それではまず手始めに、



 彼をこの世界で待ち続けて十五年。そして成長した少年に恋をしたのが十六年の初夏。告げることのない思いを抱きながら彼を歩いていたその一年。彼のためにとその後自分はその隣から姿を消し、刃を向けた翌年。小シマロンの白い軍服に腕を通して刃を向けたあの日、もう自分は愛しい少年王の隣を歩み、笑顔と名を呼ぶことも呼ばれることも、二度とないのだろうと確信していた。
 これでいいのだ。と、コンラートは思っていた。もう故郷の地を踏むこともなく任務遂行後、捕らえられ死罪を告げられてもかまわないと考えていた。もともと、臣下である自分が王に恋心を抱いていることが死に値する。もし創主のことがなくとも腹の底でじわじわと毒のように広がる想いをいつか吐露してしまうのではないかと考えていた。いつ爆発するかもしれない気持ちを持ちあわせたままずっと彼のそばにいるのは最初から無理だった。
 どちらにせよ、いつかは少年王の隣から自分は姿を消していただろう。
 幼なじみでもあり悪友のグリエ・ヨザックと少年王と肩を並べる約四千年の記憶を持ち合わせている村田健。通称猊下と呼ばれる少年はコンラートが王に恋をしていることを悟っていたのだろう。
 離反してから、乗り合わせた船のなかで自分と目が合うと隠すこともなく顔をしかめて『最低だ』と吐きすてた。
『創主を理由に渋谷の隣からいなくなるなんてきみは本当に最低だよ』
『アンタは坊ちゃんの名づけ『親』なんだろ! 親なら途中で投げ出すんじゃねえよ!』
 彼らの言い分はもっともだと、コンラートは思った。自分でも、何度己に言い聞かせていたことばでもあった。
 それでも帰らないと誓ったのだ。最低なやつだと、逃げた臆病者だと言われた自分でも意地がある。ちいさな意地だ。箱を集めるのは自分にしかできない。
 けれど、どういうわけだかいま自分は再び愛しい少年の隣を歩いている。しかも、今度は叶わないと思っていた恋人として歩いている。
 ……もしかして、自分は一度死んだか、パラレルワードと言われるもうひとつの世界に紛れこんでしまったのだろうか?
 冗談ではなく本気でそう思ってしまう。それほどまでに現実がしあわせで溢れているのだ。
「……ド、コンラッドってば!」
 袖をぐん、と掴まれて頭のなかを泳いでいた思考が停止して現実へと引き戻される。そうして、目にしたのは不満そうに唇を尖らせ、額に眉根を顰めている少年の顔。
「ああ、すみません。考え事してまして……」
 はなしを聞いていませんでした、と謝ると彼は不服そうに唸り声をあげる。
「いやべつに、たいしたはなしじゃないんだけどさ。……そんな顔すんなよ」
「そんな顔、とは?」
 あまりにも呆けた表情を浮かべていたのだろうか。
 コンラートが首をかしげると、彼はあたりを見回してひとけがないことを確認し「ちょっと、」とちいさく手招きをした。言われたとおりにコンラートは背を屈め少年に身を寄せるとやわらかな感触が頬にあたる。
「は、」
 考えるまでもなくそれは彼の唇だ。予想もしていなかったことに目をみはり、彼をみれば恥ずかしがることもなく真剣な表情を浮かべていた。
「あの……陛下?」
「もう今日の仕事は全部終わったから、おれは陛下じゃありませーん」
 こんどは両頬を手で軽く挟むように叩かれる。
「もう何回も言ってるけど、おれはあんたがなに考えてるのかわかるの。もちろん、全部はわかんねえよ。……でも、これは夢なんじゃないかって思ってるんだろ」
 直球で適格に本心を突かれて息を飲む。まっすぐに向けられた視線を逸らそうにも、顔を固定されていてそれがかなわない。
 コンラートは眉根をさげ、ちいさく息を吐いた。
「本当にかなわないな。……ユーリには」
 どうしてわかってしまうのか。なんて尋ねたところで、彼――ユーリ自身わかっていないのだろう。
 ユーリには隠し事などできないのだ。
 ため息を吐くように、コンラートはぽつりと想いをくちにした。
「疑っているわけではないんです。この現実を。けれど怖くなるんですよ。……あなたが言うように夢のようで」
 弱い男、情けない男だと自分で思いをくちにして理解する。これが夢であればいいとさえ思う。そうすれば目がさめたとき、ああやはりそうかと納得できる。けれど、いま目にしているものが現実であれば自制していた欲もでれば、いつか別れを告げられるかもしれないのだ。
「なんで俺は、あなたのとなりにいるのでしょうね?」
 無意識にこぼれたことばが失言だったと瞬時に理解したがもう遅い。ユーリの瞳がわずかに痛みを覚えたように揺れた。「すみません」といまこそ謝らなければいけないことなのにこんなときにかぎって口内が渇いてしまい声がでない。
「……あんたってめんどくさい」
 ユーリの手がゆっくりと頬から離れていく。
 今日こそ呆れられた。あの出来事に未だ縛られている自分でも嫌気がさしている。ユーリはきっとそれ以上に不快に思っているに違いない。
 もし、戻ってきたらかなしい表情をさせるものかと己に誓ったのにもう何度彼にかなしい顔をさせたのだろう。
「おれはばかだから、世間体とかよくわからない。自分が正しいと思ったことやるだけだよ。それは傲慢かもしれない。……でも、おれは自分が選んだ道を後悔なんてしないって決めてるんだ。おれはコンラッドと生きていきたい。おれがあんたが好きでとなりにいる。あんただって、おれが好きだからとなりにいるんだろ? おれを護りたいからそばにいるんだろ」
 しゃべっているうちにだんだんと気分が高揚しているのか、ユーリの口調が荒いものになる。
「自信持てよ! おれがあんたにぞっこんだってわかれ! めんどくさくてどうしようもないコンラッドが好きなんだ! これは夢なんかじゃない。これはおれとあんたが勝ちとったいつかの未来なの!」
 このおばかちん! と、ユーリが思いっきりコンラートの頬を指で抓る。
「痛いです」
「痛くやってんの! 痛いっていうことは現実ってことだよ。いい夢みるばっかじゃなくてしあわせな現実もちゃんと受け止めろ。いいか、おれはぜったいコンラッドと別れるつもりないから覚悟しておけよ!」
 ユーリは言い、ぐっと胸元をつかまれたかと思うとキスと呼ぶにはずいぶんと手荒いくちづけをされコンラートは笑ってしまう。
「……ユーリはキスがヘタですね」
 くちびるから血が出るかと思いました。と、自分の下唇を指で撫でながら告げるとユーリはわずかに頬を染める。
「うっさいな! めんどうくさい男を慰めるにはかなりサービスしたんだからありがたく思え!」
「そうですね」
 十分すぎるほどに、愛されて甘やかされた夢物語のような現実に背を向けるのはもうやめてもいいころなのかもしれない。
「――でも、めんどうな男はとてもキスが上手なんですよ」
 ユーリの頤を掬い、コンラートはゆっくりと互いの口唇あわせ徐々にくちづけを深くしていく。焦れるほどに丁寧に愛撫をするとユーリが縋るように裾を掴み、それを合図に口唇を舌先でわると腰を引きよせる。
 そうして、短くけれど濃密なキスが終わるとコンラートはユーリを強く抱きしめた。
「コンラッド。おれは、夢は夢のままなんていやだよ。夢は全部叶えたいんだ」
 まだ息が整わないのかせわしない浅い呼吸をしながらユーリはコンラートの背中に手をまわす。
「あんたの夢を教えてくれ。おれが叶えてやるから」
 ユーリのちいさな背中や肩にたくさんの希望が重くそれこそ絶望するほど重く乗っかっているのがわかる。彼にそれ以上の負担をかけてはいけないと思う。が、ユーリはコンラートの思いを察したようにはなしを続けた。
「全部言ってほしい。それが、負担になることなんてないんだ」
 胸が痛くなるほどにやさしいことばに目の奥が熱くなるのを感じる。
「いつまでも、あなたのそばに置いてください。ユーリとおとぎ話のようにずっと」
 言うとユーリは「いいよ」と即答し、からだをはなした。
「あんたの願い、おれが叶えてやる。だから、」
 そこで一度ことばが途切れたかと思うと『パァン!』と清々しいほどの平手打ちが飛んできた。左頬に。
「おとぎ話のお約束だろ。ふたりは結婚し、しあわせに暮らしましたって。だから、手始めに結婚してみようぜ」
 なんでもない日常会話のひとつであるかのような口調でユーリは言い、もうコンラートは笑うしかなかった。本当に自分はめんどくさい男でどうしようもない。
 うじうじとずっと悩んできたことをやっと告白したのに、彼はこんなにも簡単に答えを導きだしてしまったのだから。
「ユーリは、本当に男前ですね」
「あたりまえだろ。だっておれ男だもん。……で、返事は?」
 答えなど知っている。そんな顔をして笑う少年の手をとり、甲にくちづけを落とすとそのまま自分の右頬に導いた。
「そうですね。手始めに結婚してみましょうか?」
 言うと、ユーリは泣きそうな顔をして頷き「言い忘れたけど、一度聞き入れた願いは破棄できないからな」と言った。
 もちろん、それでかまわない。
 コンラートはじくじくと痛む左頬の熱を感じながらこれからも続くであろう幸福を噛みしめた。


END
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