なんでも言って 3



 さすがはキングチョコレートパフェ。かなりの量があった。
 ドリンクバーでコーヒーを淹れてほっと息をつく。
「いやあ、たまにはいいね。こうして甘いものを食べるのも」
 満足気に村田は、お腹を擦りながら言いそれから「糖分もたくさん摂取したからすこしは冷静になれたかい?」と尋ね、有利は頷く。
「あんまり、深く考えすぎないほうがいいと思うよ。考えすぎると、単純なものがとても複雑なものに見えてしまうときがあるし……たとえばきみが学生時代に苦手とした数学みたいなものだ。ずらずらと並べられた説明文を深読みして使う公式を間違えたり。国語の作文もそうだ。なにを書いていいのかわからなくて、ペンが動かない。相手がなにを求めているのかを考えるよりもさきに自分が思うことを整理しなきゃ」
 言われてみて、はじめて有利はコンラートと同居してからあまり自分の意見をくちにしていなかったことに気づいた。もとより彼にたいして不満がなかったからというのもあるが、一緒に過ごす時間が減り四六時中仕事に追われるコンラッドになにも言えなくなっていた。
 それはわがままを言って嫌われたくなかったからだ。何度も言うように彼ががんばっているのは、ふたりの生活のためだ。それに不満を持つなんて贅沢だと有利は思っている。
「……でも、整理してみてもやっぱりコンラッドには言いづらいよ。コンラッドは悪くないんだし」
「渋谷だって、悪くないでしょ。言って、ケンカになるんならなればいいじゃないか。黙っていてもコンラートさんには伝わらないよ。いまの状況が続くだけで、なにもかわらない。渋谷、きみたちはどうして同居をしようと思ったのか思い出してごらんよ」
 言われて、有利は同居をしようと決めた日のことを思い出し……なにかが喉からせり上がってくるのを感じた。

 去年。自分の就職が決まり四月に入社をはじめてやっと新しい環境にもなりはじめた七月。偶然にも自分とコンラッドは誕生日が同じで、社会人になってから初めて自分の稼いだ給料で彼にプレゼントを購入したのだ。自分では逆立ちしても入れない大企業の会社に勤める彼になにを贈ればいいのか街をぶさぶらと散策したときにこれだ、と思ったのは某メンズブランドショップのショーウィンドウに展示されたネイビーのネクタイ。コンラッドと仕事帰りに会うときはいつもスーツで、完璧に着こなしている彼は、いち社会人としても憧れを自分に懐かせた。そんな彼に合う色合いのストライプ柄のネイビーのネクタイはやはりブランドもさることながら質もデザインもよく値段は張ったがそれでも勿体ない、と思うことはなくコンラッドにプレゼントしたのだ。包装紙を開けてうれしそうに目元を緩めたあとコンラッドは妙にそわそわとしていたのをいまでも覚えている。
 どうしたの? と尋ねればおずおずと口を開いて「今度、引っ越そうと思うんだ」と言われた。それまで、互いの家からはひと駅離れた場所に住んでいて、ヨザックにはコンラッドは会社からもかなりの信頼を受けていると聞いていたから、もしかしたら海外へ引っ越すのかと内心ひやり、としたが引き続き紡がれた彼のことばは有利の予想外のものであった。
『一緒に……暮らしてみませんか?』
 驚いて、声も出ない自分をよそにコンラッドは鞄のなかから一枚の紙を取り出した。それはマンションとその室内の見取り図。2LDKのひとつふたつ…ゼロの数が違うのではないかという豪華な間取り(しかもルーフバルコニーが二部屋も完備されている)
『ユーリの務める会社も俺の会社もここのマンションからなら駅も同じだし、どうかな。……いままでの生活でも問題ないけれど、俺はもっとあなたと一緒にいる時間を共有したい』
 その物言いはずるい、と有利は思った。
 コンラッドには癖がある。なにか自分にしたいことや、やりたいことがあるとき必ずと言ってはなしの最後に「無理ならいい」、「だめなら大丈夫です」と付け加えるのだ。しかし、このときのコンラッドはそれを口にしなかった。それほどまでに一緒に暮らしたいと、妥協したくない。そんな気持ちがあったからだろう。コンラッドの年収がどれほどのものか自分にはわからない。けれど、この部屋を購入するということは結構苦労をしたことはわかる。いつの日か、デートをしたときに『いつかふたりで暮らしたなら』とはなしたことがあった。もちろん、夢を語るような冗談混じりのはなし。部屋は広いほうがいいとか、夏はバルコニーで、夕食を食べながら夜景をみたらすてきだろうな、とまったく現実味のないことを互いに述べていた。……なのに、この男ときたらふたりで描いたそんな夢の詰まったぴったりの部屋を見つけてきたのだ。
『ばかコンラッド……これじゃ、おれがプレゼントしたネクタイが安くみえるだろ』
 悪態をつきながらも、声は震えていたあのときの自分を思い出すとまったく可愛げのない奴だと思う。けれどそんな自分に対してコンラッドは目元を緩めて「かわいい」と言い、それから「あなたからもらったものはとてもすばらしいものです。いいネクタイを身につけると、どんなに嫌なことがあって仕事に行きたくないとか様々なことで弱気になった自分を今日も一日頑張ろう。そんな気持ちにしてくれる魔法がかかってる。ユーリからもらったなら、なおさら俺はそう思います。でも、俺は欲張りだから今日も頑張ろうという思いにさせてくれる魔法のネクタイと今日も一日頑張ってよかったと癒してくれるあなたがほしい。……ユーリ、あなたの返事を聞かせてください」
 お互いの誕生日。祝ったのは賑わう行きつけの居酒屋でそっと手を握られた。周りのひとが見ているかもしれないと思いながらも、有利は目の前の男がどうしようもなく愛おしくて身を乗り出して返事の代わりにすばやく唇を掠めとった。普段なかなか、恥ずかしくて自分から恋人らしい発言も行動もしないこともあり、コンラッドからすれば想像もつかなかったのだろう。呆気にとられた顔をして、それから泣きそうな顔でひとつ長く息をついてから「ユーリをこれからも大切にします」と言うので有利は笑ってしまう。
『……それってなんか、プロポーズみたいだ』
 言うと、コンラッドは口元に笑みを浮かべながらも真剣に答えた。
『これは、プロポーズの前置きのようなものですから。いつか必ず、あなたにさせていただきますね』

 ――忘れていたわけではない。でもどうして、こんな大切なことをこうなるまで思いかえさなかったのだろう。
「……きみがコンラートさんに、遠慮してしまう気持ちは僕もわかるよ。でもさ、一緒に住むのは互いの思いを言いあって妥協して暮らすことなんじゃない。一方の思いを受け止めて、自分の思いを我慢するのって、一緒に住んでる意味あるのかな? それって、お互いにしあわせって言える?」
 村田のことばに有利は首を振ることしかできない。「それにさ、いまの渋谷って渋谷らしくないよ。僕はなーんにも考えずに、全力でつっぱしてるきみが好き。きっと、コンラートさんもそうだ。そんなきみが好きでたまらない」
「あのさ、村田」
「なに?」
 自分らしいってなんだろう。よくわからない。だけど、最近の自分は自分らしくないような気がした。村田の言うとおりだ。簡単なことを複雑に考え過ぎていた。コンラッドのことを、自分のことをもっと信頼すればよかった。
 言いたいことをくちにしたら、コンラッドに嫌われてしまう。そんなことしか考えていなかった。ケンカなんてすれば、別れてしまうのではないかと。
 そう悪い方向にしか考えられなかったのは、信頼できなかったからだ。どうして、同居するまえと同じようにケンカできなかったのか、言いたいことを言えなくなったのか。
 ――そんなの当たり前なのに。
 付き合ってることには変わりはない。けれど、あのときと絶対的に違うのは、共に過ごすことが増えた。時間が増えれば、しあわせだと思うときが増えるけど同じくらいに寂しいと思うときも以前よりずっとあることを自分はわかっていなかった。
「……おれ、言いたいこと言っていいのかな?」
 さきほどと変わらない音量で言ったつもりだったのに情けないことに、囁くようなちいさなものだった。
 村田は有利のうしろを指でさすだけでなにも言わない。
 有利はその指が示す方向――うしろを振り返って目を見張った。
「え、」
 そこには会社にいるはずのコンラッドがいたのだ。



next
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -