押しては引いて、惹きよせて。

 
 ようやく帰ってきた。もうひとつのホームベース眞魔国へと。
 地球の日数では二週間ほど。日が経っていた。今回の帰還以前は長くても一週間ほどで眞魔国と地球を行き来していたので、たった二週間といえども長く感じられる。
 有利が帰ってきたのは、もう真夜中だった。地球で夕食を終え、さて風呂へ入ろうかと衣類を脱いで湯気の立ち上る浴槽に片足(もっと正確にいえば指先ほど)をつけた瞬間、湯がうねり引きづられるようにしてスタツアをした。
 到着先は、魔王専用大浴場。丸裸のまま、中庭からの登場でなくて心底ほっとする。一応魔王という肩書きをもっているから逮捕はされないとおもうが、裸のおとこが突然あらわれるなんて立派な猥褻物陳列罪だ。
 帰還するとすぐに浴室のドアと叩かれ、声をかけらる。
「陛下」
「いまは有利ですよー。名付け親。はいってきてどうぞ」
 声の主は、自分の側近護衛であり、恋人であるコンラッドだ。入るように促すと彼はかおに笑みを浮かべてこちらへと向かってくる。
 うそつき。
 有利は心のなかでコンラッドに悪態をついた。
 コンラッドはよく自分のことを「ユーリ」といわず「陛下」と呼ぶ。それは彼が言うように癖がひとつで自分を『王』としてみているからだと理解しているが、今回のはわざとだ。コンラッドの笑顔がふだんと違う。この笑顔はふたりきりのときだけみせる恋人の顔。
 そんな笑みをみせるということは、コンラッドは自分に会いたかったのだろうか? ……なんて考えてしまうおれは自惚れにもほどがある。そう思うのに、湯のせいではなく顔やからだが火照ってしまう。
「おかえりなさい、ユーリ」
「た、ただいま……」
 自分に向けられた彼の目にこんな気持ちを悟られるのは恥ずかしくて目を逸らす。
「こちらはもう深夜ですので、ゆっくりからだをあたためてから、いらしてください。風邪でもひかれたらたいへんだ」
「あ、うん。わかった」
「それでは、俺はそとでおまちしておりますね」
 地球とこちらの世界での日数にずれはあるものの、全体をとおしてみるとさほど地球との温度差はかわらない。いまは秋。コンラッドが浴場からでるとわずかにそとから風でこすれる葉の音がする。

 ――そうして、肩まで湯につかりしっかり、からだをあたためると脱衣所にはコンラッドが待っていた。
 肌触りのいいバスタオルと寝間着をわたされる。
 わたされたタオルでひととおり有利は肢体についた水を拭い、寝間着に身をつつむとコンラッドは有利の髪をタオルでふきながら、わずかに声のボリュームを落として「俺の部屋にいらっしゃいませんか?」と誘った。
「あなたの部屋にある暖炉に薪を炊いていなかったので、まだ部屋が冷えていると思うので、いかがですか」
 声のボリュームを落としたのは故意なのか無意識なのか不明だが、それでもあいさつといい誘い方といい、からだがむずむずとするような表情や声色をしないでほしい。コンラッドのそんな行動や態度だけで、自分はうれしくなったり気恥ずかしくなってどんな応対をしたらいいのかわからなくなるのだ。
 もうキスもそのさきの行為も何十回とすませているのに、いい加減なれたらどうだ。と自分に悪態をつきたくなる。
 有利は顔をしたに伏せたまま「じゃあ、コンラッドの部屋におじゃましようかな」と答えた。
 うつむいているが、コンラッドが目尻をさげて微笑んでいるような気がした。
 こういう感覚を、光景をみたことがある。クラスメイトであり、友人がこんな感じだった。
 友人とその部活が同じ女子はよくはなしをしていたがとある日、同じように女子がはなしかけて談笑をしたあと友人はうつむいていたのだ。最初は具合でも悪くなったのかと心配になり声をかけたのだが「そういうのじゃない」とうつむいたまま首をよこにふったあと、そっと教えてくれたのだ。その女子が好きになったのだと。
『あの子が好きなんだなって思うと、からだもあたまもさ、オレの意志関係なく動いて、かたまっちゃうんだよ。なあ、渋谷。オレさっきいつもどおりだったよな?』
 と、頬を赤くそめて問う友人のことを有利は思い出す。
 ……意識をするといままでどうにも思わなかったことに過剰に反応してしまう。ひとというのは厄介なものだ。
「立っているのも疲れるでしょう? だいたいは吹き終わりましたから、あとは俺の部屋で拭きましょうか」
 コンラッドの言うがままに有利はうなずき彼の部屋へと向かった。
 部屋には灯りはついていなかったが、暖炉に薪がくべてあるからかやわらかい橙色が部屋をあかるくしている。
「あちらでは何時頃だったんですか?」
 部屋に備え付けられているソファーに座るように有利は腰をおろすと「たぶん、二十一時位かな」と答えた。
「そうですか。それではまだ眠くないでしょう。いまお茶を淹れますので」
「あ、いいよ。もうこっちは深夜なんだろ。おれのことはかまわずさきに寝ちゃっていいから」
 自分がいるあいだ、彼はほとんど護衛としてついていてくれるが、地球にいるときには任務で遠方に赴いたり、新兵の剣の指南をしていると以前、グウェンダルに聞いたことがある。かなりのハードスケジュールで疲労もたまっているはずだ。なのに、こうして帰還した早々こちらに気をつかってもらうのはもうしわけない。
 言うとコンラッドは笑顔のまま、ふたつのティーカップに紅茶を注いでいく。手渡されたのはミルクティー。
「あの、コンラッド?」
 おれのはなしをきいていたのか。と尋ねようとすると、コンラッドは「焼き菓子も用意しましょう」と言う。
「だから、ちょっと!」
「ちゃんとユーリのはなしをきいてますよ。あなたがせっかく帰ってきたのに、ひとりだけ寝れないです」
「なら、おれも部屋に戻って寝るかおとなしくしてるから、おれに気をつかわなくていいって」
 言うと、彼はテーブルをソファーのちかくまで引きよせとなりに腰をかけた。
「それを言うならユーリも俺に気をつかわないでください。ほんとうに疲れていたら、自分の部屋には誘ってなどいません。気をつかってくれているというなら、俺と一緒にいてくださいませんか? 俺はあなたと過ごせなかった時間を埋めたい」
 この男、ほんとうにどうにかしてほしい。なんでこんなはずかしいセリフを真顔でいえるんだろう。
「……キザ」
 どれほどまで、自分はコンラッドの心をしめているのだろう。いつ、どんなときに自分を恋しくなって思い出してくれるのだろう。
 彼を好きになって、片思いで終わるはずだった恋がどういわけだが実を結んで恋人になり……いつの間にか自分は気持ちがわるいほど乙女思考になっているのをこうしたときに気づかされる。
 ……もしかしたら、コンラッドは以前のような自分が好きで、乙女思考になっている自分に気づいたら気持ちわるいと幻滅されるかもしれない。そうおもい、彼の一挙一動に揺れてしまう自分の気持ちを必死に抑えているのに、恋愛経験不足の自分ではどうにもうまくいかない。
 恋愛というのはどうしてうまくいかなくて、めんどうくさいものなのか。
「それともユーリは俺とはなすのがいや?」
「えっ! いや、そういうわけじゃないけど……はずかしいんだよ」
 居たたまれなくて有利はコンラッドから顔を逸らしたが、それを追いかけるようにコンラッドが詰めよってきたのであたまにかぶせたままのタオルで顔を覆うとするとそれよりもはやくコンラッドに手を捕らえられてしまった。
「薄暗くても、頬が赤いのがわかります。――かわいいですね、ユーリは」
「なに言って、」
 反論しようと出した声は、コンラッドのくちのなかに吸いこまれてしまった。覆いかぶさるようにコンラッドが体重をかけてくる。何度も啄ばむようなキスをされるとうまく呼吸ができなくてわずかにくちを開けると舌を差しこまれ、歯列、頬の内側、上顎と自分の性感帯を蹂躙させられる。
 久しぶりのキス。それからいままで彼と肢体を重ね、無意識に身につけてしまった知識と快感がざわざわとからだじゅうをうねりだす。
 そうしてようやく互いの口唇がはなれると、さきほどまでやさしかっただけのコンラッドの笑顔は男の色気のある表情に変化していた。
「気持ちよかった?」
 コンラッドの手が有利の髪を撫でつける。
 彼の問いに心を見透かされた気がして動揺する。
 ほんとうはキスしたかったとか、そのさきもしたいとか……そういうものを見透かされたような気がして。
「わからない……」
「わからない?」
「なら、わかるまで教えてあげましょうか?」
 頭にかぶっていたタオルをとられて、コンラッドに下顎をすくわれる。
 すこし意地悪な口調で問われ、有利は彼の手を払う。
「ユーリ?」
 自分の思いばかりを見透かされるのは癪にさわるのだ。
 有利はそっぽを向くと欠伸をしてみせる。
「おれ、もう眠くなっちゃったかも」
 言うと彼は笑って「うそつき」と有利を咎めた。
「そんなに俺をいじめないでください。眠くなんてないくせに」
 再度、頬にコンラッドの手がかかる。暖炉の灯す橙色の炎が彼の目にもうつり、銀色と星とともに揺れている。
 付き合いはじめてもう半年くらいだと思う。
 好きだと意識するまえはこんなことをされても、胸がはねたりなどしなかったのに。目のまえの男のせいでどんどんと自分は知らない自分へと変化していく。
 ああ、くやしい。
 コンラッドも自分と同じように、いや、それ以上に夢中になってくれないものだろうか。
 有利はコンラッドの首に己の腕を絡め、引き寄せて彼の額に口づけを落とす。
「おれ、とっても眠いんだよ。ちょー眠い」
「ほんとうに?」
 コンラッドが尋ね、有利はうなずく。
 眞魔国では自分が帰ってからどれくらいの時間がたっているのだろう。そのあいだ、コンラッドはどれほど自分のことを考えていたのか気になる。
 有利はコンラッドの首に腕を絡めたまま、さきほどよりも距離をおいて彼の目を見据える。彼の瞳には自分がうつっていた。
 付き合ってから、一番はじめに知らない自分に気がついたことがある。自分は思っていたよりも、あまのじゃくで性格が悪く――嫉妬深い性格をしていたということだ。
 まったくめんどくさい性格だと自分でも、思う。しかし、それに気づくきっかけになったのはまぐれもなく彼のせい。
 責任をもって愛してもらわないと、夢中になってもらわなければ困る。
「すっごく眠いけど、あんたがどうしてもっていうならおれを寝かせないように努力してくれる? ああ、でももう座っているのもつらいからおれはあんたのベッドにいまから横になるよ」
 コンラッドは一瞬目をわずかに見開いたあと、目尻をさげてくすくすと肩をふるわせて笑いはじめた。
「なにか、おれおかしいこと言った?」
 有利が言うと、コンラッドは「いいえ、まったく」と答えた。
「ユーリが帰ってから一週間。ずっとあなたのことばかり考えていました。ずっと待っていました。いなかったとき俺がどんなにあなたを欲していたのか教えてあげる。ぜったいに寝かせませんから、そのつもりで」
 それはこっちのセリフだよ。こっちは二週間も経っているんだ。
 なんていえばこの男は調子にのるだろうから言わない。……まあもうすでに調子にのっているようなきがするが有利はもう一度あくびをしながら「がんばれ」といい、ソファーから降りてベッドへと向かう。
「わざとらしいあくびですね」
 と自分のうしろで笑うコンラッドのことばに聞こえなかったふりをして。

END
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テーマ「人外ファンタジー」
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