テラス


「……疲れた」
「ごくろうさま、フォンビーレフェルト卿。いまヨザックがおいしい紅茶をいれてくれるから」
 血盟城の二階にある日当たりのいいテラス。日がやわらかく花々はいきいきとやわらかい風と戯れるように揺らぎ、せわしなく働く人々のかおも心なしか花々と同様、活気がみえている。
 村田健のあい席をしている、彼、フォンビーレフェルト卿ヴォルフラム以外は。
 きらりと輝く金髪にエメラルドグリーンの瞳。そして宝石のような瞳を縁取る長いまつげ。西洋の人形を彷彿させる美貌。地球にもし彼が住んでいれば間違いなく、世界中を魅了する大物俳優になっていただろう。しかしそんな彼はいま、しおれかけた花のごとく疲れきっている。まさに疲労困憊という表現がふさわしい。
 血盟城の主である第二十七代魔王渋谷有利と負けず劣らず旺盛さを持ち合わせるフォンビーレフェルト卿からは想像しにくい姿に普段であれば、からかいのことばを投げかけているが、どうして彼がこのようになっているのか知っている村田は冗談ではなく労いのことばをフォンビーレフェルト卿にかける。
「はい、おまたせしました。グリエ特製の濃いミルクティーですよ」
 通常のテンションでいる、グリエ・ヨザックがフォンビーレフェルト卿と並ぶといかに彼が疲労しているのか改めてわかる。村田は、無言のまま紅茶を受け取るフォンビーレフェルト卿に「お疲れさま」とふたたび声をかけた。
「でもこれでひと段落ついたから、今日からぐっすりと眠れるだろう?」
「ああ。……しかし」
「うん?」
「……こんなめんどくさいことになるなら、有無も言わさずぼくはユーリと結婚するべきだった」
 まんざらでもないいいぐさに村田、ちいさく吹き出し「たしかにそうだね」と相槌を打つ。
「きみは将来有望だし、なにより人として格好いい」
 出会った当初は、正直外見は自分と同じくらいだがずっとさきに生まれておおよそ八十歳だというわりには、傲慢で融通のきかない彼にいまどきの高校生よりも一般常識というものがないのではという印象があったが、いま村田のまえにいる彼はそんな第一印象を払拭されるほど、男前になった。反対に村田のなかでやや評価を落としてる男もいるが……。
 二十六代前魔王の子でありながら貴族からは冷ややかな視線を終始注がれ、一時は前魔王である兄に遠まわしではあるが『死』を要求されたとある男。彼が過去から現在に至るまでの仕打ちを思えば、それでもなお、笑顔を絶やすことなく民に厚い人望を持たれている男こそ称賛すべきだと思うものの『あれではなあ』と両手を挙げて褒めることができない。
「ああ、まったくもってそうだ。ぼくのほうが何倍もコンラートより格好いい。そして頼りになる。わかっていたはずなのに! どうしてぼくはあんなヤツにユーリを渡してしまったんだろう」
 怒りや後悔ではない投げやり口調でフォンビーレフェルト卿は愚痴をこぼす。
 そう。村田のなかで評価を落としている男というのはフォンビーレフェルト卿が名を出した男のことである。
 フォンビーレフェルト卿のひとつ上の兄。ウェラー卿コンラート。有利と婚約を結んでいた弟からその座を奪った男。
 奪ったからと言って避難をしているわけではない。そこに切実な愛があってそうなったのだからそれを責める気持ちはなんら村田にも、そしてフォンビーレフェルト卿にもないだろう。
 問題はそこではない。
「あー……うちの隊長が迷惑をかけてすみません」
 うやうやしく謝罪のことばをくちにするヨザックに「まったくだ」とフォンビーレフェルト卿は即答する。
「婚約破棄をしたぼくがなぜ婚約をしたユーリとコンラートのために連日連夜夜会に赴き、あいつらがなぜ婚約したのか問われるたびに説明と援護をしなければならないんだ。……ほら、見てみろ。そんなぼくの苦労も知らずにあいつらときたらのん気に中庭でキャッチボールをはじめるらしいぞ」
 言われ中庭に村田とヨザックが目を向けた。
「あーらま……」
「どちらも元気いっぱいだねえ」
 はやくキャッチボールがしたいのか、ミットとボールを手に持ちさき行く有利のうしろをコンラートがついていく。どちらもしあわせそうに笑顔を浮かべている。
「すこしはぼくを労ってほしいものだな。ほんとうに、どうしてユーリはろくでもないコンラートを選んだのか。ぼくには理解できん」
 有利がこちらの世界に舞いおりたときから、誠心誠意をもって有利に尽くしてきたウェラー卿。知らぬ土地でことばも通じず心細い少年を支えてきたのはまぎれもなくウェラー卿でだれよりも有利の信頼を勝ち取ってきた男。それだけなら、きっと村田はウェラー卿に不満を持つことはなかっただろう。しかし、だれより信頼を受けていることなど露にも思わずただ有利のためになるのならばと突然彼の元を去り、そして刃を向けた事実。それから有利のためなら死を受け入れる覚悟であるから気に入らないのだ。
 このテラスにいる、否、ウェラー卿をよく知る者ならだれしもが思うことだ。
 村田はフォンビーレフェルト卿の呟きに頷き、紅茶をひとくち啜りのどを潤す。
「あのね。日本には『割れ鍋に綴じ蓋』ってことわざがあるんだ」
「割れ鍋に閉じ蓋……?」
「なんですか、それ」
 フォンビーレフェルト卿、ヨザックが小首を傾げ村田は「あのふたりにぴったりなことばだよ」と答える。
「鍋と蓋に夫婦に例えているんだ。綴じ蓋。つまりは壊れた部分を修理した蓋のことだね。壊れた鍋には綴じ蓋がちょうどいいっていうはなしさ。彼等は似たりよったりなんだよ。それはフォンビーレフェルト卿だって知っているだろう」
 理解できないとフォンビーレフェルト卿は言ったが、彼もわかっているはずだ。村田の思うとおり、彼は肯定するように紅茶を飲むだけで反論をしようとしない。
「きみは格好いい。ぼくが思うにきみたち三兄弟のなかでフォンビーレフェルト卿が一番いい男だ。だけど、そんなきみだからこそ渋谷は愛することはできなかったんだと思うよ。渋谷は、趣味が悪いからね」
 趣味がわるい、と言った瞬間フォンビーレフェルト卿が笑い、頷く。
「……渋谷は男前だからね。だめな奴を好きになるんじゃないかな。出来る者はだめな奴を好きになるって言うし」
「そうだろうな。欲しいものを欲しいといえず……いや欲しいというものをもとから諦めへらへら笑っている男と根気強く付き合うのは面倒以外のなにものでもない」
「それだけじゃないですもんね。隊長は欲求にたいして希薄なくせにこれだと自分で決めたらことには頑固でひとのことばに耳を傾けない」
 各々が紅茶のつまみに菓子をつまむようにウェラー卿への印象や想いを語り、給仕をするため立っているヨザックに村田は座らせる。「オレはいいですよ」とやんわりと断るヨザックに「今回のお茶会は長いから」と冗談めかして。
「ま、ウェラー卿をあんな風にしてしまったのは渋谷だけど」
 村田が言い、ヨザックが苦笑いする。
 ウェラー卿と幼少時代から付き合いのあるヨザックにはウェラー卿という男がどうであったか、一番理解しているのかもしれない。
「坊ちゃんと出会うまえの隊長は、そつのない男でしたからね。笑顔を絶やさず、人良さそうな話し方や態度であるくせに一線をひいて相手と必要以上に距離を縮めようとしなかったですから。オレはあのときの隊長も嫌いじゃなかったですよ」
 強調するでもなくさりげなく接続語に『も』を使用したヨザックに村田もフォンビーレフェルト卿も笑む。
「渋谷は、人の本質をひきだしていくから困っちゃうよね。みーんなそうしてなりたくない自分になってしまう」
 それがすべて悪いとは思わないが、気がつくと己の理想像にあってはならない自分の卑しいと感じる本質を有利はひきだしてしまうのだ。いともたやすく。卑しい自分の本質と目の当たりに嫌悪することもあるが、同時にそんな自分をやわらかに、あたたかく受け入れてくれる有利に『ああ、こんな自分でもいいのだ』と『もしかしたら本当はこうありたかったのかもしれない』とありのままの自分を許してもらえるような安堵を覚える。
 有利と関わったおおよその者が一度は経験している感覚。護衛としてそんな有利の隣に毎日のようにいるコンラートはとくに影響されているのかもしれない。
「隊長はひどく弱い奴になっちまった」
 ヨザックが言いながら、笑い声の響く中庭に目をやる。もっぱら中庭で声あげ、笑うのは有利だ。
「ヨザック。きみは弱くなってしまったウェラー卿をどう思ってるんだい? あるいは、そんな風にしてしまった渋谷のことを。――もし、どちらかを助けなければいけなくなるとして。もちろん、実際にそんなことがあればだれもが渋谷を選ぶだろうけど。本音ではどっちを助けたい?」
「大賢者はいやな質問をするんだな」とフォンビーレフェルト卿はあきれ声で村田を咎め、村田は肩をわざとらしく竦めた。
「だって気になるじゃないか。純粋な好奇心だよ。どちらを選んだところで、ヨザックを軽蔑するようなことはないから安心してくれていい。ただ、きみはぼくと出会う前。渋谷が魔剣を手に入れるためにきみたちは同行していたんでしょ。聞くところによれば、あまりヨザックは渋谷に対してあまりいい印象を持っていなかったって聞いたし」
 責めているわけではないよ。と最後に念を押すように言う。ヨザックは魔剣のときのことを思い出したのか後頭部を大雑把に掻き毟り、居心地悪そうな笑みを浮かべたあと、嘆息し村田の質問に答えた。
「百歳も超えたオレが言うのもなんですけど、あのときのオレはまだ若かったんですよ。悔しかったんです」
「悔しい?」
 フォンビーレフェルト卿がヨザックのセリフをオウム返しする。
「ええ。隊長とは長い付き合いですから、付き合えば相手の良いところも悪いところも見えてくるでしょう? だから、隊長がどういう奴であったのかわかってました。オレにだけ、秘密を打ち明けたりしてくれました。だから、悔しかったんですよ。そう日も経っていないうちに隊長の心に足を踏み入れている坊ちゃんのことが。……自分が、何十年とかけてきた絆やどうやっても本当の自分ってやつをさらけ出してくれなかったのに、坊ちゃんはそれをひきだしていたから――悔しかったんです」
 恋愛とかそういうものではなく、ただの嫉妬だった。とヨザックは言う。
「でも、いまは違いますよ。いまならわかります。坊ちゃん、いや、ユーリ陛下だからこそこの国の王が務まることも隊長が心を開いたわけも。陛下はご自分のことばにやましいところがないし自信があるからなんだってこと、陛下と過ごしたなかでよーくわかりました。……だから、さっきの猊下の質問への答えですがオレはどっちも諦めないですよ。どっちも助けます」
「ふぅん。興味深いね。ヨザックもやっぱり渋谷に影響されてるよね」
「ですね。まえの自分なら迷わず、隊長を助けてましたね。大切なものが増えるってのは面倒なことです。そのぶん視野が広くなって、弱くなる」
「うん。そうだね」
 ヨザックのいうとおりだ。
 あれもこれも失いたくない。失ったら、自分がどうなるのかわからない。大切なものが増えてそれらを失ったときのことを考えると怖くてたまらなくなる。
「……だけど、大切なものが増えてそれを守ろうとするから強くなれる」
 有利はそれを教えてくれた。口先だけなら綺麗事だが、彼は違う。行動で示してくれる。だからこそ、彼を信じられるのだ。
「ぼくなら迷わずユーリを助けるぞ。コンラートに手助けは必要ない」
 やや感傷的とも思える雰囲気のなか、するりとフォンビーレフェルト卿が菓子を頬張りながら言う。
「ああいや、もしかしたら両方とも手も出さないかもな。ユーリをさきに助けたりすれば、コンラートは馬鹿な男だから気が緩んで死にそうだ」
 あながち、間違いではない見当に一瞬の間があったあとだれともなく声を出して笑いだした。
「たしかにそうですねえ。だれも手助けしなきゃ隊長死に物狂いで自分から、坊ちゃんを救出しそうですし、反対に坊ちゃんは坊ちゃんで隊長助けると思うし」
「例え話だったけど、あんまり意味なかったね」
 もしそういう状況に陥った場合、有利もウェラー卿も互いを想いあい助けあうのだろうし、ヨザックの言うように自分たちはどちらも助けようとするのだろう。
「ああ、気がついたらあいつらの話だ。散々、夜会でふたりの話をしているのに」
 フォンビレーフェルト卿が両肩をあげ、彼の空になったティーカップにヨザックが新たな紅茶を注ぐ。
「なんだ、大賢者。ぼくにも言いたいことがあるのか?」
 村田の視線に気がつきフォンビーレフェルト卿が問う。
「いや、大したことじゃないさ」
 なんとはなしに思っただけで、尋ねるようなものではない。村田はゆるく首を横に振りフォンビーレフェルト卿に問うことはしなかったが、村田がなにが聞きたかったのか彼にはわかっているようだ。
「――よかった、と思っている」
 フォンビーレフェルト卿が言う。
「コンラートとユーリの婚約が正式に決まってぼくはうれしい」
 彼の浮かべる表情が決して虚勢ではないことを村田とヨザックに告げる。
「もちろん、ユーリを愛していたから婚約を破棄されたことは残念だとは思うが、婚約よりもぼくの心をいつも捕えていたのはあいつらのことだからな。ユーリの隣にコンラートがいない日はユーリを一人占めできるのにそれを喜べなかった。なぜ、いないのかと思ってばかりだったし、ユーリの隣にコンラートがいる方がほっとした。……婚約者であったぼくでさえ思うんだ。当人らはそれ以上に隣にいないことに違和感を感じてたと思う」
 注ぎ足された紅茶にゆっくり口をつけながらフォンビーレフェルト卿が話を続ける。ぼんやりとどこを見つめるわけでもないフォンビーレフェルト卿の瞳はもしかしたら、ウェラー卿が離反していたときのことを思い出しているのだろうか。
「もし、ぼくがユーリと結婚してもぼくは心の底から喜べない。笑えない。ぼくはああしてひとの気もしれずにキャッチボールを楽しんでる奴らを見ている方が幸せだ。ゆえにいまのぼくは幸福だぞ。大賢者」
「……本当に、男前だよねえ。フォンビーレフェルト卿は」
 こうして平然と言えるまでにフォンビーレフェルト卿だって、色々と苦労してきたはずなのにそれをおくびに出さない。しかしこう言えるということは、有利とウェラー卿を好いているからだろう。
 と。テラスの柵の間からなにかが、現れ「うわっ!」と中庭から上擦った声が聞こえる。テラスにころり、と現れたのは野球ボールだ。
 ボールはフォンビーレフェルト卿の足下へ転がり、止まる。
「やばい。二階まで飛んでっちゃった……っ。窓割れてないかな。っていうか人にぶつかってたらどうしよう!」
 どうやら見当違いの場所へボールを投げ込んだのは有利らしい。フォンビーレフェルト卿が小さく「あのへなちょこめ……」とぼやきながらボールを拾う。
 そうして、テラスの柵へ移動しようと腰をあげ、フォンビーレフェルト卿の動きが止まった。
「大丈夫ですよ。窓が割れた音はしませんし、悲鳴も聞こえませんでしたから。被害はないと思います。ユーリはここで兵と待っていてください。すぐに戻ります」
 妙に甘ったるいウェラー卿の声にフォンビーレフェルト卿の額に皺が寄り、ヨザックが口だけで『こりゃ、やばいことになりそうですね』と村田に伝える。
「え、でもボールを投げたのはおれだし、おれも行くよ」
 べつに永遠の別れでもあるまいし、そんな心配しなくてもいいのに。村田があきれるなか彼らの会話は続き、ついにフォンビーレフェルト卿が切れた。
「ここで待ってて。……ね?」
 ウェラー卿の低く甘い囁きのあとくぐもった有利の声。真昼間からなにをしているのかテラスにいた全員が容易に想像がついた。
「……ぼくが寝る間も惜しんで、おまえらのために様々な場所に赴いて勝手にまわる不評をどうにか改善してやろうと思っているのに――貴様らァア!」
 とうとうフォンビーレフェルト卿の臨界点を突破したのか、柵から身を乗り出すようにして野球ボールをかかげる。
「え……っ! ヴォルフラム?」
「炎に属する全ての粒子よ、創主を屠った魔族に従え!」
 呪文を唱えるとフォンビーレフェルト卿が握る野球ボールは火の玉と化した。おそらくあれをいちゃついてるふたりを目掛けて投げるつもりなのだろう。
「うわっ! なに怒ってるんだよ! やめろって!」
 焦る有利と「やめろ、ヴォルフラム」とわずかに尖った口調で制止するウェラー卿の声。
「うるさい! 場もわきまえず不埒なことをしている貴様らに言われたくない! その身を持って罪を償え!」
 言って綺麗なフォームを構えるフォンビーレフェルト卿を村田もヨザックも止めはしない。
 あれを有利とウェラー卿に投げるつもりだろうが、当てることはないだろうとわかっているから。
 まあ、当たててくれても一向に構わないけど。
 あの二人が、いまに至るまで。――再びこうして笑えるようになることを願っていた自分たちの苦労だと思ってちょっとした意地悪くらいは許されるだろう。
 村田は、にぎやかな午後。日あたりのいいテラスで楽しそうにゆるり、と目を細めてティーカップに口をつけた。

END

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