静かに執務室に響く音は長兄であるグウェンダルと我が身の一生を捧げる眞魔国の一国の主であり、ひそやかに恋仲の関係を築いているユーリのペンを走らせる音や王佐ギュンターの分厚い歴史書をめくる音が部屋に響いている。 そのなかで時折、聞こえる主のため息の回数が徐々に増えているような気がする。 そろそろ彼の疲労がピークに達して、集中力も途切れてきたのかもしれない。 コンラートはユーリのうしろの壁に寄りかけていた背中をはなして、周囲の安全を確認してから空気を入れ替えるためそっと窓を開けた。 外はそよ風が吹いているのか、窓を開けはなったとたんにカーテンがふわりとやわらかく揺らぎ、それから少年王の黒髪を風が遊ぶようにさわる。 新鮮な空気とやわらかな風にとうとう集中力が切れたのか、わずかに見える彼の横顔からはほっと安堵したような笑みがこぼれていた。 コンラートがグウェンダルに視線を向けると、グウェンダルはその視線にすぐ気がつきトレードマークともいえる眉間のしわをひとつ増やしながら、こちらの意図を読みとったかのように頷く。 コンラートはそんなグウェンダルを見て、微苦笑を浮かべると視線のさきを少年にうつした。 「……陛下」 「んー……?」 ねこが肢体をのばすように、ユーリが手をぐっと天井 へ向けて緊張していた筋肉をほぐすような仕草をする。 「朝からずっと書類整理をして、目も疲れたでしょうし、すこし休憩にしましょうか?」 言うと彼はすぐさまをこちらを振り返り、うれしそうに顔をほころばせた。 「えっ、まじで! やったー! もう集中力がぎりぎりだったから、正直脱走しちゃおうかと思っちゃったよ」 疲労のにじむため息混じりの声音で彼が言うと、ギュンターがパタン! と音をたてて歴史書と閉じた。 「陛下っ! 最近は仕事の途中で、失踪することなく取りくんでおられる。ああ、さすがは私の陛下。と関心していましたのに……そのようなことを考えていらしたなんて、ギュンターはかなしゅうございますっ」 「ごめん、ごめん。冗談だって! だから泣くなよ。もしまだ休憩がとられなかったとしても脱走はしてないから。冗談だよ、冗談」 ずびび、と鼻を鳴らしながら号泣をする王佐に若干威圧され苦笑いをしながらもユーリが言うとギュンターの泣く勢いがわずかにおさまった。 「もー……眞魔国一の美形がわんわん泣いてたら親衛隊とかが激減しちゃうぞー」 「べつによいです! 私の愛はすべてユーリ陛下のためだけにありますから、親衛隊に幻滅されようがどうとでもよいのです」 「ははは……」 「……私も、ギュンターの好感度がさがることにたいしてはどうでもいいが、お前が脱走するたびに部屋が汁まみれにされるのはかなわん。発言には気をつけろ」 眉間のしわを増やしたままグウェンダルが言うと、ユーリはちょっと怯んだように肩をすくめる。 「まあまあ、グウェンもそう言わないで。陛下もがんばっているんだから」 コンラートがフォローをいれると執務室のドアをノックされる。声からしてギュンターの部下であるダガスコスだろう。ギュンターが入室の許可を出すとダガスコスは困ったような顔をしている。 「ダガスコスどうかしましたか?」 ギュンターが問うとダガスコスは言いにくそうにくちを動かしてからちいさく答えた。 「あの……アニシナ様が『そろそろ、グウェンダルとギュンターも休憩にはいったころでしょう! なのでふたりを研究室まで連れてくるように!』とのことです」 言い終わるいなや、室内の空気が張りつめグウェンダルとギュンターは顔を見合わせると脱兎のごとく執務室からかけ出していく。 「ギュンター閣下、グウェンダル閣下どちらに行かれるのですかぁ〜!」 と駆けだすふたりのあとを追うダガスコスを不憫だと思いながらぽつん、と執務室に残されたコンラートは少年の背中に目をやる。 その視線に気がついたのかユーリが「どうしたの?」とまた振りかえった。 「いえ、なんでもありませんよ。……それより、なにかあまいものを下女に頼んできましょう」 コンラートは言い、部屋のそとにいる哨兵に菓子を頼むとくちびるを尖らせてこちらをみるユーリに首をかしげた。 「陛下こそ、くちびるを尖らせてどうかしましたか? 菓子でないほうがよかった? それなら、ほかのもの持ってくるように頼みますが」 「ちがいますー。おれにはわかるって何度あんたはわかってくれるのかな。なにかおれに言いたそうにしてただろ? 気になるんだけど。……それに、いまは『陛下』じゃないっつーの」 言って、ユーリは机上に上半身を伸ばす。 彼のみせる幼い仕草がかわいくてコンラートの頬が緩む。 「そうでしたね。では改めまして、ユーリ。そんなに俺が言いかけたことが気になりますか?」 「気になる! 気にならなかったら聞いたりしないよ」 たしかにそうだ。気にならなかったら、聞かないだろう。 コンラートは、グウェンダルとギュンターが逃走したさいに床に散らばった書類を拾い上げ、片付けると突っ伏しているユーリのとなりへ移動した。 「……そんなに知りたい?」 問うと、ユーリはコンラートをみることなく「知りたい!」とむくれた声音で答えた。 言うつもりはほんとうになかったのだが、グウェンダルもギュンターも戻ってくる気配もないし、下女が菓子を運んでくるまでまだ時間に余裕はあるだろう。 コンラートはそよ風に吹かれている少年の髪に手を伸ばして撫でつける。 「おいしそうだな、と思いまして」 「……おいしそう?」 「ええ、ここがとてもおいしそうにみえたんですよ」 言って、コンラートは髪を撫でつけていた移動させた。瞬間、ユーリのからだがびくり、とふるえ振りかえろうとしていたが、もう片方の手で彼のおさえて身動きができないよう固定し、耳元にかおを近づけわざと声を低く囁いた。 「うなじ。とてもおいしそうですよね」 「ちょっと、コンラッド……っ」 上擦った声でユーリがコンラートの名を呼んだが、それを無視するようにコンラートは彼の上半身を固定したままうなじにかおを寄せる。 べろり。 「……っ!」 舐めあげるとさらにユーリのからだが強張った。 「ああ、やっぱりおいしいですね。俺はこれがいいな。休憩の菓子」 「っこのどスケベ! さっさと離れないと上様降臨させるぞ!」 うなじを舐めあげると、ユーリが悪態をついてもがきだしたが、それをコンラートはたのしそうに笑った。 「上様はあなたがそうとうのショックを受けないとあらわれないでしょう? あなたはそこまでいまショックを受けていないはずですよ。その証拠に、息が荒くなっていらっしゃる」 彼の座る回転イスをまわし、うつ伏せの状態から仰向けにしてすぐさまふたたびからだを固定すると頬を真っ赤に染めたかおがあらわれる。わずかに潤んだ瞳がコンラートの嗜虐心をそそった。 「こうなるから俺も言いたくなかったんですよ。言えば、自制心のコントロールがうまくいかなくなってしまうから……」 こんどは首筋にかおをうずめ軽く歯をたてる。すると、ちいさくユーリのくちから喘ぎがこぼれた。 「かわいい声ですね」 「うるさいよ。こっちはまじめに仕事してたっていうのに、あんたは一体なにを考えているんだか」 視線をそらしてユーリが呆れたように言う。まったく彼の言うとおりだと思う。いままで何度か恋人をつくったことはあるが、風になびいた髪のあいだから見えた日に焼けていないうなじをみて、欲情することなどなかった。こんなささいなことで理性が乱れることなどなかったのだ。 「……あなたのせいですよ」 「はあ?」 「ユーリがかわいいからいけないんです」 無防備で恋愛ことに関して疎く、肩すかしをくらったりかと思えば、予想もつかないところで甘えてきたり、怒ったりする。 ユーリのまえでは長年つちかっていた経験など役にたたない。 それはきっと、ユーリという存在が自分にとって特別であるからだ。いままでこんなに心を揺さぶられなかった。愛というのは相互の利害の一致の延長線上にあるもので、それがつりあわなくなれば、わかれる。そんなものだとおもっていた。 すくなくとも自分はそのような感覚で恋人をつくり、接してきた。そんなあのころ自分をみれば、弟であるヴォルフラムが自分をさけるのは遠ざけ、ヨザックがからかいふざけたあだ名をつけるのもわかった。 こうして理解ができるようになったのはくさいセリフだがまぎれもなくユーリと出会い、『恋』をして『愛』を知ったからだ。 「あなたのまえだとひとりの男してなりさがってしまう情けない俺をどうか慰めてはくださいませんか?」 どうか、お願いします。と、言うとユーリは顔を赤くしたままため息をつく。 「そういうのって卑怯って言うんだぞ。いきなり、甘えるなよ。お願いなんかするなよ」 「どうしようもない俺に呆れましたか?」 ユーリの自由を奪っていた手をはずそうとコンラートが手のちからをわずかに緩めると、ユーリが手を絡ませて、こちらをにらんだ。 「あんたがいけないんだからな」 「俺が?」 「そうだ。コンラッドがいけないの! おれは興味本位で聞いただけで、それからちょっと休憩するだけのつもりだった。せっかく兵士さんに頼んでメイドさんにお菓子を持ってもらうつもりだったのに……これから仕事すっぽかして、お菓子をもってきたメイドさんがおれとあんたを探すハメになっちゃうのは、ぜんぶ、ぜーんぶコンラッドがいけないんだからな!」 ユーリ持ち前のトルコ行進の早口で言うと、やっとそらし続けていた視線をこちらにあわせ、やはり恥ずかしいのかまた一言悪態をついた。 「ああこれじゃあとでお説教部屋行き決定じゃん。……あーどうして、おれこんなむっすりスケベの情けない男を好きになっちゃったんだろ。」 その悪態をコンラートは笑顔で受け入れると、ゆっくりたがいの顔の距離を近づけ、ユーリの口唇を食むように奪った。 「大丈夫です。お説教はすべて俺が引き受けます」 END |