映画はラブストーリーがお約束



「……思ってたより、ひとがすくないね」
 有利は周りを見渡しながら、こっそりとコンラッドに耳打ちした。
「そうですね。でも、そのほうが気が楽でしょう。ちょっとうえの席に座りましょうか。ここは真ん中の席よりもうえのほうが見やすいんですよ」
「うん」
 ここは都心にある自宅近くの映画館。とはいっても、むかしからあるごじんまりとした映画館だ。休日だからけっこう混んでいるのかと思ったが、よく考えてみれば最近アウトレットの一角に大きな映画館が設立されたのを思い出す。おそらく客はそちらに流れてしまったのだろう。この映画館は狭い路地を通ったさきにあるし、映画を観終わったあと、遊びに行けるような場所もない。
 有利とコンラッドは適当に席に腰をかけた。もう一度ホールを見渡す。 見渡して確認できたひとは一番前の席にひとり。真ん中の席には中学生女子が三人。その横の席をひとつあけて三十代の女性がふたり。
「……男は俺たちだけ、みたいですね」
 有利が思っていたことをコンラッドも思っていたようだ。
「ごめん、いやだった?」
 尋ねると、コンラッドは「いいえ」と首を横に振る。
「映画を観るのは好きだし、俺は客層とか気にしないので。……むしろよかったかな。客がすくないとなんだか贅沢している気分になるし。ユーリは?」
「おれも。それに恋愛モノを映画館で観るのははじめてだからちょっとわくわくしてる」
 言ってふたりでかおを見合わせて笑い、コンラッドがおもむろに腕時計をみた。
「まだすこし上映まで時間がありますから、わくわくついでになにか買ってきますね。キャラメルポップコーンと……ユーリはなにを飲みますか?」
「あ、じゃあコーラをお願い」
「了解しました。では、ちょっと行ってきますね」
 コンラッドが買い出しに席を離れると有利はいまから上映される映画のパンフレットを開いてあらすじやキャストに目をとおす。
 現代が舞台になっているらしい。あらすじはこうだ。二十七歳の女性主人公。彼女が最後に恋愛をしたのは大学生のときで社会人になってからは仕事にあけくれる日々。自分のまわりでは、次々結婚などをしていくさなか自分だけはまったくといっていいほど縁がない。年数を重ねるにつれて、仕事のキャリアもあがっていくのでもとより恋愛する時間などないのだと言い聞かせるも、でも心のどこかでこのままひとりで人生を過ごすのかもしれないと電車のなかでぽつり、考えたときに彼女のまえに高校生男子が現れる……。
 現代の社会人ではよく悩みそうなことがテーマになっている。けれど、物語の端々には王道もみえてたのしそうだ。そうして有利はパンフレットを読みすすめ、とある名前をみつけてこっそり微笑んだ。
 高橋のぞみ。
 今回、映画を観に行くきっかけである女の子。
 このあいだ、高校の同窓会で数十年ぶりに再会をしたのだ。高校時代は偶然席がとなりになることがおおく、いちばんなかのいい女友だちで、あのときから彼女は将来女優になりたいと夢を語っていたのだか、ついにその夢を叶えたらしい。もともときれいなかおだちをしていたけど、幼さが抜けたぶん、久しぶりにあった高橋はさらにきれいになっていた。そうしてむかしばなしや社会人ならではの愚痴などいろいろと花を咲かせていたとき、高橋はこっそり有利に映画のチケットをくれたのだ。
『渋谷、これよかったらもらって』
『映画の招待券?』
『うん。まだまだ芸能人としては売れないけど、初めて映画に出たんだ。私の出番はほんのすこしだけど、渋谷に観てほしいんだ』
 私の夢、笑わないで応援してくれたのって渋谷だけだったから。と彼女はすこし照れたように笑った。
『ちょい役で、エキストラみたいな感じだけど見つけてくれたらうれしいな。映画もCMするほどじゃなかったみたいけど、話はおもしろいと思うし』
 言って差し出された映画のチケットを受け取り――いまにいたる。
 ついこのあいだ。ケンカというかコンラッドとすれ違いがあったばからだから、こうしてふたりで時間をとってどこかに出かけるのは久しぶりだ。しかも、自分からコンラッドを誘うということもめったになかったから、こういう機会を与えてくれた彼女には感謝しないと。思いながら、パタンとパンフレットを閉じればちょうどコンラッドが買いだしから戻ってきた。
「はい、ユーリ」
「ありがとう。っていうかなにそれ」
 差し出されたコーラを受け取りながら有利は大きく声を立てて笑うのを必死に抑えた。彼が買ってきてくれたポップコーンのサイズは大人の顔でもすっぽり隠れてしまういちばん大きなサイズ。
「甘くておいしそうな匂いとLサイズに好奇心を刺激されて思わずね。でも、ユーリもこういうの好きでしょう?」
 たしかに映画館で販売してるキャラメルポップコーンのLサイズは目にするといいなあとは思ったことはあるけど、どこか気恥ずかしくて注文したことはなかった。
 コンラッドといると、いつか描いていた子どものような夢がかなえられる。コンラッドが叶えてくれる。
「……ありがと」
「どういたしまして」
 たぶんコンラッドは『ありがとう』に込められたほんとうの意味を知らないだろう。でも、それでよかった。きっと気づかれてしまったら自分はとてもじゃないが平然とした顔でいられなかったから。
 有利はキャラメルポップコーンをひとつ摘まんでくちに放りこみ、口内に広がる甘さに目元を緩めた。
 アナウンスが場内に響き渡り、ライトが消される。
 もうすぐ、映画がはじまる。

* * *

 恋愛映画を観たことがないから、見慣れているひとの感想はわからないけれど、自分で思うにはこの作品はとても良質なものだと思う。パンフレットにおおまかな物語の進みを把握していたが、主人公の心理描写はとてもリアルで、コンラッドと付き合うまえの自分やついこのあいだまで抱いていた不安感などが投影されて胸が何度も痛くなったりした。そのたび泣くまいとこらえていたのだが、主人公が終盤にさしかかりようやく主人公と相手の誤解がとけた瞬間、とうとう堪え切れなくなって有利はコンラッドに気づかれないようこっそりと眼尻に滲んだ涙を服の袖で拭う。
 だれもいない車両でおずおずとどちらともなく手を握り、主題歌がエンドロールを誘う。
 主人公の心のつぶやきが場内を包む。
『電車なんて、ただ私を会社へ放り込む箱でしかなかった。子どものときに読んだお伽噺のように白馬の王子様なんていないとおもったし、私はそもそもお姫様なんかじゃない。だけど、たしかに王子様はいたのだ。私を見染めてくれた王子様が、この箱にはずっと乗っていた。明日もこの電車に乗って、会社に行くだろう。けれどそれはもういままで乗っていた箱ではない。私は明日から適当に化粧なんてしない。しっかりアイラインをひいて、王子様のとなりへ座るのだ。私はたったひとりに愛されるお姫様になる。』
 つぶやきの途中でエンドロールが流れていく。
 主人公のことばに、拭ったはずの涙がつぎからつぎへと有利の瞳から溢れていく。
 と。
 ふいに、有利の目尻に柔らかいものが触れた。
「え?」
 確認しようとそちらを振り向けば、その柔らかいものが今度は有利の口唇にふれる。
 柔らかいそれは、コンラッドの唇だった。
「服で拭ったら、腫れてしまいますよ。涙がとまらないなら俺がとめてあげます」
 言ってもう一度くちを塞がれる。たしかにこれなら乱していた呼吸が一時的にとめられて涙が引っ込むかもしれない。でも、ここは公共の場だ。だれかにみられたらとんでもないことになる。
 あたまではわかっているのに、有利は縋るようにコンラッドの裾を握りしめることしかできない。
 キスをされたのは数秒だったのかもしれない。だけど有利にはとても長く感じられた。
『あんたたち、なにやってんのよ!』
 ようやく口唇が離れたとたん、責めるような声が聞こえて有利はびくり、と肩を震わせた。
 やばい、だれかに見られた。 そうおもったが、その声は大きなスクリーンに映る友人である高橋のぞみのものだった。
『公共の場でいちゃいちゃしちゃって。そういうことは家でしなさい! ハッピーエンドじゃないのよ。これからも人生はずっと続くんだから』
 呆れるような彼女の顔。客席もまだスクリーンのほう向いている。
「……怒られちゃいましたね」
 コンラッドがいたずらっ子のように笑う。
「ばか。あんたがキスなんてするからだろ。ハンカチとか渡してくれればよかったんだ。それに、」
 言って有利は残り少なくなったコーラを飲みほしてそっとコンラッドに耳打ちした。
「……ああいうのは、家でするもんだろ」
「家でいちゃいちゃしてくれるんですか?」
 うれしそうに弾んだ声でコンラッドが尋ねる。
 有利はそれに答えるかわりに、コンラッドの手を握ってみせ、コンラッドが握り返してくれる。
 まるでさっきのエンドロール間際のふたりのように。
 そうして映画が無事終了すると、有利とコンラッドは何事もなかったように手を離してホールをあとにする。
「ねえ、ユーリ」
「なに?」
「また、恋愛映画観ましょうね」
 言われて、有利は「気が向いたらね」と答えた。
 恋愛映画をコンラッドと一緒に観たら、もっとコンラッドのことが好きになってどうしようもなくなってしまうような気がしたからだ。とても、映画館で観られるような気がしない。
「まあ、家で観るならいいけど」
 そう有利は答え、ポケットから携帯電話を取り出すと、高橋からメールから『どうだった?』と一通のメール。
 それにたいして『すごく、良かった。高橋の役も最高だったよ』と余韻の冷めないうちに感想を送るとすぐさま返信が返された。
『やっぱり、映画を観るならラブストーリーがお約束でしょ』
 高橋のメールに有利はくすり、と笑いながら送りかえした。
「……なあコンラッドの行きたい場所なかったら家に帰らない?」
 有利が言うとコンラッドはちょっといじわるそうな顔で「おや、さっそくいちゃいちゃしますか?」と尋ねたので有利はそのあたまを「調子にのらないの」と小突いた。
「外で飯食べようとおもったけど、もうお腹もいっぱいだから家でくつろごうって意味だってば!」
 反論するも、そんなのくちだけだときっとコンラッドには悟られているだろう。
 なぜなら、たぶんいまの自分のかおはにやけているし、なによりさきほど返信したメール文を思い返してもコンラッドの言っていることは間違えではなかったからだ。
『映画は恋人と一緒に観たよ。高橋が言うようにこのままだと公共の場でいちゃいちゃしそうなので、いまから家に帰っていちゃいちゃしようと思います』
 携帯電話の電源を切る。
 そうでもしないと、きっとこんどは怒った彼女からメールではなく電話がかかってくるだろう。
 うしろにいたコンラッドがふたたび有利のとなりを歩きはじめる。それを横目にみながら、自分たちのこれからも続くハッピーエンドの道のりもどうかしあわせでありますようにそして自分も愛される王子様でいられますように、と有利は青く澄み切った青空に願った。

END
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