お届け物です!2


 ちょっとおかしなことになった。
 自分は人見知りをしないほうだとは思うが。それでもこうして初対面のひとと仕事でもないのに食事をするというのははじめてのことだ。
 有利は注文した醤油ラーメンをずるずると啜り食べながら相向かいに座り冷やし中華を食べる男の顔を盗み見る。
「俺の顔になにかついていますか?」
「え」
「ずっとこちらを見ているから」
 気づかれないようさりげなく見ていたつもりだったのだが、どうやら彼には不躾な自分の視線に気づかれていたらしい。
「あっ、す、すみませんっ! えと……箸の使い方が上手だなって思って」
 当たりさわりのない言い訳をどうにかひねり出した自分を褒めてやりたい。口が裂けても『同業者ってだけでいきなり飯に誘うなんて変なひとだなと思ってました』とは言えない。
「そうですね。日本に来てもう三年くらいは経ちましたから、それなりに箸は使えるようになりました。当初はまったくでしたけど。慣れるとフォークより使いやすい道具だなと思います」
 言って、箸を使い食べる彼のすがたはむしろ日本人よりもキレイな動作で関心してしまう。
「……ウェラーさんは、」
「ストップ」
 有利が尋ねようと男の名を呼んだ瞬間、制止をかけられて困惑する。
「はい?」
「ウェラーさんって呼ぶの苦手なんです。なので『コンラート』と呼んでもらえませんか?」
「……こんらぁ、と?」 言われ、小首をかしげながら言われたとおり改めて彼の名前を口にしてみるがうまく発音ができない。しかも舌っ足らずな感じが恥ずかしくて思わず頬があつくなる。
「ああ、言いにくいなら『コンラッド』ならどうです?」
 そんな自分を見てくすくすと笑う男にムッとしながらも一呼吸を置いて有利はもう一度男の名を口にした。
「……コンラッド」
「はい」
「あの、なんで『ウェラーさん』って呼ばれるのが苦手なんですか?」
「日本に来るまでま名字で呼ばれることが少なかったから、ですかね。なので、名字で呼ばれると違和感があるんですよ」
「はあ……」
 そういうものなのだろうか。
 有利自身、海外に住んでいたことはあるが、それは物心がつくまえのことでそこらへんの事情はよくわからない。文化の違いというものなのだろうか。
「あ、じゃあ。おれのことも有利で」
 なんとなくそう言えば、なぜかウェラーさんもとい、コンラッドはうれしそうに目を細めた。
「それではお言葉に甘えて……ユーリ、とこれからは呼ばせてもらいますね」
「っ、はい」
 名字でも名前でも呼ばれることにたいして正直どちらでもいいと思っていたのだが、なぜだろう。コンラッドの口から発せられた自分の名前『ユーリ』は発音がすこし異なるからかほかのひとが呼ぶものとは違うような気がする。どこか安心するような、しっくりくるようなそんな響きがあって、不思議な安堵と同時にそう感じてしまったことへの気恥ずかしさが背中を駆け巡り、返答した声は若干、うわずったものになってしまった。
「ユーリ、あともうひとつお願いがあるんですか」
「なんですか?」
「できれば敬語ではなくてもっと砕けた言葉づかいで接してもらえたらうれしいのですが……」
 もっと砕けた言い方……とは、どういう言い方なのだろう。考えて、ふともしかしたらと思い当った言葉づかいを有利はおそるおそる口に出してみる。
「それって……ため口でってことですか?」
 言えば「ええ」とコンラッドは頷く。
「はっ?! む、無理です! っていうかなんでそんなことお願いするんですか!」
 相手は年上で、しかも自分よりずっとできたひとであろう人にため口を使うなんて恐れおおい。
 予想もしなかったコンラッドからのお願いに有利は勢いよくぶんぶんと顔を横に振れば、彼は箸をおいてちいさくため息をこぼした。
「……そうですか」
「うっ……」
 なんだろう。さきほど昼食に誘われたときにも思ったが、無理にお願いをすることはせず、こちらの想いを尊重してくれてはいるのだけれど、断りをいれると彼はそれ以上の追求はしないものの寂しそうな笑みを浮かべるのだ。そんなコンラッドの姿が実家で飼っている大型犬がしょげたときの姿を彷彿させてなぜだかすごく悪いことをしてしまったような気持ちになるのだ。
「で、でもなんでそんなことおれに頼むんですか」
 コンラッドの考えていることがわからない。同じエリアを担当しているからとはいえ、今日のように偶然鉢合わせすることなどめったにあることではない。それこそ宅配トラックですれ違うことはあるかもしれないが、話すことなどないだろう。
「これを機にユーリと仲良くなりたいなと思いまして」
 恥ずかしがることなくさらりと言われて、一旦落ち着こうと水を飲んでいた有利は飲んでいた水を噴き出しそうになった。
「……グッ!」
「大丈夫ですか、ユーリ!」
「だ、大丈夫です。……いやこの年になってそういうセリフを聞くとはおもわなかったから驚いたというか」
 基本的に外国人は想いをストレートにぶつけると聞いたことがあるが、彼もそうなのだろうか。
 ああいうセリフは中高学校に入りたてで右も左も知らない同級生ばかりだった頃、幾度か聞いたとき以来だ。大人になれば言わずとも親しくなっていくうちに互いに言わずとも友人になれるものだと思っていたのに。
 ……もしかして、コンラッドには友だちと呼べるひとがいないんだろうか。
 思うもさすがにそれを言うのは失礼だと思い、ほかの言葉を探していると有利の考えを察したのかコンラッドは「ちなみに友人はそれなりにいますよ」と微苦笑した。
「でも、ひとはひとを選ぶでしょう。だれでもいいから仲良くなりたいのと一緒です。本当に仲良くなりたいな、と思った相手にはちゃんと自分の気持ちを伝えておきたいんです。……まあ、言って相手に引かれてしまえばそれまでですけど」
 積極的に見えてどこか一線を引くコンラッドの姿に有利はまいったというようにため息を吐いた。
「……引いたりはしませんけど、でもそこまでしておれと仲良くなりたいっていうコンラッドの気持ちがわからないっていうか……」
 顔は平凡。頭もよく言っても中の下くらい。たいして話題も持っていない。自分を卑下したいわけではないが、自分をどう客観的に見ようとしても自分のなにが彼の好感をあげたのかがわからない。
「言ってもわかってもらえないだろうから、いまはいいません」
「……いまはってことはそのうち教えてくれるんですか?」
 有利の問いに対し「ええ」と彼は頷く。
 ラーメンの麺はもうなくて、残っているのは少量のスープとトッピングされた二枚のメンマ。それがコンラッドへの返答するまでの考える時間。
 有利はさきに麺を食べ、どんぶりに手を添えて残りのスープを一気に飲んだ。
 そうしてどんぶりの底にあらわれた店のロゴをじっと見つめてからまた視線を目の前の男へと向ける。コンラッドのほうはもうとっくに冷やし中華を食べ終えていた。
「……わかった。敬語、やめるよ」
 言うとコンラッドは「ありがとうございます」と嬉しそうにほほ笑んだ。それがいままで見たなかで一番やわらかくほっとしたような笑顔で有利の鼓動が速度をあげる。
「うれしいです」
 仲良くなれるかどうかはまだ出会ったばかりだしわからない。でもすごく感じのいいひとではあるし、こうして一緒にいても居心地は悪くない。……なにより、どうしてコンラッドが自分のどこに好感をもったのかが気になった。
「でも、さきに言っておくけどおれ、口悪いよ。たぶん気が抜けるとコンラッドのこと『あんた』って言っちゃうかも」
「構いませんよ」
 気にしないのでと彼は言い、ちょっとほっとしたもののはたとここで有利は気がついた。
「……っていうか、コンラッドはなんで敬語のまま?」
 こういう場合、普通は互いに敬語はなしじゃないの。と言えばコンラッドは肩をすくめた。
「俺のはもう癖みたいなものですので。ほら、日本語の教材に書かれたもののおおよそは敬語で日本語訳されているでしょう。あれで覚えた影響があるんだと思います。日本人が英語を話すときと一緒ですよ」
「あー……」
 言われて、有利は納得する。
「そういえば友だちもそんなこと言ってかも」
 学校で習う英語はやけに丁寧で遠まわしな文法を使っているらしい。なので実践向きではなく、本場のひとでもときおり丁寧な言葉遣いに小首を傾げてしまうほどだと。けれどそれを理解しても、そうして覚え身につけてしまったものをなおすのは難しい。実際自分も学校で覚えた英語がわからない。そう思えばコンラッドの言う敬語が癖になってしまったというのはしかたがないことなのだろう。
「もうすぐ休憩も終わりですし、そろそろ行きましょうか」
 コンラッドは腕時計で現在の時刻を告げる。休憩は一時間と一応決まっているのだが、実際のところ休憩の間にもお客さんからや職場からの電話がかかってくるので実質休憩は三十分とれればいいほうだ。これ以上休んでいると、なにか問題があったときに慌ただしくなってしまう。有利も頷き伝票を持ったコンラッドのあとをついて行き、支払いを済ませてそのまま店を出ていくコンラッドの裾をつかんだ。
「ちょ、ちょっとまって!」
「なんです?」
「おれの飯代、払うから」
 ズボンのポケットから財布を取り出すと「いいですよ」と財布を開きかけた手をコンラッドが止める。
「いえ、これぐらい払わせてください。俺のわがままを聞いてくださったんですから」
 彼は言うが有利はそれを無視して財布から千円札を抜き、コンラッドの右手を掴んでそれを握らせる。
「ユーリ?」
「あんたのわがままだろうとなんだろうと、それを承諾したのはおれなの! だからここで仲好くなったお礼で奢られるのは違う気がする」
 友人同士、奢ることはあるだろう。しかしそういうのは本当に相手になにかをしてもらったときだ。相談に乗ってもらったり、愚痴を聞いてしまったり理由は様々だが、感謝をするときに奢る。無意味に奢る、奢られるのは対等であるはずの関係が崩れてしまうのではないかと自分は思っている。
 有利が言うと、一瞬コンラッドは目を見開き、破顔する。
「……やっぱり、ユーリに思い切って声をかけてよかったです」
 コンラッドの言いたいことはよくわからないが、彼は手渡された千円札をようやく受けとった。
 そうして駐車場に止めた互いの宅配トラックに乗り込もうとした寸前コンラッドが思いだしたよに声をあげ作業着の胸ポケットから携帯電話を取り出した。
「よかったら連絡先交換しませんか?」
「あ、うん」
「またお互いの休憩時間などに余裕があったときにでもご飯食べに行きましょうね」
 そう言って互いの連絡先を赤外線で交換、確認すればコンラッドが有利が送った連絡先を見ながら「やっぱり」と呟いた。
「なにが、やっぱり?」
「いえ、もりかしたらユーリの誕生日は七月じゃないかと思って……俺の故郷では七月を『ユーリ』と言うんですよ。夏を乗り切って強い子に育つ。七月生まれは祝福される」
 名前というのはこの世に生を受けて初めてもらう贈り物。自分の親がどんな想いをこめてこの名をつけてくれたのかは詳しく知らない。けれど、自分の知らない国で自分の生また月と名前が祝福されているのだと知るといままでさんざん『渋谷が有利なら原宿は不利なのかよ』と馬鹿にされてきた名前が誇らしいものに思えた。
「へえ……知らなかった」
 そうなんでもないように答え有利は宅配トラックに乗り込む。
「ユーリにぴったりの名前ですね。では、また」
 トラックに乗り込んだ自分に手を振る男に有利は「それじゃあ」と平然を装いながら手を振り返す。
 名前を褒めてもらえてうれしくてにやけてしまっていることなど知られないように必死に表情を取り繕って。
 久々に食べたラーメンはすごくおいしいものだった。

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