Happy act undefined/百年後設定


 いつかは、彼に教えようと思っていた。
 しかし告白するにはすこし気恥かしく、そして拗ねた唇を突きだす彼の仕草があまりにもかわいくて言えずにいたのだ。
「なあ、コンラッド」
 だが、もうそろそろ教えていい時期なのかもしれない。コンラートは長くまっすぐに伸びた彼の漆黒の髪をくしで丁寧にすきながら「わかりました」と返事を返す。
「え! まじで!」
「いきなり後ろを振り向かないでくださいよ、ユーリ。髪の毛が絡んでしまうでしょう」
「だって、あんたがそんな風に言うとは思わなかったから」
 呆けた顔でユーリは信じられないんだ、と呟いた。その表情があまりにも幼くて思わず噴き出してしまう。
「あなたが尋ねたのに、そんなに驚かれなくても」と返せば、呆けた表情から一変して、むっと眉根を寄せてユーリはコンラートに詰め寄る。
「もう、何百回同じ質問したと思ってんの、あんた。百年経っても教えてくれなかったのに、突然あっさりいいですよって言われたらそりゃ驚くだろ」
「すみません、なんだか言いだしにくくて」
 コンラートは、悪びれずに謝罪をして詰め寄ったユーリの顎をするり、と掬いより一層距離を縮め、かすめるだけのキスをする。ユーリは、照れもせずあいからわずむっとした表情を浮かべたまま、何百回目かの質問を口にした。
「なんで、ずっと故意におれのこと『陛下』って呼んだりするの?」
「そう呼ぶのことを、俺が楽しんでいるからです」
「……はあ?」
 意味わかんない! コンラートの答えにユーリは声を荒げた。怒っているのだろう。コンラートは「まあまあ、怒らないでください」と青年の抱きしめて、背中をあやすように撫ぜてはなしを続けた。
「言い方が悪かったですね。楽しんでいる、というより幸福を噛め締めているんですよ。あのやりとりに。王であるあなたが、俺の伴侶であるただのひとりの男になる瞬間を」
「……言い直されてもやっぱり、意味わかんねえ。もっとわかりやすい言葉で言えよ」
「ですから、あなたが俺にあのやりとりに望むことと一緒ですよ。王という肩書きもそれに関わるしがらみの発端である『陛下』という言葉の拘束から、俺だけが救い出すことができるあの瞬間。あなたを『ユーリ』にする瞬間が俺はしあわせでたまらないのです」
 ねえ、ユーリ。そうでしょう? と、ユーリの耳に口唇をあてて囁けば、撫ぜていた彼の背中がふるりと震え、唇を押し当てている耳から熱い熱が伝わる。
「……あなたをただひとりの男にしてあげられるのは、俺だけなんですよ」
「ば、かなこと言ってんなよっ。くだらねえ」
 ユーリは、コンラートを胸を押しのけた。
 口唇を押し当てていた右耳を押さえ、コンラートを睨む。極度の羞恥心に見舞われると口調が悪くなるのはユーリの癖だ。もう百年も経つというのに直らない。それから、誘うような上目づかいに睨むところも。
 本当に、かわいくて参ってしまう。
 どろどろと表情筋が崩れて、頬を緩むのが自分でもわかる。
「あなたに愛しているというのも、陛下からユーリと言い直す権利も俺だけに与えられた行為。幸福な行為。これからさきも俺は、故意にあなたのことを陛下と呼びます」
「いやいや、やめろ! 恥ずかしいからやめてくれ!」
 本気で嫌そうに、顔を未だ朱に染めてユーリは顔のまえでぶんぶんと、両手を振る。理由を知ったいまでは、まあそうなってもしかたないかな、とコンラートは苦笑いするが「いやです」と即答して、ユーリの手を掴むとそのまま引きよせ、近くにあるソファーへと一緒になだれ込み、ユーリを組み敷いた。それから目を逸らそうとする彼の頬を咎めるように両手で押える。
「くだらなくとも、俺にとってはしあわせなんです。ねえ、お願いですから、俺からしあわせを奪わないで」
 わずかに声のトーンを落としてコンラートが言えば、ユーリは頬を朱に染めた仏頂面で舌うちをした。
「あんたは、本当に性格悪い。……あんたのお願いごとをおれが断ることができないって、」
「ええ、わかっていてあえてお願いしたのです」
 ユーリの答えを先読みしたコンラートは笑顔で言う。
「そろそろ言ってもいいと思った本当の理由は、あなたにもこの幸福を味わって欲しかったから」
 愛するひとの名を呼べるしあわせを共有したかった。
 コンラートは、互いの口唇が触れる距離で囁き、もう一度「ユーリ」と彼の名を呼んでキスをする。さきほどの掠めるようなキスではなく、ふたりのからだに熱を孕むような深いキスを丁寧に、ゆっくりと。水音が室内に響き、ユーリが小さな母音を零しながらコンラートの髪に手を差し込む。必然とキスが深くなる。
 それから、どちらともなく唇をはなすと、昼間に似合わない銀の糸がふたりの間にみえた。
 ユーリはそれを指で切って、すこし言い淀んでからおずおずと口を開いた。
「そんなくだらないしあわせ、おれもとっくに知ってるよ」
「そうですか」
 コンラートは笑い、ソファーに散らばる漆黒の髪をみて「また、とかし直さなければいけませんね」と言った。
「そうだな。でも、それはまたあとで。いまはあんたともっとくだらないしあわせってもんを共有したいよ。もっと、名前呼んでキスして……それ以上のことをしたい。あんたは?」
「そうですね、」
 ユーリが恋愛に関して成長したと感じるときは、こういうときだ。初々しく頬を染めて照れたように暴れるのではなく、羞恥を覚えても、すぐに感情を整理して故意に色香を滲ませて誘い文句を口にしてくれる。
「あなたを抱きたい」
 ふたたび唇が重なる瞬間、ユーリが声をあげた。
「どうしました?」
「ドアの鍵」
「ああ、もうとっくに閉めてあります」
 飄々とした表情でコンラートが告げるとユーリはおかしそうに笑う。
「本当に、あんたって嫌に準備のいい男、最低」
 でもそういうところ、好き。
 言って、ユーリはコンラートを顔を引き寄せた。
 柔らかで甘いキスを堪能しながら、今日もコンラートは幸福行為に身を投げた。
 愛する者とともに。

END
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