片恋者が月を見上げた日のはなしをしようか。2

 あとすこし。目のはしには自宅が見えるほどの距離まで歩が進んだころには、空は橙から濃い赤味と紫を混ぜて夏の夜を誘いこんでいた。にぎやかな音もゆっくりと静まりかえっていく。
 有利は、かばんを開け常備している大きなビニール袋を取り出しかばんを覆いしっかりとくちが閉まっているのを確認すると防水加工された携帯電話で村田に『いまから眞魔国に行くけど、村田はどうする?』と、メールを送り、数メートルさきにある噴水公園へと入っていった。夕方ともなると公園で遊ぶこども、涼むひともいない。公園には有利ひとりだけだ。
 まわりにだれもいないことを確認すると、有利は噴水へと近づき、腰をかければ内側の携帯電話がふるえた。携帯画面には村田の名前。『さきに行ってて。塾が終わったら行くよ』との返信。有利は『わかった』と返事を返すと再び携帯をポケットにしまい、ゆるりと噴水の水を撫でて、目を瞑り魔力を水に溶かすイメージをする。すると、徐々に水面がうねり手を引きこむような動きを見せ――突如、グン! と強く引っ張られ、ミンミン、ジワジワと耳元で鳴り続けていたセミの声は途切れ代わりにコポコポと水音が聞こえ始め、目を開けばそこは海にのまれたような青い世界が広がっていた。


* * *


「――おかえりなさい。陛下」
 そうして数分も立たずに青い世界から気がつけば、もうひとつの世界に帰還をする。からだにふれる水があたたかい。今回の帰還先は血盟城にある魔王専用大浴場のようだ。
 水に濡れて張りついた前髪をうしろへと流せば、背後から聞きなれた声が自分を呼ぶ。
「ただいま、名付け親。それから陛下って呼ぶなよ」
「すみません。つい癖でね」
 にこやかな笑顔でこちらにタオルを差し出しながら男は「改めまして。おかえりなさい、ユーリ」と言い、有利はわずかにくちびるを尖らせた。
 眞魔国の英雄。ルッテンベルクの獅子。と呼ばれる優秀な臣下であり魔王直属の護衛であるコンラート・ウェラー。通称、コンラッドと呼ばれるできすぎた男にそんな癖がないことを有利は知っている。癖というものはときに弱みになることもあるのだ。それを治さないというのはおかしい。
 コンラッドはわざと言うのだ。
 有利のことを『陛下』と。
 それはおそらく自分に王であることを植え付けようとしているのだと思う。自分には王である意識が足りないのは自覚している。だから正直、毎回わざわざ言わなくてもいいのではないか、と常々感じるのだがコンラッドがこうして繰り返し『陛下』と呼ぶことにたいして同様に自分も『陛下と呼ぶな』と返すのが悪いのだろう。
 『陛下』と呼ばれたままでいいのかもしれないと思うのに、今回も無意識におなじみのやりとりをしてしまったことに有利は自己嫌悪をした。「……リ、ユーリ」
 名を呼ばれて有利は、はっと我にかえり自分の髪の水滴を拭う男のかおを見上げる。
「どうかしましたか?」
「あ、なんでもない。……ちょっと考えごとしてただけ」
 まさか、コンラッドのことを考えていた。とは、はずかしくて言えるはずもなく有利は水を吸い重くなった学ランを脱ぎながら浴室からあがる。
「なにかあちらでいやなことでもあったんですか? 今回の帰還も眞王が呼んだわけではなく、あなたの意志だ。俺でよければ相談にのりますよ」
 滝田先生は後悔がないようにしたほうがいいと言っていたが、いざ彼を目の前にすると尻ごみしてしまう。有利は「今日抜き打ちテストあったんだけど、あんまりいい点数が取れなかったんだよね」と適当にはなしをながした。もちろん、抜き打ちテストなどない。唯一あったのは、英語の宿題だけ。「ねえ、<I love you>をコンラッドならなんて訳す?」と、夏目漱石を知らない彼に言えるはずもない。
「っていうかそれよりも学校帰りにスタツアしたから、お腹減っちゃって。なにか食べたいんだけど……」
「そうですねえ……こちらはもう夕食の時間を過ぎて真夜中なので、着替えたら厨房に声をかけてみましょう。あちらでは、夕方だということはユーリはまだ眠くない?」
「まだ眠るにはちょっとね。あ、でもおれのことは気にしないでいいよ。部屋でおとなしくしてるからさ」
 言うと、コンラッドは苦笑いを浮かべる。その表情は、大型犬がしゅんとする表情を彷彿とさせ、べつに彼を傷つけたわけではないはずなのに思わずごめんと謝ってしまいそうになる。
「もしユーリのお邪魔でなければ、あなたが眠るまではなしをしたいんですけど……だめですか?」
 コンラッドはやさしいなあ、と思う。それから、卑怯だとも。
 自分よりも多くのロードワークをこなしている彼はきっと疲れているだろうにこうして気遣ってくれることはやさしいと思う。が、自分の気持ちを知らないとはいえ気のあるような表情やセリフを言う……それが卑怯だ。いつもこうして、胸で蟠る恋心をじわじわを大きくしていくのだから。
 とうぜん、今回も彼のお願いにたいして首を振ることができるはずもなく有利はタオルで表情を隠しなんでもないような口ぶりで「いいよ」と返事を返した。
「ありがとうございます」
「べつにお礼を言うことじゃないだろ。むしろ、付きあってくれるんだからおれがお礼を言わなきゃ」
 脱衣所に用意されていた寝巻きを着て、厨房へと向かう。真夜中ということもあり、必要最低限の灯りしかついていない廊下は、とても薄暗い。
 コンラッドは巡回している兵に声をかける。おそらく、グウェンダルに帰還したことを報告するように告げているのだろう。
「仕事、増やしちゃってごめんね。よろしくお願いします」
 なんだか申し訳なくなり、有利が言うと慌てたように兵は敬令をして足早にグウェンダルの部屋のほうへと姿を消していく。
「……コンラッドにもだけど、さっきの兵士さんにも悪いことしちゃったなあ」
「そんなことないですよ。みんなあなたのことが好きだからね」
 きっと、その『好き』のなかにはコンラッドも含まれているのだろう。自分が望むカテゴリー『好き』ではない『好き』に。……いつかは、いうつもりではいる。このさき、ひどい後悔をするまえに彼にに告白をしたいとは。けれども、やはりこうして脈を感じないといいづらい。冗談でも「あんたもおれが好き?」と言えないのだ。
「なら、みんなの期待に応えられるようがんばらないと」
「無理にがんばらなくてもいいんですよ。ゆっくりでいいんですから。そうだ、ユーリ。厨房で夕食を頼んだらすこし俺につきあってくださいませんか?」
 過保護と呼ばれる男は、そつのないフォローをしたあと、そっと人さし指を立てて己の唇のまえに出す。
「秘密の場所で、素敵なご飯を食べましょう」
 理想の大人の男。なのに、なんでこんなこどもっぽい仕草が似合ってしまうのか。
 やっぱり、コンラッドは卑怯だ。


 ――厨房には真夜中ということもあって、だれもいなかったが手早くコンラッドが麦パンにハムや野菜をはさみ豪勢なサンドウィッチと、夕食に出された地球でいえばミネストローネに似たカルジャというスープをポットにうつしてバスケットに入れていく。ほかにもツマミとして焼き菓子やデザートとして果物や、紅茶も入れて。まるでピクニックに行くような気分になり、自然と有利はわくわくとした。そうしてひととおりバスケットに納めると、城の一番端に建てられた塔へと向かう。普段は鍵がかけられているため一度も有利は足を踏み入れたことのない場所だ。
「へえ、ここってこんな風になってるんだな」
 いつも鍵はかけられているとはいえ、締め切りになっているわけではないらしく、カビくさくなければほこりひとつなかった。
「俺や、巡回兵の一部だけが鍵をここの鍵を持ってるんです。普段だと見張りとしてここにも兵が昼間にはいます」
「ふぅん」
 筒上になった室内は狭くうえへと向かう石の螺旋階段を大半をしめている。点々と設置されている窓にはカーテンがなく、ほかの場所よりもひかりを遮るものがないためか、廊下よりも塔は明るい。月のひかりが差しこみ部屋全体が心なしか青く見えるほどだ。
 有利はコンラッドに促されるまま、螺旋階段をのぼりはじめ、窓からの景色が気になりそこに顔を近づけるとふいに視界がまっくらになった。
「うわっ!」
 驚いて声をあげると「すみません」と謝りながらもくすくすとコンラッドが笑う。視界を覆っていたのは彼の手のようだ。有利は手を外そうとするが、コンラッドの手は離れない。
「外の景色が気になるのはわかりますけど、もうちょっとそれは我慢してくれませんか。ここで見てしまったらたのしみが半減してしまう」
「あんたが言ってた素敵な場所っていうのは、この塔の一番うえなの?」
「ええ。だからあとすこし我慢して、ユーリ。きっとあなたが想像しているよりもすごい景色がみれますよ」
 コンラッドは言い、手を離す。だが気になるものは気になるもので有利が唸り声をあげると彼は「それじゃあこうしましょう」と上着の内ポケットからハンカチを取り出した。
「これを巻いてうえまで行きましょうか」
「え、」
「大丈夫。ちゃんと俺がリードします。あなたにケガをさせるようなことはさせません。ね?」
 ね? と言われても、目隠しをされたまま階段をのぼるのは怖いのにそれよりも好奇心が顔を出し有利はいわれるがまま布で目を覆う。覆うと同時に片手をとられ肩を抱かれる。男同士で手を繋ぐことも肩を寄せることも学校でよくしているのになぜこんなにも心が騒ぐのだろう。
 その答えはわかっている。
 コンラート・ウェラーという男が恋愛感情として好きだからだ。
「では、ゆっくり行きますね」
 有利は繋いだ手のひらが汗で滲まないようにと祈り、触れあう肩から熱や気持ちが伝わってしまうのではないか――どこかで読んだ少女漫画の主人公になった気分で一段、一段しっかりと足を踏みしめながらうえを目指して歩く。目隠した状態で会話をするのは危険だと思っているのかコンラッドは必要最低限のことしかはなさない。バスケットからときおり、美味しそうなにおいが鼻を掠める。それらが余計にここにはふたりしかいないのだと実感させた。
「――ユーリ、あと一段です。それをのぼったら、施錠を外すのですこし待っていてくださいね」
「うん」
 コンラッドの手が離れ、鍵が外れる鈍い音と扉が開く音がやけに大きく聞こえた。扉が開いて涼しい風がからだをとおりぬけ、うしろから肩を掴まれやさしくまえに進むように促される。
「もういいかな。ほら、外しますよ。ゆっくり目をあけて」
 ハンカチが外され、目をあければ――金色が視界を征服する。
 それはそれは手を広げても抱えられないほどの大きな月が、夜を支配していた。
 

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