>> しょげないでよ、ベイベー!
(はじめてのおつかい/出発編)


「はあ?」
 思わずすっとんきょんな声を勝利はあげたが、母親には聞こえていないのか事情がのみこめていない有利に向かって「ゆーちゃんも行きたいよねえ」などと声をかけている。
「いくー!」
「ナイス好奇心よ! ゆーちゃん。さあ、あっちでお着替えしましょう。しょーちゃんとおつかい行きましょうね」
「なに言ってるんだよ! まだ、ゆーちゃんは三歳だぞ。俺だけでいいじゃないか」
 苛立ち口調で勝利は抗議をするも、美子はなんでもないように「大丈夫よ」と答えて早々と有利を着替えさせてふたりのリュックを準備していく。
「それにしょーちゃんひとりで行かせるほうが危険だと思うわ。兄弟ふたりでいれば近くに親がいるとみんな思うでしょ。防犯ブザーも準備したわ。……それともしょーちゃんはゆーちゃんと行くのがいやなの?」
 意味はわかっていなかった有利も母親の最後のことばの意味は理解できたらしい。勝利に嫌われたと思ったのだろう。「しょーちゃん、やなの?」といまにも泣きそうな声で勝利の服の裾を引っ張った。
「そんなことあるはずないじゃないか。ゆーちゃんのこと好きなんだから。でもね、ゆーちゃんとふたりだけでおつかい行くの危ないんじゃないかなって思ったんだ」
 だから、泣かないでと言うと有利はほっとしたように笑顔をみせて「あぶなくないよ」と言う。
「だいじょぶだよ? しょーちゃん。しょーちゃんはゆーりがまもるもん! びくとりーれっどにへんしん!」
 特撮戦隊のリーダーポーズを決めながら有利は言い、母親にリュックを背負わされる。
「さすが、ゆーちゃん! ママの子だわ! しょーちゃんの言うことを聞いて、いい子にしてるのよ。それから危ないひとにはついていかないように。しょーちゃんをしっかり守っておつかい頑張ってね。はい、しょーちゃんのぶんのリュック!」
「……」
 わかっていた。弟が一緒におつかいに行くのは想定していなかったとしても、弟もおつかいに行くと決まめ引き合いに出されてしまえば、どう言ったところで自分は折れるしかないのだ。
「ゆーちゃん、いっぱい歩いて疲れるだろうけどおにいちゃんと頑張ろうね」
「うん! がんばるー」
 かわいくて、大切なたったひとりの弟。どんな些細なことであっても泣かせたくないし悲しませたりしたくない。いつも笑顔であってほしい。
 おつかいなんて簡単なことだ。頼まれたものを書かれた手順で買って帰ってくればいい。危険なことがなどない。
 それにどんな危険なことがあっても自分が絶対に守ってみせる。
「……わかった。おつかい行くよ。でもその代わりにゆーちゃんの負担を考えて、おつかいコースは短くしてね」
 勝利は、息をひとつはくと手渡されたリュックを手にとった。


* * *


 休日とあってか、普段よりもメインストリートはひとであふれていた。
 勝利は、しっかり有利の手を握るとひとごみをぬうように歩いていく。ひとりなら足早に進もうと思うがまだ三歳である有利のペースに合わせて歩くとなると、おつかいは結構時間がかかるだろう。有利は、出かけるのがたのしいのか、鼻歌を歌っている。両親のことは大好きだとは思うが、父、勝馬が銀行マンでありこちらに出張してから仕事絡みでホームパーティに呼ばれることもあって両親が何時間か家に不在であることもあって某テレビ番組に出ていた同年代の幼児のように親と一緒じゃなくても有利はぐずらない。それは面倒を見る親や兄である自分は手間が掛からなくていいが、絶対的に自分と弟には違いがある。
「だめだよ、ゆーちゃん。知らないひとに手を振っちゃ」
「うん? なんで?」
 弟の有利は、母親譲りの人見知りのない性格をしているのだ。他人にたいしてまったくといっていいほど、警戒心がない。愛嬌があるといえばそうなのかもしれないが、大人である美子とまだ三歳である有利では危険のリスクが大きく異なる。
 むやみに愛嬌を振ったら危ないと弟に説明してもまだ理解はしてくれないだろう。勝利は言い方をかえて「よそ見をしていると転んじゃうからね」と有利に注意する。
「このまえもゆーちゃん、おうちで遊んでるときちゃんと下をみないでおもちゃにつまずいて転んだでしょ」
 言うと、有利はそのときのことを思い出したのか、わずかに眉根を潜め「おひざ、とってもいたかったの」と答えた。「そうだね、痛いのは嫌だね。だからおにいちゃんのいうこと聞いてくれる?」
「うん。わかった。ゆーちゃん、よそ見しない。しょーちゃんのいうこときくの」
「ゆーちゃんはいい子だね。ほら、ゆーちゃん見える? いつも買い物するデパートだよ。あそこでカレーのルーを買おうね」
「うん!」
 有利が頷いて、ちょっとだけ勝利の手を強く握る。強く握ったのはきっと気分が高くなったからだろう。勝利は有利のちいさな手を握りかえしながら「頑張ろうね」ともう一度声をかけた。
 両親がカメラを持ってうしろについているかもしれない。でも、もしなにかあったとき一番最初に弟を助けてあげられるのは自分しかいないのだ。
 おつかいなんてまったく怖くない。自分が怖いのは、弟の身に危険がおよぶことなのだ。


* * *


「あと、十分くらいかしら。デパートにふたりが着くのは。もうここから姿が見えなくなっちゃったわ」
 妻の美子が窓から離れて勝馬が座るソファーへ腰をかけた。
 彼女がいうように、おつかいに勝利と有利がふたりではじめてのおつかいに向かうことには全面的に反対するつもりはなかったが、長男である勝利がいうようにここの治安や有利の年齢などを考えるともうすこし彼女にいろいろと言ったほうがよかったのではないかといまさらながら勝馬は思った。
 美子と勝利のはなしあいに途中から気迫負けしてなにもいえなかった自分が情けない。
 勝利はぬるくなったコーヒーを飲み干して、腰をあげる。
「あら、ウマちゃんどこかにでかけるの?」
「え、だからふたりのはじめてのおつかいをついて行くんだろう? カメラを探してこようと思って」
 カメラはどこに置いたっけ。と、尋ねると美子はきょとんと首をかしげた。
「おつかいの尾行なんてしないわよ?」
「……は?」
「だから、しょーちゃんとゆーちゃんのあとは追わないって言ってるの」
 ことばの意味がわからなくて、声を漏らしたわけではない。
「なぜ行かない? ふたりが心配じゃないのか?」
 驚きのあまり若干声が上擦ったがそんなことをきにしてなどいられない。勝馬は美子の腕を掴んで立ち上がらせようとしたが、彼女は「行かないって言ったら行かないの」と口を尖らせた。
「ふたりのことはとっても心配だけど、行ったら意味がないじゃない。あの番組観たあとだしなにかあったら助けてもらえるって安心しちゃったら、ふたりは責任をもっておつかいなんてできないわ」
「そりゃあ、そうかもしれないけど……本当にこっちは日本より治安が悪いんだぞ。嫁さん行かないから俺だけでも、」
 行く。と最後まで言うまえに「だめよ!」と遮られてしまった。こちらを見る彼女の目はとても真剣で、一瞬固まってしまう。
「これはしょーちゃんのためなんだから。絶対に行っちゃだめなの!」
「……勝利のため?」
 オウム返しに尋ねると、美子は目を伏せて頷く
「そう、しょーちゃんのため。……しょーちゃんはとってもいい子ですごく頭がいいと思うわ。それこそ、なんでも自分ひとりでやってのけてしまうくらいに。でもね、しょーちゃんはまだ子供なの。できないことがいっぱいある」
 どこか思いつめたような口調で彼女は、はなしを続ける。
「……いつか、ゆーちゃんは魔王になる。そのとき、ゆーちゃんを支えになってほしい。でもいまのままなんでもひとりでできちゃうって思いこんだまましょーちゃんが大人になってしまえば視野が狭すぎてゆーちゃんを守ることなんてきっとできないわ。しょーちゃんにとって、ゆーちゃんは大切な存在なのに、そのときになって初めて自分が無力だとわかってしまうことが私はいやなの」
 たしかに、美子の言うとおりかもしれない。勝利はとても賢い子だ。こっちの学校へ入学をすれば飛び級確実だろうと会うひとが口ぐちに言うほどに。それもみんな有利の運命をわかっていないながらも本能的に危機を感じているのか、すべては有利のためにと勝利が努力した結果だ。あの子にとって怖いものはきっと自分がその有利の役に立てないことなのだろう。しかし、まだ八歳のあの子は視野が狭く自分に自惚れているところがある。
「だれにも頼らないのはすごいことで強いことよ。でもその強さには限界があるの。しょーちゃんはそれをわかっていない。だれかに頼る強さも身につけてほしい。いまの自分はまだまだ子供なんだって理解してほしいの。きっと今回のことでしょーちゃんはそれをわかってくれると思う。……それに、あの子たちはちゃんとおつかいから戻ってくるわ。――私は、信じてる」
 平和そうにみえて、なにが起こるのがわからないのが人生だ。魔族である自分が別世界で人間の女性と結婚したように。息子の有利が眞王陛下のご意思で将来魔王になるように――たかがおつかいでも、それがちゃんと遂行できるかといえばわからないのだ。それをわかったうえで彼女は「信じている」と言っているのだろう。
 勝馬は、美子から手を離すとふたたびソファーへからだをしずめた。
 彼女はあの番組を観た勢いでなにも考えずに子供たちをおつかいに出したわけじゃない。自分よりもずっと子供のこと――未来を考えていたのだ。
「うちの自慢の子供たちだもんな。あとなんかおわなくてもちゃんとはじめてのおつかいをこなしてくれるってもんだ」
 言うと、美子は微笑みながら頷いて勝利の手を握り、勝利は握り返す。彼女の手は微かに震えているように思えた。
「俺も信じてる」
 



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