officeLove?1


※こちらは『voiceLove?』に出てきた吉田さんのその後話になります。

 吉田尚人(よしだなおと)のはじめての交際は十四歳である。
 中学二年にあがった二月だった。バレンタインデーに女子に告白をされて付き合うようになったのだ。
 それから、出会いと別れを繰り返して――今年で二十七歳になる。
 いままで相手に困ったことはない。自分でいうのもどうかとは思うが容姿は男らしいとは言えないものの顔立ちは整っているし身長は平均よりは高く、中学、高校、大学と近辺では優秀校だと噂されていた学校に進学を果たしている。
 いままで自分から告白をしたことなどなかった。
 なんとなく一肌が恋しいと思い、いいなと感じたひとがいればおおよそのひとが自分の手をとってくれた。
 なので『ひとを好きなる』ということがいまいち自分のなかでは実感できずにいた。
 ――だから、きっとあれは二十七年間生きてきてはじめて『恋』をしたということになるのだろう。
 甘酸っぱいとはいえないほど苦く切ない『初恋』だ。
 吉田は、目の前にある鯖のみそ煮定食を箸で突きながら『初恋』の日々を回想し反省し、ひっそりとため息をついた。
 ……あんな風にあの子を追い詰めようとは思わなかったのに。
 あの子というのは、女装喫茶『KATHAEN』でアルバイトをしている渋谷有利のことだ。女装喫茶で働く子のおおよそは女装が趣味で、その趣味を隠すことがなく生業にできることを目的として働いているようであった。けれど、渋谷有利『KATHAEN』での芸名では『ユウコ』は女装の趣味もなければ、自分のように男を好むようには見えなかった。
 女装をするのが恥ずかしい。『KATHAEN』の雰囲気に圧されているようなびくびくとしている、というのが吉田が渋谷に抱いた第一印象であった。
 吉田はよく『KATHAEN』を利用する。
 利用する理由のひとつによく夕飯は外食ですませることがある。料理を作るのが苦手というわけではないが、料理を作るのがめんどうなのだ。またひとりで食べるのも味気ない。かといって職場の人間と仕事終わりまで関わりたくない。
『KATHAEN』は仕事場から近い場所にあるが、大通りからわずかにそれた小道に建っていて、知り合いとかおをまず合わせることがなく、若干ファミレスなどよりは料理の値段は高いが料理の味もよく、適度な距離感と店内の雰囲気も良いので吉田は自然と足を運ぶようになったのだ。
 そうすると必然的に久しぶりにはいった新人である渋谷を目にするようになる。最初のうちはさして彼に興味はなかった。が、来店するたび徐々に店の雰囲気にも慣れ、警戒心や羞恥心がほどけてきた渋谷のくるくる変わる表情に気がつくと吉田は目で追っていることに気がついた。
 渋谷は、自然とひとを惹きつけるタイプなのだろう。入ったばかりでまだ客には名前をあまり覚えられていないものの、先輩たちには可愛がられているようであった。
 その初々しさに顔には出さないものの、吉田もまたかわいい子なのだなと感じていた。
 ただ、その時点ではさして渋谷に興味は抱いていなかった。仕事にも慣れて渋谷がホールで働くようになり、時折自分のオーダーをとるようになってもポイントカードの得点を使って指名しようとも考えたことはなかった。渋谷もたしかにかわいいがほかにもかわいい子はいる。
 自分にとって、渋谷の存在はいるようでいないような存在であったのだ。
 けれど、そのような存在であった渋谷の存在が百八十度変わることが起きた。
『なにかいやなことでもありましたか?』
 吉田は顔に感情を表さない。感情を表に出してうまくいった人間をみたことがない。だから、どんなに疲れていようが、憤慨していようが表には極力出さないように努めてきた。なのに、注文したペペロンチーノをテーブルに置きながら彼は言った。
『は?』
 吉田は思いもしなかった渋谷の問いに唖然とした声を漏らした。それが、渋谷には聞こえなかったのだろうと思ったのだろう。
『顔色があまり優れないように見えたので、なにかいやなことでもあったのかなって』

「――おい、吉田。飯で遊ぶな。昼休憩もうそろそろなくなっちまうぞ」
 ふいに名を呼ばれて吉田は意識を浮上させ、長机の向かいに腰を掛けた男にわずかに眉をひそめた。
「草木さん……」
「うわ、いやな奴が来た。みたいな顔してんじゃねえよ」
 わかってるじゃないですか。
 吉田は喉まで出かかったセリフを飲み下す。
 草木圭吾(くさきけいご)は吉田の先輩だ。
 自分がまだ新人だと呼ばれていたころ、研修を担当をしてくれ、いまでは同じチームとして活躍の場を提供してくれるできる先輩である。己の才能を鼻にかけることなく、だれとでも気さくに交流ができる草木は上司や部下にも好かれ一目置かれる存在だ。
 もちろん、吉田も草木のことは尊敬している。だがそれは仕事の面においてだけで、個人的にこうして絡んでくる草木は苦手なのだ。
「そう邪見にするなよ。ほら、さっさと食っちまえ。休憩が終わったらプレゼンテーションが待ってんだから。飯食うのが遅くなって、最終確認がおざなりにしてほしくねえんだけど」
「わかってますよ。もう食事は済みましたから、会議室に向かいましょう」
 吉田は鯖のみそ煮をつついていた箸を置き、口内に残った味やかすなどを流しこむように水を飲み干し席を立とうとすれば、おぼんを持っていた手を掴まれる。
「なんですか」
「全然食ってねえじゃん」
「もう十分ですから」
「食べ物を粗末にするなと学校で教わらなかったのか?」
 咎めるように言う草木に吉田は「めんどうくさいな」と思う気持ちをため息に溶かした。
「……食欲がないんです。勘弁してください」
 投げやりに答えたものの、決してそれは嘘ではない。渋谷に振られてから、空腹を感じない吉田にとって食事はただの苦痛でしかないのだ。
 掴まれていた手くびを軽く払い、もう一度立ち上がるとさっさと返却口にさして手をつけていない定食が乗ったおぼんをさげる。すると、後ろからすぐに追いついてきた草木がぽんと吉田の肩を叩いた。
 さきに行ってくれればいいのに。思うも草木という男の性格は自分もわかっている。草木は世話焼きなのだ。
「食欲がないのはしかたないだろうが、これでも食え。これなら食えるだろ」
 手渡されたのは携帯用の栄養食品。「いいです」と断りをいれたが、有無も言わさず握らされるそれに吉田は軽く会釈と礼を述べた。
「どういたしまして。ほら、歯ァ磨いたら最終チェック済ませるぞ」
「……はい」
 そう言って肩をぽん、と叩きそのまま肩を抱いたまま歩きだす草木に吉田はやはり苦手な人種だな、と改めて実感する。
 ほっといて欲しいのに。
 気付いてほしくないのに。
 草木は、自分を構うのだ。

* * *

 無事プレゼンテーションも終了し、先方との取引き内容をまとめていると気がつけばとっくに定時を過ぎていた。
 ちらり、と腕時計で現在時刻を確認すれば、二十一時を過ぎている。まとめた書類をコピーし、会社内部で使用されているアドレス帳から今回のプレゼンテーションのリーダーである草木へとメールを送信して荷物をまとめていると、パソコンからワンフレーズの機械音が流れた。その音は、メールの着信音だ。
 吉田は荷物をまとめている手をとめてマウスを動かした。メールの相手は草木。もうとっくに帰宅していると思っていたのが、草木もまだ社内に残っていたらしい。メールを開いてみれば一言メッセージのみであった。
『そこで待ってろ』
 資料に不備があったのだろうか。わずかにひやりとした焦りがのど奥に落ちていく。
 どんなに年を重ね、失敗を繰り返していても、いまから怒られる、というのにはどうにも慣れない。こういうものは慣れてはいけないものだとは理解しているものの、やはり気が滅入るものだ。
 メールを受信してから五分もたたないうちに、草木は室内に顔を出し、それから小首を傾げた。
「吉田、なんで支度してないんだ? まだ、仕事が残っているのか?」
 首を傾げたいのはこちらのほうだ。草木の言っている意味が理解できない。
「そこで待ってろって言ったじゃないですか。さきほど送った資料に不備があったから、あんなメールをよこしたのでは?」
 言うと草木は首を横に振る。
「メールがきたからまだ吉田も残ってたんだなと思ってな。夕飯に付き合ってもらおうと思ってメールしたんだ」
「……誤解を生むようなメールを打たないでくださいよ」
 呆れ口調で吉田が咎めるも、悪びれる素振りも見せずに「悪い、悪い」と草木は謝罪をくちにする。
 それを横目に吉田はデスクに広げていた資料の束を片付けて、手早く支度をすませた。
「おい、俺が言っていたこと忘れたのか?」
「なんでしょう」
「夕飯一緒に食べようって言っただろ」
「ぼくはそれを承諾していません。仕事以外で会社のひとと関わりたくないんです」
 吉田が言うと、草木はにやりと意地の悪そうな顔を浮かべ肩をすくめた。
「仕事以外で関わりたくないお前が、仕事以外で俺に迷惑をつい最近かけたのを忘れたのか?」
 草木の言葉に吉田は足を止め、言いかえそうと口を開いたものの、反論する言葉が見つからずに口を閉じ、草木から目を逸らした。
「ほら、飯食いに行くぞ。喜べ、俺のおごりだ」
 なにが喜べ、だ。奢ってもらってもまったく嬉しくない。
 そう思うものの、吉田はうな垂れるように頷くことしかできなかった。
 
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