雨上がりの水たまりを綺麗だと思いました




 晴天が続く。最近はあちらに呼ばれていない。おそらく眞魔国ではそう時間が経っていないのだろう。だから呼ばれないのだ。自分から行くことも可能ではあったが、ここのところ学校では苦手な小テストがたて続きにあり、行くに行けない。それでも、ふと教室の窓から澄み切った青空と目にすると恋しくなる。
 ……会いたいなあ。
 ユーリは女々しいなと思う自分を自傷的に笑った。付き会った当初より、恋心にコントロールはついたが、やはりこうも会えない日が続くと彼のことを思い出す。もう、ふた月ほどは会っていない。声を聴きたいと思っても、自分も携帯持っていないし、地球から異世界まで電波なんて通っていない。
 学ランのしたに下がるペンダントを握り、静かに目を閉じた。想像する。彼の声を、顔を体温を。すると、不思議なことに覚えているはずのそれらが途端に曖昧になって、余計に恋しくなった。
 ああ、雨でも降らないだろうか。
 机に顔を突っ伏して、ユーリは女々しい顔を隠した。幸いにも、それを先生に怒られることはなかった。


* * *


 ――と、五時限目辺りから、空の雲行きが怪しくなってきた。雲ひとつない空に灰色の雲が立ちこめ誰かが小さく「通り雨だな」と言った。それからすぐに大粒で激しい雨が音を立てて降り注ぐ。耳に入るその音にユーリの心を大きく揺さぶった。今すぐにでも駆け出したい衝動。しかし、もしそれが出来てもいまはあちらに行けるか分からない。確実にこちらからスタツアする場合は、村田の力を借りなければいけないのだ。村田も村田でいまはテストなどに追われて忙しい時期だと言っていたのを思い出す。
 自分の我儘だけではいけない。
 胸に蟠る衝動を唾とともに飲み下す。一生会えないわけじゃない。絶対に、今は会えずとも眞魔国へ行くことができる。ユーリはそう自分に言い聞かせて、五限目の体育に励んだ。しかし、まだ十六歳の少年が、早々自分の感情をコントロールできるはずもなく、急遽体育館で行ったバスケットボールでは散々な結果であった。オウンゴールを決めてチームは負け、足を挫いて途中退場。自分で気持ちに区切りをつけたように見えてもなかなかうまくはいかないものだ。
 友人に保健室まで付き添われながら、恥ずかしい自分の姿にユーリは苦笑するのだった。
 全ての授業が終わり、放課後にはすっかり雨は止んでいた。少し強めに吹く風とまた現れた太陽の日差しにほとんど地面も乾いている。さすがに足を挫いてしまい、自転車に乗ることはできず、かといって押して帰るのも今日はなんだか面倒に思い、ユーリは自転車を学校に置いたまま、徒歩で帰宅することに決めた。春も近く、頬にあたる風もどことなく穏やかでたまにはこうして徒歩で帰るのも悪くないな、と公園の前を過ぎようとしたとき声を掛けられた。
「しーぶや」
「村田っ」
 こんな時間に会うのは珍しい。
 ユーリの学校は六限と七限のときがあるが、村田のエリート校とも巷でも有名な学校は、七限あるのが当たり前なのだ。今日は六限しかなく、どうしてここに彼がいるのかわからない。どうしてここにいるんだ。と、問うまえに村田は「僕だってさぼりたい日だってあるのさ」と答えた。
「……テストも終わったし、特に切羽詰まってやるものもないしね。なのに、七限の自習までいるのは馬鹿らしいじゃないか。自習は家だってできる。僕お得意の演技力で早退したよ」
「お得意の演技力って……」
 一体どのような演技をしたのだろう。あまり想像はできないが、彼なら自分の決めたかことならなにがなんでもやろうとするところがある。きらり、と不自然に逆光に光る眼鏡にユーリは小さく笑った。
「勉強おつかれさま」
「渋谷もね。……さて、こんなところにきみに会えたのはとてもラッキーだったな。いま、きみの家に行こうかと思っていたんだ。美子さんのお手製カレーでも頂きながら」
「だからどうしてお前がおれの家庭事情を知ってるんだよ」
「今日は金曜日だろう。なら渋谷家はカレーの率が高いと思うんだけど」
「おれの家は、船乗りか。まあ、残念な話今日の夕食は昨日の残りのカレーだよ」
「カレーは一日経ってからのほうが美味しいからいいじゃないか」
「そりゃあ、そうだけどさ。おれもカレー嫌いじゃないし……ってだから、どうしておれの家に行こうと思ってたんだよ」
 こちらに近づいてくる村田は「僕は友達思いだからね」とわざとらしく肩をすくめて言う。
「そろそろ、あっちにも行きたいんじゃないかなって思ってさ」
 あちら、というのは十中八九眞魔国のことだろう。
「……おや、行きたくないの?」
 思っていた反応と違ったようで、村田は小首を傾げた。ユーリも行きたくないというわけでもない。つい数時間前まで恋しくて、彼を思い出したりしていたのだから。
 でもなあ……。
 ユーリはばつ悪そうに後頭部を掻きながら答えた。
「だって、いま行ったら怒られそうなんだよな、コンラッドに……っていうか、すごい心配した顔しそうなんだよ。今日さ、体育中に足挫いちゃって」
「それはそれは。過保護な彼ならすっごい顔をしそうだよねえ。帰ってきたらーっと思ったら目に入れても痛くないむしろ目に入れたいくらい大好きなきみが自分のいないところで怪我を負ったなんて知ったら」
「……やっぱり、村田もそう思う?」
「うん、思う」
 村田は即答する。ちょっと意地の悪い笑みを浮かべながら。
 久々に彼に会えるのは嬉しい。けど、いまのまま会うのはちょっとためらってしまう。
「でも別にいいじゃないか。会えるときに会っておかないと勿体ないよ。と、いうかあまりにも会ってなさすぎてウェラー卿のへたれ具合が移ったんじゃない? 渋谷らしくないなあ。それに、その怪我だってどうせあっちのこと考えてうわの空だったんだろう? 怒られるのも心配するのも至っていつものことじゃないか。考えるよりもまずは行動するのがきみだろう。それに、きっとみんなもきみと同じくらい会いたがってるよ。こっちの時間と異なっていても、渋谷を大切に思ってるのは変わらない……そうだろう?」
 それに、と村田は話を続ける。
「まだ、そう日が経っていないならグレタ嬢も血盟城に帰ってくるかもしれないし、またお忍びでウェラー卿とヒルドヤードの温泉街でひっそりデートできるかもしれないじゃないか。いまのちっぽけな悩みなんてあとから考えればいいさ。どうだい、そわそわしてきたんじゃない?」
 ぱちゃん、コンクリートに乾き切らなかった水たまりに村田の靴が濡れ、ユーリに向かって手を差し出した。
「……まあ、行かないなら僕ひとりで行っちゃうけど。渋谷、どうするの?」
 村田の手を取って、ユーリは笑った。
 こんなにも魅力的な誘惑をされて、断れるわけがない。
「行く!」
 そうだ。これぐらいのちっぽけな悩みなんてないのと同じだ。彼が、とても心配そうな顔をしたら思いっきり抱きついて、その拗ねた唇のキスをしてやればいい。虚を突かれた表情なんてそうそうみれたものじゃない。もしかしたら、照れた表情を浮かべるかも、と考えれば行きたくて、行きたくてわくわくしてきた。
「そうこなくっちゃ!」
「レッツ、スタツア!」
 二人は水たまりに両足をつけた。

END

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