十万分の一の花言葉


 連日の執務がようやく終わりを告げ、コンラートはユーリを「羽をのばしにいきますか」と遠出へと誘った。
 今回は二日間の休暇をグウェンダルにもらい、一泊二日で城下町からすこし離れた『ウナマリエ』という街へ。
『ウナマリエ』は春になると街が様々な花で溢れかえり人々の目を楽しませると有名だ。
 そうして『ウナマリエ』の行く途中の草原で昼食を摂ることにした。
 草原は青々と草木が茂り、出発時はわずかに寒さを感じさせた風も太陽が昇るにつれてあたたかさを増していく。
「あそこの木のしたで昼食を食べましょうか」
 コンラートは、近くの大きな木を指さしていうとユーリはすぐに頷いた。
「おう! お腹が空いてきててあとすこしで腹の虫が鳴るかと思ってたんだよね」
 腹部を擦りながらユーリがコンラートのほうへと顔を向ける。連日の執務で疲労の色が瞳に滲んでいるが、前日よりは風で雲がゆっくりと晴れていくように彼の美しい漆黒の瞳には輝きがみえる。
 ユーリはこちらに来た当初より、脱走する回数はずっと減った。それはひとやもの。文化や現在の環境などさまざまなものに触れ、いまの自分ではいけないと自ら率先して執務や行事に取り組んでいるからだ。
 今後のことを見通せば、彼自身のためにも国のためにもいいことなのだと思うが疲労困憊のユーリをみているのは胸が痛む。
 ――魔王。それは彼が望んでいなければ、考えてもいなかった生業。
 本来であれば、この小さな肩には多くの夢が羽のように伸びていたはずで、遊び盛りの少年にこちらの事情を押しつけているのだから。
 しかし、このようなことをいえばユーリは怒るのだろう。いま、自分が思うことこそが押しつけだと。
 だからコンラートは言わない。はじめは成り行きであった生業もいまは『天職だ』と言ってくれる。
「……ッド、コンラッドってば!」
「あ、すみません。なんでしょうか?」
「もーなんでしょうか? じゃないよ。腰をおろしてさあ、ご飯食べましょうってバスケット持ってからいきなり上の空なんだもん」
 お腹を空かせているユーリからすれば思いもよらないところでお預けをくらったかんじなのだろう。拗ねたように口唇を尖らせている。不機嫌なのはわかっているのだが、その尖らせている唇も愛らしいと思ってしまうの自分はバカだ。
 コンラートは自分の思考に苦笑しながら「申し訳ありません」と謝罪を述べると昼食のはいったバスケットをひろげた。
「さ、昼食にしましょう」

* * *

「……ふー満腹、満腹! ごちそうさま!」
 よほどお腹が空いていたのか、バスケットのなかに詰まったサンドウィッチを目にしたとたんユーリはぱっとかおを輝かせ、その無邪気な笑顔にコンラートはかおをほころばせ、ちいさく安堵した。
 時が流れるようにひとは成長していく。例にもれずユーリも少年から青年。そして大人へと成長していくのをとなりでみれることがうれしいと思う反面、さびしさや焦りを感じていたコンラートにとっては、こうしてときおりみせる幼い表情に安心感を覚えるのだ。
 その証拠にふと考えごとをしていて、無意識に空腹の彼をお預けをさせていまったのに、そんなことはもう忘れているようにみえる。
「もうすこしここで休んでから、ウナマリエと出発しましょう。ノーカンティにも休息が必要なので」
 言うとユーリが「わかった」とうなずき木の幹に背中を預ける。
「毎回こうしてお忍び旅行をするたびにノーカンティにはお世話になりっぱなしだもんね。ノーカンティはすごいよなあ。女の子なのに、自分の背中に男をふたり乗っけてなんキロも走っちゃうんだから」
「彼女は俺とは比べものにならないほど、タフで男前ですから。それに、とても美人だ」
 毎日欠かさず手入れされているのノーカンティの毛並みは艶やかでなめらかだ。休んでいる木からすこし離れたところで草を食むノーカンティを見ながら言う。
「なあもし、ノーカンティが人間だったら好きになってた?」
 なんでもないように尋ねる少年にコンラートは笑う。
「さあ、どうでしょう? 彼女はアニシナやギーゼラタイプの女性ですからね。毎回世話を焼かせる俺のような男に興味はないでしょう」
 ――それに、いまだれより自分の心を揺り動かすのは……。
「あっ!」
「どうしました? とつぜん、大きなこえを出して」
 脈絡なく驚いた声を漏らしたユーリにコンラートが訝しげに尋ねれば「ほらこれ見て!」と地面を指さした。
「これ、地球にあるクローバーによく似てる。そばに咲いてる花もシロツメクサっぽいし」
「ああほんとうだ。俺もアメリカに行ったときに同じことを思いました。こちらでは『カネロア』と言うんです」
「ふうん。でもほんとうに似てる。三つ葉ばっかりだけど、こんなに似てるんなら四つ葉もあるのかな?」
 言われて、地球に滞在していたときのことを思い出す。
「そういえば、あちらでは四つ葉のクローバーを見つけると良いことがあると聞いたことがあります」
「そうそう! まあ、良いことがあるっていうのはジンクスなんだろうけど、あれだね。見つけた達成感が良いことみたいな。まえに村田が教えてくれたんだ。四つ葉を見つける確率は十万分の一ってさ。十万分の一って具体的にどれだけの確立かよくわかんないけど、おれ見つけるのけっこう得意なんだぜ?」
 そう自信ありげに言う彼の目は『いまから四つ葉を探すから』と同義だ。
「こちらにも四つ葉はあると思いますよ。けれどひとりで探すのはたいへんでしょう。俺も探しましょうか?」
 尋ねると「ううん、だいじょうぶ」とかおを横に振る。
「コンラッドだって仕事で疲れてるし、おれはここまでの道のりで寝ちゃったけど寝ないで乗馬してくれただろ? あんたも休んでてよ」
 まるでイヌをあやすように、髪をくしゃくしゃと撫でられてユーリは腰をあげると本格的に四つ葉を探しにへと草原へと駆けだしていった。

 ――そうして出発時間が近づいてきた。
 どうやら、捜索が難航しているらしい。何度か「そろそろ出発しましょう」とこえをかけてのだがそのたびに「もうちょっと」や「あとすこしだけ」を繰り返す。けれど、さすがにこれ以上時間は延ばせない。
 十万分の一の確率。それはサイコロで例えるなら同じ数字が七回連続でるくらいの確率だ。
 それはきっと奇跡のような確率。
 だから、あきらめろ。とは言わないが、この広い草原に四つ葉があるのかさえわからない。
 一生けん命探しているユーリには心苦しいことだが……。
 コンラートは積み荷をノーカンティに乗せ、点検を済ませると焦りを滲ませているのか、眉根をひそめてるユーリのもとへと向かう。
「……ユーリ」
「あとちょっとで見つかりそうなんだ……っ」
「しかし、これ以上は時間を」
 延ばせませんよ。と、言いかけた瞬間「おっしゃー!」とユーリが歓声をあげ青々と茂るクローバーのなかに手を伸ばす。
「あった! あったよ! コンラッド!」
 心底うれしそうにクローバーのなかへ伸ばしていた手をこちらへと向けた。
「ほら! 四つ葉のクローバー!」
 彼の手のなかにあるのは一本の四つ葉。
 さやさやと穏やかに吹き抜ける風に揺れているのは奇跡に近い確率の草。
「おめでとうございます。よかったですね、見つかって。記念に押し花にしましょうか。しおりなどにして」
 葉の色もかたちもいいそれはきっと押し花にしてもその鮮やかさを保つだろう。積み荷のなかには何冊か本もある。
 コンラートが提案すると「それはいいね」と笑う。
「ウナマリエは花も有名ですが、作家が多いんです。なので趣味で小説などを書くひとがいるのでインクや紙の種類が豊富で、きっとしおりにぴったりの紙もあるでしょう」
「そうなんだ、ますます楽しみ! しおりが完成したらコンラッドにあげるね」
「え?」
「あ、それとも迷惑だった?」
 戸惑うようにコンラートがこえを漏らせば、しゅんとわずかにユーリの声音がおちて、四つ葉をかかげていた手がさがった。
「いえ、迷惑なんてとんでもない! しかし、せっかくあなたが一生けん命探して見つけたものだ。だから、」
「だから、あんたにあげたかったんだよ」
 ユーリはコンラートのことばを遮り、クローバーを見つめる。
「あんたはポーカーフェイスってよく言われるけどさ、おれにはわかってるんだぞ。……さっきぼんやりしてた理由もなんとなくだけど。おれが魔王になったこと同情したんだろ」
「それは……」
 唐突に彼が指摘したことは的を得ていて、コンラートはくちを噤む。そんなコンラートを「ほらね」とユーリは微苦笑した。
「それからもう何度もいってるけど、おれはコンラッドのことならわかる。たまに貴族とかに心ないことばを浴びせられるたびに気にしてないってかおで笑うくせにほんとうは『俺がいちばんわかってます』って思ってる」
「……」
 ユーリのいうとおりだ。
 彼らがいうことはもっともであるし、だからといってそれらを肯定しくだらない自己嫌悪にユーリを心配させたくない。……そう思って平然を装い隠しとおせていたと思っていたのに、彼はわかっていたのか。
「コンラッドの生まれも人生もだれに否定させる権利なんてない。あいつらのことばを受け入れて、欲しいものを手放したり、不幸だと感じる必要なんてぜんぜんないんだよ?」
「ユーリ、」
 まるで自分のことのように、傷ついたかおをしながら時折「なんていったらいいのか、わかんない」とことばの端々で唸り声を交えながら自分にむけてくれるひとつひとつのことばが胸をあたたかくしてくれる。
「……コンラッドがおれの魂を地球に運んでくれなかったらいまのおれはなかったんだ。おれはいま、すごくしあわせだよ。……地球の人口は現在約七十一億人。こっちの世界の人口はどれくらいあるのかわかんないけど、たぶん同じくらいいる。それは四つ葉のクローバーを見つける確率より、おれとあんたが出会うこと確率のほうがうんと低い。――おれを見つけてくれて、恋人になってくれて、しあわせをくれてありがとう」
 そう言うとユーリはコンラートの手のひらに四つ葉のクローバーを置いた。
「まあ、はなしはまとまらなかったしカネロアだっけ? 四つ葉のクローバーのジンクスがあるかわかんないけど……コンラッドに良いことがこれからたくさん降ってきますように。ってことで、あとで一緒にしおりにはさむ紙を選ぼうな」
 ユーリは照れ臭そうに微笑むとさっとコンラートのよこを通り過ぎて、ノーカンティのもとへと走っていく。
 ――が。
「ぅわっ!?」
 気がつくと、コンラートはユーリの腕を掴んでうしろから抱きしめていた。
「え? なになに!?」
 困惑するユーリの質問には答えず、コンラートははなしはじめる。
「――ユーリは、クローバーの花言葉を知っていますか?」
「は、はなことば?」
 三つ葉の葉には一枚、一枚、意味が込められているそうだ。『希望』『信仰』『愛情』。そして四つ葉の最後の一枚は『幸福』。
「アメリカでのクローバーの花言葉は『私のものになって』という意味なんです。……そういう意味でとらえていいんですよね」
「はー!? ちょ、えっと、おれはコンラッドにしあわせになってほしいって意味で渡したんであって、そういう意味で渡したんじゃないから!」
「一生、大切にしますね。……俺は一生、あなたのものです」
「だからひとのはなしを聞けー!!」
 羞恥心が限界値を超えたのか、耳元で囁くとばたばたと逃げ出したいのか暴れ出したがこれでもこちらは元軍人なのだ。これしきのことで腕のちからを緩めるほど軟弱ではない。
「もっもう出発しなきゃいけないんだろ!」
「わかってます。だけど……あとすこしだけこうさせて」
 お願いしてみたが、なおもなにか言いたそうに開いたユーリの頤をすくうとコンラートは素早く口唇を奪う。この口唇を離したら、おそらくカンカンにユーリは怒り出すだろう。
 けれど、こうせずにはいられないのだ。
 抱きしめて、キスをしなければこのままユーリを押し倒してしまいそうで。
 十万分の一に隠れていた独占欲にまみれた愛のことばと幸福。
 七十一億人以上いるひとのなかから出会えた奇跡。
 それがいま――ここにある。
 この腕のなかに。


END



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