利はぷっと吹き出した。この男、呆れるぐらいに準備がいい。
「婚約届けじゃん、これ。おれハンコなんて持ってないけど」
「拇印で構いませんよ。そちらのほうが、効力ありそうだし」
「……一体、どんな理屈だよ。それは」
「気持ちの問題、ですかね」
 ばかみたいだ。
 有利は脱力して、どっかりとイスに座りなおす。
「言い訳でしかありませんけど、念のため言っておきますが、俺はあなたを騙そうとしたわけではないんですよ。ユーリが誤解しているなとわかってはいたもののなにぶんこちらも緊張してしまって肝心な言葉がすぐに出てこなかったんです」
 表情筋も強ばってしまって自分がどんな表情を浮かべていたのかもわからない。とコンラッドは言う。
「うるさい、ばか。……二十歳の誕生日に別れようって言われたおれの気持ちわかってんのか。もしかしたらコンラッドはもうずっとまえからおれのことが嫌いでいたんかなとか、大人の仲間入りしたんだから、駄々をこねちゃいけないんだって……あ、あしたからどうしたらいいのかっておもったんだぞ……っ」
 お得意のトルコ行進曲を彷彿させる早口もいまは不完全燃焼だ。もし、本当にコンラッドと別れたら自分がどうなってしまうのか、考えるだけで恐怖が胸を締め付けた。別れを告げた瞬間は、いろんなことを自分に言い聞かせていた。
 初恋は叶うものじゃない。もし叶い、恋人同士になったとしても、初めての付き合ったひととずっと一緒にいる確率は低く、ましてや王と護衛という主従関係。恋人同士であったことこそ、奇跡だったのだと何度も自分に言い聞かせた。
 コンラッドはいままで自分を一番に考えてくれたから、今度は自分の気持ちよりも彼の思いを優先しようと。
「……っなのに、こんな、こ、ことして。おれ、いっしゅんしんぞう、とまったっつーの」
 ぼろぼろと涙が溢れてとまらない。こんなに泣いたのはそれこそ小学生くらいだ。もう、大泣きしたときの涙の止め方などとっくに忘れてしまった。
 うつむいて、とまらない涙を両方の手のひらで乱暴に拭えば、がたん、とイスを引く音がし、ぎゅっと後ろから抱きしめられた。
「本当にごめんね」
 許してほしい、などと言わないのがコンラッドらしい。
 ユーリはどうにか呼吸を整えるとシャンパングラスに沈むシルバーリングを見つめ、顔を横に振った。
「やだ。謝っても許さない。ぜったい、許してやんない」
 思いのほか低い声がこぼれ、自分を抱きしめるコンラッドの腕がわずかに動揺したのか震えたのを感じる。
 動揺するなら、あんな言い方すんじゃねえよ。
 そう有利は心の中でコンラッドを毒づいて、涙を拭い、息を吸い、声を発した。
「――これからもずっとおれのとなりに居なきゃ、許してあげない」
 言うと、一瞬の間が空いたあとコンラッドが抱きしめる腕の力を強くした。
「……はい」
「嘘ついたら針千本だからな。針を千本飲むんだからな」
「飲みませんよ。この約束だけは違えませんから」
 笑っているのだろう。背中からわずかに振動とくすくすと笑い声が聞こえた。そうして、コンラッドはようやく腕を離してユーリの隣へと移動し、片膝をついた。まるで、どこかの童話で読んだ王子様のように。
「手のひらにキスしたら、思いっきり左頬を叩いてやるから覚悟してろよ?」
 言って、見せつけるように有利が手をあげればことさらコンラッドは「喜んで」と笑顔を向ける。
 あと数秒で夜中の十二時をまわる。誕生日が終わりを告げる時間。
 そのタイミングでコンラッドの頬を思い切り叩いてやろう。
 それから、シルバーリングの沈んだシャンパンを飲むのだ。
 コンラッドと新しい関係を築く、はじめの一日を祝うために。
 恋人だった大好きな、コンラッド。さようなら。
 有利は泣き笑いの笑顔で手の平にキスをした男に向かって手を振り上げた。
 
END

(2014/7/29 お誕生日SS)
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