今年の夏休み、コンラートは母方の実家、ドイツへと帰郷していた。
 日本に留学してからこれが初めての里帰りである。
 いままでは、長期休みに入ったとしても里帰りはせず、国際電話で互いのはなしをしていたのだがそのたび母親には『一度顔を見せてちょうだい』という申し出をなにかと理由をつけては断っていたのだ。
 けれども、それで母親が納得するわけもなく、今回はコンラート宛てに飛行機のチケットが送られ、ここまでされて断ることもできずコンラートは実家へと帰ることになったのである。
 家族に会いたくなかったわけではない。家族はとてもやさしい。けれども、自分の家族はほかの家族と比べると少し特殊な構成になっている。
 母の家系は巷では知らぬ者がいないというほどの某貴族の末裔で、大富豪。そしてコンラートの母は恋多き女性であり三人の男性と恋に落ち、その男性たちの子を身ごもったのだ。コンラートは血が半分しか繋がっていない三兄弟の次男として生まれてきた。とはいえ父親が違えど、兄弟の仲が悪いわけではない。けれど周囲の目は冷やかなものであった。
 とくに長兄と末弟の父もまた母の家系に負けず劣らずの名のある貴族であり、自分の父親だけが一般人であることが。いまの時代、そのようなことにこだわるのもどうかと思うし、自分自身は影口を叩かれたとしても気にもとめることではなかったが、自分がそう言われることで家族にも迷惑をかけるのなら、あの家にいるべきではないとコンラートは考え、日本へと留学したのである。
 とはいえ、それは里帰りしたい最大の理由ではない。ただ単純に自分はユーリと過ごす時間を減らしたくなかったのだ。
 学校があるときは休日や放課後一緒に帰ることしかできない。けれども、夏休みとなれば会える時間も増える。そう思って今年もまた、ユーリと近所の夏祭りへ一緒に行く予定を立てていたのだ。
「……里帰りするとは言っても、長くて一週間だと思っていたのに」
 コンラートは、日本の気候特有の湿気を帯びた暑さと日差しの反射により蒸したアルファルトの熱でうっすら浮かぶ汗を拭いながらぽつりと呟く。
 まさか、一週間の滞在だと思っていたのに夏休み期間をずっとあちらで過ごすことになろうとは。
 大学生である長兄グウェンダルは、いつも眉間にシワを刻む一見強面もしくは無愛想に見えるがなにかと面倒見がよく出された夏休みの宿題を見てもらい、一時父親のことで距離を置かれていた末弟ヴォルフラムともなんとなくではあるが、以前よりずっと良好な関係を保っている。日本特有のことばであらわすならヴォルフラムは『ツンデレ』でちょっとツレない言い方ではあるが、コンラートをいろんな場所へと連れ出してくれた。
 母や兄それから弟はずっと自分のことを心配してくれていたのだろう。一日が終わるごとに、明日の予定を話す彼らにすぐに帰りを切り出せずに――始業式の前日に帰国することになってしまった。
 ひとり暮らしをしているマンションは、母の古くからの付き合いがある黒い眼鏡が印象的な『ボブ』という男性が管理してくれ、面倒をみてくれる。なので、ユーリにも連絡を入れてくれるだろうと思うが、夏休みに一度もかおを見ずにいたことはこれがはじめてで、ものすごく彼に会いたいと思う反面会いづらい気持ちがある。なにより、ユーリは家族と仲が良いし友人も多い。考えたくはないが、おそらくユーリは充実した夏休みを過ごしていたに違いない。自分にとってユーリは特別な存在でも、ユーリにとっては友だちのひとりなのだから。
 ユーリは『好き』と言ってくれるが、その『好き』は『Love』ではなく『like』。好きの矛先がちがう。
 彼のかおを見たい。でもはなしをするとして話題に上がるのは夏休みのこと。自分以外のだれかとどこに出かけた、なんて正直聞きたくなかった。
「……俺ってほんとうにガキだな」
 己の感情を抑制できないのが、いやになる。
 今日の朝も、学校の通学路の途中にあるユーリの家を避けるようにきてしまった。
 我ながら行動や思考が女々しくて情けない。今日は始業式であったこともあり、授業はなく顔合わせる程度で夏休みに出された課題を提出して昼過ぎには学校は終わった。
 高校もおそらくそうだろう。ユーリはなにをしてるのだろうか。
 指定カバンのなかには今日の提出物と、ユーリへのお土産と彼の家族への土産が入っている。彼に手渡ししたいが、今日は会いたくない。
 高校のほうがユーリの家とは距離があるし、早足で向かえばユーリとはち合わせをせずに彼の母親である美子さんに渡すことができるかもしれない。
 もう目のまえには、ユーリの自宅の目印である噴水公園。昼過ぎだからか、ひとけもない。
 歩いている途中で、学生にも会わなかったしもしかしたらユーリもだれかと遊びに行ってるのかもしれない。
 ――と。
「……コンラッド!」
 後方から自分の名を呼ぶ声がする。『コンラッド』と呼ぶのはひとりしかいない。
「ユーリ?」
「やっぱりそうだ! コンラッド、久しぶり!」
 自分のすがたを見て走ってきてくれたのだろうか。ユーリの息は切れ、声は弾んでいる。
「お久しぶりです。……どうかしたんですか?」
「いや、とくになにかってわけじゃなかったけど。今年の夏休みコンラッド、実家に帰ったって聞いてそれから全然会えなかったから。会いたくなっちゃって」
 彼のことばに鼓動がひとつ高く跳ねる。
 わかっている。そのことばに深い意味はないということは。それ以上を期待してはいけない。
「……すみません。夏祭り、約束したのにすっぽかしてしまって」
「気にしないで。全然会ってなかったんだろ。親御さん心配してたと思うし」
 言ってこちらに笑顔をみせるユーリの笑顔は、夏休みを満喫したのか日に焼けている。
「あの……」
「ん、なに?」
「あの、ユーリはこの夏休みはどこに出かけたんですか?」
 こんなこと言いたくないのに、言う気もなかったのにやっぱり気になってしまいくちにしていた。
 ――胸の奥がざわざわする。
 けれど、自分の持ち合わせるこの気持ちはやはり彼に通じるはずはなく、夏休みのことを回想しているのか宙に目をそらすと家族と江ノ島へ小旅行へ行ったり、彼の友人である村田健と海の家でアルバイトに勤しんでいたらしい。
 ひとつを思い出すと次から次へと楽しい日々が思いだされるのだろう。楽しそうにはなしてくれる。
「とてもたのしかったんですね。それはよかった」
 そう言った気持ちにうそはない。でも、半分はやはりつまらない嫉妬が胸に渦巻いている。
「おう! あ、でも……」
「はい?」
 そこまで言ってことばを切ると、わしゃわしゃと後頭部を掻き毟る。その仕草の意味がわからず、思わず小首を傾げると照れくさそうにさきほどよりわずかにこえのボリュームを落としてまた続きを切り出した。
「たのしかったんだけど、毎年コンラッドと一緒にいる時間が多かったからかな。どんなとこにいてもコンラッドのかおが浮かんじゃって……」
「え、」
「その、ちょっと、さびしかったっていうか。だから次の休日もし空いてたらどっか遊びに行かない? あ、それとこれコンラッドにお土産」
 手のひらにのせられたのは、白いライオンのぬいぐるみのキーホルダー。マリン柄の浮き輪がお腹についていて可愛らしい。
「これ、海の家のマスコットキャラクターなんだ。見た瞬間コンラッドっぽいなって思って」
「俺っぽい?」
「うん。コンラッドって白いライオンがおれのなかでイメージがあってさ……でも、ちょっと男には可愛すぎたかな。イヤだった?」
 手のひらにのせられたキーホルダーをみつめ黙っていたそれが、ユーリに自分が不満だというように見えたのだろう。不安そうにこちらの様子をうかがう。
「イヤじゃないです! すごく、うれしくて……ありがとうございます」
 二か月。会えなかったのは残念だったが、自分のことを思い出してくれたことやこうしてお土産を買ってきてくれたことがとてもうれしい。
 彼の一挙一動でこうも気持ちが晴れ晴れとしてしまう。ほんとうに、安い男だ。
「ああ、俺もユーリにお土産買ってきたんです。はい、これ。それとこれは母からユーリの家族へ」
「おー! こんなにありがとう」
 ぎゅっと渡した土産を抱きしめるユーリはほんとうにかわいい。思わず笑みがこぼれてしまう。
 ――と。
「ユーリ、すみません。……動かないで」
 そっとユーリの前髪に手をのばす。
「え? わっ?! ななな、なに!」
「失礼。でも前髪にゴミがついていたので。ほら」
 まさかこんなに驚くとは思わなかった。しかもわずかばかり、ばつ悪そうなかおをしている。
「あの、生意気なことしましたか?」
 仲がいいとは思うが、年下の相手にこんなことをするのは彼の気分を害してしまっただろうか。
「いやいや、違うよ! コンラッドを見かけたときも思ったんだけど、やっぱりコンラッドって背ぇ伸びたと思って。それにちょっと大人っぽくなった」
 言われてみれば、ドイツへと帰ったときも家族に『大人っぽくなった』と何度か言われた気がする。しかしあれは数年ぶりの再会があったからこそで、自分自身若干シャツの肩幅が狭いとは思っていたがさして気にとめることもなかった。
 たしかに、以前よりもこうしてユーリと目をあわせるときの視線の位置が変わったようにも思える。
「あんまり、まじまじとおれの顔見ないでよ。なんか、恥ずかしくなってきた」
「すみません。言われてみて、そういえば心当たりがいくつかあったなと思い出していました」
「コンラッド、成長期に入ったんじゃない? これからぐんぐん格好よくなっていきそう」
 まさか彼のくちから『格好いい』なんて聞けるとは思わなかった。
「……格好いい? 俺が?」
 なので無意識にユーリのセリフをオウム返ししてしまう。
「え、自分で自覚ないの? コンラッドは格好いいよ。おれが知ってるなかでいちばん格好いい」
 純粋無垢。そんなことば似合う笑顔で褒めてくれるそれがうれしくて、ちょっとだけ気恥ずかしい。
「ん? コンラッド、顔があかいぞ。……もしかして、暑さにやられた?」
 心配そうにユーリがコンラッドの顔を覗きこむ。
「もしよかったら、おれの家で休んでけよ」
「しかし、そんなご迷惑をかけられません」
「迷惑なんかじゃないよ! それに、おれがコンラッドと一緒にいたいんだ。コンラッドがどんな夏休みを過ごしたのか聞きたいし」
 恥ずかしげもなく、そんなことを言ってしまうからユーリにはほんとうに困ってしまう。
「では、おことばに甘えて」
「おう!」
 顔が赤くなったのは夏の暑さだけじゃない。
 ――大好きなあなたにうれしいことばかり言われたからですよ。
 など正直に言えるわけもなく、コンラートはひそやかに喜びを噛みしめたのだ。

その中学生、成長期。
(あともう少しで、あなたの身長に並ぶ。あなたより背が伸びたら……そしたら、)





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