>> しょげないでよ、ベイベー!
(はじめてのおつかい/きっかけ編)



『もうすぐ、梅雨になるから一度押入れやクローゼットのなかを整理してね! もしやらなかったらママがやっちゃうから!』
 と、言われ勝利は渋々貴重な休日を利用して自室の押し入れを整理をすることにした。クローゼットには衣類が少ないので防臭剤のシートやかえるだけでいいのだが、押入れは一度整理するとなかなか開けることがない。
 この時間を使ってパソコンで自分の帰りをいまかいまかと心待ちにしている嫁に愛のことばを囁いてほっぺを真っ赤に染めたところキャプションしたいと心底思うが、面倒だからと言って母親に押入れの掃除を頼めば、押入れ以外の場所にも目をつけて掃除を始めるのは目に見えている。そのことが原因でパソコンにバグでも起こったらと思うと怖くてしょうがない。
 押入れのなかはすでに若干、湿っているような雰囲気が漂っている。勝利はほこりの被った本や段ボールを押入れから引き出して、なかに入っている防臭剤をごみ箱に捨てて新しいものを入れていく。その作業を繰り返して押入れのなかに収納されていたものもあと半分、となったところで段ボールのなかに入っていた本からひらり、と一枚の紙が落ちた。
 どうやら、段ボールのなかはアルバムが詰まっているらしい。
 勝利は、落ちた写真を手に取り懐かしそうに頬を緩めた。
 写真に映っていたのは、幼い頃の自分と弟の有利。
「……そういえば、こんなことあったな」
 ちいさく呟き、あの時のことを思い出す。たしかこれは、暖かくなった春先の時期のはなし。


* * *


 母親である渋谷美子は少女漫画の主人公のような性格をしている。優しく、気が強い専業主婦。その夫である渋谷勝馬は銀行マンで、妻である美子に尻にひかれている傾向にある。そのふたりの共通点といえば、正義感にあふれていて、感動モノに弱いところだ。
 なので、生まれてきた子供もしっかりふたりの遺伝子を受け継いだのかと言えば……そうでもなかった。
 アメリカ合衆国。マサチューセッツ州、ボストン。
 父親の出張で家族で移住をしているマンションの一室。リビングにある家族四人が座れる大きな横長ソファーではすすり泣く声が聞こえる。すすり泣く声の主は両親だ。勝利は、自分をあいだに挟んでタオルやハンカチで涙を拭うふたりを横目にあきれたようにため息をついた。
「あんなにちいさな子が、ひとりでおつかいに行くなんて、すごいわねえ」
「ああ。泣きながらも最後までおつかいしてしまう姿なんて、もう……っ!」
 鼻を押さえもう、画面が観れないのか勝馬はうつむく。
 観ているのは、美子の祖母から送られた日本の番組が録画されたDVD。日本の食材をこちらで買うとなると値が張るために定期的に仕送りしてもらっているのだ。食材のほかに勝利や有利への絵本や衣類のお土産と、両親に向けてこういった娯楽的なものも多く詰められている。
 アメリカにはない、日本の番組やアニメを観たりするのは勝利もたのしい。しかし、なぜよりによって今回はこれを送ってきたのか。もちろん、祖母としてはたのしんでもらうためにだとはわかっているが……これは嫌な予感しかしない。
「……ゆーちゃん。おにいちゃんとあっちの部屋で遊ばない?」
「う?」
「ゆーちゃんの好きなビクトリヒーローごっこしよう」
「うん!」
 大きな目にさらさらとすこし長めの黒髪を持つ弟の有利は勝利にとってなによりも大切なひとだ。通信教育が主であまり外部との交流がないこともあって、ほかの兄弟よりも絆が強いのかもしれない。でもそれは勝利が有利を好きである理由のひとつにすぎないことを知っている。
 自分のことを慕ってくれる有利が勝利は可愛くてしょうがなかった。
 勝利は有利の髪を「いい子だね」と撫でつけながら感動して涙を流し続ける両親に気づかれぬようにこっそりリビングをあとにしようとしたが、勝利よりもさきに意を決めたように美子が立ちあがった。
「ウマちゃん! 私、決めたわ! うちの子もはじめてのおつかいさせましょう!」
 嫌な予感が的中した。勝利はうんざりした顔を見せる。
 こうなる気がしたのだ。
「ええ、でもこっちは日本よりも治安がいいとは言えないんだよ? 危ないって」
 勝馬が言うもすでに美子の意志はかたいようで、胸のまえで手を組み、有利とリビングを出ようとした勝利のほうにぐるり、と顔を向けた。目がきらきらとしている。
「大丈夫よ。私の子だもの。しょーちゃんはしっかりしてるから悪いひとにはついて行かないし、危険な場所にも近づかないわ。英語も私よりできるもの。いまからママが、おつかいルートを紙に書くからおつかいできる?」
「……べつにいいけど」
 八歳にもなってひとりで買い物にも行けないほど、甘えん坊ではない。それに、一度これだと思ったら曲げない主義の母親なのだ。おっくうだとは思いながらも、勝利は渋々頷く。ここで嫌だと言えばぐずるのは母親のほうだ。そちらのフォローのほうが遙かに面倒くさい。それにどうせ、この番組の真似事をするのなら、両親は片手にカメラをもって自分のあとをついてくるのだから危険もなにもあったもんじゃない。さっさと終わらせて、実際こどもにはじめてのおつかいをさせても感動などないことを思い知らせたほうがいいのかもしれない。のちのち同じ年頃を迎えたときの有利にこんなくだらないことはさせたくない。
「はい、地図と買ってくるもの決定!」
 おつかいの内容が決定したようだ。勝利は、美子に渡された紙に目を落とす。
 おつかいの内容は思った以上に面倒なものであった。いつも買い物に行くデパートでカレーの材料を買い、ふだんは車で向かう洋菓子店に電車を乗り継いでマカロンと好きなケーキを二個購入する。洋菓子店からの帰りにこの間借りたDVDをレンタル屋に返却。カレーの材料だけでも大荷物になりそうだ。リュックを持っていくべきだろう。
「しょーちゃん、おへやいこ? ゆーちゃんとあしょぼ?」
 両親のはなしがまったくわからないのか小首を傾げて遊ぼうと促す弟に勝利は苦笑いをする。
「ゆーちゃん、ごめんね。おにいちゃん遊べなくなっちゃった。ママとパパに遊んでもらってね」
 言うと、有利がかなしそうな顔をみせた。
「えー」
「すぐ戻ってくるから。そしたらおにいちゃんと遊んでくれる?」
 本当はすぐには帰ってこれないけど。二時間は帰れないなんて言ったら有利は泣いてしまうかもしれないから。ぐずりそうになる弟を勝利があやしていると「しょーちゃん」と美子に声をかけられる。
「なにを言ってるの、しょーちゃん。ゆーちゃんも一緒におつかいに行くのよ」
 そう言って、不思議そうに母と弟は同時に首をかしげた。

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