銀の魔王と黒の少年



 渋谷有利。
 趣味は野球。少年漫画が好きで成績は中の下。将来というものが漠然としていて、自ら進路希望用紙に記入したそれすら、曖昧などこにでもいる男子高校生だった。
 それでも平凡でなんの変哲もない日本でいつか自分は社会人と仲間入りをするのだろうと有利はぼんやり自分の人生の行く末を察していたある日――夢にも思わぬ出来事が起こったのだ。
 それこそ、ありえないことが。
 ――それは中学校時代、同級生であることは知っていたもののさして交流をしたことのない男子。村田健が有利の帰り道である公園で不良ふたりにカツアゲをされているところを目撃したことからはじまる。
 不良らはどちらも長身で、日本人の象徴でも黒髪は影もなく金髪と赤髪。彼らも自分たち同様高校生であるのはかろうじで羽織っている学生服でわかった。
 村田は、怯える表情というよりは絡んでくる彼らをうっとうしいといいたげに眉をひそめていて余裕なのか、興味がないようにみえた。
 どちらにせよ、目の前で広がる光景が自分には関係ないのないものだ。
 と、いうのは有利にもわかっていた。けれど、価値観や思考、性格というものはひとそれぞれちがうものだ。
 有利は自転車を停める。
 自分の性格でもっとも顕著にあらわれているのは『不正行為を見過ごせない』こと。だがそれは世間一般のこと限定としてではなく『自分の信念にある正しさと異なる』と感じたことを見過ごせないというのが正確だろう。
 それは有利の長所であり短所でもある。
 この性格が災いしてというべきか、中学校時代に活動していた野球部を途中で退部したのだ。監督の物言いがあまりにひどく、ついカッとなって監督を殴った。あの事件にたいして後悔というものはとくにないが、それでももっと冷静な対応ができたのではないかと反省はしている。
 だから自分に関係はないとわかっていても、目のまえでカツアゲされている同級生を見過ごすことはできない。けれど、なにも考えずに突っ込んでいくのは、あまりいい行動をとはいえない。
 このような状況の場合、どう対処したらいいのか。
 有利は自転車を停めたままでかんがえる。いちばんいいのは、警察を呼んでくるのがいいのだろう。だか、この公園から近い交番でも自転車で五分はかかる。たかだか五分だが、されど五分。助けを呼びにいっているあいだに取りかえしのつかないということもあるかもしれない。なら大声を出して周囲のひとを――と、潜考をしていると、村田がこちらの存在に気がついたようで有利を指さし「渋谷有利!」と声をあげた。
 突然のことに自分も不良たちも驚いたスキをつくと村田は脱兎のごとく不良から逃げ出し公園をあとにする。
 いま思えば、あれは布石だったのかもしれない。
 カモであった村田が逃走し、かわりに名指しをされた有利が不良らの標的に。『渋谷が有利なら原宿は不利なのかよ』という生まれてから何度も聞いた悪口に呆れながらも売りことばに買いことば。二対一。そして身長差。有利に勝てる要素などなく財布から三千円を抜かれ、公衆トイレへ連れ込まれた。しかも女子トイレへ。後頭部を掴まれて、水洗トイレへ顔を突っ込まれるというどこまでも卑劣極まりない行為。
 村田はおそらく戻ってこないだろう。彼を恨むことはないが、それでもこんな結末になるとは。
 コックがひねられぐるぐると水が渦を巻く。もう逃げることもできない。これから予想されることは、その水に顔をつけて不良たちに笑われることだけであった――のに。
「……どうしてこうなったんだろう?」
 有利いつぞやの出来事を回想し、いまの現状を確認する。
 たとえばいま自分が着衣している分厚いモスグリーンの軍服。それから未だに使いこなせない柄の部分に恐ろしい形相がある剣。膝下までの軍用靴。いまの日本でこのような格好をしているひとはまずいないだろう。していたとしても、それは兄、勝利が月に一度は行く同人即売会などで見るコスプレイヤーくらいなものだ。もちろん、自分にコスプレをする趣味はない。
「ユーリ、」
 名を呼ばれ、回想が終了してからもぼんやりと物思いに耽っていた意識を覚醒させる。
「勉強がおろそろかになっているようだけど?」
 やわらかい声音だが、どこか責めるような雰囲気が滲んでいる。
「あ、ごめん……」
 有利は謝り、空白が大半を占めているノートに目をうつす。
 そうだ、いまは勉強中だった。いや、勉強というよりかは人物名の暗記だけど。
 ノートのとなりにおかれた紙の束。そこには、人物名と各々とプロフィールが記載されている。目で記憶するより、実際に書いたほうが覚えるだろうと日々有利はそれらを書きうつしているのだ。羽ペンを持ったままの手をふたたび動かせば「ちょっと休憩しよう」ととなりでぱたん、と本を閉じる音がした。
「集中力が切れているのに、書きうつしても覚えられませんよ。息抜きに、紅茶でも飲む? それとも中庭でキャッチボールでもしますか」
「え、でもコンラッド」
 有利はとなりにいる人物の名前を呼んだ。
 茶色の髪に西洋風の整った顔つき。長身の男の名を。某世界的有名な童話に出てきそうな王子のような衣服をまとっている。白地に襟や袖にはポイントとしてか黒があしらわれ、ボタンなどの装飾は金。
 彼の名前はコンラート・ウェラー。
 有利が仕える王様だ。王様といっても魔王様。
 爽やか好青年といえる風貌をした彼が魔王だなんて、いまでも信じられない。
「べつにすぐに覚えなければならないことではないし、それよりユーリのことが大切だからね。なにか考えごとをしていたみたいだけれど、どうかした?」
「あー……なんかおれ、マンガみたいな世界っていうか人生送ってるよなって思って。こっちにスタツアしてきたときのこと思い出してた」
 そう。いまどきの少年漫画みたいな。でも少年漫画よりも間抜けで壮大なもの。自分の人生が百八十度音を立てて変わったあの日の出来事のことを。
 コンラッドはそれを聞いて有利とおなじくあの日のことを思い出したのだろう。「ああ」と言ってくすり、とちいさく笑った。
「なにもかも最悪だってユーリ怒ってましたね」
 彼のいうとおりだ。なにもかも最悪だと思った。
「だってそうだろ。まさか水洗トイレから異世界にとばされるとも思ってなかったし、しかも着いたら着いたで石を投げられるだろ? 顎割れマッチョにアイアンクローさせられるわ、あんたには無愛想な顔しながら登場するわで、ぜーんぶ最悪だって思った」
 トルコ行進よろしく早口に笑う男をまくしたて、有利は大げさに肩をすくめてみせる。すると、コンラッドは「あのときはほんとうにごめんね」と眉根をさげて謝罪した。その表情は大型犬が怒られたときの表情を連想させた。冗談で言ったつもりなのに、彼には後ろめたい気持ちがあったからそういう表情を浮かべたのだろう。
 有利はコンラッドの髪をくしゃくしゃとなでまわす。
「そういう顔すんなよ。あんたがわるいんじゃないし、だれもわるくないんだから」
 言うとコンラッドは「そうですね」と笑みをみせてくれた。でも、自分にはその笑顔がほんとうのものじゃないくらいお見通しだ。口元は笑みを刻んでいるが、彼の瞳にはどこか陰りがある。
「……後悔してますか?」
「後悔なんかしてねえよ」
 問われて、有利は即答した。
 後悔なんかしてたまるか。一度しかないこの人生を後悔しながら生きていきたくなんてない。
「おれの人生はおれが決めるんだよ。ばかなこと聞くなよ。勝手に後悔してるなんて決めつけんな」
 かんがえることはある。あのとき、村田を助けなかったら、もうすこし遅く帰宅していたら自分はどんな人生を送っていたんだろうって。
 でも、かんがえたところでそんなの妄想でしかない。過去に戻ることはできない。いまの自分の記憶があったまま過去に戻ったとしても……きっと自分は村田を助けに、この世界に来ていただろう。むしろ、いまよりも積極的に。
「コンラッド……ひとりぼっちの魔王さま。あんたがおれと出会わなかったら、いまのいままでずっとひとりでなにもかも抱え込んで、泣くことなんてしなかっただろ。笑ったりなんかしなかったろ。自分がどんなに愛されてるとか自分の命がどんなに大切なもんなのか、わかんないままこれからも生きてたかもしれない。もし、出会わなかったらそうなってんのかもって思ったら、おれはそっちの道を選択したことに後悔するよ」
 魔王のくせにコンラッドには魔力はほとんどない。いや、使えない。
 使えないのは、封じられているからだ。
 いまの彼では使いこなせないから。
 平凡で平和ななんにもない人生を送るはずであった自分は、いま、この男の護衛として人生を歩んでいる。
「この世界には、電車も車もない。交通の便がわるいし、情報や連絡手段は鳩の足に電報をくくりつけることぐらい。テレビや携帯電話なんてない。とってもぺんぴだ。だけど、おれはこの世界が好きだよ。そしてこの城、血盟城もながったらしい国名のついてる眞魔国も大好きだ」
 嘘偽りのない自分の本音を有利はあやすように男に伝える。
 だれも信じてくれないだろうけど、ここは地球とはちがう世界。平行状にある、世界。そして自分は魔族と人間のハーフ。四千年前、この国を納めていた王様、眞王が創主と呼ばれる世界を破壊と混乱を招くモノから世界を救うために自分は生まれてきた。そして、おなじくコンラッドも。仕組まれた運命に大切な友人、スザナ・ジュリアを亡くした彼は有利と出会うことをためらっていたし、憎んでもいただろうと思う。コンラッドを絶対的に守護する者として自分はうまれる代わりにスザナ・ジュリアは命を落としたのだから。
 はじめて彼と出会ったときの表情がそれらを物語っていた。
 創主が人々の負の感情から生み出されたモノ。なぜ、眞王がコンラッドを創主を倒す者としてまたは救う者として選んだのかはわからない。でも、選ばれたコンラッドには、それを放棄することはできないのだ。
 倒すべき敵を知るには、その敵のことを知らなければならない。どんな想いが渦巻き、叫び、泣き、憎悪しているのか。コンラッドには、創主に飲み込まれないだけの、それでいて同等の絶望をいままでに味わってきた。彼に同情する者などいない。眞王以外、だれも知らないのだから。そうして日々鍛練をさせられていたことを。偶然を装ってコンラッドに絶望を与えていたのだから。
 そうしてコンラッドはだれよりも絶望がいかなるものかを理解させ植えつけたのだ。
 でも、だからと言って創主を倒せるわけじゃない。そのままでいれば彼自身が、創主に飲み込まれる可能性があった。絶望に屈伏して、受け入れてしまう可能性が。
 有利はそんなコンラッドを救うために生れてきた。
 どんなに絶望して目の前が闇に包まれていたとしても、かならず光が差し込んでくること、希望が存在することをコンラッドに教えるために。
 ひとりでは生きられないことを教えるために。
 自分は自分で突然、異世界に連れていかれ「今日からあなたは魔王の護衛です!」なんて言われて。戸惑う自分をよそに無愛想な魔王様のまえにひっぱりだされて、たくさんの冷たい視線。心無いことばに泣きそうになった。
 いまだってあのころのことを思い出せば、胸が痛くなる。だけど、それよりもコンラッドのことが気になってしかたなかったのだ。
 もっと笑えばいいのに。とか、なんでいつも退屈そうな顔しているの、とか。家族にすら一線をひく彼のことがまるで殻に閉じこもっているコンラッドが気になってどうしようもなかった。
 有利はこちらにくるまで、魔力なんて自分自身に備わっていることなどまったく知らなかったが(非現実なのだからしらなくて当然だと自分では思う)顎割れマッチョ、通称アーダルベルトにアンアンクローいうなの蓄積言語を引きだす魔術によって魔族語がはなせるようになって、コンラッドの末弟ヴォルフラムとのひょんなことから対戦をし、そこでいつの間にやら自分が水の要素と契約していたことを知った。
 まだまだ自分でも魔力をコントロールできないけれど、それでも感情が爆発しそうになると潜在意識のなかで『上様』という有利のもつ強大な魔力を操ってくれるもうひとりの自分が助けてくれる。
 いろんなことがあった。コンラッドがこうして自分に気を許してくれ、笑顔をみせてくれるまでの道のりはとても長かった。まあ、でもバッテリーの存在からまさかもっとさき、恋人同士になるなんて思わなかったけど。
「なんだよ、コンラッドは後悔してんの?」
「まさか」
 さきほどの質問を返せば、コンラッドは首を横に振って否定する。
「ユーリと出会うまえの自分になんて戻りたくない。後悔なんてありません。こんなにしあわせなのに」
  彼のことばに有利はうれしくなる。うれしくなって、ぎゅっとコンラッドのあたまを包むように抱きしめる。
「そりゃ、よかった」
『幸福や愛なんて俺には触れる価値さえないものだ。俺は眞王につくられた人形なのだから』
 といっていたコンラッドがしあわせを感じてくれ、そのしあわせを自分が与えられてることがうれしかったから。
 有利の腕のなかでコンラッドがかおあげ、はんたいに有利は彼にかおを近づける。すると、互いの口唇があたりまえのように触れあった。
 コンラッドが己の心の鍵を手にもちその鍵穴に差し込むまで、きっと魔力は使えない。創主は倒せない。
 だけどそれはいつかじゃなくて、きっともうすぐ。
「よし!」
「なにがよし! なの?」
「勉強の続きしようって思って、いま気合いいれてみた。これを覚えなきゃ、明後日の夜会でいろんなひとと情報交換がむずかしくなるんだろ? 今日中に大半は覚えるようにしないと」
 有利は腕のはなし、ふたたび書面に向かう。
「でも、ユーリは俺のとなりにいてくれればいいよ。無理して覚える必要なんてない」
 言ってコンラッドがこんどは有利の腰に腕をまわす。もう百年も生きているくせに、愛されることをしらなかった男は有利とふたりきりになると時折こうして子どものように甘えてくる。
 それもまたうれしいし、めいっぱい甘やかしたい気持ちになる。だけど、有利は「だめだよ」とコンラッドをやさしくあやす。
「あんたを護るのが、おれの役目なの。あんたの役に立たなきゃいけないし、役に立ちたいんだ」
 自分に人並みはずれた魔力があっても、それがうまく扱えない。いまこそチカラを発揮したいというときに魔力が使えないこともある。
 なので、有利はコンラッドに険の指導をしていたギュンターに指南を受けている。それだって、周りからしてみれば新兵よりも劣っている。有利の長所は、人見知りしないこと。それを最大に生かせる場所といえば各国の王や自分とおなじく護衛についている者。貴族が参加する夜会などだ。
 自分の存在はコンラッドの命を第一に護ることにあるが、自分だけでは彼を護ることなんて無理だ。彼の良さ、国の良さなどを知ってもらい、交流を深めていかなければコンラッドを護れない。
 有利が言うと、コンラッドはしぶしぶ納得したようにうでをはなしてくれた。
「わかりました。でも、極力夜会のときは俺のそばから離れないようにしてくれませんか?」
「えー……。それじゃあ、情報収集できないじゃん。夜会にグウェンダルとかも参加するんだろ。グウェンダルはああいう場所が嫌いだから言えば喜んでコンラッドの護衛についてくれるんじゃない?」
 グウェンダルというのはコンラッドの兄で、有利がこちらにくるまではコンラッドの護衛をしていた。とはいっても、兄弟でありながら仲はあまりよくなかったからか、護衛というよりは一日のスケジュール管理などが主で、グウェンダル自身が彼のとなりで護る、ということはしなかったらしい。かわりに多くの護衛をコンラッドにつけていたと聞く。いまでは兄弟間のわだかまりもなく、有利が指南を受け護衛につくことができないときはグウェンダルやヴォルフラムがコンラッドの護衛をする。
 グウェンダルは人見知りというわけではないが、必要もないのに談笑をするというのが苦手で口べたな男だ。夜会に参加することすら渋々だったのだから、有利が言ったようにお願いすれば確実にグウェンダルは了承するだろう。「それはそうだけど、俺はユーリについていてほしいんです。……ね、お願い」
「う……っ」
 卑怯だ。彼は知っているはずなのだ。自分が『お願い』ということばに弱いことを。わかって言っているからズルイ。
 魔王なら命令ができる。臣下は彼がいえばどんなことを命令しても聞かなければいけない。けれど、お願いというのは、そこまでの効力はない。最後に選択するのは――自分なのだ。
「だめですか?」
「わかった。わかったよ! でも四六時中あんたのそばにはいられないってことは理解しててくれよ。それから脱走もしないこと。それが条件だからな」
 わかったと答えた瞬間、やわらかく微笑んだコンラッドにほだされそうになり有利はややぶっきらぼうに条件をつけくわえた。
「ありがとう、ユーリ。俺もがんばります。あなたが格好いいと言って、誇らしいと思える王様になれるようにがんばるよ」
「……おう」
 もう充分、コンラッドは格好いいと有利は思う。白い正装に、白く輝くファーのついた漆黒のながいマントを身に纏う彼はすごく格好いいし、威厳がある。絶望に苛まれていたコンラッドだったけど、彼の茶色い瞳とその瞳にあるきらきらと輝く銀の星はだれよりも平和を願っている。
 コンラッドはずっと、がんばっていただけなのだ。
 だれにも迷惑をかけず、ひとりで抱え込んで、たったひとりでなにもかもを受け入れようとしていた。
 そんなやさしくて愚かな王様を誇らしく思わないわけがない。
 でも、有利はそれをコンラッドには言わない。「おう」と頷くことにした。
 言えば、きっとコンラッドはよろこんでくれる。だけど、そのことばを信じてはくれないだろう。コンラッド自身が願う、目標としている王様ではないから彼はこんなことを言うのだから、有利のことばは気休めにしかならない。
 コンラッドが理想を手にしたときに言いたい。
 ずっと、だれより格好いいと思ってた。
 ずっと、胸を張って誇れる自分の王様なんだよ。と。
 そのとき、自分もまたそんな王様、恋人が誇らしくひとであれるようになりたい。
 眞魔国にきてから、いままでみえなかった将来や願望が次々とうまれてくる。
 たとえ生まれたことや、出会ったことが仕組まれたものであっても、この感情も人生もぜんぶ、ぜんぶ自分のもの。
 有利はコンラッドから貰った青い首飾りを服のうえから握りしめた。
 いつまでも銀色の星を瞳にちりばめた魔王ととなりを歩んでいけますように、とひそやかに願いながら。


END
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