天の邪鬼なフィリップ1


 私は、これと言った職に就いていない。
 その日限りの雇われであった。とはいえ、いつも声がかかるわけでもなく、一週間、二週間と仕事をしない日などざらにある。
 しかしそれでも最低限の生活をできていたのは、毎日、外へ出てはゴミを漁っていたからだ。ゴミを漁っていたとはいってもゴミ袋を漁っていのではない。道端に転がるゴミを片付け、そのゴミのなかで再利用ができそうな鉄や、鉱石の欠片を集めて、売っていたのだ。大金とはいかないが、それでもないよりはましだ。そうしてこつこつと集めた硬貨を切り崩しては、日々の生活にあてていたのだ。
 自分が住んでいるのは眞魔国。魔族が暮らす国である。魔王が住む血盟城から見降ろした場所にある城下町の隅のほうで、近辺の家の者は王に仕える兵となり、その稼いだ金で家族を養っている。
 兵の仕事は厳しいものの、それに伴わない賃金だといつか聞いたが、それでも身よりのない私よりは生活に余裕のある者ばかりだ。毎日、目を皿のようにして地面を見つめる自分を周りの者は「卑しいじじいだ」とそやした。
 もう数十年とむかしのはなしではあるが、私には家族がいた。美人とはいえないがきだてのいいやわらかな笑顔を常に浮かべる妻がいたし、ふたりの娘にも恵まれていた。娘たちは妻に似ておだやかな性格で要領もよく、手先が器用でいつも私の破れた服なども繕ってくれた。あのときは、私も職に就いていて、平凡ではあるがしあわせであった。
 けれどもそのうちに妻が病にかかってしまった。
 肺を患い、余命一年もないと言われたとき、私は妻の傍を片時も離れることなく傍についていたいと思い仕事をやめた。それなりに貯えもあったのだ。しかし、薬代は高くすぐに貯えもなくなってしまい、再び仕事をはじめた。高い薬が、妻の病を治してくれるわけではなくただ命の延ばすためであるとはわかっていても私は妻を失いたくなかったのだ。
 だが、それも長くは続くこともなく、私が出稼ぎで家を空けていたあいだに妻は息を引き取った。
 ……妻の死に際には会えず、高い薬代は働いた金では足りず借金を背負った私は娘たちを親戚へと預けた。
 それからだ。周りの目が変わったのは。
『妻を見殺しにし、それだけではなく娘たちも売った冷徹非道な男――フィリップ』
 私はそう呼ばれるようになった。
 間違いではない。これらのことばを私は甘んじて受けなければならないのだ。妻を皆殺しにしたことも、娘たちが自ら働くために家を出たこともすべて事実なのだから。
 こうして私、フィリップは金に卑しい冷徹非道な男として周りに知られるようになった。
 新聞を取る金もない私は、路上でくしゃくしゃになった新聞で情報を手にしている。あとは暇を持て余して井戸端会議をする主婦たちの噂から。
 そうして数年が経ったとき、魔王が代替わりすることを知った。が、私にはどうでもいいことである。
 魔族の寿命は人間と比べるととても長い。魔王が代替わりしたのを何度か見たり、もしくは歴史でどのような魔王がいたのか知っている。けれどもどの魔王もこの国を変えた者はいなかった。革命を起こしたのはそれこそ、眞魔国を創った眞王だけだろう。ほかの王は似たり寄ったりだ。
 ただ、今回の二十七代魔王は十六歳であり、瞳も髪も黒い双黒であるという点は私の興味をひいた。しかし、それだけのことだ。見目が美しくとも、十六歳。まだまだ幼い子供がこの国を変えることなどありえない。
 二十七代魔王は『この世界を平和にする』と豪語しているようだが、そんなの夢物語にしか過ぎないのだ。
 そのうちに、新魔王を祝う祭事が催され、多くの者は一目魔王を見たいと血盟城へと足を運んだようであったが、私には関係ない。
 私はもう、だれにも期待していないのだ。自分自にも期待はしていない。この先の長い人生が変わることなどない。ほつれたままの薄汚れた服をまとい、妻と同様ひとりで看取られることなく死んでいく――はずだった。
『こんにちは、おじさん。掃除してるの?』
 と、とある少年に声をかけられるまでは。
 最初、自分にはなしかけているとは思わなかった。
 かれこれ数年は、だれに声をかけられたことはなかったのだから。
「ねえ、おじさんってば!」
 けれどゴミ拾いをしている私のかおを少年が覗きこんだのでようやく少年が私にこえをかけているのだと知る。
 少年は、赤茶色の髪と瞳をした容姿の整ったかおをしていた。その顔立ちからして魔族年齢で言えば八十代くらいだろう。
「ゴミ拾いしてるの?」
 初対面のくせに馴れ馴れしいというか、人みしりをしない性格をしているのか。一瞬、私はかおをしかめたが、悪気はないことだけはわかった。どこかの貴族なのかもしれない。少年の後ろにはこれまたかおの整った男がいる。男は少年の付き人なのだろう。
 ルッテンベルクの獅子と世間を騒がしたコンラート・ウェラー。第二十六代魔王の息子の肖像画にとても良く似ている。似ているが似ているだけであろう。彼がこんなさしておもしろくもない町の片隅にいるわけがない。
 少年は『ミツエモン』付き人の男が『カクノシン』と聞いたことのない名前を私に名乗った。
 どうも少年もといミツエモンは、私の行動に興味があるらしい。興味心身といったようにゴミ袋のなかをみている。
「おじさんの名前は?」
「……フィリップだ」
 不思議なことに私は自分の名をくちにしていた。どこかの貴族の坊ちゃんなど、ただの暇つぶしに私に絡んでいるだけでさして興味もないはずだろう。私とはなしたところではなしが弾むわけもないのだから、ここはだんまりを決め込んでいればよかったのに。
 これが、私とミツエモンとカクノシンとの最初の出会いであった。
 私の予想に反して、彼らはそれからというものよくかおを見せ、私にこえをかけてくるのだ。
 はなしかけると言っても挨拶程度でしかない。大半は勝手にミツエモンがはなしをして、私は仏頂面のままゴミを拾いながら彼のはなしを聞いていた。
 はやく気がつけばいいのにと何度も私は心のなかで思った。ミツエモンは自分のはなしに夢中で気がつかないまでも、付き人であるカクノシンは気づいているはずなのだ。
 私とはなしたところで時間の無駄であり、私とはなしていることで、彼らは好奇の目を周りから浴びてしまうということを。
 カクノシンはわかっていながら、絶えずひとあたりの良い笑みを浮かべ、私のかわりにミツエモンのはなしに相づちを打つ。ある意味では、カクノシンはできた男なのかもしれない。主に逆らうことなく、ただひたすら主の好きなようにさせているという点では。が、もしかしたらカクノシンという男は、まだまだ幼い少年のおもりに手を抜いているだけかもしれないが。
 そのうちにこの関係に耐えきれなくなったのは私のほうだった。はなしかけるだけであったミツエモンがとある日、掃除用具とゴミ袋を手にして私のまえにあらわれたのがきっかけだ。
「今日はおれも、フィリップさんと一緒に掃除しようと思って」
 言われた途端、私は気がつくと「いい加減にしろ!」と怒鳴り声をあげていた。まさか、ミツエモンも怒鳴られるとは考えてもみなかったのだろう。驚いたように肩を震わせ私を見つめる。そんな少年をみて、すぐにハッと我にかえり「申し訳ない」と謝罪を述べようとしたくちを寸でのところで噤む。
 これはいい機会なのかもしれない、と思い直したからだ。
「迷惑なんだ。私を馬鹿にして愉しいのか?」
「たのしいなんてそんな……おれは、ただ一緒にゴミ拾いをしたいと思って」
 ミツエモンは首をよこにぶんぶんと振り、否定する。困惑しているのは震える声音からもよくわかったが、私はなおも動揺している少年をなじった。
「そうだろうよ。お前のような高貴な身分の奴にはゴミ拾いなどお遊びなんだろう。それともゴミ同然の私を見て心のなかで優越感に浸っているのか? 偽善者め。お前らは泥を素手で触ることもゴミに触れることも遊びのつもりなんだ」
 すらすらと悪態が口に出る様は『極悪非道のフィリップ』そのままだと私は思った。騒ぎを聞きつけた野次馬がこそこそと私たちを見ている。本人を目の前にして影口を叩く野次馬もネズミのようにしか映らない。
「……出ていけ。私はもうだれとも関わりたくないのだ」
 だれと口を聞かずに私は一生を終えたい。
 これが私の願いなのだ。
 貧民にここまでコケにされたとなれば、悪ふざけも過ぎたと少年は帰るのだろう。もう二度とここへ彼らが訪れることのないよう私は少年を睨みつけた――が。
「いやだ」
 と、少年は答えた。私と同じく睨みつけるようなまっすぐな視線をこちらに向けて。
「フィリップさんのウソツキ。ほんとうは、独りでいるのがいやなくせに」
 その一言に私はひゅっと息を飲む。
「おれはフィリップさんが、考えてることとかよくわからない。……だけど、あんたがだれとも関わりたくないっていうのだけはうそだってわかる」
「なにを根拠にそのようなことを言う!」
 聞かなければいい。いつものように少年のはなしを聞き流してゴミを拾っていればいい。声を荒げる必要などない。無視をしていれば、そのうちに彼らは帰るだろうと頭ではわかっているのに、私の口はミツエモンに名を尋ねられたときと同様、ことばが滑り落ちていた。
「根拠なんてない。でも、おれの勘がそう言ってる。……フィリップさんはたまにしか自分のことを言わないよね。その少ないなかでなんでゴミ拾いをしてるのかっていうの聞いた。これで金を稼いでるって。まるで乞食のようだろうって。でも、おれはフィリップさんを乞食なんて思ってない。町にあるゴミを拾えば町はきれいになるし、拾ってくれたゴミはゴミで終わるんじゃなく再利用される。だれかがしなきゃ、この町は汚いまんまだ。だけど、フィリップさんがいるからこの町はきれいでまた新しいモノが生まれる」
 私は考えもしなかったことを少年に言われ絶句する。目を見張りことばを失った私になおもミツエモンは言う。
「みんながフィリップさんをよく思ってないのは知ってる。悪口を言ってることだって。でもさ、よく考えてみなよ、みんなも! この道にゴミがないのはフィリップさんのおかげなんだよ! フィリップさんを汚いとか乞食だとか言うまえに、もっということがあるんじゃないのか!」
 しゃべっている間に気持ちが高揚してきたのだろう。ミツエモンの声量は大になり、口調は荒々しいものに変わっていく。嵐さながらのまくしたてることばに辺りは静まりかえった。
「……きれいにしてくれて、ありがとう。だろ?」
 そして静まり返ったなかで少年の泣き声混じりの声が響く。
「フィリップさんがみんなになにをしたのか、おれはしらないけど……それでも、フィリップさんのいましていることに悪口言うのは間違ってるんじゃないの?」
「ユ……ミツエモン」
 カクノシンがミツエモンを労わるように肩を叩く。耳元でちいさく「あなたが言ってることは間違っていません」と呟いたのが私にはわかった。
「しかし、みんながそれを正しいと思うか選択をする。ひとがいるだけ、答えはあるのです」
 諭すようにカクノシンはいい、私が怒鳴り声をあげたことでミツエモンの手から落ちたゴミ袋や道具を拾いあげていく。おそらく帰るのだろう。
「お前ら……帰るのか?」
 私は、皆から『冷徹非道のフィリップ』と呼ばれる。けれど、まだ家族がいたときには違う呼び方をされていた。
「え?」
「……男が情けない声を出すな。みっともない。それから私のことを知ったように喋るな。……なにより私は自分で言い出したくせにやりとおさない奴が一番嫌いだ」
 私の一番最初に呼び名は『天邪鬼なフィリップ』
 呼び名をつけたのは、私の妻だ。

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