officeLove?2



 ――連れていかれたのは、個人で運営しているであろう割烹料理屋であった。席と席との間に空間があり、すだれが引いてある落ち着いた店だ。
 吉田はちらりと店内を見渡し最後に草木の背中を見る。
 相変わらず、いいお店を知っている。
 草木はよく飲み会があると幹事を任される。彼の人柄もあるだろうが、彼に頼むととても雰囲気が良い店を提供してくれるのだ。
 電車のアクセスも良く、料理もうまい。飲み会で使用された店はその後、社員がデート使用することも多いとも聞く。自分もそのひとりだ。
「とりあえず、生をふたつ」
 席に着くなり、草木は注文をし店員がいなくなると、メニュー表を開いた。
「なにか食いたいもんとかあるか?」
 尋ねられ、吉田は「いえ、ありません」と答えた。仮にも先輩に強制的に連れてこられたとはいえ、こんな失礼なことをよくないと脳裏に一瞬よぎったが、草木に対して気を使うことはないと判断を改める。
 どうせ気を使ったところで草木「余計な気を使うな」と窘められてしまうのが目に見えたのだ。
 無愛想な自分に対し、草木はさして気にとめていないようで「わかった。じゃあ、勝手にいくつか注文するな」とメニュー表をぺらぺらとめくる。
 と、すぐに注文した生ビールとお通しをもってさきほどの店員があらわれた。
「生がふたつとお通しですね」
「あ、すみません。注文をしていいですか」
「はい、どうぞ」
 店員が注文を促すと草木は料理を次々に注文していく。決してやすくはないだろう値段とこんなに食べきれるのかと思う料理の量。
「じゃ、これでお願いします」
 店員は値段や量など気にしていないように表情を崩さず注文を繰り返すと軽く頭をさげて行く。
「……よく、食べますね」
「まあねそのうち歳食ったら好きなもん食べれなくなるんだからまだ胃が元気なうちに食いたいもんは食うつもりでいるから。それにこんだけ頼めば、お前の口に合いそうなもんひとつくらいは出てくるだろ」
 なんでもないようにさらり、と言う草木に吉田はなにも言えなくなってしまう。
 なにも言わない自分を草木は「なに、優しい先輩だなって感激しちゃったワケ?」とからかう。
「……ばかなこと言わないでください。先輩としては尊敬していますが、ひととしてはあまり尊敬できませんね。……たとえば、こうしておせっかいを妬いているふりしてあの日のことを探りをいれようとするところ。性格が悪いなと正直思います」
「ほんと、お前正直ね……っと」
 ビールとお通しに枝豆がテーブルにのる。
「料理のほうはもう少々お待ちください」
「はーい」
 並々と注がれたビールのジョッキをこちらに傾ける。しかしこちらがジョッキを掴まないのがわかると勝手に『カチン』とグラスをぶつけた。
「乾杯」というそれを無視して吉田が水を口へと運ぶ。
「ほんと、可愛げないなあ」
「可愛くなくてけっこうです。あなたに仕事以外で愛想を振りまきたくないので」
 言うと、草木は肩をすくめてニヤリと口端を吊り上げた。
「あんまり可愛くないこと言うなよ。……っというか、構われたくないならそんな顔をするな。吉田って交際経験豊富なくせになにを学習してんだ?」
「……は?」
 言っている意味が分からない。首をわずかに傾げるとより草木は笑みを深めた。
「ま、わからないのも仕方ねえのかもな。ゆうりって言ったっけ。俺が教えてやった個室の居酒屋で押し倒して、店にもそれから俺にも迷惑をかけた原因になった男の子の名前」
「っ!」
 もうすぐ一か月が経つというのに、いまでもあの日のことが鮮明に思い出され、吉田はひゅっと息を飲む。

 ――……一か月前。渋谷を草木が一度連れて行ってくれた店で押し倒した。押し倒して、ヨザックに殴られて、渋谷に振られて。それだけでも恥ずかしいのに、自分は草木にお世話になることになった。本当は警察へ連れて行かれるはずだったそのとき、どういうわけだが草木が現れたのだ。店長と草木は何度か言葉を交わすと店長は長くため息をついて『今回は特別ですからね』とお咎めなしとなりそのかわり、なぜこうなったのか洗いざらい吐かされた。
 振られたにしてはやけに心はすっきりしていたが、それでも悲しいことには変わりはなく、自分は失恋のショックでみっともなくこの男のまえで泣いてしまったのだ。
 あんなことがあったのだ。お節介を妬く草木があれだけでなにもしないとは思っていなかった。いつか指摘されるとわかっていたのに、いざこうして言われるとなると心臓が破裂しそうになる。
 自分が犯した罪。そしてこのひとの前で泣いてしまったという失態で。
 もとより研修時に帰りに寄ったゲイバーで草木には自分の性癖は知られていた。まさか、職場の人間と偶然ゲイバーで会ってしまうことには驚いたものの、自分が男女問わず恋愛対象であることはさして隠していたものではなかったのでその場でカミングアウトをした。ゲイバーにいる時点で草木も同じような性癖を持っていたのは明らかであったのもある。
 性癖やらを知られたことには、どうでもいいのだ。好意を寄せていた相手に犯罪をしでかしたことも本音を言ってしまえばバレても構わなかった。けれども、自分がだれかの腕のなかで泣いてしまった、それがなによりも吉田の心をズキズキと痛めつめた。
 人前で泣くなど吉田のプライドが許さなかった。
 自分のことは自分でどうにかする。それがどんなことであれ、ひとに頼ることはしたくない。
 甘え、甘やかしてくれるひとは吉田にとってなにより苦手な存在である。ひとは誰しも、自分にとって有益だと思うモノをつきあう基準としてつき合う、と吉田は考えている。
 現に仕事がそうだ。中小企業との間にある絶対的信頼よりも大手企業との少々リスクを持った仕事のほうが金になる。会社の利益になるのなら、皆平然と心とは裏腹に相手のことを誉めちぎる。もっと身近で例えれば、部下が上司を煽て気に入られようとするのと同じだ。純粋に甘えているのでも甘やかしているのではない。互いの心のなかで相手が自分にとって有益な何かを手にしているからこそ、関係を持つのだ。
 ただ唯一の例外は渋谷だけだ。彼ほど純粋に相手を慕い、自己犠牲すらいとわない健気な姿を見たことがない。
 あんなに純粋な人間はきっと彼しかいないのだ。
「いまでもあの子のこと好きなの?」
「……好きですよ。でも、彼の悲しい顔はもう見たくない。未練がないわけでもない。だけどもう二度とどうこうしたいとは考えていません。ぼくがひとりで引きずっているだけなんです」
 自分に恋をすることを教えてくれたひと。自分よりもずっと年下な彼はいろんな感情を教えてくれた。失恋の痛みもなにもかもがはじめて与えられたひと。与えられたそれらがまだ整理できてないだけ。「ふぅん?」
 賑わいをみせる店内とは対照的に草木とふたりで腰かけるこのテーブルだけは空気が重い。そんな雰囲気を知らぬ店員が「失礼します」と次々と料理を運んでくる。一通りものを運び終えるとすぐさま背中をみせ出て行く。
 ずらりと溢れる料理に美味しそうなにおい。生ビールとお通しだけであったテーブルが賑やかになったとはいえ、空腹を刺激するものではない。
「……まあ、いいや。話は一旦終わりにしよう。まずは飯だ、飯」
 人の弱みにつけこむように、あの日をぶり返したくせにあっさりと引くからまた憎たらしい。
 そこまで考えて、思考を停止させる。
「ほら、なにボケっとしてんだ。箸を持て、箸を」
「……はいはい」
 吉田は箸を持つ。食べる気力はないがここは素直に草木に従おう。これ以上、変につけこまれたくない。
「これ、うまいぞ。お前も食え」
 行儀悪くも、箸でうまいと言った料理皿を指し吉田はそれに口をつけていく。
 お腹は空いていない。けれど、互いにこうして口になにかを突っ込んでいたほうがいい。なにも喋らないほうがいい。
「おいしいだろ」
「ええ……」
 あのまま、自分らしくないなにかを口走ってしまいそうなそれらをすべてさして味のしない料理を次々と放りこんだ。
 ありえない。
 ……聞いてほしい、と思ったなんて。

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