交際二週間目のアイスクリームと宣戦布告 コンラッドと付き合ってたぶん、もう二週間くらい。とくに以前と変わった様子はない。 お昼時間になった教室は、さまざまな会話が繰り広げられている。もっぱら耳に入ってくるのは女子の会話。 なにやら、つい一週間前に付き合いはじめて初エッチを済ませたらしい。公共の場でよくそんなはなしができるなあと内心驚いたが、その彼女の友人はとくに驚いたりしないらしい。『ちゃんと避妊はした』『どこでシたの』とむしろ積極的で話題をより幅を持たせようとしている。 「渋谷。なんかぼけっとしてるけど、眠いのか?」 一緒に朝食をとっていた友人、小林が有利に声をかけた。 「あ、いや。……さいきんの女の子ってすげーなって思って」 有利はいま小耳にはさんだ女子の会話をやや声を小さく席を囲む小林と武藤にはなす。が、彼らは肩をすくめるだけだ。 「いまさらなに言ってんだか。おまえが知らなかっただけで女子の会話は男子よりも濃いんだよ。好きなひとのまえじゃそれこそ少女マンガみてえに頬を赤らめてるけど、興味のない男のまえじゃそんなもんだって」 小林は購買で購入したメロンパン(彼、いわく食後のデザートらしい)を頬張りとなりの武藤に同意を求める。武藤も同感らしく「そうだな」と答えた。 「渋谷が気がつかなかっただけだって。渋谷は興味のないもんには疎いから。……っていうか、もしや恋愛のはなしに耳がむくようになったということはついに好きなひとでもできたか?」 さすがは女の子が大好きで合コンには必ず顔を出すという武藤。察しがよくて、有利は思わず飲んでいた炭酸飲料を吹きだしそうになった。幸いにも口から出ることはなかったが逆流してきたそれが鼻に通って、痛い。 「あー……まあ」 一週間前までなら好きなひと止まりであったが、いまはその恋が実を結び恋人です。彼氏です。とは彼らには言いだせず、有利はすこしことばを濁し、自分の話題へと脱線しそうになったのを「っていうか、みんなペースがはやいんだな」と戻す。 「そうか? ふつうだって。ま、一週間は早いかもしんないけど一か月で一通りのことはしてるんじゃね?」 小林が言い「少なくとも俺や友だちはみんなそうだな」と付き合い期間のことでも数えているのかひろげていた手の指を一本一本折っていく。 「そういうものなのか……」 そういえばこの間、なにかの番組で小学生のなかにはキスを済ませているとやっていた気がする。恋愛など、いままでしたことなどない自分はすこし世間とずれているのかもしれない。 お弁当にはいっている最後のプチトマトをくちに放りこんで、友人らの意見に現在のコンラッドの交際を重ねてみる。世間とちがうからと焦るわけではないが、やはりこうも進展がないと不満はある。 ……自分のことが好きじゃない、ということはないだろう。 コンラッドはもう百年も生きているし、恋愛だってそれこそ数え切れないほどしてきているのだから、恋ではなかったとつき合ってから気づくということはないと思う。 好きだ、と告白したときだって泣き笑いのような笑みを浮かべて「しあわせだ」と言ってくれたし。 ならばなぜ、恋人として付きあうようになっても自分たちは以前とかわらないのか。 気にしないようにしよう。と思っていても、友人やクラスメートの恋愛はなしを聞くと平然とはしていられない自分がいた。 それが態度に現れてしまいつい有利はため息をこぼし、小林に指摘をされる。 「お前がため息なんかこぼしちゃってまあ。やっぱり恋をすると人間かわるもんなんだな。どれどれ、恋愛経験ゼロな新人に俺たちがいろいろアドバイスしてあげましょうか?」 九割かた、恋愛はなしで盛り上がっている女子とおなじく好奇心からそう言っているのは小林と武藤のかおを見てわかる。 それでも、ひとりで抱え込むよりは相談にのってもらったほうがいいのかもしれないと思ったが、すんでのところで有利は「いや、だいじょうぶ」とくちを噤む。 同性の恋人がいることに引け目はないが、日本では同性愛というのは、健全ではなく世間体もあまりよくない。はっきりいえば偏見がある。 それがわかっている手前、相談をするにしても相手が異性であるのを前提にはなしをしなければならなくなる。 自分はウソが苦手だ。 はなしているうちに、どこから本音を吐露してしまう可能性が高い。 「えーいいじゃん。減るもんじゃないし、恥ずかしがるなよ」 武藤がくちを噤んだ有利に不満そうに声をあらげた。 「そうそうもったいぶるなって。詳しく言いたくないならどんな子なのかくらい聞かせてくれよ」 すんでのところでくちを閉ざしたことでよりふたりの好奇心を煽ってしまったらしい。有利が首をよこに振るうも聞き入れてくれそうにない。 こうなってしまった要因は恋愛話を持ちかけた自分に責任がある。 真ん中に机を置き、机上には三人分の昼食が乗っているものの、そんなものは防壁にはならず小林と武藤は身を乗り出してずいずいとこちらとの距離をつめてきた。 そのうちに昼食を終え教室に戻ってきた友人らが自分たちの様子になにかおもしろいことでもあったのかと、こちらに駆け寄ってきた。 これはやばいことになってきた。 いまは夏。汗をかいてもおかしくない状況だが、いま背中につたう汗は暑さのものではないだろう。 「おーい、なにかあったか?」 小林と武藤。ふたりに言い寄られて回避するのもむずかしいと思っていたのに、大勢で迫られたりしたらもう逃げ場なんてない。 どうしよう。 小林がくちを開き近づいてきた友人に状況説明をしたそのとき、お昼休みの終了を告げるチャイムが絶妙なタイミングで校内に響き渡る。 しかもいつもお昼休みあとの授業にくる先生のほとんどはやや遅れて教室にあらわれるのだが、今日はどういうわけなのか、チャイムと同時に先生が登場して皆、すぐさま自分たちの席へと向かっていく。 たすかった……っ。 先生がすぐにあらわれたことでざわつく教室のなか、有利はそっと安堵の息を漏らす。 チャイムが鳴らず、先生がもうすこし遅くきていたら確実にくちを割られていたに違いない。 未だ不満そうにこちらへ顔を向ける小林と武藤の視線を感じながらも有利は気づかぬふりをして窓から見える青い空と校庭に目を向けた。 ――そうして、五限目の授業が終わるころには昼休みの出来事など小林と武藤はすっかり忘れているようで、あれから詮索されることもなく、無事帰宅することができた。 しかし有利自身はまだお昼休みに聞いた女子のはなしを引きずったままでいる。 やはり、恋人になれば同性であっても以前とおなじ目でコンラッドのことをみることができない。ひとりの男として意識をしてしまい、付き合ったからにはいろいろと恋人らしいことをしたいと思う。 とはいえ、同性愛が認められているあちらの世界であっても公にそういう行動ができない。自分には、事故ではあるが婚約者であるヴォルフラムがいる。ヴォルフラムや側近にはすでにコンラッドとのなかを打ち明けてはいるが、まだ国民や十貴族にも伝えていない。そのうちに折り合いを公表したいと考えてはいるが、コンラッドが離反してからそう日も経っていないうちに公表すれば、また問題が起きるかもしれない。再び眞魔国に帰ってきたコンラッドを大半のひとは『英雄』として評しているものの、なかには『裏切り者』だと彼をよく思わない者もいる。 一度失った信頼を再び得ることはむずかしい。しかし、得なければならないそんないまの状況で公表するのは到底無理なことだ。 だから恋人らしいことができないのはしかたのないことだと胸のなかで膨れ上がる想いを有利はいさめているけれど――だからこそ自分がコンラッドの恋人であることを実感したい。 どんな些細なことでもいい。 ……なんて思ってけど、自分じゃ行動しないのだからコンラッドに不満を述べる資格は自分にはないだろう。 「……っていうかおれはどこの乙女だっつーの!」 乙女思考になっている自分が気持ち悪い。 「やめよう。考えるのはやめよう」 部屋のかどに設置されていた鏡に悩む自分のかおが映りさらにいたたまれない気分になる。 とりあえず、どうにかなる。気長にコンラッドと付き合っていこうと思いなおし、有利は暑さで渇くのどを潤そうと一階のキッチンへと向かうことにした。 冷蔵庫にはたしか麦茶があったはず。 母は買い物に出かけ、兄はまだ帰宅時間ではないからか、家のなかはがらんとし、外から絶え間なく鳴き続けるセミの鳴き声が響く。 さいきん、あちらの世界に呼ばれないことと夏の暑さに自分のあたまがばかになっているから、こんなことを考えてしまっているに違いない。 たぶん、コンラッドのかおでもみれば、悩んでいたことすら忘れるような気もする。 冷蔵庫を開けるとひやり、とした冷気が頬を撫で暑さに一瞬和らぐ。母お手製の麦茶がたっぷりはいったポットを取り出し、コップへと注ぐ。 そうして、コップにくちをつけようとしたとき淹れた麦茶が急にうねりだした。 「え、」 それがなにを意味するのか有利には容易に想像でき、理解すると同時に遠くのほうでコップがテーブルの上で倒れた音がした。床に落ちたら割れていただろう。でもどちらにせよ、こぼしたことにはかわりないからあとで母に叱られるのだろうな、と有利はぼんやりと考えながら自分を飲み込んでいく濁流に身を任せた。 * * * ――着いたさきは、血盟城の中庭にある噴水だった。全身びっしょりだ。 犬のように、髪についた水滴を振り払うように頭を振るうと頭上から声をかけられる。 「おかえりなさい、陛下」 「……陛下っていうな。名付け親のくせに」 地球からここにくるまでさして時間は掛かってないのに、よくいつもこうして迎えに来てくれるのかちょっと不思議に思う。 眞王廟にいる巫女ウルリーケから白鳩便で、血盟城にいるコンラッドたちに伝えられているのは知っているが、着地点はいくつか指定されている。なのに、血盟城に到着したときはかならずこうしてコンラッドはいちばんに迎えにきてくれる。 まえに『どうしていつも到着する場所がわかるんだ?』と尋ねてみたことがあるが『さあ、なぜでしょうね。俺にもわかりません』と彼持ちまえの爽やかな笑顔でさらりと受け流されてしまった。まあ、わかったところでとくになにがってわけじゃないから深く追及することはないのだけれど。 濡れ鼠になっている自分にコンラッドがタオルを手渡してくれ、そのまま大浴場へと連れて行かれた。 日本よりは湿度もないが、こちらの世界も夏。暑いものは暑い。 なので大浴場に誘導されたとき「そのうち渇くからだいじょうだよ」と言ったが「夏風邪でもひかれたら大変です」と窘められ渋々、冷えたからだをあたため、用意してくれた衣類に袖をとおす。 いやだなあ、と思いながら湯船に浸かっていたが、風呂にはいったあとだと不思議なことにさきほど感じていた暑さや汗も引いていた。 脱衣所のそとで待機していたコンラッドがこちらに手を伸ばす。それはいま自分の手に持っている『タオルを貸してください』という意味だ。 タオルをコンラッドに手渡せば、思ったとおり彼は有利のまだ乾ききっていなかった髪を拭く。 「はい、ちゃんと全部乾きましたよ」 「ありがと、コンラッド。で、今日はなんで呼ばれたの?」 自分がこちらの世界に行こうとすれば行けるが、まだ魔力をちゃんとコントロールできず、スタツアをする場合は村田とでなければ魔力が作動しない。 なので今回は自分もスタツアを望んでいたけど、おそらくこちらの世界で呼びもどしたいことがあったのだろう。 「ああ、その件についてなんですが、来月隣国との交流を深めるためにも会合行おうとグウェンダルとはなしをしていたんです。もうすでに日程は決定しておりますので、その資料に目を通していただきなにか質問などを……と思っていたんですが」 コンラッドがはなしを区切り、苦笑いを浮かべたかと思えば城内に野太い男の絶叫が響いた。 「あー……。アニシナさんにグウェンダル捕まっちゃんだ」 「そういうことです。なので、それらは明日にまわして今日はゆっくりお過ごしください」 「……そうだな」 というか、グウェンダルが明日執務ができるのか心配だけど。 そうして、自室へ向かうか、コンラッドの部屋に行くか尋ねられたので有利はコンラッドの部屋に行きたいと答えた。 べつに自室でもよかったのだが、魔王の部屋ということもあるのかあの部屋は大きく豪勢で一般庶民にはちょっと落ち着かないのだ。そういう面からすれば、コンラッドの部屋は一回り部屋の面積がせまくシンプルなので落ち着く。 室内に足を踏み入れ、有利がソファーに腰をおろすとコンラッドはなにかを思い出したのか「ちょっと、待っていてください」と部屋から出ていく。 血盟城には扇風機はないけど天井扇が各部屋に設置されている。天井扇には魔力が使用されているらしく、微弱な冷風が出てくるそうだ。 クーラーが苦手な自分には、ありがたい。 窓から外をみれば、遠くのほうに蜃気楼がみえる。いまは昼過ぎだとさっきコンラッドが言っていたし、まだまだ気温は上昇していくのだろう。 寒さよりも暑さのほうが強いけど、日本ではもう一日の大半を過ごしてしまったので夕食まで遊ぶ気力はほとんど残っていない。 「うーん……なにしよう」 悩んでいるとコンラッドが戻ってきた。片手にバスケットを持って。 「コンラッド、そのバスケットなに?」 「これは、ユーリが喜ぶものです」 こどものような笑みを浮かべ、コンラッドがとなりに腰かけバスケットのものをとり出した。 「……アイスキャンディー?」 「正解です。バニラしかありませんけど、どうぞ」 まさか、こっちの世界でアイスが食べられるとは思わなかった。驚きながらも手渡されたアイスキャンディーを受け取る。 「アニシナの実験結果できた産物です。ほんとうは地球でいうクーラーを作りたかったらしいのですが、なにをどう間違えたのかアイス製造機が完成したそうです」 「もしかしていまグウェンダルが捕まってるのは、そのせいなの?」 「ご名答」 「アニシナさんは、努力家だからなあ」 彼女の飽くなき追求心には関心するが、毎度付き合わされるグウェンダルにはおつかれさまです。と思わず合掌したくなる。 まあ、今日執務できる気力なくて助かったけど。 そういえば麦茶でのどを潤そうとしたところでスタツアをしたのを思い出して無性にのどに乾きを覚え、有利はアイスキャンディーの包装をはがすとそれを舐める。 幼いころ、家族旅行で向かった牧場で食べたアイスクリームを彷彿させる濃厚な味わいに頬がゆるむ。 「……おいしい?」 「うん、すごくおいしい! あ、まだ会合の資料に目を通してないけどさ、これデザートに出したらよろこばれると思うよ」 言うと「それは思いつきませんでした」と関心したように彼はいい「ぜひ取り入れましょう」と笑みをみせた。 その笑顔があまりにもいつもどおりやさしいもので、数時間前のお昼休みのクラスメートたちのことばがふっと脳裏に浮かぶ。 自分も忘れていたけど、コンラッドと付き合ってるのにふたりっきりでこんなになにもない。アイスを食べて、おしゃべりするなんて男友達とすることと変わりない。 ちらり、とコンラッドのほうを見てみたがソファーのサイドテーブルにあった書物を手に取り読みはじめようとしている。 それもまたいつもどおりなんだけど……。 いちゃいちゃまでとは言わないが、恋人らしいことはしてみたい。 ……自分からなにかそういう雰囲気をかもしだすほうがいいのか。いやいや、いきなりふだんとちがう行動をして引かれる可能性もある。 ひとり脳内会議を開いていると、突然くすり、と笑う声が聞こえた。 「ん? なんでコンラッド笑ってんの?」 問うといまだにちいさく肩を震わせながらコンラッドが読んでいた本を閉じて、こちらに顔を向け――有利の心臓が高く跳ねた。 コンラッドが笑みを浮かべている。だけど、こんな笑顔をする彼を見たことがない。 さわやかとは言えないどこか影のある微笑。そっとコンラッドは距離を近づいてくる。知らない表情に戸惑い反射的に距離をはかろうとしたが、手首を捕えられてしまった。 「こ、コンラッド……っ?」 捕えられた手首に持つアイスキャンディーをコンラッドが舌を晒すようにして舐め、上目づかいにこちらを見据える。 「ようやくちゃんと意識してくれたんですね、俺のこと」 「え、」 「だから、恋人として意識してくれたんでしょう?」 背中がぞくぞくする低音にからだがぴくり、と跳ねた。 「……ずっとね、待ってたんです。あなたが俺を意識して恋人として欲してくれることを。忍耐力には自信があったんですが、ユーリが相手となると堪えましたね」 急展開すぎて思考がついていかない。ぎりぎりと錆びついた歯車をまわすかのようにことばを紡いでいく。 「ってことは……ずっと、コンラッドはおれのことを意識してたの?」 おずおずと尋ねれば「もちろん」とコンラッドは答える。 「だっていままでそんな素振りぜんぜん、」 「ぜんぜんなかった?」 矢次にコンラッドが言う。意地わるな顔をして。でもそこに子どもみたいな無邪気さはない。暑さで溶けたアイスキャンディーの表面が液化しぽたぽたと手や指を落ち、汚していく。 それに、やや気をとられていると滴り落ちたアイスキャンディーをまた彼が舐めあげる。 「……んっ」 「素振りをみせなかったのもありますけど、見せていたりもしていましたよ。あなたが意識し出したら気づくくらいの行動はしていました。だから、うれしいです」 やっと、気づいてもらえた。 心底うれしそうな声と笑顔をこちらに向ける。 ここらへんでようやく思考が追いつき、コンラッドの言っている意味を理解する。 ずっとコンラッドは自分のことを意識してくれていたこと。 彼のアプローチに気づいていなかったのは自分だったことを。 わかると、一人相撲していた自分が恥ずかしくなり、急激にかおがあつくなる。 っていうか、舐められた? コンラッドに手を舐められた! 「え、ちょ……っいいいいいまコンラッドおれの手、舐めた?」 「舐めるだけじゃありませんよ」 言ってすぐに頤を掬われると、唇をふさがれて有利は目を見開いた。 「ぁっ……ん、ぅ」 しかも口唇を割られ、コンラッドの舌先が口内に侵入してきた。 キスのなかにはこういうものがあるのは知っていたし、恋人同士になれば深いキスもそのさきもあって……ずっと期待したけど想像していたよりディープキスはイヤらしくて、気持ちがよかった。 でもどうしたらいいのかわからない。口内の奥に自分の舌を潜らせると手首を握られている反対の手が有利の後頭部へとまわり彼の舌が潜ませているそれを彼の舌が捕えた。 「ん、ん……っ」 アイスキャンディーを食べたからか、擦りつけられるコンラッドの舌がやけにあつく感じる。息ができなくて、わずかにくちを開ければ唾液が口端からこぼれていくのがわかった。 だんだんとからだからちからが抜けていくのが怖くて、有利はコンラッドの胸元の生地を掴む。 「――は、ぁ……っ」 やっと口唇がはなれたときには、息が絶えだえになっていた。でもそれは有利だけでコンラッドの息に乱れはない。むしろくちびるが濡れて、色香が増しているようにみえた。 「すみません」 「え?」 唐突に謝られて、変に声が上擦る。 「……アイス溶けちゃいましたね」 指摘され、はじめてアイスキャンディーが床に転がっていたことに気づいた。 「あ、ごめん……」 溶けたアイスキャンディーを拾い片付けるコンラッドに謝罪する。 「ああ、お気になさらず。拭けばいいだけのはなしです」 こういう状況で、なにをはなしたらいいんだろう。 混乱していて冗談のひとつも言えやしない。妙に気まずい雰囲気のなか有利は床を拭くコンラッドを見つめることしかできないでいると床に目をやったままにコンラッドがこちらにはなしかけてきた。 「これから、」 「……これから?」 コンラッドセリフをオウム返しする。 「ええ、意識していただいたのでこれからはキスもそのさきもしていこうと思いますので覚えてくださいね」 言って、悠然とした笑みを見せたコンラッドはさながら宣戦布告のようで――いまなお心臓がばくん、ばくんと音を立てる。静かな部屋で大きく跳ねる自分の鼓動は一階のリビングで聞いた蝉の鳴き声にどこか似ているような気がし、付き合って二週間後の今日、ふたりのなにかがアイスキャンディーみたいに溶けだした。 END |