>> しょげないでよ、ベイベー!
(はじめてのおつかい/おつかい編)



 有利の負担も考えてデパートで購入するカレーの材料は最初に頼まれていたときよりも数が減った。
 カレールー。300ミリリットルの蜂蜜の瓶。りんごがひとつと玉ねぎがふたつ。それでも三歳児に持たせるとなると、重くなる。
 勝利は有利の手を引きながら、紙に書かれた材料をかごに放りこみすぐにレジへと向かう。DVDで観た同年代の子のように菓子やおもちゃコーナーに誘惑されることはない。
 自分はまったくそういうものに興味がひかれない。
 好みのお菓子やおもちゃはあるが、そこまでの魅力を感じないからだ。そういうものは時とともに変化していく。駄菓子やおもちゃなんてとくにそうだ。大人になれば必要ではなくなる。いまもっとも自分が欲しいものといえば、知識。
 有利を守るための知識が欲しい。有利には自分にはないものがたくさんある。きらきらと輝いて自分では決して手に入れることができないなにかを。それを失くしてほしくはない。だから、知識が欲しい。知識を得て、地位が欲しい。
「おや、パパとママはどうしたんだい? おふたりちゃん」
 レジのおばさんが、かごを受け取りながら勝利に尋ねる。
「ふたりとも家です。家が近いので、弟と買い物をするようにと頼まれて」
「ふぅん、ふたりともえらいねえ!」
「ゆーり、えらいの!」
 なにを誉められたのか、わかっていないが誉められたという事実がうれしいのだろう。有利は、にこにことおばさんに笑顔を向ける。
 反対に勝利は口をつぐんだまま、会計をすませた品物が入ったかごとおつりを受け取って有利の手をつかみサッカ台に移動する。
「おばちゃんばいばーい!」
「おばちゃんじゃないよ。おねえさんで呼んでちょうだい。気をつけて帰るんだよ〜」
 愛想のいいおばさんは手をこちらに手を振るが勝利はそれを無視して、ふたつのリュックに食品を詰めこむ。
「しょーちゃんはおててふらないの?」
「うん、僕はいいよ。さ、ゆーちゃん行こう。今度は電車に乗るからね」
「うん。……ねえ、しょーちゃん」
「なに?」
「しょーちゃんおこってるの?」
「……まさか」
 機嫌がわるいだけだ。怒っているわけではない。
 心配そうに顔色を伺う有利の頭を撫でて、デパートをあとにする。
 大人になればみなひとりでも買い物に行くあたりまえのことで「えらいね」と言われたことに不快感を覚える。『まだ子供なのに』と言われているような気がしてならないのだ。もちろん、言った本人はそんなことを思っていないのだろうとわかっているが、素直にそのことばを受け入れられない。自分はまだ八歳。どこからどうみても、大人びたって子供。理解している。どうあがいたところで自分は大人から見ればまだまだ子供なのだ。
 

 
「……」
 駅に着くと勝利はさらに気分が悪くなった。
 自分の身長では届かない切符販売機に腹がたち、それを見た親切なひとが声をかけてくれ心にもない感謝のことばを述べるとうれしそうにポケットからアメをくれる。もちろん「えらいね」だとか「すごいな」と言って。
 子供扱いされて唯一、よかった点といえば休日の電車内で椅子に座れたことだ。自分たちが乗り込むホームはひとも多く、このホームから乗車すれば空いた椅子はないのだがぎゅうぎゅうとひとに押しつぶされているのをみてふたりのサラリーマンが席を譲ってくれたのだ。
 有利はさきほどもらったアメをころころと口のなかでころがしながらにこにことしている。それをみて周りはほほえましそうに自分たちを目にして口端に笑みをうっすらと浮かべていた。
 それを有利のように受け入れられないことも、腹のなかで苛立ちがコントールできない自分にも腹が立つ。
 勝利たちが降りるのはとなり駅だが、ほかの駅よりも若干時間がかかる。とは言っても十分ほどではあるが、ひとの視線に耐えられる気がしなくて勝利はリュックのなかから文庫本を取り出した。日本作家のものだ。文庫本はもう半分ほど読み終えていて、いたるところのページに付箋が貼ってある。読めない漢字やことばの言い回しをあとで調べるためにだ。
 勝利は、絵本よりも小説を読むのが好きだ。夢いっぱいの詰まった絵本もいいとは思うが、小説ならではの自分で想像しなければ、物語にのめり込めない難しさが勝利を魅了する。読み込まないでいると回想シーンに入ったときに「あれ、こんなこと言ってた?」となってキーワードになっていた場面を探すために何十ページも読みなおし探す。ああいうとき、ちょっとだけイライラするもののそのイライラは嫌いではない。そうして長い長い物語を読み直し、完結という文字を目にすると言いようもない達成感が胸をかけめぐる。それが好きでたまらない。しかも読み終えると世界が以前よりも広がったように思えるのもいい。
 本に集中すると、ひとの視線が気にならなくなる。勝利はガタゴトと揺れ動く電車の音を聞きながら文章を目で追い、頭のなかを文字が泳いでいく。そうして、ゆっくりと物語が脳内に浮かんできたときちいさな呟きが聞こえた。
 ――ねえ、あの子まだあんなに小さいのに小説なんて読んでるわよ。ちゃんと意味がわかって読んでるのかしら?
 ――わかるはずがないだろう。読んでるふりだよ、きっと。ませたガキだなあ。まったく、となりの男の子はかわいいのに、あいつは可愛げがないな。
 皮肉めいた口調に、ぴくりとからだが震える。
「……しょーちゃん?」
 有利が不安そうに名を呼ぶ。なにかあったの? とでも言いたそうに。勝利は本を閉じてそのことばの意味に気付かないそぶりで有利に笑いかけた。
「そろそろ到着するから、手を繋いでおこうね。はぐれたら大変だから」
「……うん」
 大人というものはすぐに自分の価値観を押しつけたがる俗物だ。「まだこどものくせに」とおつかいにしろ、小説にしろなんでもできないと勝手に価値観を押しつける。
 ちょうどよく電車内に到着アナウンスが鳴り響く。
 勝利はリュックに文庫本を押し込み、有利の手をつかむと人に押しつぶされながらも開くドアへと向かい、あの声の主である男女を見つけるとにらみつけた。が、男女はそんな勝利の視線に気がついていないようだった。
 本当に、大人って最低。
 まあ、そんな大人たちに憧れる自分もどうかと思うが。
 大人でなければ、認められないことがたくさんあるのだ。


* * *


 DVDの返却はおつかいのなかでいちばんスムーズに終わった。わざわざスタッフに声をかけて返却しなくても返却ボックスが用意されていたからだ。だが、やはりというべきか返却ボックスも勝利の身長よりやや高くわずかに背伸びしなくてはいけないことがコンプレックスを刺激する。
 時間とともに、イライラは毒のように勝利のからだのなかを血液のごとく巡っていく。普段出かけるときは、両親と一緒に行動していることもあり、日常茶飯事ともいえる両親の痴話喧嘩やもう結婚して何年も経っているというのに、人目もはばからないイチャイチャを目にして周りの雑音に気をあまり配ることはなかった。それに今日はおとなしくしている有利もみんなででかけるとなるとうれしいのか、せわしくなく行動しているのでそのお世話をしていたし。
 親にだって、よく勝利は「えらいね」などとほめられることもすくなくはない。しかし、それらのほめ言葉は両親だからというのもあるだろうが彼らの行動を大人になって信じられない行動をしたりするものだから、自分のことを「こどもなのに」というニュアンスを含まずに言っているような気がしたからだと思う。
 レンタルショップから最後のおつかい場所である洋菓子店『ナザリー』は大通りの交差点を右に曲がるとすぐの場所にある。勝利の住むマンションの近くにも多くの洋菓子店が点在しているが、母親の美子は一駅離れたここ『ナザリー』が大のお気に入りだ。「ナザリー」はほかの洋菓子店とはちがい流行に合わせた店の造りでなくどちらかというと骨董品を扱っているようなアンティーク調な感じだ。店のまえには生花がひっそりと植えられ、あたたかい雰囲気がある。流行の高級感を出した洋菓子店もいいとは思うが、なんだか落ち着かないので勝利も『ナザリー』が好きだ。ショーウィンドウに並べられた洋菓子の数々も甘すぎず、何個も食べられるんじゃないかと思うくらいおいしい。……まあ、実際一番母がここがお気に入りなのは美男美女のスタッフがいることなのだろうけれど。
 勝利は三段しかない短い石段をのぼって『ナザリー』のドアを開けた。ドアには、ベルがついていてカラン、と音がする。
「やあ、いらっしゃい。ショーリにユーリ」
 入ると品だしをしている恰幅のいいほがらかな笑みを浮かべた男が声をかけてきた。彼の名はマシュー。『ナザリー』の店長だ。
「ジェニファーからさっき電話があったよ。今日はふたりでおつかいなんだってね」
「ああ、はいそうです」
 ジェニファーというのは母、美子のニックネームだ。日本に住んでいたころいろいろと暴れていたときの名前で(いわば若気の至りというものだろう)美子はこの名前が気に入っているらしく、アメリカで知り合った友人などにはジャニファーと呼ばれている。息子としては日本人だし、はずかしいと言っても美子が聞く耳をもたないのはわかっているのでマシューにあいまいな笑顔をみせるしかなかった。
「ショーマはショートケーキ。ジャニファーはモンブランを持たせてくれと言われた。それからマカロンもか。ふたりは疲れただろうから、ここで頼んで食べていきなさいと言われたよ」
 店内には、持ち帰りのみではなくちいさいが飲食できるカフェスペースもある。カウンターであるここでは見えづらいが、置くにひとりの人影がみえた。
「わかりました。……ゆーちゃん。好きなケーキ選んでいいよ。なにが食べたい?」
「うーんと……しょーちゃんはきまったの?」
「うん。僕は紅茶のシフォンケーキにする」
 紅茶のシフォンケーキは勝利のお気に入りだ。紅茶の風味とふわふわの生地。それに生クリームをつけて食べると思わず頬がほころぶ。
 有利は悩んだあげく、クマのかおになっているチョコレートケーキを選んだ。
「ケーキだけだと喉が渇くだろう。今日ははじめてのおつかいらしいし、飲み物をおごるよ」
「いえ、でも……」
 そこまでしてもらうのは悪いです。と勝利は顔を横に振ろうとしたがそれよりもさきに有利が「おれんじじゅーす!」と元気よく答えてしまったためなにも言えなくなってしまった。
「それじゃあ、僕もオレンジジュースで」
「オーケー。持って行ってあげるから席にすわっていなさい」
「……ありがとうございます」
 たかだか、こどもだけできたというだけでこんなに甘やかされていいのだろうか。と、勝利は感じたが自分が思っていたよりもからだは疲れていたらしい。席につくと無意識にため息がこぼれた。
「ずいぶんとお疲れのようだね、ショーリ」
 とつぜん、マシューやスタッフではない知らない声で名前を呼ばれて勝利はびっくりして声の主のほうへと顔を向けた。
 声の主は、さきほどカフェスペースで見えた人影であった。
「……あなたはだれですか?」
 二十代前半くらいだろう、男性。
 勝利は怪訝そうに尋ねると男は微笑んで「きみの両親とお友達」と答えた。
「そっちへ行ってもいいかな?」



next

「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -