交際半年目のハジメテB

 手早くコンラッドが紅茶一式を片付けると、会話という会話もないまま神妙な雰囲気で自室へと送られた。しかもタイミングよくそれともわるくというべきか、送迎が終わると同時にコンラッドはギュンターの兵に属しているダガスコスに呼びとめられ、有利の部屋に一歩も踏み入れることなく早々と姿を消した。
 コンラッドとダガスコスの会話を断片的に聞こえてきた。それはどうやら、急用らしい。どちらも慌てている様子は見受けられなかったので、おそらく危険を伴うような任務ではないのだろう。
 けれども、コンラッドは夕食が過ぎても帰ってこなかった。
 グウェンダルにそれとなくコンラッドのことを尋ねると『城下町の酒場で兵と酒を飲み交わしている』と教えてくれた。なんとなく、予想はつくが彼は自分に会いたくないのかもしれない。ふだんなら、任務が終了したらすぐに顔をみせにくるから。
 時間が経てば経つほど、後悔が胸のなかで肥大していく。
 今日の夕食は、自分の好きなものが出てきたのに食べてもおいしいと感じることができず、ただ機械的にすべてを胃袋のなかへと押しこんで、自室へともどるとすぐにドアをノックされた。
「おーい、渋谷。遊びにきたよ」
 ノックの主は、村田だった。
「……どうぞ。かぎは開いてる」
 明るい村田の声とははんたいに自分のこえは沈んだまま、部屋へ入るように促す。
「おじゃましまーす。眞王廟でさもしい夕食を食べてたときに、血盟城の兵士さんがこっちに用が会ってきたんだよ。で、きみのことが気になったから尋ねてみたら、ウェラー卿は城下町へ出たきりまだ帰ってきてませんって聞いてね」
 ベッドのふちに腰かけている有利のとなりに村田が座る。
 ちらり、と横目で村田の表情をうかがうと彼は苦い笑みをみせていた。おそらく、村田には検討がついているのだろう。
「……なんてコンラッドにいえばいいのかわからなくて」
「うん」
「くちごもってたら、コンラッドが『言いたくなったら教えてください。俺は、いつでも待ってますから』って言ってくれたんだ」
「うん」
 ぽつぽつと有利は呟くようなちいさなこえではなしをはじめる。うん、と何度も相槌をされているだけなのに、泣きたくなってしまうのはなぜだろう。
「その……いつでも待ってますからっていうことばに無性に腹がきちゃって。おれだけが、意識してるみたな。セックスしたいみたいな。……意味わかんないな。おれも意味わかんない。でも気がついたらとりかえしのつかないことになってた」
「うん」
「コンラッドはぜんぜんうれしそうなかおなんてしなかったよ。村田……どうしよう。おれ、コンラッドにあきれられた」
 とうとう胸がいっぱいになって、有利はかおを手で覆う。
「ごめんね。ぼくがせかし過ぎたんだ。でも、だいじょうぶだよ。ウェラー卿が渋谷にあきるなんてありえないよ」
 言って、村田はやさしい声音のまま有利の髪をくしゃくしゃと撫でつける。それが、さらに有利の涙腺を弱くしていく。
「こんな女々しい男をあきれないほうがおかしいって。あー……自分で言ってて情けなくなってきた」
 自分はこんなにもマイナス思考にベクトルが向かうやつだとは思わなかった。いまさら恋ということが恐ろしくなってくる。
「ウェラー卿のネガティブ思考が渋谷にもうつったのかな。ま、ウェラー卿とこれ以上こじれたくないなら僕と付き合う?」
「は? 村田はヨザックと付き合ってるんだろ?」
 ヨザックと村田が付きあうようになった経緯は、くわしく知らないが有利がコンラッドと交際をしたときにはすでに付き合いはじめていた。
「……ヨザックとうまくいってないないの?」
「まさか、順調だよ。だけど、なんとなく倦怠期って感じかな。だから、ちょっと新鮮な刺激的なことがしたいなあっておもって。僕もヨザックもかわいい渋谷なら大歓迎だよ。それにきみのえっちなかおがどういうのか見てみたいし」
 村田のこえに艶が帯び、流し目に有利の瞳をとらえた。
「む、村田……?」
「渋谷のくちびるって僕より厚みあるよね。ぷくんってしててかわいい。ヨザックとさんにんでセックスするのがいやだったら、僕としてもいいしさ」
「――わっ!」
 意味ありげに下唇をゆびの腹でなぞられ、有利は驚き村田との距離をおこうとしたが、なめらかなシーツにからだを支えていた手が滑り、からだのバランスを崩した。
「なーんだ。渋谷もけっこうノリノリじゃない。自分から誘ってくれるなんて」
「ちがう! ちがいますっ!」
 うれしそうにこえを弾ませた村田にあわてて否定をするが、彼の耳には届いていないらしい。かおの両サイドに手をつかれ、馬乗りをされてしまい身動きができない。
「これこそ若気の至りって感じだよね。大丈夫、ぼくうまいよ。痛い思いなんかさせないから安心して身をゆだねていいから」
「ちょっとまじ無理だから……っ!」
 押し倒されたときはまだ冗談で言っているかと思ったが、徐々に上半身を屈めかおの距離を縮めてくる村田に有利は本格的に焦りだした。
 やばい、このままだとキスはおろか、もしかしたら貞操を奪われるかもしれない!
「っひ!」
 頬にやわらかい感触。確認せずともそれは村田の口唇の感触だろう。目だけをそちらにうつせば、いたずらっ子のように笑んでいる村田と目があう。
「渋谷のほっぺってやらかーい。何度でもキスしたくなるね」
「冗談よせって!」
「冗談じゃないよ? まじと書いて本気だよ。さあ、つぎはくちびるにちゅーしよー!」
「お前、おれを慰めにきたんじゃないのかよ!」
「だから、慰めてあげてるでしょ? カ・ラ・ダ・で」
 言って、口唇をふたたび近づけてくる村田に雄たけびをあげそうになった瞬間――コンッ! と音が部屋に響いた。
 びっくりして、からだを有利は身をすくませる。
 ――コンコン。
 今度はひかえめなドアを叩くノックの音。
 一体こんな時間にだれだろう? 今日はヴォルフラムは、遠方に赴いているはず。
「……居留守しちゃおうよ」
 村田が有利の耳元で囁き、返事もまたずに有利のくちびるを手でふさぐ。
「たいした用じゃないから」
 彼には訪問者がだれであるのかわかっているらしい。有利は目で、相手がだれなのか、この手をはなせと訴えたものの村田は柔和に目を細めて空いたもう片方の手で器用に寝巻きのボタンを外していく。
 やめる気はないらしい。
「渋谷、若気の至り、だよ」
 くちを手でふさがれてすこし呼吸がくるしく、やさしい声音に次第にあたまがぼんやりしてくる。
「ほんとうに嫌だったら、僕を殴るなり、蹴り飛ばせばいいんだ。それができないってことは、このままシちゃってもいいってことだ」
 村田の言うことにも一理ある気がする。
 そうだ。いやなら暴れればいい。拒否すればいい。でもそうしないということは――村田のことを受け入れてもいい、と判断しているということなのかもしれない。
 ……そうなのかな。
 だから、断れないのかな。もしかしたら、コンラッドも同じような気持ちをもっていたのかもしれない。
 ふたりの間でどんどん付き合う、という価値観がかわってきて、でもいうタイミングを逃し続けて、今日のようなことが起きてしまったのかも。
 そう考えると、また胸が痛くなってくる。村田が言ったように、たいした用ではなかったのかノックの音は聞こえなくなっていた。
 セックスって愛がなくてもできるらしいし、気持ちがよくてなにも考えられなくなる。と以前どこかで聞いたことがある。
「ね、しちゃおうよ」
 逃げちゃおうよ。とも聞こえたそれ。コンラッドとのお茶会があってから、いや以前からずっと彼のことばかり考えてもうどうしていいのかわからない。
 有利が気がついたときには、無意識に首をたてにふっていた。
 これがよくないことかもしれないとはわかりつつも、逃げてしまいたくないと考えたくないと思う気持ちのほうがつよかった。
 薄くくちをひらき、こんどは一切の抵抗もせず瞼を閉じむ村田のキスを待つ。目をとじながらもふたりの距離はあと数センチだろうと察していたそのとき。
 ――バンッ!
 ひときは大きくドアを叩く音。そして、カチャリとドアのカギが開いた音がしあらわれた人物に有利の双ぼうは大きく見開かれる。
「空気が読めない無粋な男は嫌われちゃうよ、ウェラー卿」
「……もともと、猊下は俺のことがお嫌いでしょう。猊下、ヨザックが客間で待ちぼうけしております。呼びだしていたのでしょう? あいつもそれほどまでひまな奴ではありませんから、はやくそちらへ向かってあげては?」
 コンラッドも村田も笑顔、と呼ぶべきものをかおに浮かべているはずなのにまったくと言っていいほどあたたかみがない。
「臣下が僕にたいしてお説教するわけ? まあ、きみは君主である渋谷以外に興味がないからそう臆することなくものがいえるんだろうね。やめてよ、そういうこわいかおをするの」
 村田が有利のうえから身をひく。このときようやく有利は我にかえった。
 こじれいるとはいえ、恋人がほかの男に組み伏せられているのはよくないだろう。さっとかおから血が引いていく。
「猊下」
「はいはい。さっさと出てけっていうんでしょ。わかってるよ。あーあ、もうすこしで渋谷とセックスできたのになあ、残念」
 不意打ちにまた頬にちゅっ、とキスされた。有利の視界のはしでコンラッドがぴくり、と器用に眉尻を片方釣り上げたのがみえて、ますます焦りがうまれる。
 やばい、これはやばすぎる。
「ま、まって! むら」
「それじゃあ、またね。渋谷」
 このいますぐにでも修羅場を迎えそうな雰囲気のなか、村田はなんでもないように有利の制止をかけることばの途中でドアをしめた。
 パタン、とドアが閉じる音が静寂を部屋へと誘いこむ。
 つい数時間まえにも似たような雰囲気に有利は己の学習のなさを深く叱咤した。
「……お、おかえり。はやかったね。兵士さんたちと酒場にいるってグウェンダルに聞いてたから、今日はもっと遅く帰ってくるのかとおもってた」
「……」
 もちろん、コンラッドからの応答はない。コンラッドは部屋に入って数歩、というところで足をとめて表情なく有利を見据えている。
 村田に迫られたときとは比べものにならないほどに心臓が早鐘をうつ。
 こういうときどう対処するのがいちばんいいのだろう。
 村田に無理矢理押し倒されたのは事実だが、途中からそれを受け入れようとしていたのだ。村田に責任を押しつけるようなことはしたくない。
「――半月前に結婚をするということで兵を引退した者がいたんです。それから城下町で奥さんと花屋を経営したそうで、今日が開店初日だと聞きすこしの間祝いの席におじゃましたんですよ」
「そう、なんだ……」
 淡々と述べる彼に、有利はぎこちなく笑う。
 ほんとうに自分はばかだ。コンラッドが会いたくないから戻ってこないなんて考えていた自分がはずかしい。彼は正当な理由があって、戻ってくるのがおそくなっただけだというのに、自意識過剰にほどがある。
「申し訳ありません。無事任務も終え、報告をしに訪れたのですが何度かノックしても反応がありませんでしたので勝手ながら鍵を使用させていただきました。俺のはやとりだったようです。しかしあなたになにもなくてよかった。……もう夜も遅いですし、俺は失礼させていただきますね」
「は、」
 有利に向けて、きれいな礼をするとコンラッドは何事もなかったようにこちらに背を向けて部屋をあとにした。
 コンラッドのいた位置がドアに近かったこともあるが、彼に言われたことばがあまりにも衝撃で有利は身動きひとつできない。
『あなたになにもなくてよかった』
「なにも、なかった……?」
 村田に押し倒されている自分をみてなにも思わなかったということ?
 眉尻をつり上げたのは、ただ単に目の余る行為を不快に思っただけで、恋人としてはとくになにも感じていないということなのだろうか。
「うそ……」
 あたまを鈍器で殴られたように、心臓をぎゅっと鷲掴みされたようにいろんなところがいたい。
 怒られたいとは思わないが、なにも言われないのもつらい。
 なにも言わない。なにも感じない。つまりは……。
「――っ!」
 有利は、いきおいよく立ちあがるとドアを開け放ち廊下を走る。そうして自室のドアを開ける直前のコンラッドを捕えた。
 好きの反対は、嫌いじゃない。
 好きの反対は――無関心。
「……っいやだ!」
 そんなのは、いやだ。



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