せえのできすだよ。
 



 純粋で純情と称される眞魔国の誇りの象徴である魔王。そして自身の一生を持って護るべき主であり、最愛のひと――シブヤユーリにときおり、いじめたくなってしまう。
 もちろん、いじめるとはいっても体罰を与えたり、精神的なダメージを与えることではなく、恋人としてスキンシップの延長上にあるものだ。なのでいじめるというよりかはからかうといったのほうがただしいのかもしれない。
 ユーリの恥ずかしがる表情がみたくて、わざと耳元で囁いたり、甘いことばをかけてみたりする。
「……ユーリ、」
「なに?」
 そういうからかいのなかでいちばん彼がかわいいをみせるのは、こうして前触れもなくキスを仕掛けるときだ。
 今回も自室のソファーで王佐であるギュンターとの勉強会で出された課題に目をとおしていたユーリに背後から声をかけ、彼が振り向いた瞬間にかすめとるように互いの口唇をあわせた。
 瞬間、ユーリの目が大きく見開かれ、手に持っていた課題の束を顔におしつけられた。
 ここまでは想定内のことであったが、彼が浮かべる表情はいつもと違うものでコンラートの胸にヒヤリ、としたものがはしる。
 ユーリの表情が不機嫌そのものであったからだ。
 ……今日は勉強会の最中にギュンターが汁を吹きだし、それが思いきり服にかかったと言っていたし、もとより機嫌がわるかったことに拍車をかけてしまったかもしれない。しかしいまさら行動したことをなかったことにはできない。
 彼がこちらをじろり、と睨みつけて視線が絡まる。
 その強い視線から目を逸らすこともできず居心地の悪い雰囲気のままコンラートもユーリをじっとみつめかえしていると、彼がかおをしかめたまま目を床へとそらして言う。
「……おれ、コンラッドにそういうことされるのイヤだ」
「それはキスをされるのがでしょうか?」
 いや。そうではなく、いままで恋愛感情だと思っていたものが勘違いで、恋人として接する自分の行動に嫌悪感を感じたのだろうか。
 付き合い始めたのはここ二、三か月ほど。いままで恋愛をしたことがないと言っていたし、初めて恋したひとが同性ということもある。自分は本気でユーリのことを愛しているが、彼はそうではないかもしれない。もし、そうであればこの事実を受け止めることしかできない。
 そう思い、覚悟をしてもやはりユーリから別れを切り出されるのはつらいものがある。コンラートは無理やり笑顔をはりつけてユーリからの返答を待つとユーリはすこしためらうような仕草をしたあとちいさくうなずく。
「……うん」
 たった一言が鋭く胸をえぐり、喉が枯れてしまいなにも言えなくなる。
 やはり、彼のなかでの運命のひとというのは違っていたようだ。それはとてもかなしいが、ここ数ヶ月いままでにないくらいしあわせで夢のような日々を過ごすことができたのだ。自分はユーリに感謝をしなければいけない。
 コンラートは長く息を吸い、吐いてことばを探す。
 と、ユーリがくちをひらいた。
「そりゃ、おれは百年以上も生きてたくさんの経験をしているコンラッドからすればお子さまだけどさあ、やっぱりくやしいもんはくやしいんだよ」
「……は?」
 彼のいっている意味がわからない。一体なにがくやしいというのか。
「だーかーらー。そうさりげなくキスしてみたり、甘い雰囲気を作っちゃうところ。ああ、くそ。おれもあんたくらい身長があったらそういうキスとかできるのになって思って。いまのおれじゃ背伸びしなきゃいけないのがすっごくヤダ」
「……俺と付きあうのが、いやになったわけではないのですか?」
「まさか! ……もしかして、やけに口数少なくなったと思ったらコンラッドそんなこと考えてたわけ?」
 怒っているような、あきれているような口調でユーリがコンラートを咎める。
 そんなこと、といわれても一国一城の主であり、だれからも慕われる少年と掃いて捨てるほどいる自分のような存在が恋人同士になれたことがありえないはなしだというのに、まさかキスの仕方やちょっかいでコンプレックスを刺激されているなんて考えるほうがむずかしい。
「いやでも考えてしまうんですよ。正直、いまがしあわせすぎてあなたの恋人であることに未だに実感がわかないのですから、怒らないでください。……ああ、でもよかった。嫌われたかと思いましたよ」
「ったくもー。あんた考えすぎだよ。恋愛経験豊富なんだから、これぐらいわかると思ったのに」
 呆れた口調でユーリが肩をすくめる。さきほどよりは機嫌がよくなったようだが、まだキスに関しては気にしているのか若干気にしているようだ。
 自分は午前中剣の指南。ユーリは執務室。午後は午後で互いに仕事の関係上別行動をしていたのでこうしてふたりきりになったのはついさっき。夕食を終えてからなのだ。ふたりの誤解も解け、改めて恋人として認められたのだから甘い時間を過ごしたい。
 コンラートは、ユーリのとなりに腰をかけてある提案を持ちかけた。
「これなら、さほど身長のことは気にならないでしょう? どうぞ、あなたのお好きなように」
「お好きなようにって?」
「だから俺がしたかったことをしてみたかったのでしょう。自分からキスをしたり、囁いてみたり。ユーリの好きなように俺をいじめてくださいと言ってるんです」
 説明すると、ユーリは警戒するねこのような表情をしてみせた。
「なんだよ、その上から目線的な発言」
「……さあ。そんな気持ちは一切ないんですけどね」
 ユーリに言うとまた機嫌が下降するであろうから言わないが、彼の挑発的な視線は自分の性欲をかきあげてる。
 調子に乗るなと自分をたしなめたいが、いまのしあわせに包まれた気分では理性よりも本能が上回りコントロールができない。
「で。やるんですか、やらないんですか?」
「……や、る」
 負けず嫌いな少年におなじように挑発的な口調でかえせば、唇を尖らせて期待していたことばをくちにした。
「では、俺は目をつぶっていますね。あなたの好きなタイミングで俺に仕返しを存分してください」
 ソファーの背もたれではなく、ひざかけに背中を預けコンラートはユーリに顔を向けてつぶる。
 しかし、待てども彼からなにかを仕掛けてくる気配はない。あるのはときどき聞こえる唸り声だけだ。
 やっぱり、純情無垢と友人である猊下に言われる彼のことだ。いざ、となると羞恥心がこみ上げてきてしまったのかもしれない。
 今後は、ユーリのコンプレックスを刺激しないようにしておこうとコンラートが瞼をあけようとすると声をかけられた。
「コンラッド、あのさ」
「なんでしょう?」
「目を開けて、おれのはなしを聞いてくれる?」
 言われて、コンラートは目を開けると、ユーはふたたび唸り声をあげたあと右手の人差し指をあげ「おれからひとつ提案なんだけど」と言った。
「いきなりお好きなようにって言われてもやっぱりコンラッドみたいなことできないから、今日のところはいっせーのでキスしない?」
 そのことばにコンラートは思わず噴き出すように声を立てて笑ってしまう。
 だってしかたないだろう。こんなかわいい提案などされると思わなかったのだから。
 ほんとうに彼はどこまで自分を魅了すれば気がすむのか。
「笑うなよ! 今日のところはこれで機嫌を直してやるんだからありがたく思え! つーか、絶対いつかあんたを見返すんだからな!」
「それはこわいですね。気をつけておかないと」
「……こわいなんて思ってないくせに」「こわいですよ。とても」
 いつだって自分は彼の一挙一動にみっともないほどに心をふりまわされているのだから。
「もういい。いまにみてろよ」
 と、思ってもこのように言う彼にはきっとわからないのだろうけど。
「……コンラッド覚悟はいい?」
 ユーリのことだから恥ずかしがって勢いをつけて、歯がぶつかってしまうだろうが、彼には秘密にしておこう。
 歯がぶつかり、涙目になったかわいい彼にほんとうのキスを教えてあげよう。それからどれくらい自分が彼の好きでどうしようもないのかも。
「ええ」
「それじゃあ、いくぞ。いっせーの、」
 そうして合図とともに勢いよくこちらに顔を近づけてきた愛しい少年をコンラートは彼にしかみせない幸福な表情で受け止めた。





END


ああ、ほんとうにかわいい世界で一番愛しいひと!