「……それじゃあ、コンラッド行ってくるな」 身支度を終えた有利はソファーに座りぎゅっと小さな手でクッションを抱きしめる子犬のあたまを撫でる。 「……」 頭を撫でられた子犬は、有利をじっとみつめこくり、と頷くだけだ。 「テーブルにお昼ご飯がある。それでもお腹がすいたら、冷蔵庫にプリンが入ってるからそれを食べろよ」 わかった? と尋ねるとやはり頷くだけだ。けれど、理解はしたらしい。見た目よりふわふわとした子犬の髪の質感が手に馴染み、離れがたい気持ちになるがそろそろ家を出ないと電車に乗り遅れてしまう。 有利は、名残り惜しげにもう一度、子犬の髪を梳いて家を出てやや重い足取りで進んでいく。 「やっぱり、猫科のおれだと警戒しちゃうのかな」 犬猿の仲とまではいかないが、犬と猫も相性がいいというわけではない。幼少のころは自分たちの用いる性質をコントロールができないという子がいるのも聞いたことがある。 「あー……どうしたらいいんだろう」 二週間。こんな感じで有利は悩み続けている。 育てられないのなら、むやみに手を出さないほうがいいと言われたが、見て見ぬふりなど有利の性格上無理なのだ。なにより、あのときのコンラッドを見てそんなはずができるはずがない。 「もっと、仲良くなりたいなあ……」 有利は空を見上げてひとり呟く。空は有利の心境とは反対に雲ひとつない晴天だ。 ――ことの始まりは二週間前に遡る。春も目前に控えた三月中旬。ようやく天気予報では春一番や桜の開花を告げるころ。 気温もあがりそろそろ冬服は片付けるべきかと思い悩んでいたその週末。寒波が押し寄せ一気に気温が一ケタ台までさがり吹き荒れる風に加えて大雨が降っていた。 職場の同僚から野球観戦のチケットをもらいうけ、ドームに向かったものの試合ひどい風と雨によって中止になり身が凍えそうになりながらも足早に家路に向かうために近道をしたその途中、有利は子犬と出会った。 休日ともなれば家族や恋人で賑わう噴水公園。公園の敷地に設置してあるドーム型のトンネルのなかに身を丸めている子どもを。 おそらく小学校低学年だろうの背丈。服はお世辞にも身なりが整っているとはいえないほど、汚れている。昼間であれ、公園で遊ぶにはひどい天気だ。薄汚れている服も遊んで汚れたとは言い難い。 有利は立ち止まり、トンネルを覗く。寒さで震えている子どもは有利が近づいても抱えた膝にかおをうずめ、微動だにしない。 『……どうしたの?』 尋ねるも返事がなく、その後二度三度声をかけても応答がみられずどうしたものかと困惑をしているとかすかに荒い息が有利の耳に届いた。 もしやと思いおそるおそる子どもの首筋に手を当てると瞬時に指さきから尋常ではない熱さが伝わってきた。 『熱がある! おい、大丈夫か! お母さんは? 家はどこなの?』 高い熱を発症している子どもに矢次に質問するのはどうだかといまでは思うも、あのときは混乱してしまいどう対応していいのかわからなかったのだ。 子どもは意識が朦朧としていたのだろう。有利のかおをやっとみたがその瞳はどこかぼんやりとしていた。 親を待っているのかもしれない、とは思ったがこのような状況で放置しておくのは危険だと思った有利は子どもをおぶり、近くにある診療所へと駆け込んだのだ。 ――幸いなことに、診断を受けた結果子どもの命に別状はなく、高熱かと思っていた熱も三十七度台とそこまで高いものではなかった。注射をうち、二、三日家で処方された薬を飲めばすぐに治ると言われたが、問題はそこからだった。 『この子のバーコードを見たのですが、詳細な情報が記載されていません。バグではないと思うのでおそらくは故意に抹消された可能性があります』 治療を終えた医者が困り果てたように眉根を顰めて告げたのだ。 『……え? どういうことですか』 『もしかしたら、この子は奴隷だったのかもしれません。身体にはいくつかの打撲跡も見られました。この子には帰る家がないのです』 医者と有利のとなりですやすやと寝息を立てる子どもをみながら有利は目を見張った。 いまは西暦四十年。世界全体で少子高齢化が大きな社会問題になっている。どういうわけだが、人間のからだは進化を続けるにつれ、多くの者が仕事を一番に考えることにより、生殖機能が低下しかわりにより知識を得る能力が成長してしまったのだと中学時代の社会授業で教わった。しかもそれだけではなく、科学の社会の発展で新たな病原体が生まれ一層世界全体で人口が減ったのだというのが有利たちが生まれる百年も前のはなし。いまでは、少子高齢化も徐々にでは改善しつつある。その大きな理由は、新たな遺伝子を人間と掛けあわせること。人間ではなく動物には新たな病原体は反応することがないらしい。そうしてあらゆる科学者や政府によっていまの自分たち、つまりは半獣化とした人間が生まれたのだ。いまでは、純粋な人間は一パーセントにも満たない。おおよそのひとの頭部には掛けあわせた動物の名残りとして獣耳がついている。 そしてもうひとつ大きな問題にあがるのが『試験管ベイビー』と呼ばれる試験管のなかで受精をした赤ちゃんにある。医療の発達が進み、法的手続きをすればだれもが赤ちゃんをつくることができる。それによって不妊に悩んでいたひとや同性同士でも子が授かることができるようになった。が、不正により法的手続きを逃れ、無断でそれらを行い子を人身売買の道具にしたりまたは、あまりにも簡単にできることでペット感覚になってしまった親が育児放棄として子を捨てるのだ。 それらを防ぐためにみな、首には生まれたときから必然的にバーコードが記載されている。どこにだれがいるのか、瞬時に把握できるGPSのようなものだ。これをスキャンすればすぐに情報が読み取れることもあり災難救助や迷子を見つける手段ともなっているそれ。 そのバーコードを改ざんするのは、かなり難しい。 『……申し訳ないはなしだが、今日はこのあと出張にでなければいけないんだ。普段であれば入院させ、私が面倒をみるべきなんだが、生憎こんな小さな診療所では看護婦といえども、パートばかりでね。警察に保護の手続きはするが、いま療養するにも大きな病院まで運んでもらうことにするよ。いまから救急車を手配するまできみも待っていてくれないか?』 言われ、有利は『あの!』とこえをあげた。 『おれの家で療養するんじゃだめですか? 保護の手続きをするとはいっても明日になるだろうし、この子が起きたときにだれかがいたほうがいいと思うんです』 『それは、そうかもしれんがいくらなんでも、』と医者が言いかけたとき有利は服を引っ張られた。 『あ、ごめん! 起きちゃったね』 どうやらふたりの会話に睡眠を削がれてしまったらしい、子どもが有利の服を引っ張ったのだ。 『……っだ』 『え?』 子どもが小さく呟く。 『やだ……いきたく、ない』 『ごめん。いきなり知らない家に泊まるのはいやだよな』 だれかがそばにいたほうがいいと思ったが、見知らぬひとの家で一晩を明かすのはストレスがたまるだろう。有利は悲痛なこえにに出過ぎたまねをしてしまったことを反省し謝罪のことばを述べれば子どもは首をよこに振るう。 『ちがう、びょういん、いきたくないっ』 言って懇願するように子どもは有利を見つめる。 『……それじゃあ、おれの家にくるか?』 うやうやしく尋ねてみると子どもはこくり、と頷いた。その様子を見ていた医者は『しかたないな』と肩を竦める。 『この子の意見を尊重しよう。渋谷くん、お願いしてもいいかな。書類等はこちらで揃えて警察署へ添付しておくから。あとで警察が自宅訪問に向かうとおもうけど……まあ、きみなら安心してこの子を任せられるし問題はないでしょう。では、よろしくお願いしますね』 『はい! それじゃ、よろしくな。おれは有利っていうんだ。……あ、えっときみの名前は?』 『ああ、そうだ。この子の名前はコンラートというらしい』 『こんらぁ……ど?』 うまく発音ができず、何度か子どもの名をくちにしてみるもどういうわけだか『コンラッド』になってしまう。 『コンラッドでいい。俺のことをそう呼んでたひともいるから』 と、子どもは言う。 『そう? じゃあコンラッドって呼ばせてもらうね。あらためてよろしくな、コンラッド!』 有利は服をつかんだままのコンラッドの手をやさしくとり、ぎゅっと握るとそこでようやくコンラッドは、ほっとしたような表情を浮かべたのだ。 ――それが、有利とコンラッドの出会い。 本当であればふたりの出会いはそこで始まりつぎの日には終わりを告げたはずだったのだが、その翌日自宅訪問に訪れた警察に詳しい事情を告げたときコンラッドを養護施設へ移送しようとのはなしになった途端、有利のとなりでおとなしくしていたコンラッドのからだが一瞬びくり、とふるえたのだ。有利がそっとコンラッドのかおいろを伺うと病院に行きたくない、と拒否していたときのような瞳がみえつい、またもや無意識に有利のくちが動いていた。 『もし、おれがこの子を養子にしたいってなったら、施設に行かなくても済むんですか?』と。 途端に目を見張ったコンラッドと警察が一斉に有利のほうを向く。 『それは申請がとおれば可能だが……いいんですか?』 『そうですか。ま、でもこれはおれの希望なんで……コンラッドはどうしたい?』 「――……信頼はしてくれてるんだよな、たぶん」 あのときふたつの選択を有利はコンラッドに任せた。 そしてコンラッドは自分を選んでくれたのだ。 だから、そう思っていいはずなのに。 「渋谷さん、これが養子縁組みの書類です。これで戸籍上コンラートはあなたの子どもとして認定されました」 あれから二週間、ようやく審査や裁判を終えてついに今日、コンラッドは有利の養子として受理された。 施設に行かないとなれば、養子として有利と家族として申請しなければいけないし、コンラッドにもこの旨は伝えてあるので、理解したうえでの正当な結果なのだが……やはりちょっとだけ不安は残る。 その不安のいちばんの原因はコンラッドが心を開かないことにある。 有利は差し出された書類を受け取り、市役所をあとにするとコンラッドのプロフィールを改めて目をとおした。 コンラッドはどうやらドーベルマンの遺伝子を継いでいるらしい。ドーベルマンといえば軍用犬としても活躍している本物の犬であれば美しい筋肉質や走力を誇ることから『犬のサラブレット』と呼ばれている。人間との遺伝子を掛けあわせることに関して言えば、一般家庭では手が出せないほどの高額な金額。 なので、手続きをしているときにもコンラッドはおそらくかなり裕福な家庭での生まれだと推測された。 日本でもドーベルマンをペットとして飼うのではなく、遺伝子としてとなればかなり珍しい。 なぜ、そんな裕福な暮らしをしていただろうコンラッドが日本にいるのか。情報が消されているのか未だ謎は多いものの、情緒不安定であろうコンラッドにそれをいま聞くのはあまりにも酷なことだろう。 半獣化している人間はそれぞれ掛けあわせられた動物の影響も受けていたりするので、有利なりにドーベルマンのことを調べてみたが、またここでひとつの問題が浮かび上がった。嫌い、とまではいかないが猫との同居は苦手らしい。 まあ人間との遺伝子のなかで組み合わせるなかでそれらは薄れるものだが、完全に払しょくされるわけではない。もちろんこれも半獣化人となれば血液型、星座診断などと同じであたらずとも遠からず、と言ったところだから気にしなくてもいいのかもしれない問題なのだけど……。 二週間コンラッドと生活をして色濃くドーベルマンの遺伝子を引き継いでいると思われるのはとても繊細だ、というところぐらいだろう。 なので、たった二週間足らずで心を開いてくれるというのがむずかしいことなのだと有利自身わかっているつもりだ。 ――……でも。 「コンラッドの笑ったかお、みたいんだよなあ……」 いつもおとなしくて有利のかおいろばかりを窺っているコンラッド。もっと子どもらしくはしゃいだりわがままを言ってもいい年頃なのにもかかわらず、コンラッドはなにもいわない。 コンラッドの好きなもの、興味をひくものひとつもみつからないのだ。 「どうしたら、笑ってくれるんだろ」 有利はひととおりプロフィールに目を通してそれをカバンにしまい、かわりに携帯電話を取り出して時間を確認する。ディスプレイに表示された時刻は三時ちょっとすぎたあたりだ。 「――あ、」 と、時間を確認し携帯電話をズボンのポケットにしまうと有利の目にとあるものが目に入った。 コンラッドの好きなものはわからない。 だけど、自己紹介と同じでまずは自分の好きなものをコンラッドに伝えてみるのも悪くないのかもしれない。 自分が好きなことそれから自分がされたらうれしいと思うものを実践してみよう。 それが正解なのかわからないが、有利は財布に入った金額を確認するととある店へと足を踏み入れた。 子猫シリーズ逆バージョンです(2014/サイト五周年記念) |