交際半年目のハジメテC

 全力で走っていたから息があがってことばがでない。しかし、どうにか言いたいことを伝えたくて、有利はコンラッドの腕を強く掴んだ。
「……なかへどうぞ。ここではからだが冷えてしまう」
 追いかけてきた有利をコンラッドは動揺もせずに落ち着いた口調のままドアを開け入室するように促した。あまりにも、平然としているコンラッドのいでたちにほんとうにこのまますべてが終わってしまいそうな気がして有利は、わずかに踏み入れることをためらう。
 けれど、もしここで怖気づいて部屋に戻っても彼はそんな自分を止めないだろう。意を決意してこくり、とツバを飲んでコンラッドの部屋へ足を踏み入れる。
 普段であれば、なにも考えずにすぐに彼の部屋に設置してあるソファーに腰掛けているが、この状況で厚かましい態度をのうのうと起こすことなどできるわけもなく有利はさきほど自室を訪れたコンラッドのように数歩入ったところで立ち止まる。
「ご、めん……っ」
 有利は彼の腕を掴んだまま謝罪を述べたが、コンラッドはその謝罪にたいしてこたえることはなく「ソファーにお座りください」と言い、とうとう有利が耐えられなくなってしまう。
 ――もうだめなのかな。
 嫌いになった? だからそう無関心な態度をみせるの?
「いやだ!」
 どこにこんなちからがあったのか。有利は気がつけば、ソファーへコンラッドを強制的に座らせて彼の両頬を手で挟むとキスとはいえないような接吻をする。いきおいを殺すことなくしてことで歯があたり鋭い痛みが口唇から伝わる。
 もしかしたら、どこか切れたのかもしれない。
 じんわり、と有利の口内に鉄の味が広がるそれをツバとともに飲みくだし声を荒げた。
「――っんで、なにも言わないんだよ!」
 はじめにくちを噤んだのは自分。それはわかってる。だけど、いつか約束したはずなのだ。
 なんでも言いあおう。はなしあおうと。
 自分にはもうはなしあう価値もないのだろうか。
「……おれのこと、きらいになった? だからなにもなくてよかったですとか言えんの? さっきのおれのかおをみてなんでもなくみえたわけ?」
 のどがひりつくように痛く、胸がくるしい。
「村田といたときのおれ、たのしそうなかおしてたっけ? 笑ってた? おれどんなかおしてたのか、わかんないや。コンラッド、おしえてよ」
 知りたいのはそんなことじゃない。いつきらいになったのか、自分のどこがきらいなったのか――ほんとうは、それが知りたい。
 コンラッドの両頬をはさんでいた手をちからなく降ろしてまるで傷のついたCDのように音程も伝えたいことも不安定なまま有利はしゃべり続ける。
「……めんどくさいやつでごめん。ただの言い訳だけどさ、おれこどもだしコンラッド以外のやつと付き合ったことないからどうしたらいいのかわかんない。……くだらないけど、すげーセックスしたかったんだよ。どれくらい気持ちいいのか知りたかったし、セックスしたらもっとあんたに近づけるかと思ったんだ」
 浅はかな考えだと、自覚している。けれど、不安になってしまうのだ。セックスをすれば、なにかが確信に変わるような気がした。好きだと言われてもキスをしてもそれらは表面上だけな気がしてこわかったから。
 男同士のセックスをする。もとからそういう嗜好である者をおいて、はなしをすれば、有利もコンラッドも元々は異性を好む。そのなかで有利はコンラッドとの恋人の理想というものがずれていったのかもしれないとこのとき確信した。
 コンラッドはきっと、手をつないだり、時折キスをするだけで満足なんだと。彼は精神的つながりを強く求めているから、それ以上のことは望んでいないのだ。同性同士でつき合うなかにはそういうプラトニックな交際を続けているひとだっていると聞いたこともある。
 それがわるいことだとは思わない。互いにそれがいちばん居心地がよく、幸福だと感じるのならそれはれっきとした恋愛の形だ。
 けれど、自分は違う。からだを繋げることに恐怖はある。だが、精神的つながりも肉体的つながりもほしい。コンラッドと共有できるものがもっとほしい。
 好きなら、自分の想いを妥協して相手に合わせることも必要だ。けれど、あたまで考えるよりもさきにくちが出てしまう自分はいつか不満をくちにしてしまうかもしれない。そうして何度も同じことで衝突するのだろう。そんな未来しか浮かばない。前向きに考えようとしてもいまの状況でそれは無理なことで――すっ、と有利は息を吸う。
「……別れようか」
 口唇が震える。
「別れよ、コンラッド」
 別れたって解決にはならないかもしれない。でも、これがいまの自分にはいちばんいい選択なのだ。子どもの自分には最良の選択。子どもの自分だからこその最後のくだらないプライド。
 ここで、コンラッドがなにか言いたげにわずかにくちを開いたようにみえた。が、それは自分の思いすごしなのかもしれない。自分の目には厚い涙の膜がはって、コンラッドの顔がぼやけてみえるから。
 瞬きをすると、涙の膜がはじけて頬に流れ落ちていく。有利はそれを手の甲で拭う。
「おれ、もうつかれた。くだらないことで悩むの。おれにはまだはやいんだよ、恋愛とか恋人とか。余裕なんてないし、おれ王様としても未熟だからそっちに専念したほうがいいんだ――あんたも言ってたよね。『俺なんかにはもったいない』とか『夢みたい』って。それ、おれにはあんたがもったいないっていうお世辞だったんだろ? 夢にしようよ。なかったことにしよう」
 まいあがりすぎていたのだ。恋人ができたことに。初恋が実ったことに自分はまいあがっていた。
 コンラッドがふたたびと自分のとなりを歩く。それが自分の最初の願いで最大の願いだったはずなのに。忘れていたから、こんなことになったしまったのだろう。
 なら、やりなおそう。
「おれは魔王であんたは臣下。それだけにしようぜ。な、コンラッド」
 有利は強張った表情筋を無理やり動かして笑みをつくり、もういちど別れのことばを言おうとくちを開いたがそれは叶わなかった。
「もういい」
 と、低い声を発したコンラッドに遮られて。
「言いたいことはそれだけですか?」
 ちからなく降ろしていた腕のかたほうの手首を強く掴まれて引き寄せられる。掴まれた手首の骨がぎしぎしと軋む音がからだに響く。
「俺の気持ちを勝手に考えて、結果を出さないでください!」
 至近距離で怒号され、目を見開いた有利の隙をついたように前触れもなく口唇が彼の唇によって塞がれる。
「――んっ」
 泣いてしまったことでのどが痙攣でひくついているのか息が普段よりも息ができない。それに加え、口内を荒々しく蹂躙される。
 コンラッドによって開発された口内にある性感帯を執拗に刺激されると自分の意志とは関係なく、肢体からちからが抜けていく。
「……言うことを聞かない俺と別れて、ほかの奴とセックスしたいのですか? 俺のことを泣くぐらい好きなあなたにそんなバカな真似ができるの?」
「ばっ、ばかって言うな! こっちは真剣にかんがえて、」
「考えて出した結果? あなたは俺を大人だとおっしゃいますが、それはあなたの過大評価なのに? 俺は聞き分けのいい利口な大人の男ではありませんよ。別れるなんて毛頭ないです。だってユーリが好きだから」
 うそだ。
 呟くように有利はコンラッドの『愛している』をくびを横に振って否定する。
「だってコンラッドなんにも言わなかったじゃんっ! そんなの信じられるかよ」
 振りまわさないでほしい。
「あ、愛してるって言えば……言いくるめられるとか思ってんのかよ! それともあれか? 振られるのがあんたのプライドに傷をつける?」
 昼間のことや、さきほどのコンラッドのセリフが有利のあたまや感情をぐちゃぐちゃにする。
 もういやだ。コンラッドの一挙一動に動揺し、困惑して駄々をこねる子どもに還っていくのは。
 有利はコンラッドを睨みつけ、同様にコンラッドも有利を睨めつけた。
「あなたが嫌なら、つき合うような真似しませんよ! 魔王の命で付き合えと言われても俺はつき合っていたかもしれません。しかしそれならばもっと早くあなたを抱いていました。……馬鹿なことを言わないで、ユーリ」
 最後のほうは縋るような弱々しい声音でコンラッドは有利を胸に引き寄せ抱きしめる。
「コン、ラッ……ド?」
「……昼間は、あなたが混乱しているように思えたからすこし時間をおいてちゃんとはなしあおうと考えていたからです。俺もユーリがそのような不安を抱えていたことに気がつくことができなかった。あのときなんと言えばいいのかまとまらなかったので」
 有利はコンラッドの胸にかおを埋めながら、彼のはなしに耳を傾け、あのとき有利の発言にショックを受けていたことを知る。
「任務を終えてからも、どう伝えればいいのかわからず祝い席にお邪魔したんです。なにか思いつくかもしれないと思いまして……ユーリを嫌いになるなんてありえない」
「でも、村田に押し倒されてるおれをみてもコンラッド動揺してなかったじゃん」
 頬にキスをされたとき、コンラッドは片眉をあげてはいたけど、そのほかは平然で冷静にみえた。
「ある一定の怒りをこえるとひとは表情を失うんですよ。猊下は俺がくるのをわかっていらしたようです。彼の策略だとわかっていたから、かろうじで理性を保っていました。でないと、我を忘れて猊下に切りかかっていたかもしれない」
 彼が自傷的に笑い「必要以上にくちを開ければ、あなたを傷つけることばが溢れてしまいそうでこわかった」と続け、より抱きしめる腕を強くする。
「……すみません。全部、いい訳です。なにより怖かったのはあなたとセックスをすることだ。したいですよ、セックス」
「なら、なんで」
「したら、あなたを手放せなくなってしまうから。いまでさえ、コントロールがうまくきかないんです。これ以上に我がままになった自分を受け止めてもらえるか考えると怖くてしかたがなかった」
 胸のなかで荒波を立てていた感情がゆっくりとおだやかになっていく。
 自分だけではなかったのだ。
『セックス』にたいして恐怖を覚えていることを、それをくちにするはずかしさも。
 自分のなかで持て余している感情を相手がなにも言わないことをいいことにそれらを相手に押し付けていた。『たぶんあっちはこう考えているから、したいと言わないんだ』と。
 有利は、コンラッドの背中に手をまわす。
「……コンラッドが、好きだ。だから、ほんとは……ほんとうは」
「ほんとうは?」
 コンラッドがやさしく有利の答えを促す。自分で切り出したことなのに、こんなにもすぐ前言撤回していいのか。
 不安でことばを紡ぐできない有利をあやすようにコンラッドが髪をなでつける。
「俺はあなたが好きです。だから別れたくない。ユーリはどうですか? 俺とやっぱり別れたい?」
「わ、別れたく……な、いっ」
 再びこみあげてくる涙とひきつけを叱咤して、途切れ途切れに有利が告げると「よかった」とようやく柔らかなコンラッドの声が有利の鼓膜を震わせた。
「別れよう、と聞いた瞬間。息ができなかった」
 コンラッドは言い、抱き締めていた腕をゆるめて有利のかおを覗きこむと、口唇が触れるだけのキスを落とす。
「ユーリに言われて気づきました。俺はあなたのことを子ども扱いしていたのかもしれません。一歩前に進むのが怖くて、そういう雰囲気やはなしが見えるとなんでもないようなかおをして逃げていたんです。……ね、ユーリ。セックスって気持ちいいだけじゃなくて痛いし、恥ずかしいよ? それでもしたい?」
 コンラッドはやさしい。それからばかだ。
 自分もばかだから、ひとのことなんていえないけど。
 有利は、こくんと頷く。
 したいしたいと言ってるくせにセックスのしかたなんて正直よくわからない。だけど、気持ちがいいだけじゃないってことはわかってる。
 痛いしはずかしいだろう。また泣いてしまうかもしれない。でも――それが全部コンラッドが与えてくれるなら、共有できるならうれしいことはない。
「コンラッドと、セックスしたい」
 有利は、今度ははっきりと、想いをくちにした。

next


「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -