貴方の声は私が食べたの
 



 生きてきて数百年。自分はそれなりに恋愛経験を積んできたと思っていたのだが、それは自分のたんなる過信であった。
 恋人である少年――ユーリと付き合うようになって、コンラートは彼、一挙一動に振りまわされてばかりだ。もういい大人なのだから、相手の気持ちを思いやり行動できるようになりたいと思うのだが、どうしてもユーリが相手だとうまくいかない。そのようなことを以前、悪友であり幼なじみのグリエ・ヨザックと酒の席でつい酔いがまわりぼやいてしまったとき、ヨザックはけらけらと笑いながら「そりゃ、アンタはいままで恋愛ってもんをしてこなかったからだろうよ」と言ったのをいまでも覚えている。あのときはヨザックの言っている意味が理解できなかったが、ユーリと付き合いはじめてそれなりに月日が経つとヨザックのことばの意味がわかってきた。
 たしかに自分はよく言ういままで『恋に落ちる』という経験をしたことがなかったのだ。相手に好かれ、告白をされて断る理由がみあたらなければ付き合い、恋人として相手の望むことをしてきた。こういうことを言えば、行動すれば相手は喜ぶだろうということはしたが、その発言や行動に『喜んでほしい』という自分の想いはまったくなかったのだ。観察していた植物と同じように接していたような気がする。水を欲していれば水をやり、雑草が生えたら抜く業務的なことしかしていなかった。ゆえにそんな自分の想い察したのか別れ話を切り出されるのは相手からのほうが多かった。『あなたに愛されている実感がない』と。
 そんなひとしての感情が欠落していた自分が正常な感情を持ち合わせたのはユーリにたいしてだけなのだろう。いいまさら恥ずかしくて言えないがユーリは自分にとって『初恋のひと』なのだ。
 だれかを愛すること、愛されることがこんなにもむずかしいものだと知らなかった。ユーリに喜んでほしくてしたことが裏目にでたり、その反対でユーリが良かれと思ってしたことで腹を立ててしまったり。いままでのように相手を冷静に観察することができない。
 ……遅れすぎた思春期のようだ。
 コンラートは、となりで規則正しく寝息を立てるユーリの寝顔をみながら思う。
 ユーリはわざとこちらを煽っているつもりはないのだろうけれど、熱で潤んだ目で睨みつけたり、何気ないことばがすり切れそうになる理性の糸を切ろうとするのだ。
 結果的にいえば、最終的に理性の糸など切れてしまい「もうだめだ」と泣いて懇願する少年を明け方ちかくまで抱いてしまった。どんな拷問ですら耐えてきたはずだが、ユーリのまえではそんな忍耐力など皆無に等しく吐露してしまう。そのうちに彼が『コンラッドは大人だよな』とよく言うセリフがのちのち『コンラッドってこどもっぽいよな』に変わりそうだ。
 何度かさわり心地のいい少年の髪をすいていると、ちいさく呻く声とともに彼の瞼がふるえた。
「……おはようございます。お目覚めですか?」
 すいていた手をはなして言うと、ぼんやりとしていたユーリの目がだんだんと覚めてきたのか腕枕で寝ていたのに、距離をとろうとしたのか突き放された。
「ち……っかい! あれ? こぇが……っ」
 どうやら声が枯れてでないらしい。その事実を確認するかのようにこちらに背を向けてユーリが何度もくちを開閉する。
 そうして、声が出ないことを受け止めるとユーリはコンラートを睨みつけた。
『ふざけんなよ!』
 くちの動きでそうユーリが言ったのがわかる。
『今日は仕事ないからよかったけど、これじゃあだれともはなしができないし、ヘンに思われるだろ!』
 ぱくぱくと金魚のようにくちを開閉しながら悪態をつくユーリの頬は羞恥からかわずかに頬が赤い。
 それがかわいくてついついさらに怒らせたくなってしまう。
「ユーリ、顔が赤いけど熱でもあるんですか?」
『ねーよ! コンラッドのバカ!』「バカはひどいですね」
『バカはバカだろ! おれの声、返せよ!』
 自分に非があることは認めるが、声を返せ、といわれてもそんなことができるわけがない。
 さて、どうしようか。
 考えていると、ユーリが思いきり枕を顔面に投げつけてきた。
 避けることもできたが、あえてそれを顔で受け止める。と、彼も自分が避けると思っていたのか拍子抜けた顔を見せた。
 それを見計らいコンラートはユーリの手を引っ張り、昨夜キスのしすぎでわずかに熟れている彼の口を奪う。
「ごめんね。ユーリがついついかわいすぎて、あなたの声まで食べちゃいました」
 言った途端、ユーリはさらに顔を赤らめて近くに落ちたさきほどの枕を手に掴み再び枕を投げつけようとするもそれよりもさきにコンラートの手がユーリの手くびを掴んで再び彼の背中をシーツに押し付ける。
 もちろん、悪態をつかれるのもかなわないのでもう一度ユーリの口を自分の口で塞ぐ。
 ついさっきまでこのままではいけない。もっと心に余裕と自制を持たなければと反省していたのに、このザマだ。
 ……本当に、ユーリが相手になるとうまくいなかない。
 そんな情けない自分のことを心のなかで笑いながら、こんな自分を身勝手だかどうか許してほしい。
 何度も言うがこれが自分の初恋で、どうしていいのかわからないのだ。
 ただ言えることはこの恋は初めてであり、終わりだということを。
 ユーリ以外、これからさき愛することはない。
「……ユーリ、愛しています」
 素直に謝れないかわりに、コンラートは愛のことばを囁いた。


END