片恋者が月を見上げた日のはなしをしようか。3

「うわ……なに、これすごいな……」
 まるで夢のなかにいるみたいだ。そう思うほどに巨大な月が目の前にある。
「地球でいうスーパームーンかな。月とこの星が軌道上が近地点にあるからとても大きく見えるんです」
「キンチテン?」
「この星をまわる月が軌道上でもっとも近くあるってことですね。ほら、ユーリこちらへ」
 コンラッドが手を引いて木製のテーブル一式のある場所へと誘う。着くと手際よく机上にバスケットにつめたものを並べはじめた。
「あのさ、もしかして今日コンラッド見張りの当番だったりするの?」
「いいえ。ここは昼間だけ見張りが着くんですよ。夜の見張りは城壁の小塔に。それに眞王廟の巫女が一定の範囲を結界で張っていますから、なにかあれば城壁の小塔にいる兵よりもさきに察して白鳩便を飛ばしてくれます」
「みんなすごいな……」
 今日も一日平和だとなにごともなく過ごしている自分のことを思うと心苦しい気持ちになる。
「あなたがすごいんですよ、ユーリ。以前の警備よりもずいぶんと楽になりました。もちろん、緊張感が薄れたと言うわけではありません。猊下が警備を効率の良いものにし、なによりあなたが皆のこころのありかたを変えてくれた」
 ナプキンにサンドウィッチをはさみこちらに手渡しながらコンラッドは誇らしげに言う。
 彼の口調は軽やかなものだが、絡む視線はいたってまじめなもので有利は気恥ずかしくなり、肩をすくめた。
「おれそんな大層なことしてないよ」
「ユーリに自覚がないだけですよ。いままで城に勤める者、眞魔国に住む者……もとより愛国心や王への忠誠を誓っていましたがそれは薄いものでしたから。自ら国や王のために動きだそうという者はそうそういませんでした」
「そうなの?」
 眞魔国の歴史は王佐であるギュンターや摂政であるグウェンダルからはなしに聞いていたがどの時代も愛国心や忠誠心は強いように思えたからだ。
「王に命じられればどんなことでもみんなするでしょう。しかしそれは心のそこから想うものではない。歴代の王すべてがとはいいませんが、俺が見てきたいままでの王はあなたとはまったく違います。民は王のことばに耳を傾けるが、王は民の声を聞かない。聞いていると勘違いをしていたんです」
 王は民の声を聞かない。
 コンラッドのことばに有利はルッテンベルク騎士団のことを思い出した。そうだ。コンラッドを含め、人間と魔族のあいだに生まれた混血児は民でありながらも民として認められていなかった。
「……ユーリ、こんな素敵な月夜にそのような顔をしないで。俺はあなたに悲しい顔をみるためにここにつれてきたかったわけではないんですから。でも、そんな顔をさせたのは俺の責任かな」
 無意識に眉根が寄っていたのか、しわの寄った場所をコンラッドが伸ばすように指の腹で撫でる。
「俺が言いたいのは、みんなあなたに感謝しているということ。みんなあなたが王様でよかったと思っている、ということです」
「……いきなりそういうこというなよ。はずかしいだろ」
「こういうときだから言いたくなるんですよ。あなたに自覚もしてほしいから」
 そう言う彼は、自分の知っているコンラッドではない、しらない男のように思え、低く甘さが混じった声音で有利は背筋がぞくりとふるえた。
「コン、ラッド……?」
 目の前にいる男は、コンラート・ウェラー。自分の名付け親であるか確認したくて有利は名をくちにしてみる。
「はい。どうかしましたか? サンドウィッチ、おいしくありませんでした?」
「いや……なんでもない。サンドウィッチおいしいよ」
「それならよかった。しかし、今日はやはり気分がすぐれないようだ。ユーリの言葉数がすくないように思えます」
 やはり自分は演じるのが下手らしい。指摘されると言い訳のひとつも出てこない。
 有利はいきをひとつ吐いて「そりゃ、おれだって悩むことだってあるさ」と返事を返し、大きな月を見て滝田先生が授業で言っていた『満月というのは、からだにも感情にも影響を与えてくれるんです。満月というのは達成するエネルギーに溢れていて、いままでできなかったことを実行すると良い』を思い出し
さきほどまで、コンラッドの一挙一動に緊張していた自分がばからしく思えてきた。彼は自分と同じ恋愛感情を持ち合わせていないのに、勝手に意識して心配をさせている。そういえば、以前ヴォルフラムやヨザックが言っていた。コンラッドは、夜の帝王と呼ばれるほどに女性と夜を重ねていたが本気で愛したことはないと。どんな女性とつき合っていたかわからないが、三兄弟でのなかでもいちばんモテると言われているのだからさぞかし美人で器量な女性とつき合っていたに違いない。そんな彼が一回り以上に歳の離れ、ましてや同姓を恋愛対象としてみるわけがないのだ。しかも恋愛に関しては自分ほどではないだろうが、鈍いときている。ならば、いまここですこしくらい気持ちを吐露したところで気がつかないだろう。
 サンドウィッチをたいらげ、コンラッドから紅茶を受け取りながらひとくち飲み、口内を潤すと有利は月をみながらぽつりと呟いた。
「……月がきれいですね」
 と。 すると、コンラッドも有利と同じく月を見て「ええ、とてもきれいですね」と頷いてふたたびこちらに視線をうつす。彼の視線がこちらに向いているのは雰囲気で察したが、それに気づかないふりをする。いまはコンラッドと顔を向き合わせてはなすよりも、こうして月を見ながら会話をしているほうが冷静さを保てるような気がするからだ。
 自分の口端にうっすら笑みが浮かんだのがわかる。しかしそれを隠そうとは思わなかった。いまのこのシチュエーションならべつに隠さなくとも違和感はないだろう。幻想的な月に魅了されて自然に笑みが浮かべているようにしかみえないはずだ。実際は、かなりの遠回りに自分の想いをコンラッドに告げることができて一歩前に前進したことがうれしくなっていることなんて彼は気づかない。
 そう、まだ自分は後悔を受け入れるほど覚悟ができていない。いまはこれでいい。自己満足でもなんでも、言うことができた。ぼんやりと英語の宿題の訳も思い浮かびそうだとあたまのなかで<I love you>を文字を泳がせていた――が、一瞬にしてすべてが真っ白になった。
「月がとてもきれいだ。……だからわたし、死んでもいいわ」 突然、コンラッドがそう言ったからだ。驚いて有利は彼を見た。見れば、コンラッドがとても真面目な表情でもう一度さきほどよりも大きな声で言う。
「俺は、死んでもいい」
『二葉亭四迷は『I love you』を『死んでもいいわ』と訳したと言われています』
「……あんた、もしかしておれが言ったことわかってんの?」
 喉が震える。『月がきれいですね』の意味を理解していないと思ったからこそ、自己満足でよかったから本音をくちにしたのに。
 なんでこうなってしまったのだろう。
「ユーリの生まれ故郷である日本の文化にも触れたほうがいいと思ってむかし、ショーマからいくつか日本作家の本をお借りしたんです。日本作家が書かれたとは言っても日本語は読めないので英文に訳されたものですが。逸話もいろいろとショーマに教えてもらいました。たとえば夏目漱石が『I love you』を『月がきれいですね』と言い二葉亭四迷は『I love you』を『わたし、死んでもいいわ』と表現されたこととか」
 失念していた。
 コンラッドはよく村田と同じように、本を読む。とくに好きなのは歴史や文豪と呼ばれる作家。こちらに拠点を置いているからといっても自分が生まれるまでは何度かアメリカにいたのだ。真面目な彼が、自分たちの王となる国の文化に触れないことなどありえない。
「あ、あ……」
 どうしよう。まさかこうなるとは想定してなどいなくてことばにするよりもさきにまともに声もだせない。ただ、あたまにあるのはこうなるなら、言わなければよかったと思うことだけだ。ここで後悔したかったわけじゃない。目の奥が熱くなる。すぐにでも泣いてしまいそうなほど。
「あはは、は……なんだ。コンラッドも知ってたんだ。高度な冗談もできるじゃん! まさかそういう返しがくるなんて思わなかったからびっくりしたっつーの」
 うそをつくのが下手な自分。一度動揺を見せてしまえば、さきほどの発言が本気であったことくらいコンラッドにはお見通しだろう。しかし聡い彼だからこそ、はなしを合わせてほしいと有利は思った。こんなことでいままでの関係を壊したくはない。
「冗談ではない。……と、言ったらどうしますか?」
「……は?」
 なのに、コンラッドは笑いもせずまたも理解ができない返答をする。
「あなたがいけないんですよ。ずっと自制していたのに。王であり民からすれば神と同等であるあなたを臣下である俺がこのような感情を抱くことさえ罪だとわかっています。ですが、ふたりきりで頬を染めた表情と告白をされてしまえば自制などできない。――俺も男ですから」
 苦々しい表情で言い、椅子から立ち上がるとコンラッドはこちらへと近づいてくる。それが怖くてしかたがない。
 これは都合のいい夢を見ているのではないか?
 いや、これがもし現実だとしてもあの月のせいなのかもしれない。月のエネルギーで自分も彼もおかしくなっているのだ。
「……じゃなきゃ、ありえない」
「ありえないとは、俺があなたのことを愛していることですか? ここでうそをついても意味がないのに?」
「それは、そうだけど」
 ずっと振られることだけしか考えていなかった。自分の想いがこの男に受け入れるなど一回だって想像すらできなかったのだ。だから、こんな簡単に受け止められしまうと困惑してしまう。
「ユーリ、」
 名を呼ばれて、反射的にコンラッドへと顔を向ければ片方の手で顎をすくわれ、もう一方の手は椅子の背もたれに手を置かれ囲われた。互いの顔の距離は、拳ひとつぶんほどしかなく、有利は息を飲む。
「俺は、ずっとあなたを想っていました。想うだけで充分でした。ついさきほどまでは。しかし、ユーリは言ってくれましたよね。愛していると」
「あ、あいしてるとは言ってない……っ!」
「なら、あのことばをくちにしたのです? 月が綺麗ですね。以外にもことばは選べたはずだ。……俺はあなたのことを愛しています。それこそ死んでもいいと思うほどに。――ねえ、ユーリ。あなたは俺のこと好きでしょう?」
 恋愛感情として。と、確信的に彼は言う。顎をすくわれ有利の視線は否応にもコンラッドを捕らえた。そこには、月のひかりに反射して普段よりも幾分輝く銀の星が光っていた。
「……だって、おれ自信ない、よ」
「自信?」
「いままでコンラッドがつき合ったひとはみんな綺麗で美人ばかりだって聞いた。本気にだれかを好きになったことがないって……それにつき合ってたひとは女のひとだろ。おれは男であんたよりも何倍も年下なんだぞ」
 後ろ向きなことばばかりがするすると出てくる。そんな自分がいやだと思うが、これこそが自分の本音なのだ。好きなのに、主従関係を越えて彼が恋人としてとなりにいたときの自分がまったく想像つかない。
「本気になれなかったのは付き合い、からだを重ねたひととの間で価値観が最初から違っていたからだ。富や名誉を欲する相手と現実から目をそむけるために情を持ち合わせなかった自分。唯一共通するのは快楽だけであったから。……十五年前、そんな情けない俺に希望を与えてくれたのがあなただ。そしてシマロンへ向かい対立したときあなたは言ってくれた。俺は俺しかいない。かわりなんていないと。はじめて、自分を見てくれた。だれよりも、あなたを愛してます」
 ふだん、口数のすくないコンラッドが今日は自分の倍はしゃべっている。それほど必死なんだと、あたまのなかのもうひとりの自分が語りかけるも、やはり怖くて信じられない。
「……ほんとう、に?」
「ほんとうに」
「満月は、ひとを狂わせるんだ。あんたのどっかが、壊れてちゃっただけじゃないのか? おれが王様だからってなんでも受け入れなくていいんだ」
「壊れているとしたら、いままで理性で押しとどめていた自分の本音です。あなたが俺を家や地位でみなかったのと同じく、俺はシブヤユーリ。ひとりの人間としてあなたが好きなんです。俺の気持ちを否定しないで。――できるなら、俺はあなたにだれよりも愛されたい」
 頬をコンラッドの手が撫で、彼は言う。
「俺は、あなたのためになるのなら、死んでもいい」
 しらないコンラッドがそこにいた。でも、きっとこのしらないコンラッドはずっと、いたのだ。だれにも気づかれないように想いを隠していた自分と同じ。
「……す、き。すきなんだ、コンラッド」
 あたまのなかで巡るたった一言は、想像以上に難しく、とても小さいものだった。しかも、いつのまにか泣いてらしい。眼尻からこぼれる涙をコンラッドの指の腹が拭い、泣いたことでわずかにひきつけを起こして開いた口には恋い焦がれた男の唇が触れた。


* * *


「――失礼します」
 セミの鳴き声が廊下や教室の壁に反射して響く。ひとけがないと余計に。
 有利は職員室のドアをノックして足を踏み入れる。まだ朝の七時だと先生たちもまだあまり来ていないようだ。二、三人ほどしかおらず見渡すまでもなく探していた先生を見つける。
「タッキー」
「お! 渋谷じゃないか、おはよう。早いね、なにかあったのかな?」
 滝田先生は書類をまとめる手を止めてこちらに顔を向ける。
「タッキーにこれ渡したくてきました」
 有利は鞄から一冊のノートを取り出す。英語のノートを。
「今回の宿題、自信あります」
 言うと、先生は一瞬呆けた顔をしたあと笑みをみせた。
「先生の言ったとおりでしょう? 後悔しても生きているし、笑える。だって、全部後悔するばかりじゃないから」
「はい」
 コンラッドと大きな月を見上げ、なんとなく口にした告白をあのとき死ぬほど後悔した。でも、言ったからこそ、いま自分は笑うことができる。悩んでいたときよりも、ずっと素直に。
「それじゃ、おれ失礼しますね。日課の朝のロードワークがまだなんで校庭、走ってきます」
 そう言い、職員室をあとにしようとしたが滝田先生に呼び止められ足を有利は足をとめた。
「すばらしい、訳ですね。花マル満足点です」
「だって、自信作ですから!」
 有利は笑う。
「でも、クラスで発表しないでくださいね。それをだれかに使われたら困るんで」
 ノートに書いた<I love you>の訳。
 それは、コンラッドだけに伝えることを許されたことばだ。
 だれにも、教えてあげない。
 有利は、清々しい気持ちで職員室を出てだれもいない校庭へ走りだした。

END
 
 


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