>> しょげないでよ、ベイベー!
(はじめてのおつかい/出会い編)



「そっちへ行ってもいいかな?」
 男は笑顔のまま勝利の返事も待たずに、飲みかけのコーヒーを手にしたままふたりが座る席へと移動してきた。その大胆な行動に一瞬勝利は唖然としたがすぐに顔をしかめる。
「僕、いいなんて言ってないんですが……」
「そんなつれないこと言わないでほしいな」
 男は肩をすくめて、眉尻を下げて微笑む。きれいに切りそろえられた茶色の髪と瞳。シャツにジーパンというラフな格好なのになぜかきらきらとした雰囲気がある。美子がみたら目をハートにしてしまうじゃないかと思うほどの美成年だ。すらりとした体格だが、シャツからうっすらのぞく鎖骨などをみるとしっかりと筋肉がついている。趣味で鍛えているような感じでない。自衛隊にでも所属しているのだろうか。
 銀行員の父と専業主婦の母。しかも日本人。どこにでもいる両親とまるで王子様のようなこの成年に共通点があるようには思えない。
「……そんなに俺は信用ならないかな? まあ、きみに会うのは今日がはじめてだしね」
「僕は、はじめてということは弟には会ったことがあるんですか?」
「うん。でもユーリは覚えていないだろうけど。まだユーリが赤ちゃんのときに一度だけだから」
 男は言い、オレンジジュースを飲んでいる有利へと顔を向けた。
「大きくなりましたね。……ユーリ」
 感慨深いように彼はちいさく呟き、有利は「ゆーり、しんちょうまえよりのびたんだよ!」と男に大げさなジェスチャーをしながら笑いかける。
 有利には無意識にひとを惹きつける能力とともにそのひとが悪いひとであるかそうでないかというのも判断できる能力がある。ちょっとこのひとが怖いと呟けば、一見優しいそう笑顔が浮かべたひとがのちのちテレビニュースで犯罪者であったことなど、ほかにもいくつか良くない噂を聞いたこともある。そんな有利があい席している男ににこやかな笑顔を向けるということはおそらく大丈夫なんだろう。だが『両親と友達』だけで謎の多い男に不信感が募ってしまう。
 男は勝利の思いを悟ったのか携帯電話のメモリーと父である勝馬とのツーショットを見せてくれた。
「まだ俺が仕事の都合でボストンに来たころ、たまたまショーマと会ったんです。浮かない顔をしている俺をボールパークへと連れて行ってくれてね。それから仲良くなったんだ」
「そう、ですか……」
 ひとの良い父親のことだ。見ず知らずの初対面とそういうことをしていてもおかしくないような気がする。
「はーい。ショーリ、ユーリ。おまちどうさま」
 すこし男への警戒心が薄れてきたとき、マシューが注文していたシフォンケーキとくま型のチョコレートの飲み物をトレイに載せてやってきた。それからもうひとつ、男が注文したのだろうチーズケーキ。
「ここで一時間ほどつぶすといい。この時間は人ごみがすごいから電車も混んでいるから」
 もちろん、きみたちの両親もそのほうがいいとさっき言っていたから。とマシューは言いすぐにカウンターの奥の部屋へと消えてしまった。マシューは、自分たちがここにきたときに、両親へと電話をいれたのだろう。本当にみんな、過保護だ。いや、信用されていないということなのだろうか。
「……はあ」
 勝利は、フォークを手にとり次から次へと零れてしまいそうなため息をシフォンケーキとともに喉奥へ押し込む。いつもなら気分が滅入っても食べればすこしは向上するというのに、今日のシフォンケーキは味があまり感じられない。男は面倒みがいいのか、有利の服が汚れないように胸元にナプキンを差し込んでいる。(しかし、お約束のように有利のくちもとはチョコレートでべっとべとだ)
「ユーリ、チーズケーキもちょっと食べてみますか?」
「いいの?」
「ええ、どうぞ。はい、あーん」
 男はあたりまえのように、フォークでチーズケーキをひとくちサイズに切り有利のもとに差し出した。
「ちょっと! 有利に余計なことしないでください! ゆーちゃんも自分のケーキがあるでしょう!」
 目の前の光景にかっとなってしまい思わず、大声を出してしまい勝利は思わず自分の口元を押さえた。
「ぁっ……ごめんな、しゃ……」
 びっくりして有利が大きく目を見開いたあと、瞳に涙をためてしゃっくりをしながら泣きだしてしまった。普段有利に怒ることを滅多にしないのと、突然大きな声を出してしまったことで恐怖を感じたのだろう。くちもとにあったチーズケーキがぽとり、と床に落ちた。
「ごめんね! ゆーちゃん……っ」
 慌てて謝るも、自分の泣き声で聞こえないのか有利はより一層大きく泣き心配そうにマシューが顔を出す。
「どうしたんだ。ケンカでもしたのか?」
「いえ……そうじゃなくて」
「だめだろう、ショーリ。きみはお兄ちゃんなんだから、弟には優しくしないと。弟を守るのはきみの役目だぞ」
 弁解しようとしたが、矢次に喋るマシューのことばに勝利はぐっとことばを詰まらせた。
『弟を守るのはきみの役目』
 そんなことわかってる。わかっていて、八つあたりをして有利を泣かせてしまった自分が腹が立つ。反論することばが見つからず、勝利はぐっ、とズボンを掴んで奥歯を噛みしめた。
「いや、ショーリが悪いんじゃない。間違って俺が携帯電話を床に落としちゃって、予想以上に大きな音を立ててしまってね。ユーリが驚いて泣いてしまったんだ」
「え……」
「俺が悪いんです。ユーリも驚いただけだからすぐに泣きやむと思うし、気にしないでください」
 男は有利の髪を撫でつけながら、マシューに説明する。
「そうなのかい?」
 尋ねるようにこちらへ顔を向けてマシューに勝利は困惑したが、ちらり、と男に視線をやればくちに人差し指をあててウィンクをした。
「え、あ……そう、です」
「お騒がせしてしまってすみません」
 マシューは故意に泣いたわけではないと判断したのか息をはくと再び戻って行った。
「ゆーちゃん、本当にごめんね」と謝ると若干唇を尖らせながらも「ん……」と返事を返して許してくれ、男はというと床に落ちたチーズケーキをナプキンに包むと残りのケーキを有利へと差し出した。
「泣きやんでえらいね。ユーリは。いい子だからこれも食べて?」
『ナザリー』のケーキは、カロリーが低く二個食べても通常のケーキ一個分のカロリーほどだ。有利は差し出されたチーズケーキをみてうれしそうな顔を見せたが、さきほど怒られたことを気にしているのか首を横に振る。
「いいよ、ゆーちゃん食べても」
「……いいの?」
「いいよ。ゆーちゃんはいい子だからふたつ食べていいんだ」
 勝利が笑ってみせるとつられたように有利は笑んでチーズケーキを食べはじめた。
「あの、さきほどは声を荒げてすみませんでした……ちょっとイライラしてあなたや有利に八つ当たりをしてしまった」
 男に対しても悪いことをした。冷静に考えればだれだって可愛い子供を甘やかしたくなるのは当たり前のことだ。なのに有利にあーんをしているのをみて声を荒げてしまうなんて……自分が情けなくなってくる。
「ショーリは悪くないよ。出過ぎたマネをした俺が悪かったんだです。……ショーリは、格好いいお兄ちゃんですね」
 やさしい男のことばと向けられる視線に耐えられなくて勝利は視線を逸らす。
「……大人はすぐにそうやって機嫌を取りますよね。僕は全然格好良くなんてない。――本当は、ひねくれて、ませた奴だと思ってるんでしょう」
 賢いと言われても、同年代の子供に比べればということで、大人からすればいま自分が持ってる知識など当たり前に身につけていることだ。
 足掻いたってどうにもならない。なのに、なんでこんなにイライラしてしまうのだろう。目の前の男のような大人になりたいのに、なんで、
「ーーなんで、こんなに僕はこどもなんでしょうか?」
「ショーリ、」
「大人からみれば幼稚でつまらない、ませた子供なんでしょうね、僕は。自分でもよくわかっています。でも頑張ってるんですよ。意味もわからず小説を読んでいるわけじゃない。どの駅のチケットを買うのかわからずに発券機のまえで立ち止まっていたわけでもない。おつかいなんてひとりでもできるのにほめられる意味がわからない。なんでこんなに頑張っているのに、僕はどうして子供なんでしょうか」
 思いがまとまらずに口からあふれ出し、自傷的な笑みが浮かぶ。こんなことを言っているから、大人になれないのだ。心なしか場の雰囲気がおもくなったのを紛らわすように勝利はオレンジジュースを飲んだ。有利が二個のケーキを食べながら鼻歌をし、ストローでジュースを啜る音だけが室内を埋め尽くしていく。
 勝手にべらべら喋って空気を悪くして、ひとを困らせることしかできない自分が嫌になる。もうこの空気をどうにもできる気がしなくてさっさとケーキを食べて帰ってしまおうとシフォンケーキに手をつけようとしたとき男がくちを開いた。
「しかたないよ。だってまだショーリはこどもなんですから」
 にこやかな笑顔で、男は悪びれることもなく不快なことばを勝利につきつけた。

 
 



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