GIMLET/HPB


 彼と自分を繋ぐのは街の片隅でひっそりと営業しているバー『mellow』であることぐらいわかっていた。おおよそ毎週末に店に顔を出す彼――ユーリ。一、二時間ほどしか彼とはなす機会がないものの、それでもコンラートにとってはユーリと出会うまえの過ごした日々が一体どのようなものであったのか、あいまいになるくらい充実した時間を過ごしている。彼はドアのベルがカランと鳴らし、すこしくたびれた顔をしながら店内を見渡してコンラートの顔をみるとほっとしたように眉根をさげてカウンターに腰をかけるのだ。
 ユーリとはなしていると、自分に恋愛感情を持ち合わせていないし異性が好みだということを察するが、こちらを見て社会人としてはやや幼い笑顔をみせられると表情には出さないものの、うれしくなってしまう。だが、気を許してくれているのだなと思う反面、それを裏切るような行動をしてはいけないと理解する。
 自分自身、ユーリと付き合いたいと切望しているわけではないし、いいな、と思うだけだ。それにこの距離感も嫌いではない。ちいさな罪悪感とたのしさが入り混じった感覚が好きなのだ。言わずともそれをわかっている同僚であり、悪友のグリエ・ヨザックには「意地が悪い」と窘められるが、なおすつもりはない。
 そうして今日も、ユーリはバーを訪れた。さて、今日は酒の飲めない彼をどんなノンアルコールカクテルでたのしんでもらい、どのようなはなしをしてくれるのか――と、考えていたのだが今日はふだんとすこしユーリの雰囲気が違う。
「こんばんは、コンラッド!」
「こんばんは。お仕事おつかれさまです、ユーリ。今日はなにかいいことでもありましたか?」
 きっちりと締めていたネクタイをほどきながらカウンターの席に腰をかけた彼はなんだかうれしそうだ。
「やっぱり、わかる?」
「わかりますよ。顔に出てます。上司にでも褒められましたか?」
 尋ねるとユーリは「いや、今日もミスしちゃって小言を聞いたよ」と苦笑いを浮かべ気恥ずかしそうに後頭部を掻いた。
「自分でも忘れてたんだけど、今日おれ誕生日だったんだよ。特別なにを祝ってもらったわけじゃないんだけど、ふだんより残業時間も短くしてもらって上司や同僚、後輩からおめでとうって言われたんだ」
「えっ、誕生日だったんですか」
 そんなに驚くほどのものではないと声をあげてからコンラートは思ったものの、彼が生まれた日になのにプレゼントを用意できなかったのが残念だ。
「お誕生日、おめでとうございます。ユーリ」
 ギムレットをユーリに手渡し、コンラートは祝いのことばをかけた。
「ありがと! ……でも、あんた浮かない顔してるぞ」
 どうかした? と、尋ねられてコンラートは苦笑をする。
 まったく彼にはかなわない。思いとはうらはらな表情を見せてもユーリはすぐに気づいてしまう。職業柄、夜は遅くまで働き、明け方に眠ることが多く時折、からだが負担を訴えるように疲れがたまることがある。そんなときに彼と会うと必ずと言っていいほど「疲れてるでしょ?」と指摘されるのだ。だれも気づかないのに、ユーリは気づいてしまう。
「このバーでしか、あなたとの接点はないことは重々承知なんですが、お誕生日をこんな形で知ることになってしまったのが残念なんですよ。知っていたらなにかプレゼントを用意できたのに」
 言うと、ユーリは「べつにいいよ」と微笑む。
「コンラッドには毎週プレゼントをもらってるようなもんだし。お誕生日おめでとうって言ってもらえたのがおれはうれしいよ」
 彼のことばにうそはないだろう。いままではなしをしてきいてコンラートは思う。
 ユーリには基本的に欲というものがない。それは自分のように何事にも無関心だから欲を持たないというわけではなく、日々当たり前にみなが見逃すような些細なしあわせに気がついていまの自分はしあわせなのだと感じているからだろう。そんな彼に出会って、自分も日々にあるしあわせが一体なんであるかを気づきはじめている。
 そんな彼の誕生日に、なにか自分も贈りたい。――と、コンラートの目になにかがとまった。カクテルバーなのだから必須ともグラスにボトルにシェーカー。いまさら物をプレゼントできないなら、せめて誕生日の最後のひとときまでこの日をたのしんでほしい。
「おんやぁ、コンラート? どうしたんだい? お、それに坊ちゃんじゃないか。こんばんは」
「ああ、ちょうどよかった。ヨザック、お前にちょっと頼みがあって」
 空いたグラスをカウンターに戻しにきたヨザックがふたりに声をかけた。
「ヨザック、こんばんは! 何度も言うけど、おれは二十歳過ぎてるんだから坊ちゃんじゃないってば」
 不服そうに、ユーリは口を尖らせて抗議するがヨザックは肩を竦めて笑うだけだ。口を尖らせてわずかに頬を膨らませる無意識にしてしまうところが子供っぽくみえるからコンラートもヨザックも困ったように笑うことしかできない。
「オレからしたら、坊ちゃんなんですもん。ちょーっとエッチなはなしをしたらしたら顔を赤くするんだから。チェリーボーイって呼ばれるよりいいでしょ」
「そりゃそうだけど……ふつうに名前で呼んだらいいじゃんか」
「ふつうに呼んだらつまらないでしょ。っていうか、コンラート。頼みごとってなんだよ? アンタから頼みっていうのは珍しいよな。頼まれてもいいけど、オレに見返りあるわけ?」
「見返りはお前の頑張り次第かな。……今日はユーリの誕生日なんだそうだ。それで、久々にあれをやろうと思って」
 コンラートはヨザックの手にのるトレーのカクテルグラスを指でカチン、と弾く。その仕草でなにをやろうとしているのかヨザックは理解したらしい。たのしげに口元を歪めた。
「いまからオーナーに電話をする。基本的に彼はこのバーに関しては好きなようにやらせてくれるから許可はおりると思う。ヨザは用意をしてくれ」
 エプロンのポケットからコンラートは携帯電話を取り出すと電話帳からオーナーの名前を探し、電話をかける。
「夜分、遅くにすみません。コンラートです。今日、大事なお客様の誕生日なのでカウンターでフレアバーティングをしたいんですが、いいでしょうか?」
 尋ねれば、オーナーがすこし驚いたかのような声をもらす。
「だめですか、グウェン?」
 わざと残念そうに声のトーンを落とすと電話越しに『そういうわけではない』と否定をし、コンラートは口端に笑みを浮かべる。
 オーナーのフォンヴォルテール・グウェンダルはコンラートの兄。名字が違うのは母は同じではあるが、父親が違うからだ。コンラートには兄と弟がいる。兄と弟の父は名の貴族の末裔であり、母方の名家だ。だが、コンラートの父はそのような輝かしい肩書きのある男ではなく、安定した職業にもついていなかった。世界中をまわるのが好きで風のように右や左と自由気ままに旅をする写真家。独創的な雰囲気を醸し出している父の写真は定期的に個展が開かれるほどであったが、貴族という肩書きとともに職業が医者や政治家であふれている母の家では、父はただの遊び人としか彼らの目には映らなかったのだろう。そしてもちろん自分自身も遊び人の卑しい子供として扱われていた。
『……べつに構わんが、バーの雰囲気を壊すようなことはしないように』
「了解しました。許可してくださりありがとうございます」
 しかしだからといってコンラートは、父や母を恨んだことはない。貴族という肩書きに興味などまったくと言ってなかったし、父と世界中をめぐり歩いてさまざまなものを見て体験しおみやげを母や兄弟にプレゼントしながら思い出はなしに花をさかせるほうが自分にとっては重要に思えた。けれど、それは本当に幼いころのはなし。長兄であるグウェンダルは肝がすわっていて他人の価値観にとらわれる性格でないのでコンラートが思春期をむかえ家のことで悩み、自身の置かれている立場にスレていたときも、変わらず接してくれ、いまもこうして繋がっているのだ。
「では、失礼します」
『ああ、しかしお前がだれかにたいして積極的になにかをするとは……そいつはすごい奴なんだな。たまには、休暇をとってこちらに来い。母上が会いたがっている』
 言うだけ言うとぷつり、と回線が切られる。聞き耳を立てていたのだろうヨザックが「よかったな。オ−ナーから許可おりて」と肘で脇を小突いた。もう準備は整ったらしい。カウンターにはずらりとボトルとグラス、シェイカーが並べられている。
「んじゃ、オレは途中から参戦させてもらうわ。いまから適当に選曲してくる」
「了解」
 携帯を再びポケットにしまうと、ユーリは不思議そうにコンラートに声をかけた。
「なにかあったの? こんなにグラスとかボトル並べてさ。いまからお偉いさんとかがくるとか?」
 おれ、席を移動したほうがいいかな。と居心地悪そうにからだを揺らすユーリにヨザックが手を伸ばしてその頭をくしゃり、と撫でた。
「そこは坊ちゃんの席です。ここに座ってていいの。よかったねえ、今日は月末だからこんなちいさなバーで飲むひとが少なくて」
「ヨザック、言ってる意味がわかんないんだけど……?」
「説明はコンラートがしてくれる。それじゃ、オレは抜けるぜ」
 カウンターの奥に消える際にこそり、とヨザックはコンラートに「うまくやれよ」と小さく囁き、返事のかわりにコンラートは笑みを浮かべたまま頷く。
 ここでヘマなんかしたらユーリに合わせる顔がなくなってしまう。
「コンラッド?」
 なにをしようとしているのか尋ねるようにユーリがコンラートの名を呼ぶ。コンラートは、戸惑うユーリにまるで王に頭を下げる臣下のようにきれいなおじきをみせた。
「――改めまして。お誕生日おめでとうございます、ユーリ。あなたに出会えた俺から感謝の気持ちとユーリにとってこの一年が素晴らしいものであることを願っています」
 店内に流れていた曲が切れ、照明も一段暗くなり、カウンターのみがスポットライトを浴びたように明るくなる。
「そして、あなたにとって今日が最後までたのしかったと思えるような俺からの贈り物を」
 未だに現状をのみこめていないユーリをよそにコンラートはボトルに手をかけ――再び店内には曲がかかる。
 曲はTHE SEATBELTSの『Tank!』
 軽快な出だしとともに、コンラートは手に掴んだボトルを高く宙へと放り投げた。


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