相愛者が半月に背を向けた日の話をしようか



 恋をして、愛を知る。
 生まれてこのかた十六年。恋人なんていなかったけど、彼――コンラッドと出会い、恋愛とはこういうことを言うのかもしれないと有利は思うようになった。それからこの世のすべてにはやはり得ると同時になにかを失うということも。
 ここ連日。月末ということもあってか通常より魔王宛に送られてくる書類の量が多く、多忙を極め集中力が切れたからと言って脱走できる状況ではなかった。
 ……いや、それ以前にコンラッドに自分が甘えられなくなってしまった、からかもしれない。
 まあ。なにはどうあれやっと書類タワーも机上から姿を消して、明日は休暇をもらえることとなった。
 明日が休みだと思うとなんだが夕食も普段よりおいしく感じる。
 有利はとなりに座るヴォルフラムと談笑をしながら、ちらり、と視線をうつした。……コンラッドのほうに。
 彼は今日任務から帰ってきたヨザックとなにかをはなしていた。おそらくヨザックのみやげはなしをしているのだろう。
「……おい、ユーリ。ボクのはなしを聞いているのか?」
「え、あ! ごめんっ! ちょっと、ぼぅっとしてた。アハハハ……」
「ったく。しかし、今回は執務も多忙だったようだし、からだに疲労がたまっているんだろう。明日、ボクは視察にでるからそのさい、なにかへなちょこユーリになにか甘い菓子をみやげに買ってきてやろう」
「まじで! ありがと」
「それから、ユーリ」
 ヴォルフラムは手招きをして耳を寄せるように指示された。「なに?」と有利が尋ねると、彼は「明日はコンラートも休みだ」と言った。
「存分に休暇をたのしむといい」
「あ、ありがと……っ」
 ヴォルフラムはとてもやさしい。
 ――コンラッドが離反し、再び戻ってきたのを同時に自分はヴォルフラムに婚約破棄を申し入れ、それからほんとうは離反前もコンラッドが好きだったこと打ち明けた。
 どんなときでも、自分を信じてくれて背中を押してくれたりときには悩みをきいてくれたヴォルフラム。そんな彼を傷つけると知りながらも、もうコンラッドを失いたくはないという自分の身勝手な思いで告白したのだ。ヴォルフラムを失望させたかもしれない……終始、黙ってはなしを聞いてくれた彼に有利はそう思った。が、しばしの沈黙のあとヴォルフラムがくちを開いて出したことばは有利やとなりにいたコンラッドが予想もしなかったものだった。
『……わかった』
『え?』
『なに、聞こえなかったのか? ボクはわかった、と言ったんだ』
 罵倒のひとつやふたつ。殴られてもおかしくないと有利もコンラッドも考えていたのに、ヴォルフラムがあまりにもあっさりと破棄を承諾してくれたことにおどろいた。ヴォルフラムの返答にあっけにとられていた有利とコンラッドの顔を交互にみると彼は『ふたりともそのまぬけ面をするのはよせ』と長男であるグウェンダルを彷彿させるように額にしわをよせた。
『まあ、おまえらが聞きたいことは予想つく。……ボクは以前からふたりの関係に気づいていた』
『い、いつから』
『ユーリのとなりに座っているバカな男が離反するすこしまえから。付き合っていなかったことにはおどろいたが、離反から戻ってきて、ああやはりユーリはコンラートに恋心をいだいているのだと実感していたからな。……なのに、貴様らときたら隠れて付き合いだして。あとすこし遅かったらボクから婚約破棄を申し出ようと思っていたぐらいだ』
『……ヴォルフラム』
『だが、やきもきしながらもいままで自分が言い出せなかったのは、心のどこかでもしかしたらいつかおまえがボクを選んでくれると淡い期待を持ち合わせていたからなのだろうな』
 ヴォルフラムはこちらに向けていた視線をテーブルへとうつして、ちいさく息をはいた。
 いままで、ヴォルフラムを傷つけてはいけない。そう思ってコンラッドとの関係は黙っていたが、それは違ったいたのだと気づかされた。……自分もコンラッドも自分たちのことだけしか考えていなかった。隠れて付き合っていたという後ろめたい気持ちと、カミングアウトして人々が自分たちを見る目が変わってしまうことを恐れていただけだ。
『ヴォルフラム。ほんとうにごめんな』
 謝ってすむはなしではないことはわかっているが、それ以外のことばが見当たらない。
『そんなに謝るな。母上も仰っていた。「愛にはだれも逆らえない」と。……とにかくボクは、いま安心している。肩の荷がおりた。これでもう期待などせずにいられるからな。ただし、ひとつだけ約束してほしい』
 ヴォルフラムはふたたび顔をあげ、こちらを見据える。
『ぜったいに、別れるなんてゆるさない。しあわせになる。それを約束してほしい』
 そう言って、笑ったヴォルフラムの顔を自分は忘れないだろう。泣き笑いの彼の表情を。――あれから、数か月経ったいま。ヴォルフラムは、あいもかわらず接してくれている。自分もコンラッドが離反した一年のあいだにいろいろと成長したと思っていたが、ヴォルフラムのほうが各段に精神的にも肉体的にも成長して大人になっていると思う。
「……どうかしたか?」
「あー……なんかヴォルフってかっこうよくなったなって思って」
 言うと、彼はきょとんとした顔をしてからすぐに口先をあげて「いまからでも婚約破棄を解消してやってもいいぞ?」と笑った。からかい口調で。
「ヴォルフ。そんなことしたら、ギーゼラさんに『尻軽』だってしごかれるからな。気をつけろよ」
 有利も冗談に冗談を重ねて返答すれば、ヴォルフラムが「うっ……」と声を詰まらせた。
 ヴォルフラムはギュンターの娘であり鬼軍曹と呼ばれるギーゼラと付き合っている。自分が悩み、苦しんでいるとき、ヴォルフラムに助けてもらったときと同様に彼もまたギーゼラが支えてくれていたらしい。
「このあいだもギーゼラを怒らせてたって聞いたぞ」
「あれは怒らせたくて怒らせたわけじゃない。ギーゼラがあんまりにも身なりを気にしないから、ふたりで出かけた際に服や、宝石を買ったんだ。そしたら、あいつが『無駄遣いなどなさらないでください!』と、買ったものを突き返してくるわ、恋人だから休日くらい『閣下』と呼ぶのをやめろといったら『……私に命令しないでください』と勝手に怒りだしたんだ」
 そのときのことを思い出したのか、ヴォルフラムはながくため息をはいた。
「まったく、女心というものはわからん」
 そう悪態をつきながらもヴォルフラムの表情はやさしくて、なんだかんだ順調に交際を続けているのがわかる。
 明日の視察帰り。きっと、自分のみやげよりもさきにギーゼラへのみやげを考えていたにちがいない。
「おれも女の子と付きあったことないからよくわかんないけどさ……ヴォルフからもらったものほんとうはうれしかったんじゃないかな。ただ贈り物の量が多すぎとか高価なものに気がひけるのかも」
「そういうものなのか?」
「好きなひとからもらうものは、なんだってうれしいよ。でも、少なくともおれはってはなしだけど」
 もしかしたらコンラッドに聞かれてしまうかもしれないと有利はひそひそ声でヴォルフラムにいえば『好きなひと』のところでわずかに彼は顔を赤らめた。
「ふ、ふん。恋愛経験のとぼしいユーリから助言をもらうとはな。……まあ、一応参考にしておいてやる」
「おう。参考にしてみて」
 前言撤回。すこし修正させてもらおう。
 ヴォルフラムのこと『大人になっている』と思ったがただしくは『大人に近づいている』だ。
 恋人のはなしをするときのヴォルフラムの顔はとてもかわいいな、有利は思った。

「――なにをヴォルフラムとおはなしされていたんですか?」
 夕食を終えて、魔王専用大浴場で疲労と汗を洗い流して脱衣所で寝巻きに着替えていると、コンラッドが濡れた髪をタオルで丁寧に拭きながら尋ねた。
「ふたりともたのしそうにはなしていたので」
「ああえっと……明日、ヴォルフが視察に行くからその帰りに甘い菓子を買ってきてやるって言われたのと、ギーゼラさんと痴話げんかしたよっていうはなしで盛り上がってたんだ」
「そういえば、ギーゼラとのはなしは俺も聞いたことがありますね。なんでも彼女によかれと思ってプレゼントしたら、こんなにいりません、と突き返されたとか」
「そうそう。まあ、ヴォルフの気持ちもギーゼラさんの気持ち、どっちもわかるけどね」
 明日、コンラッドも休みだから『存分に休暇を楽しめ』とヴォルフラムが言っていたことは言わなかった。
 いや、言えなかった。羞恥心とそれから言ったあと彼がどのような反応をするのか知るのがこわかったのだ。
 コンラッドとは離反したあと、ぎこちない関係が続いて悶々としていたときに村田やヴォルフ、それからヨザックが助け舟を出してくれて互いの思いも打ち明けコンラッドは一生の忠誠を誓ってくれたし、言ったところでもしかしたらたいして彼はなにもおもわないのかもしれないが、それでもネガティブになってしまう思考をとめることはできない。
 恋だと知るまえの『好き』と恋をして愛して恋愛感情となった『好き』はあまりにも質がちがってもう付きあってずいぶんな日数が経っているというのに、どうしたらいいのかわからない。
 明日は一緒にいようとか、以前なら言えたはずのセリフ。でもいまは言ったら積極的だなとか、疲れてるからほんとうはひとりでやすみたいのにと思われていたらどうしようと考えてしまうのだ。
 ……乙女思考すぎる自分がいやすぎる。少女漫画のかわいい子がおもうならまだしも顔も人柄も平均な自分がそういう思考回路になっていることがキモイ。
「ユーリ、どうかしましたか? いきなりだまりこんで」
「あ、ごめん。ヴォルフにもいわれたけど、つかれがたまってさっきからぼぅっとしちゃうみたいだ」
「今回は脱走せずにがんばっていましたからね。無理もないですよ。……はい。髪も乾きましたし、部屋までお送りします」
「うん」
 コンラッドは大人だから、きっと恋愛感情の『好き』をコントロールできているのだろう。自分のようにささいなことで動揺などしないし『こう言ったら、相手はこう思う。行動するだろう』というのがそこそこ予想できるのかもしれない。……だから『自分も明日休みなんです』といわないのかもしれない。
 一緒にいたいなら、自分から言えばいいのはわかっている。でもやはり、羞恥心がじゃまをして言えない。
 有利は自室まで送ってくれると言いとなりを歩くコンラッドの足元をみながら思った。
 大浴場から自室までの距離はそう遠くなく、そうこうしているうちに部屋のドアが視界の端にみえた。
 ああ、このまま明日はコンラッドとロードワークしたあと別行動で一日おわるのかな。
 と、コンラッドと談笑をしながらぼんやり考えていると、突然彼が立ち止まった。
「コンラッド、どうかした?」
 問うと、彼は無言のまま、手を掴み月の光で影になっている角へ連れられた。
 侵入者でもいたのだろうか、と聞こうとして有利が顔をあげた瞬間。それよりもさきにコンラッドがくちを開いた。
「――あなたが悪いんですよ。そんな顔をなさるから」
「は? どういうい、」
 どういう意味、と最後まで言えなかった。
 いきなりコンラッドが、キスをしたから。キス、といってもかすめるような一瞬のものだったがそれでも今日はなにもないと思っていた矢先のこと。かなりおどろいてしまい、有利は一歩うしろへあとさずる。背中は壁にあたり出口をふさぐようにコンラッドが有利の顔の左右に手をおいた。
「……どうしてくれるんです。ここ数日の疲労もたまってらっしゃるから、明日はしっかりと休養していただきたいと思っていたのにそんな顔をされてしまっては期待してしまうじゃないですか」
「そ、そんなかおって……」
「俺が欲しいという顔です」
「はあ!? な、ななななに言って」
 よくもまあ、歯の浮くようなセリフが言えるものだ。しかもコンラッドは『まったく恥ずかしくありません』みたいな顔で言ってしまうから聞いてるこっちが恥ずかしい。
 不意打ちのキスや発言に有利は顔をあつくしたが、はた、とコンラッドのセリフをもう一度あたまのなかで反芻して気がついたことがある。
「……え、っともしかして……コンラッドも一緒にいたいとか考えてたの?」
 おそるおそる言うと、彼は長いため息をついて片手で額を覆う。
「あなたのこととなると、俺は余裕がなくなってしまう。自分の感情のコントロールができない」
 ほんとうはもっとあなたにやさしくしたいのに、自分の欲をあなたにぶつけてしまいたくなる。
 そう言ってコンラッドは苦く笑う。
「百歳も超えた大人がなさけないですね。俺を欲している顔をなさっているというのはうそです。ちゃんとユーリを部屋へお送りします。……ただ、すみません。もうすこしだけこうさせてください」
 コンラッドは言うと、有利を抱きしめた。肩口に彼の呼吸とにおいがする。
「こんなところで抱きつくなよっ! だれかに見られたらやばいって……っ。せめておれの部屋でしてくれ」
「大丈夫です。ちゃんと周囲は確認済みですから。それにいま部屋におじゃましたら、俺はあなたを押し倒してしまう」
 コンラッドの肩に顔を埋めているので、彼の表情をうかがい知ることはできないが、声音でそれが本気であることはわかる。
 自分の脳内で響く彼の甘いことば。それはとてもはずかしいものだが同時にコンラッドが自分を欲してくれているという喜びが有利の胸に沸き上がってくる。
 コンラッドが本音を言ってくれたのに、自分だけほんとうの気持ちを言わないのはフェアじゃない。
 有利はコンラッドの背中に手をまわした。
「……ユーリ?」
「あ、あのさ? やっぱり部屋に行こうよ。……おれもあんたとおなじ気持ちだし」
「それは、あなたから誘われていると受け取ってよろしいですか?」
 抱きしめていた腕をゆるめてコンラッドは顔をあげ、有利の顔をみる。
「だからなんであんたはそう恥ずかしいことを言うかな! べつにおれは……」
「誘っているわけでもない?」
 コンラッドという男はずるい。まるで大型犬がしょげたような顔で言うから、どうにも悪態を最後まで突き通せなくなってしまう。……いや、本来ここで悪態をつくほうがおかしいのだけど。
 有利はコンラッドから目線をはずして、ぼそぼそと「……誘っているわけじゃないのかもしれない」と答え、誘っているのか誘っていないのか一体どちらなんだと言いたくなってしまう。けれど、コンラッドには自分の言いたいことがちゃんとわかったようだった。
 もう一度、包容される。
「……なあ、迷惑じゃなかったらのはなしなんだけど、おれもコンラッドの部屋行っていいかな」
 ちいさく。それこそ、か細すぎて聞こえないほどの声で有利は本音を呟いた。
「あんたと一緒にいたい……」
 言うと、彼は「迷惑だなんてありえません」と即答する。
「俺と同じ気持ちでいてくれてうれしいです」
 コンラッドがうれしそうに言う。
 まだ本音をくちに出すのは怖くてできないけれど、いつかその恐怖をのりこえていきたい。
 もっと彼に好きになってもらいたい。喜んでもらいたい。
 廊下の窓から差し込んでいるまぶしいほどの月の光に有利はとある日を思い出した。大きな満月が現れて静かな塔のうえで告白したあの日を。
 ああ、どうか今日も自分に力を与えてください。
 有利は半月に背をむけてすこし背のびをしてコンラッドの頬にそっとキスをした。
 いつか素直になれますように。それから言えない『愛している』という思いをありったけ詰めて。

END
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